naomiの写メール日記〜ブログ版〜

メモ
帰国の日、夜10時のフライトにもかかわらず、なんと夜7時すぎまでスタジオで録音をしていました。

冷房対策に私が毎日着用していた写真のパーカー。
もう日本では着ないから、、とスタジオに寄付(?)。化粧室で日本用の春服に着替えスタジオの出入り口に急ぐと、なんとドゥーダが私のパーカーを持って立っていました。

「これ尚美の服だよね?僕がストリートに持って行くから。」

タクシーを待たせていたので、ストリートに持って行くという意味のわからないままドゥーダに別れを告げ、タクシーに乗り込みました。何だか気になったので、タクシーの運転手さんにその話をしたところ、ブラジルには親も家もないストリートチルドレンがたくさんいて、まわりの人々は食べ物や衣類などを分け与えているのだそうです。この需要と供給のバランスが崩れてくると、子供達は拳銃を使って現金を奪うようになるのだそうです。私はリオでも安全な所にしかいなかったので、ストリートチルドレンに出会うことは一度もありませんでした。

「これはブラジルのトリステーザ(悲しみ)なんだよ。」
タクシーの運転手さんは、私にそう教えてくれました。

カリオカのドゥーダが言っていた、「豊かなものと貧しいものが共存している、それがリオなんだよ。」という意味が最後の最後でよくやく分かりました。
ガレオン空港からアトランタまで9時間。
アトランタから成田まで15時間。
長旅をおえてようやく豊かな国、日本に到着。
私のお古のパーカーを着た家も親もない子供達が、どうか少しでも幸せに過ごせますように。
地球の真裏から願わずにはいられません。

写真左は、一緒に食事に行きそびれたピアニスト、イタマールです。
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昨夜はボーカル録りの最終日でした。
いつものようにドゥーダと二人もくもくと録音を進め、最後のフレーズを歌いきって、コントロールルームで確認して、彼にokをもらった瞬間、世界が一瞬にして変わりました。
心が軽くなり、羽が生えて飛んでいきそう。。

最初の10分は舞い上がるような気分だったのですが、ドゥーダともこのスタジオともお別れだということにはっと気づき、たんだんブルーになってきました。
そうこうしているうちにパティオから私を呼ぶ声が聞こえてきました。
行ってみると、ブラジルに来た日からずっと私が見たくて見たくて仕方のなかった南十字星が空に輝いていました。
雨の多い三月の空に星が見える日は少なくて、仕事が終わるとドゥーダは星が出ていないか確認するのが日課となっていたようです。

ようやく最後の最後で見えた南十字星。
星を見ただけでこんなに感動したのは初めて。
このタイミングで現れてくれるなんて、リオは本当にロマンティックな街です。

写真はドゥーダのスタジオのコントロールルーム。
作業の時は私が左、彼は右に座ってもくもくと作業をします。
ミキサーのないコントロールルームに時代の流れを感じるって言ってた方がいました。
たしかに。


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いよいよ明日の夜にブラジルを発つことになりました。
しかし前日の今日もなんと録音が四曲残っていて、これからまたスタジオです。日本を発ったのは2月24日だったので、約一ヶ月のリオ滞在でした。
ちなみにゴローさんはミックスとマスタリングのため、あと3週間の残留です。お疲れ様です。

日本に帰るのはいいけど、せっかく仲良くなったお友達と別れるのはさびしいです。

「私、明日日本に帰るの。」と挨拶すると、そこからまた話は長い。
「ねえ、メガスタジオで最初に会った日の事覚えてる?」
という話になり(2月26日〜3月3日にお世話になったメガスタジオは覚えているが、私にとってゴローさん以外全員初対面なので第一印象をいちいち思い出すのはかなりきびしい。しかもあの時は何の余裕もなかったから。。。)
「私、あなたの音がとても印象深くて大好き。」と答えておくのがベター。

ブラジルのお土産には、お気に入りのカフェarmazen(アルマゼン)のコーヒー豆と、
お気に入りのチョコレートを買いました。

あとは録音を終わらせるのみ。
がんばってきます。

写真はしょっちゅう通った近所のビーチ。
ココナツジュースが大好きでよく飲んでます。
これで一杯110円です。
日本にもあればなぁ。
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ブラジルの三月は雨が多いです。

ジョビンの作品に「三月の水」という曲がありますが、こういうことなんですね。

スタジオに行くと、ドゥーダが「喉が痛い。。」と嘆いていました。「季節の変わり目だからエアコンで体調を壊しやすいんだよね。。」ということ。季節の変わり目という言葉がブラジル人から出てきたのにはびっくりしました。
やっぱりこの人、日本人っぽい。

昨夜はオフのはずでしたが、緊急出動となりボーカルの録音がありました。

ピアノのイタマールとのディナーは中止。。
なんとか夜9時には仕事を終わらせたいと努力はしたものの、こんな日に限って、「スタジオに残ってほしい」だの、「なんで予定なんか入れるの?!」と言われる始末。
「みんな私とイタマールとのディナーが気に食わないのね。。」
とぼやくと、「みんなって誰?!」と余計な心配をしてくるドゥーダ。ちょっとおもしろい。イタマールと私は電話でよく話しているわりには、なかなか会えない、縁のない人です。
そういう人って確かにいますよね。

写真はコルコバードのキリストが見ている風景です。
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今日はフルートのオーバーダビングでした。
私は行く必要がなかったので、今日は私一人オフになりました。
朝、ゴローさんと今日一日何をするかという話になり、もうひとつのミッション「コルコバードの丘で写真を撮ってくること」となりました。
スタジオに行く途中に毎日見ているコルコバードの丘。
キリスト像は頂上にそびえていて、明らかに標高が高く、一人であんな所まで登らなくてはいけないのかと思うと、正直かなり面倒。。
仕事で来ているので、観光欲も物欲もあまりないのですが、指令だと言われるといかなくちゃなぁという気になり、とりあえず絶景だといわれる時間帯の夕暮れ前を狙ってタクシーをチャーターして行ってみました。

コルコバードの丘は、丘というよりかは明らかに山です。
タクシーでくねくね道を登り、タクシーの待機場からは専用のシャトルバスに乗り換えます。
そしてシャトルバスを降り、エレベーターで頂上まで昇ると写真のような風景が広がっていました。
新世界の七不思議に選ばれた理由が分かりました。
ミッションクリア。
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今日はオーバーダビングで、ジャキス・モレレンバウムにお会いしました。音は発売までのお楽しみということで、お聴かせできないのが残念です。
フォルクスワーゲンにチェロを乗せて、自分で運転してきたジャキスは、とっても気さくな方でした。
ジャキスのチェロは一体どこのものだろう??と聞いてみたら、イタリアのなんとか(。。Gがついたのは覚えているのですが。。)のレプリカなのだそうです。ちなみにチューナーはKORGでした。

ジャキス、また日本に来てくださいね。

写真は左からエンジニアのデューダ、ゴローさん、ジャキス、尚美です。



今日(3/14)の録音はチェロのウーゴでした。
ウーゴのチェロはもう本当に素敵です。
何より驚いたのは、彼の歌声もチェロそのものでした。
(彼の歌はアルバムには入りません。念のため。)

さて、明日(3/15)のオーバーダビングはジャキス・モレレンバウムです。教授のお友達のアルバムなら喜んで!と、とってもお忙しい中参加していただける事になりました。

今からとても楽しみなのでした。

写真はウーゴと私、服の色が同じで同化してしまいました。



昨日からやっとギターの録音が始りました。ゴローさんが日本から持ってきたギターの調子が悪く、日本でお世話になっているヤマハさんのご好意で、急遽サンパウロのヤマハからギターを2本送っていただきました。ありがとうございました。
ギターの後に歌の録音をするはずでしたが、ゴローさんがとある曲のイントロにはまってしまい時間切れ。昨日は私の出番はありませんでした。

写真はマイクのセッティング風景です。

その後ダード(ドゥーダの相棒。ブラジルでは有名なミュージシャン。)の招待で、イパネマにあるブルーノートのようなライブハウスにくりだしました。
リオでの初めてのナイトライフ。席につくとダードとその仲間たちがたくさんいてとても楽しかったです。ライブは、なぜかゲストが盛りだくさんで、気がつけば、そんなに大きくないステージにギタリストが四人も並んでいました。うち一人はアートリンゼイで、ゴローさんも来れたらよかったのに、、と思いました。(ゴローさんはアートリンゼイの大ファン。でも明日録音するチェロのアレンジと譜面書きで来れませんでした。)

ライブの後は、ドゥーダとレストランで食事をしてイパネマを散歩して帰宅。アパートのリビングの窓からファベラの明かりを見ながら、ドゥーダとスケジュールの相談をしつつ、奥の部屋からはゴローさんのギターが聞こえてきました。

気分はカリオカ。(リオっ子という意味。)

ブラジルに来る前は、治安が心配で気がひけていたのですが、いざ蓋を開けてみるとそんな私が一番満喫していたのでした。
ブァレウー。(リオの方言でありがとう。)
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昨日は歌いれのヤマでした。
予定ではオリジナル三曲録音するはずでしたが、新曲二曲しかしあがりませんでした。
1日9時間のレコーディングですが、本当にあっという間です。

新曲に取り組む最中、なかなかイメージがつかめずにもがいていた最中、エンジニアのドゥーダと様子を見に来ていたガブリエラがおしゃべりを始め、音に集中できず、いつも温厚なはずの私が「静かにして!」と人差し指を口に当てて、静かにプチ切れてしまいました。
言った瞬間、ドゥーダの顔が凍りついたので「最小限に言ったつもりだったけど、言い過ぎたかなぁ。。」と思いつつ、私は再び録音作業を続行。その後、ガブリエラは帰宅。ドゥーダと二人きり。気まずい。。

「五分休憩していい?」と言って休憩室で休んでいると、ドゥーダが入ってきて、今日私が彼に話した事を復習し始めました。
あなた、そんなことまで覚えてるの?というくらいどうでもいい話まで。ドゥーダとの作業は、今までにないくらいストレスなくスームーズなものでしたが、それは彼が私を一生懸命に知ろうとしてくれていたからだと初めてきづきました。
彼は最高のエンジニアだと思いました。


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昨日3月11日はお休みを頂いて、アパートに遊びに来てくれたガブリエラを見送った後、ジルソンマルティンスのショップにお買い物にいきました。リオのデザインがあしらわれているバッグがたくさん置いてあります。
とっても悩んだ末、ポンジアスーカールの形のバッグを買いました。

ポンジアスーカールといえば、二つの山にかかるロープウェイ、シュガーローフエクスプレス。私が中学生の時にリー・リトナーの「シュガーローフエクスプレス」を聴いて(当時ものすごーく大好きだった)それって一体なんだろう??と思っていたものでした。

歌入れは今日がヤマです。

これが終わったら絶対にシュガーローフエクスプレスに乗りに行きたいです。
写真は、私の部屋のデスクです。

歌入れ3日目に突入しました。
今日もドゥーダとスタジオにこもって、もくもくと作業を続行。
彼はとても日本びいきで、柔道を習っていたり、zenを学んでいたり、ゴローさんも同じことを言っていたのですが、日本に来たことがないのにどこか日本っぽい部分を持つ人です。作業をしていても、なぜか日本語で話しかけてしまうほど馴染んでいます。

一方の私は、初めてブラジルに来たけど、ブラジルの音楽は大好きだし、ヨーロッパによく行っているせいで、ヨーロッパからの移民の多いこの地区は(今回お世話になっているアジネーファミリー周辺のミュージシャンも含めて)違和感なく溶け込むことができました。
マリオのルーツがフランスのパリらしく、マリオアジネー一家は大のフランス好きで、年に2回フランスに行くんですって。私も年2回行くので、同じでびっくりしました。
国は違っても、好みが似ていると、いろいろな部分でクロスオーバーする部分があるのでしょうね。
今日の写真は、リオに二本しかないノイマンのビンテージマイク。
ドゥーダがお友達から借りてきてくれたのですが。。なんとラジオの電波を拾ってしまうので使えませんでした。ドゥーダ、がっかり。

おとといから歌い入れが始まりました。2日で7曲できました。
朝起きて(すでに昼ですが。。)、シャワーを浴びて、着替えて、ランチを食べて、タクシーでスタジオに行って、タクシーで夜更けに戻る生活ですが、とても楽しんでいます。
スタジオでは、エンジニアのドゥーダと二人でもくもくと作業をしているのですが、テイク選びやらポルトガル語の先生やら、アメリカに住んでいた経験もあるので、英語の先生もしてくれる、エンジニアの枠を超えた人です。
先日のミュージシャン達も本当にすばらしかったですが、エンジニアもすごい国です。
写真は、ドイスイルマオンス。夕暮れのイパネマの海岸です。

今日はギターの音入れでした。
思った音にするにはなかなか大変な様子。
そうこうしているうちにスタジオに、マルコス・ヴァーリが遊びにやってきました。
さすが、サーファーって感じでした。
作業中だったので写真を撮りそこねました。。
今回はマルコスの曲も1曲やっているので、そのことを伝えるととても喜んでいました。

写真は、ゴローさんと最近はまっている近所のボルキロレストラン。
バッフェ台から好きなものをお皿にのせて、レジで重さを測って、最後にお会計しま
す。

今日3月5日は、ブラジルで最後のお休みでした。
これから二週間ほど休みがないので、もうしこたま満喫してみました。
まずはお昼からジョビンの家の近くで、ボイストレーナーのレッスンを受けてきました。ボイストレーナーは、音楽については教えず、レッスンはヨガでした。

帰りのタクシーで、運転手さんに「私、ウルブって鳥が見たいんだけど、どこに行けば見られますか」とたずねてみました。ウルブとは、まるで恐竜のような形をした、わりとどこにでも飛んでいる鳥で、ジョビンのアルバムのタイトルにもなっています。
確かに空を見上げると、お腹が白い奇妙な形の鳥がたくさん飛んでいるのですが、それがウルブだと知らなかったのです。

運転手さんは、よく飛んでいるあの鳥がウルブだと教えてくれました。
そして、「今度の日曜日に君にウルブを見せに連れて行ってあげる。」と電話番号と連れて行きたい場所のパンフレットを見せてくれたのですが、、そのパンフレットがこの写真。
谷間に張られたワイヤーを命綱とヘルメットをつけて渡るというもの。怖いからいやだ、と言うと、「海がとってもきれいだから。ウルブも近くで見れるよ。」と満面の笑み。
もう帰国までお休みはないので、もちろん行けませんが、尚美は地上から見るウルブで充分だと思ったのでした。
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3月4日、今日はブラジルでの初めてのお休みでした。
レブロンの街にショッピングに行きました。
私は念願のおいしいと評判のコーヒー豆とタンクトップ、ゴローさんはタローちゃんへのお土産を買いました。

スーパーに行った時の話です。
レジに並んでいたおばあちゃんに「日本人?」と声をかけられました。
そうだと答えると、彼女はカバンから自分のidを取り出し、自分の名前を読むように、
私に言いました。
呼んでいくと、ソニア ・・ ナカジマ・・と、日本の名前が入っていました。
名前のシステムが日本とは違って、必ず両親の名前が入るようになっているので、彼女は日本人の血が入っていることをさしているのです。
彼女はかけていた眼鏡をはずして、私に顔を見せてくれたのですが(ばっと見はドイツ系のブラジル人)、瞳だけは日本人だったのです。
リオにはアジア系の方は本当に少ないですが、地球の裏側でも確実に日本人の血は流れているんだなぁと思いました。

写真は毎日私が散歩するイパネマの海岸です。

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