当時書いていたブログ「震災日記○○日目」を今年も読み返してみました。
10年前は私もまだ30代、仕事に子育てに日々奔走していました。
あれから10年がたったんだな…と改めて考えさせられます。
「一日一日を大事に生きよう」
そう思って今日もブレずに生きています。
まだまだ寒い日が続きます。
暖かくしてお過ごしくださいね♪
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「震災日記1日目」
2011年3月11日午後2時46分、その時は突然やってきた。会社で事務作業をしてると、地面が静かに揺れだし、震度4程度でおさまるだろうと思った瞬間、マグニチュード9.0の激しい揺れに襲われた。「机の下に隠れて!!!」と社長の声。必死に柱にしがみつき、ただひたすら耐える。電気が消え、パソコンやプリンタが落ち、書類が豪雨のようにドカドカと目の前に落ちてきた。「皆大丈夫ー?」という社長の問いかけに、「はい、大丈夫です。」「こちらも大丈夫です。」と必死に答えた。揺れが静まった頃、社内は足の踏み場もないほどの悲惨な状況だった。ドアを開け外に出ると、またすぐ大きな余震が襲ってくる。携帯電話を持つ手が震え、うまくボタンが押せない。近くの小学校からは、子ども達が校庭に避難する声が微かに聞こえてきた。「子ども達が無事でありますように、皆が生きていますように・・・」ただひたすら祈る。自宅は会社の目と鼻の先。すぐさま会社を抜け出し、近所に住むヘルパー先のお年寄り夫婦の家に走った。玄関を開けた瞬間、ご夫婦は動揺し呼吸も荒く、腰が抜けて立ち上がれなかった。「もう大丈夫だからね、落ち着いて。また必ず来るからね。」と手を握り、背中を何度も何度もさすった。自宅に戻ると玄関の手前の階段で中学生の娘が立っていた。鍵を忘れて自宅に入れずにいた。玄関ドアを開けると下駄箱が倒れて行く手を阻み、仕方なく飛び越えて中に入る。食器棚、冷蔵庫、テレビに本棚も倒れ、凄まじい状況。急いでボストンバックに衣類、財布、保険証、ありったけの食料と飲料を詰め込み、二人で会社に戻り、避難場所としてスペースを借りた。すぐさま保育所に迎えに行くと、お昼寝中だったはずの子ども達はパジャマの上から服を着て、赤白帽をかぶって整列していた。その足で小学校の校庭へ向かい、最後の一人を無事引き取る。学校にランドセルも外靴も置きっぱなしのまま自宅へ。何往復もして自宅から布団を運び、会社の一室を借りて子ども達と身を寄せる。夫は介護士。お年寄りを残して帰れるはずもなく、母は一人で子供達を守り抜こうと覚悟を決めた。ライフラインは全て寸断され、手回しラジオの声だけが頼りだった。夜はロウソクの明かりだけ。結婚式で使った特大のキャンドルが大活躍してくれた。救急車や消防車が何度も行き交う中、子供3人を連れて少しだけ外に出てみる。吐く息が白く、凍てつく寒さの中空を見上げると、今までに見たことのない綺麗な星空が輝いていた。「全ての明かりが消えると、星ってこんなに綺麗に見えるんだね!」息子がしみじみとつぶやく。夜、社長と娘さんが温かいシチューを私達に差し入れてくださった。温かくてありがたくて、言葉には言い表せない。社内用に買ったばかりのたくさんのお菓子、備蓄していた水、懐中電灯に手回しラジオなどなど、私達家族のために、何度も足を運んで気遣ってくれていた。上に住んでいる社長のご両親からも、携帯トイレ、飲料水、カンパン、紙コップなど、自分達も貴重なはずのものばかりを差し入れてくださった。もうこの時点で、たくさんの人達に支えられていた。初日は余震に怯えながら、コンタクトレンズを外す事もできないまま、子供の寝顔を見ながら長い夜をすごした。
当時書いていたブログ「震災日記○○日目」を今年も読み返してみました。
10年前は私もまだ30代、仕事に子育てに日々奔走していました。
あれから10年がたったんだな…と改めて考えさせられます。
「一日一日を大事に生きよう」
そう思って今日もブレずに生きています。
まだまだ寒い日が続きます。
暖かくしてお過ごしくださいね♪
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「震災日記1日目」
2011年3月11日午後2時46分、その時は突然やってきた。
会社で事務作業をしてると、地面が静かに揺れだし、震度4程度でおさまるだろうと思った瞬間、マグニチュード9.0の激しい揺れに襲われた。
「机の下に隠れて!!!」と社長の声。
必死に柱にしがみつき、ただひたすら耐える。
電気が消え、パソコンやプリンタが落ち、書類が豪雨のようにドカドカと目の前に落ちてきた。
「皆大丈夫ー?」という社長の問いかけに、
「はい、大丈夫です。」「こちらも大丈夫です。」と必死に答えた。
揺れが静まった頃、社内は足の踏み場もないほどの悲惨な状況だった。
ドアを開け外に出ると、またすぐ大きな余震が襲ってくる。
携帯電話を持つ手が震え、うまくボタンが押せない。
近くの小学校からは、子ども達が校庭に避難する声が微かに聞こえてきた。
「子ども達が無事でありますように、皆が生きていますように・・・」ただひたすら祈る。
自宅は会社の目と鼻の先。
すぐさま会社を抜け出し、近所に住むヘルパー先のお年寄り夫婦の家に走った。
玄関を開けた瞬間、ご夫婦は動揺し呼吸も荒く、腰が抜けて立ち上がれなかった。
「もう大丈夫だからね、落ち着いて。また必ず来るからね。」
と手を握り、背中を何度も何度もさすった。
自宅に戻ると玄関の手前の階段で中学生の娘が立っていた。
鍵を忘れて自宅に入れずにいた。
玄関ドアを開けると下駄箱が倒れて行く手を阻み、仕方なく飛び越えて中に入る。
食器棚、冷蔵庫、テレビに本棚も倒れ、凄まじい状況。
急いでボストンバックに衣類、財布、保険証、ありったけの食料と飲料を詰め込み、二人で会社に戻り、避難場所としてスペースを借りた。
すぐさま保育所に迎えに行くと、お昼寝中だったはずの子ども達はパジャマの上から服を着て、赤白帽をかぶって整列していた。
その足で小学校の校庭へ向かい、最後の一人を無事引き取る。
学校にランドセルも外靴も置きっぱなしのまま自宅へ。
何往復もして自宅から布団を運び、会社の一室を借りて子ども達と身を寄せる。
夫は介護士。お年寄りを残して帰れるはずもなく、母は一人で子供達を守り抜こうと覚悟を決めた。
ライフラインは全て寸断され、手回しラジオの声だけが頼りだった。
夜はロウソクの明かりだけ。結婚式で使った特大のキャンドルが大活躍してくれた。
救急車や消防車が何度も行き交う中、子供3人を連れて少しだけ外に出てみる。
吐く息が白く、凍てつく寒さの中空を見上げると、今までに見たことのない綺麗な星空が輝いていた。
「全ての明かりが消えると、星ってこんなに綺麗に見えるんだね!」
息子がしみじみとつぶやく。
夜、社長と娘さんが温かいシチューを私達に差し入れてくださった。温かくてありがたくて、言葉には言い表せない。
社内用に買ったばかりのたくさんのお菓子、備蓄していた水、懐中電灯に手回しラジオなどなど、私達家族のために、何度も足を運んで気遣ってくれていた。
上に住んでいる社長のご両親からも、携帯トイレ、飲料水、カンパン、紙コップなど、自分達も貴重なはずのものばかりを差し入れてくださった。
もうこの時点で、たくさんの人達に支えられていた。
初日は余震に怯えながら、コンタクトレンズを外す事もできないまま、子供の寝顔を見ながら長い夜をすごした。