おさむ茶マイルーム

▼音楽
 まったくのガキオヤジである。天真爛漫でありながら繊細な、永遠のガキ大将である。30年以上昔になるが、オールナイト・ニッポンでアルバム“たくろう・オン・ステージ”「ともだち」を聞いた。当時の時代の息吹をよく表しています。そして伝説の、中津川フォーク・ジャンボリーでの「人間なんて」で岡林信康に替わりフォーク界の頂点に立つのだが、フォークからは次第に離れ、「結婚しようよ」のヒットからはメジャーになってしまい、岡林と共に裏切り者呼ばわりをされました。
私はといえば、フォークのたくろうの凄さを知っているだけに、その後の彼を評価する気になれませんでした。

 売れてからの彼は、以前のプロテストソング的なものは消えてしまい、気楽で陽気でいい加減なあんちゃんそのものですが、それが憎めないのは天性だからでしょうか?団塊の世代が老い込んでいく中で、相変わらずとっちゃん坊やのままです。今は若いミュージシャンの兄貴分におさまっているようです。長嶋茂雄が昭和一ケタの希望の星だったとするなら、たくろうは団塊の世代のヒーローです。
 いつまでも輝いていて欲しいものです。
 年月を経ても心に残るシンガーって、だれしも2〜3人はいませんか?そんな1人が盲目のシンガー、ホセ・フェリシアーノ。日本では、さしずめ因幡晃か長谷川きよしといったところかな?声は山崎まさよしも少し似てるかな?伸びやかな歌声が印象的で「ハートに火をつけて」は珠玉の名曲でした。そう思ってるのはオレだけかw。
 ホセ・フェリシアーノを初めて聞いたのは24歳のとき、友達から借りた8トラックのテープをカーステレオで毎日のように聴いたものです。(そうなんです、当時はカセットでもCDでもない8トラックのテープですよ)。ラテン風にアレンジされたBeatlesのナンバーやママ&パパの「夢のカリフォルニア」など、収録曲のほとんどがカバー曲だったけど、どれもがとっても心地よく、飽きることなく聴いたものです。原曲とは全く印象が異なるが、ヒスパニック系のやるせなさが心を包んで、なぜだかメランコリック気持ちになったものでした。

 ホセは、プエルトリコ生まれ、盲目のアーティストといえば、レイ・チャールズや、スティービー・ワンダーを思い浮かびますが、盲目特有の鋭い音感を小さい頃から持っていたに違いないし、なによりラテンの血が彼の音楽性を決定づけたに違いない。ナンバーで一番好きな曲は「ハートに火をつけて」。あのDoorsの大ヒット曲だが、生ギター中心のホセは、原曲をぶったぎるほどにソフトにまるで別曲のように仕上げた。それから、Beatlesの「アンド・アイラブ・ハー」のインストゥルメンタルも、なんかしみじみしてしまうナンバーになっていました。
ほとんどの曲にギターソロが入っており、どのソロも「これでもか!」っちゅうくらい弾きまくっており、それも魅力でした。
 もう一度聴きたいと思うのですが、8トラックのテープもカーステレオもなくなったしな…青春の思い出として胸にしまっておくかー。

 演歌はあまり得手でない方だが「昭和の歌謡曲」という番組で八代亜紀の「舟唄」が流れていて、高倉健主演の映画のワンシーンを思い出した。
 この映画は、1981年第5回日本アカデミー賞受賞作品高倉健主演の「駅STATION」で、脚本はあの「北の国から」の倉本聡、「鉄道員ぽっぽや」の降旗康男というからスゴイ。
 高倉健の役は警察官でピストルの名手で過酷な五輪強化選手訓練の最中、三上刑事は過ちを犯し、そして妻と離婚する。別れのシーン雪の駅でのいしだあゆみの表情は泣けました。独特の列車の別れのシーンはこの頃から倉本流ですね。
 終り頃のシーンには、健さんが駅前の酒場で飲んでいて流れる歌が八代亜紀の「舟歌」である。大晦日の酒場のシーンで、テレビは紅白歌合戦を放映しており、そのテレビからこの歌が流れてくるのである。そのときの倍賞千恵子のセリフがニクイ「男たちは、この時期になると家に帰るのよ」健さんは、無言でこの歌を聞きながら、倍賞千恵子の酒場を出て、一人、駅に向かったのでした。「♪酒はぬるめの燗がいい〜 肴はあぶったイカでいい…」いや〜健さんは、やはり演歌が似合うわ。

 〜画像は、昨年に続いて9月に寒河江までやってきたSLです〜

 2001(H.13)年、歌手の森山良子さんが、若くして他界した兄を思って書いた詩に、BEGINが曲を付けたものだそうですが、夏川りみが歌ってヒット曲となりました。TV番組で語っていたのですが、森山良子さんが母から「いつまでも、愛だの恋だのばっかり歌ってる場合でもないじゃないの」と言われ作った曲だそうで、30分で書き上げたそうです。BEGINも歌っていますが、三人三様別の曲のように聞こえるから不思議です。
“涙(なだ)そうそう”とは、沖縄の方言で「涙がとめどなく流れる、涙ポロポロ」の意味だそうです。その名のとおり、心に染みわたり聞くたびにウルウルきます。

 古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
  いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
  晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
  想い出遠くあせても
  おもかげ探して よみがえる日は 涙(ナダ)そうそう

  一番星に祈る それが私のくせになり
  夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
  悲しみにも 喜びにも 想うあの笑顔
  あなたの場所から私が
  見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく
 テレビの思い出の青春の一曲とかいうリクエスト特別番組があると、必ず登場するのがイルカの「なごり雪」だ。5年前くらいだろうかコンサートに行ったのは…イルカが「私おばあちゃんよ、かわいいおばあちゃんでしょう」にビックリしたものでした。たいていのフォークファンの人はこの歌を結構、評価しているようですね。マイナー系の人でも、「なごり雪だけは許せるわ」と言い、万人が認める名曲の部類に入り、フォークをメジャーにした一人として大きく評価したい。
しかし、フォークの歴史の中では、あまり大きくクローズアップされていないし、評価もされていない。確かに、メジャーっぽいような音楽活動ではあったし、「海岸通り」「雨の物語」など自作の曲でないヒット曲が多く、フォークっぽくないようなイメージがイルカさんにはあったように思う。しかし、イルカさんは立派なフォークブームの立役者だったはずだ。
 その摩訶不思議さが、イルカさんの底知れぬ魅力であり、実力であったと思う。
歌声の魅力が大きいのかな?「あの頃の僕は若すぎ〜て〜、君の気まぐれを許せ〜なかった・・・」ズキーンと心に入ってくる。うまい歌の人っていくらでもいる。でも、魂を揺らす歌声の持ち主って、そういない。現にプロの人の中でも、少ないように思う。イルカさんは、数少ない、その内の一人であることは間違いない。「いつか冷たい雨が」なんて、全身が震えた記憶がある。「私が土になったら、お花たちよ、そこから咲いてください!」っていうフレーズはまさしくフォークの歴史に残る一節だと思う。
 昨夜、小椋佳の「歌談の会」というコンサート&トークショーに行ってまいりました。PM5:30分白い上下に茶色の靴。髭は鼻下とあごのいでたちで「しおさいの詩」でオープニング。風邪をひいてると断りがありました、2年前に胃がん手術したせいか、おさえた歌い方のように思われたのは私一人だけではなかったと思うが…。
「歌談の会」というのはフルに歌いまくるまでの体力が回復してないため?でしょうか、トークや物語朗読を交えた構成でした。自分の持ち歌というよりは、作詞・作曲した曲のメドレーで「白い1日」「俺達の旅」「シクラメンのかおり」「夢芝居」「めまい」「愛しき日々」「愛さんさん」…ラストの「山河」まで、しばし歌が流行った当時にタイムスリップする一時を過ごしてきました。ただ歌唱力はさすがなものでしたが、エンディング近くなると声がひっくりかえる場面もあって、聴いてるほうも「頑張れ!」と応援エールを送らずにはいられませんでした。
 同じ時代を共有してきた一員として、早く体調を直されて元気で歌い語り続けて欲しいものです。

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「♪とお〜い世界に、旅に出ようか〜それとも赤い風船に乗って、雲の上を 歩いてみようか」この曲が世に出たのは1969年だそうですが、自分が聴いたのはチェリッシュのカバーで大分後からでした。ですから、てっきり暫らくはチェリッシュの曲とばかり思ってましたが五つの赤い風船だったんですね、西岡たかしさんごめんなさい。
 
 自分も、うたごえサークルみたいなところでよく歌ったものです。ちょっと落ち込みかげんな時は、「明日もがんばろう」と勇気もらったものです。今でも元気をもらえる合唱曲といえば、やっぱり「遠い世界に」しかない!!!「明日の〜世界を〜〜〜探しに行こう〜〜」って、みたいな。
西岡たかしといえば、最近までNHK・BSの「フォーク番組」の準レギュラーでしたが、亡くなったそうですね…合掌!それでは、偉大なる西岡たかしさんのギターとともに合掌ちゃうちゃう合唱しましょうか?じゃ〜3番までお願いしま〜す。

(1)遠い世界に 旅に出ようか
  それとも赤い風船に乗って
  雲の上を 歩いてみようか
  太陽の光で 虹を作った
  お空の風を もらって帰って
  暗い霧を 吹き飛ばしたい

(2) 僕等の住んでる この街にも
  明るい太陽 顔を見せても
  心の中は いつも悲しい
  力を合わせて 生きることさえ
  今ではみんな 忘れてしまった
  だけど僕達 若者が居る

(3) 雲に隠れた 小さな星は
  これが日本だ 私の国だ
  若い力を 身体(カラダ)で感じて
  みんなで歩こう 長い道だが
  一つの道を 力の限り
  明日の世界を 探しに行こう

この曲も、ある時期カラオケでよく歌いましたね。元々はTBS系の朝の情報番組「おはよう720」(7:20分スタートの番組〜後に時間帯が延長になって700になったようですが…)そのテーマ曲として毎朝流されるようになり大ヒットしたのが「ビューティフルサンデー」でしたね。
明るく楽しい歌詞の内容がどちらかというと当時メッセージ性の強い楽曲を好んだ日本人アーティストとは対照的なために万人に受け入れられたという感じでしたしょうか。
原曲は何とかブーンさんの曲でしたが、日本では田中星児さん(今も変わらない永遠のお兄ちゃん)が歌いましたが、カラオケなんかで歌う時「ハッー、ハッー、ハッー、ビューティフルサンデー」のさびの部分で、他の人にマイクを向けて一人盛り上がったものでございますw。
 夏といえば、やっぱTUBEかサザンですね。サザンといえば3年前、桑田ケースケの6大ドームファイナルコンサートの福岡ドームへ行ったとです。たまたま福岡に小旅行の日、桑田コンサートあるのを知って、ネットオークションでチやっとケットをゲット!して行ったとです。
 それは興奮の3時間、立ちっ放し(あっちじゃなくって席をです、何を言わすねんw)、手拍子打ちっぱなし、エキサイティングな空間、いい思い出なったとです。ただ、サザンのコンサートではなかったためか、イマイチ知ってる曲が少ないのが残念でした。
 そのときのチケットがこれ、まだ記念に持ってるとです。
 カラオケは苦手の部類だが、今は亡きシンガー・ソングライターの河島英伍の歌はふしぎに2、3曲歌える。「♪男は大きな夢をもて〜」ダメ息子の成長とダブらせて、「野風増」をだみ声でがなりたてた後のオハコは、決まって「♪1日2杯の酒を飲み 肴はとくにこだわらず マイクがきたなら微笑んで オハコをひとつ歌うだけ」を地で行く「時代おくれ」、”仕事のストレスの癒しに、それこそ酒場の隅で「時代おくれ」を何回か歌わしてもらったことか。 
おやじたちの応援歌ともいうべき歌詞が、歌ってるうちに心にしみわたり、時には感極まってウルウルするときもあります「目立たぬように はしゃがぬように……人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい」。「忘れてしまいたいことや〜飲んで〜飲んで〜飲まれて飲んで〜」「酒と泪と男と女」も、ふだんなにげなく口ずさむ歌の一つです。最初この曲を聴いたときは、アルコール依存症の歌かと思いましたよ(笑)。
 彼の歌はネオフォークシンガーといわれるそうですが、人間の心の表現という意味では演歌とほとんど同じじゃないかと思う。この曲が出された時期もバブル崩壊のとき、だからバブルの時代にまみれた男の心に響いたのかもしれません。
 3年前、山形の新人歌手・大泉逸郎の「孫」が、演歌で16年ぶりにミリオンセラーヒットをとばしたが、これも孫に対する心情をせつせつと歌った歌詞が同世代の共感を得たのがヒットの要因とか。何かと「勝ち組」「負け組」と選別される昨今、優しくしていたら、それこそ「時代おくれ」の男になってしまう。「時代おくれ」でもいい、時代と人の心をしっかり見つめて自分に正直に生きていければ…と言うと「負け組」の言い訳と言われるだろうか…。
 この年になると若者の音楽には、なかなかついていけましぇん。我ら団塊世代は、演歌にもやや抵抗があってか…おのずと青春時代に耳にしたナツメ音楽がなつかしいです。先月、60年代末に一斉風靡したR&Bの大御所テンプテーションズ、シュープリームズのコンサートに行ってきました♪
 さすがに声量は衰え、息切れしてましたが(笑)、当時の出来事とオーバーラップして、命の洗濯にはなりました。