長井市中央地区公民館
史跡案内板
☆中央地区史跡案内板(6)〜板垣家子夫(かねお)の歌碑
昭和56年9月建碑除幕。
最上川 にごり上げゆく 水波に
光するどく 暉らふしばしば
明治37年大石田町に生まれる。本業は米穀薪炭商。大正14年「アララギ」
に入会、歌風は感性豊かで重厚である。
昭和21年疎開中の師斎藤茂吉を大石田に迎え、茂吉の歌集「白き山」は
ここで生まれた。歌集「礫底」随筆「白き山と最上川」などを刊行し、斎藤
茂吉文化賞を受賞。
(平成5年度設置 平成19年10月に宮原から白つつじ公園内へ移設)
2012.03.15:
nagai_ck
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☆中央地区史跡案内板(5)〜大道寺 吉次の歌碑
昭和56年(1981)5月建碑除幕。
春となる風騒げど 雪たかき
山をそがひに 虹あらはれぬ
明治30年(1897)4月長井市五十川に生まれる。大正9年(1920)に
「アララギ」に入会し、大正11年に結城哀草果のすすめで島木赤彦に、
後に斉藤茂吉に師事して作歌の指導を受ける。
昭和20年(1945)に故郷五十川に疎開してそのまま定住。故郷の自然
や波乱にみちた生活を力強く詠みあげた歌集「草餐」「残虹」「野川」を
発刊し、斉藤茂吉文化賞を受賞する。
平成5年度設置 平成19年10月に宮原から白つつじ公園内へ移設。
令和2年修復。
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☆中央地区史跡案内板(4)〜真壁 仁の詩碑
昭和56年3月8日建碑除幕。詩文は「青猪」の詩の一節。
青ゆき 美しく つもりて
谷なすところ 崖なすところ
青猪はしる 青猪走る
ああ
雪降りたり 青き縞なして
雪は つもりたり
青年の頃から農民運動に参加し、昭和7年25歳で処女詩集「街の百姓」を
敢行。
戦後終始野にあって市民平和・民主教育・自然保護の諸運動を続けな
がら、日本の農の文化史を射程において詩の連作をつづけ、多くの後輩
を育成する。
毎日出版文化賞受賞。
(平成5年度設置 平成19年10月に宮原から白つつじ公園内に移設)
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☆中央地区史跡案内板(3)〜白賀の碑(宮原)
白賀(はくが)は本名を田辺与右ェ門といい、寛政元年(1789)越後蒲原郡
から、宮村開発移民の一人として宮村に移住したが、もともと深い学問の
教養があり、特に俳諧・市文に優れていたので、寺子屋の師匠のかたわら、
俳人グループと交際し、また依頼に応じて多くの写本を残すなど、文化の
普及向上に尽くした功績は高い。この碑は白賀を慕う門人たちの建てた報
恩碑と思われるが、年代は不詳。
文化三年十月七日没七十一歳
戒名は寿量院道本日照居士
(昭和62年度設置 平成20年度修復・再設置)
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☆中央地区史跡案内板(2)〜中道 恵光院
寛政元年(1789)に越後から新天地を求めて中道に移住した田辺百姓は、
熱烈な日蓮宗信者で、椿(飯豊町)の本長寺を中心に、日蓮宗を心の支え
として開拓に励んできた。
その後中道の人口も増え、中道に日蓮宗の寺を求めたいという気持ち
が高まり、一方山本英玄氏の奔走により、明治43年3月6日関係機関の許
可がおり、田辺百姓の長年の念願をはたした。本堂には祖師日蓮上人像
を中心に、鬼子母神・天曼荼羅が安置されている。鬼子母神については、
体質の弱い子をその取り子にしてもらうことによって、無事に成長させ
るという民間信仰も流行している。
(平成4年度設置)
2012.03.15:
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☆中央地区史跡案内板(1)〜中道の三十番神堂
江戸時代に越後から米沢領内に集団で移住し、荒地の開墾に従事した
農民を、藩は田辺(たなべ)百姓といい熱心な日蓮宗信者であった。
中道に田辺百姓19名が入植したのは寛政元年(1789)であるが、その折
彼等は日蓮上人の木像1体と三十番神の木像30体を持ち運んできた。番神
の堂を建てたのは同5年8月のことである。
三十番神は法華守護の神として、1ヵ月30日、毎日代り番に守護する
30体の神のことである。現在のお堂は昭和53年の再建である。もともと
椿の本長寺の所属であったが、昭和17年地元恵光院の所属となった。
(昭和61年度設置 平成11年度修復・再設置)
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