▼旅の思い出
1970年の秋に当時の国鉄(現JR)が“ディスカバー・ジャパン”という大々的な観光キャンペーンを行ったのを覚えているだろうか。 当時は高度成長のまっ只中、“美しい日本と私”というコピーを添えて国内にある日本の古い街を再発見しようというキャンペーンで、高度経済成長のもと、豊かな物質文明の中にあって失われつつあった美しい日本を見つめ直そうというものだったようです。
同時期に「an・an」「non-no」といった若い女性向けの雑誌が創刊し国内旅行情報を特集し始めたことにより“アンノン族ブーム”が生まれ 若い女性たちがこぞって萩・高山・倉敷・金沢など田舎に繰り出していく国内旅行の一大ブームが起こりました。当時若者であったワタクシ も時代に乗り遅れまいと国内旅行にでかけましたが、どこへいっても女性グループの嵐にでくわしたものでした。 その後国鉄は1978年に「いい日旅立ち」をキーワードに 山口百恵を起用した新たなキャンペーンを打ち出し国内旅行需要はあいかわらず堅調だったようですが、全国のあちこちに莫大な建設費を投入した テーマパークと呼ばれる大掛かりな施設が出現してから、国内旅行は下火になったそうです。 冬スキーのメッカだった山形・蔵王も往時の半分程度とか、常に人気を保っていた観光地ですらこれですから、他は推して知るべしです。 でもいつか「古きよき日本を見直そう」という“ネオ・ディスカバー・ジャパン”に 戻る日がまた来るのではないでしょうか。 |
最近は出不精なりましたが、若いうちはあちこち旅行出かけたものです。一番長い旅で思い出深いのが25年前のソ連旅行、そうまだロシアがアメリカと並ぶ大国と称されていたころで、ブレジネフが親分の時代でした。新潟からハバロフスクに飛び、そこからモスクワまで横断、実に15日間にも及ぶ長旅で、ただとにかく広い国だったという印象です。
食べ物は大味でイマイチなじめませんでしたが、クラッシックバレーや美術館、サーカスなど、一流の芸術にふれて意義深い旅でした。当時、どこへ行っても町中がTVのサッカー中継に夢中なっていたのを記憶してますが、今思えばワールドカップだったんですね。 写真は、ボリショイサーカスを鑑賞したときの1枚です。 |
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特に驚かされたのは、雨降り日に道路に散水車が出動していたこと、決まりごとは必要性よりも優先させるといった考え方には参りましたが、反面国民の人間性はおおらかでした。そして若い女性はやせてきれいでしたが、熟年女性はほとんどがお相撲さん状態に変化しておりました…これってどうよ、みたいにw。
画像は、ちょうど子供たちが夏休みのキャンプ地を訪問した時のものです。