今年も残りわずかと成りました。この一年いろんなことが記憶にとどめられます。
一昨日ですか今年の流行語大賞では「イナバウアー」と「品格」という言葉が年間大賞を受けられました。オリンピックで荒川静香選手が金メダルに輝き小さな子供たちまでが「イナバウアー」といって喜びはしゃいでいたのが思い起こされます。
さて、その子供たちの世界で大きな変化が胎動し始めています。ご存知のように連日、子供を取り巻く環境のなかで、いじめ・自殺・虐待・非行・事件に巻き込まれるケース、果ては教師のあるまじき行為がテレビ新聞等で報道されています。
報道が過剰反応しているという指摘もあります。が、事実は事実と受け止め再び繰り返されることがないよう願わずにはいられません。平穏な長井市に水をさすようなことにならないか自問するところもありましたが、あってはならない悲劇から「育てる・育む」教育への実践に向けて登壇させていただきました。
通告に従い質問に入ります。
先ず、私は子供の世界・子供社会について、「いじめ」と「自殺」そして「教育とは」について教育長と語り合ってみたいと思います。
今、なぜ、いじめ・自殺という現象がクローズアップされているのでしょうか。
「人の命と心を軽視する」悪の根源を絶やさなければならない「人道・人の道」の問題であると思います。
私たちの周りではどうでしょうか。
報道されているような問題や悲劇は起きていない、と認識していますが、実状はどうなんでしょうかお聞かせいただきたいと思います。
私も学校、PTA 、子ども会、地区公民館の立場から原因や対策などたくさんの話を伺いました。特効薬的なものは見出せませんでしたが、冷静にそれでも緊張感を持っていることをうかがい知ることができました。たとえば
ある小学校長は、とにかく子供たちと少しでも多くの時間で触れ合うこと、話し合うことで少しでも早く心の変化をキャッチしようとしておられ、子供の前では絶対に明るく振舞うように、そして子供の変化を察知したら優しい心と笑顔で向き合うよう教師には指導しているとのことでした。
指導面で私は取り分け小学校1学年から3学年の3年間が精神教育に一番大切で有効な時期である。従ってこのような混沌とした子供社会を超えることができるのは日本型の教育文化である道徳・礼儀・修行といった訓練による徹底した指導を提案しました。
この時期に「ならぬものはならねものです」ということを教えることは理解なされましたが、授業として組み込む事は難かしいが、そういう精神を具体的な手法で教えて生きたいということでした。教育長の所見を伺いたい。
あるPTA会長は
「いじめ」の形として一人ではなく仲間・徒党を組んで嫌がらせをするタイプとしています。そして子供たちは「いじめ」の認識は持っていないことと学校側もいじめの認識は薄いのではないか。それは境目のない眼鏡で見ている場合が多い。ということは、いじめ・ふざけ・たわむれ・からかい・など何を以って「いじめ」とするか判別が難しい。更に
受けた子供は心の中で「いじめられた」孤独感が大きく、信号を送っていることに親が気づかない、そういうことから゛はけ口゛を自殺という行為に走るのであろうと推理しています。
この状況を防ぐには保護者として親としてのレベルを自らの手で成長努力しなければならないことを強調されています。
子供の肉体的変化に気づいていても心の変化に気づくことが出来ない。子供の行動を常にキャッチできる親になるべきだとしています。子供は親の後姿を見て育ちます。行動を見ています。考え方を見ています。特に若い親御さんは身体は大人ですが、考え方は大人になっていない・成長すべきだと厳しく捉えていました。
いじめや自殺に対する防止策は学校だけではなく、父親教育・母親教育も重要な子供の健全育成そして「いじめ・自殺」を防ぐ鍵を握るものと思う、と語ってくれましたが教育長の見解は。
地域子ども会長の一人は「いじめ」とは弱い者いじめであるとしています。弱いものとは身体的に欠点者や精神的弱点者をいい、いたずら・からかいを「いじめ」と捉えています。
いろんないじめ方があってそれらに負けて孤独感・恨み・心を開いて話せる人がいないことで「自殺」へ走るとしています。
対策として教える環境の問題を指摘しています。「いじめ」を、いち早くキャッチすること、コミュニケーションを図ること、これは学校も家庭も同じでしょう。そして彼が言う特筆すべきは対策として熱血男性教師の出現・男性教師の倍増計画という提案もありました。
私も教育に関する座談会で父兄から質問されて泣いている男性教師がいたという話を聞きました。問い詰める父兄もどうかと思いますが、泣き出すようなひ弱な教師であっては子供を任せて置けないという心配はあります。教えることに悩んで欠勤する教師は居りませんね。
教育に対して自信と責任を持った逞しい教員が望まれると思いますが、教育長の所見を伺いたい。
この項の最後になりますが、地域での取り組という視点でふれてみたいと思います。西根地区においては比較的教育に関して公民館を核として取り組みを深めています。昭和56年から教育座談会と称して各地区分館を巡り、年に2箇所で教育委員・小中校長・児童センターを指導者として招き地域での話し合いを展開しています。今年も五祭所・仁府で、テーマは「遊びと我が家の約束事」で行われました。
そこではいじめ・自殺といった表現は出なかったようですが、子供の遊びのパターンが変化していること、コミュニケーションがうまくいかない、子供の行動に親が追いつけていけないなど家庭での子供と関わりに不安がにじみ出ていることは「いじめ」や「自殺」に結びつく要素が潜在している危険な状況といわざるを得ません。このなかでメディアに対する注文もあったということです。最近のテレビ番組は、バラエティーやお笑い風で低俗化していないかという指摘です。ゲーム、携帯電話、低俗番組など決して教育上好ましい環境とはいいがたいことです。
ただし、このように地域が前向きに地道に教育環境づくりに取り組んでいることは特筆すべきことと賞賛されていいものと思います。加えて今年は「西根教育の村・5周年」の記念大会も実施されました。「アイウエオ」運動として・あ・明るくあたたかい家庭をつくります・い・命の大切さを認識し、みんなで声を掛け合います・う・美しい環境を守り安全で住みよい地域をつくります・え・笑顔で元気に挨拶を交わします・お・思いやりといたわりの心をもって接します・という大会宣言も致しました。
この運動を広く市民共有の運動として「長井市教育のまち」宣言をしては、いかがでしょうか。教育長の見解を伺いたいと思います。
質問の最後は市長にお尋ねします。
市長はあと幾日、その任務を終えようとしています。2期8年間本当にご苦労様でした。と、ねぎらいの一言に尽きます。
市長は行財政改革・産業経済政策・福祉医療社会保障・教育・および市民生活にと、多角的に市民の舵取り役として頑張ってこられました。
市長がいま振り返って、教育に関わる施策について納得するところ・悔いの残るところなど伺うことができればこれから私たちの指針作りや施策作り・方向付けに活かしていきたいと思うものであります。
また、今回の質問のテーマとしている「いじめ・自殺」といった悲しい出来事・あってはならないことを未然に防ぐために、どのような手立てがあればいいのか、お考え・ご所見を伺いたいと思います。
「水と緑と花の長井」が一層の明るい未来を展望するとき、新しい市長も誕生しました。来春は4年に一度の市議会議員選挙も行われます。しかし、一番心ときめくのは未来を託す次の世代を担う子供たちです。登校時には緊張した面持ちで上級生に見守られ、下校時には解放された子犬のように明るく元気に帰宅する姿を見たとき長井市の将来は明るいと実感するものです。陰湿な「いじめ」そして「自殺」或いは非行・虐待など絶対にあってはならないことを願い、壇上よりの質問を終わります。
(フォトは長井ダム・湖名命名式でAKEMIさんと合唱する子供たち)
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