NORIYOs NOTE

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ゴールデンウィークの最終日、津波の被害を受けた多賀城を経由して塩釜に向かった。

どうしても確認しておきたい事があったからだ。

5年以上も前、ヘルパーをメインとしてお仕事していたころ、人工透析をするお客様の送迎でよく介護タクシーに同乗して塩釜・利府方面に通っていた。

ある方は塩釜の港が見えるすぐ目の前。

地元の介護事業所に変更されてからはお会いすることもなかったが、ヘルパーはずっと忘れてはいない。

途中の家屋には、2メートルの水位の跡が続いていた。
震災から2か月たとうというのに、浸水して使えなくなった家具や電化製品がいたるところろに山積みされていた。

何とも言えない悲しみを抱えながら、塩釜の港に着いた。

岸壁に衝突したままの船。津波で流れてきたガレキ。異様に盛り上がった道路。持ち主のわからない潰れた車。

近隣の住宅は崩壊したり、一階部分が使えなくなっていた。
心配していたお客様宅は基礎部分を残し建物が流されて無くなっていた。

呆然として言葉にならない。
他数名のお客様の自宅の無事は確認できた。

どこかに避難してくれていることを願いながら帰路につく。


「がんばろう東北」と掲げながら踏ん張っている店舗の裏で、大きな余震で再建を断念して取り壊しをしている店舗も少なくない。


「何で前向きに歩かなくちゃいけないの?」という問いかけに
「前を向いて歩かんと、後ろ向きでは歩きづらいじゃろ。」
と明るく言って返したがばいばあちゃんの言葉のように、歩きやすい前向きで
今日も1歩進んでいこうと思う。
いつものようにスーパーへ買い物へ行くと、色とりどりのカーネーションが並んでいた。

「今日は母の日か…」

日々の子育てや仕事に追われ、母の日まではもう少し先だろうと考えていた。

ちょうど近くに住む母からきた電話で、
「父の日と一緒に買うから待っててね〜」と謝罪の一言を伝える。いけない娘。

買い物を済ませて自宅に戻り、急いで夕飯の支度。
すると、突然子供たちから思い思いの手作りプレゼントが台所に届けられた。

中学生の娘は厚紙に母の似顔絵とオリジナルのかわいいキャラクターを散りばめて、メッセージが添えられていた。

「……私は今思春(反抗)期をエンジョイ中で何かと迷惑をかけるけど、これからもよろしくね。いつもありがとう。」

全く手前みそだが、画力は感心するほどで、母はこのキャラクターをいつかベジアートに登場させたいと秘かに考えている。

小学生の息子はお決まりの「お手伝い券」と「肩たたき券」
一年前の母の日にもらった券がまだ20枚ほど残っているので、早く手伝ってもらわなくては。

未就学児の娘は、自分の読まなくなった絵本を白いビニールひもで束ねてプレゼントしてくれた。
「私この本もう読まないから、ママにあげるっ♪」

……読まない本をどうもありがとう。
その本には「おてつだいけ」という紙が一枚貼り付けてあった。
「ん」が抜けていたけれど、十分伝わった。

夫からは夏用のサンダルを買ってもらったので、もう少ししたら履かせてもらおう。

何でもないようなことが、幸せなんだとしみじみ感じた。




3月26日(土)

朝から家族と一緒に、開いている文房具店を探し歩いた。
食料品と一緒に、わずかばかりに置いてある折り紙や縄跳び。

被害の少なかった仙台駅前の大型家電量販店には、品薄ではあったが、
こどもたちがテレビで見慣れたのキャラクター文具が並んでいた。
ふうせん・パズル・落書き帳・クレヨンにカラーペン。
アニメキャラクターのヘアゴムなんかつけてあげたら女の子もお母さんも
ちょっとは笑顔になれるかなぁ〜と勝手に想像しながら、カゴに入れる。

買ってきたものをお菓子の空き缶に詰め、明日、南三陸に向かう社長に託す。
「よろしくお願いします。」

・・・・・・何かしたかった。
自分に出来る何かを探した結果、母として、こどもたちに笑顔を取り戻してもらいたいと心から思ったからだ。

3月28日(月)
「渡してきたよ。」
社長から報告を受け、一枚のプリントした画像を受け取った。

そこには、ガレキが散らばる道路に笑顔で写るこどもたちの姿。
昨日私の手元にあった縄跳び、おりがみ、落書き帳を持った南三陸のこどもたちが笑顔で写っていた。

私のほうが元気をもらったのは言うまでもなく、こどもたちとの橋渡しをしてくれた社長に感謝。

そして一日も早く、全ての子ども達に笑顔が戻ってくるよう日々願い続けている。