史跡案内板
川崎家系図
涼香―荷笠―水山(亀峰)―蘆洲 涼香は市郎右衛門といい、綿・織物の豪商川崎家の中興初代といわれ、家運 を盛り上げた人である。美濃派の俳人田中五竹坊と交わり、当地方俳人の先駆 者である。安政7年7月没。 つつがなく顔見せたりな菊の宵 荷笠は涼花の長男で董胤・次郎右衛門という。美濃派の俳人安田以哉坊と意 気投合し、自邸「閑涼亭」に迎えて、多くの郷土俳人がその教えを受けた。 小出俳壇の宗匠であり、「月の首途(かどで)」などの句集を出版。寛政7年没。 草の実のこぼれて萌る小春かな 水山は荷笠の長男で、次郎右衛門という。若い時に江戸に登り、沼田東江に ついて儒学書道を学び、帰郷してから寺子屋を開いて子弟の教育にあたった。 書家として評価が高く亀峰の号で知られている。文化11年没。 墓碑は右から左に向かって涼香・荷笠・水山・蘆洲の順にならび、川崎一家 はこの外に玄子を始め数多くの俳人が生まれている |
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時広の五男泰茂に従って長井庄に移任し、小出村に館屋敷を築いて村地頭
となった。周囲が土塁と三間館堀に囲まれた約一町二反歩の長方形の環濠
武家屋敷である。現在残っているのは正面の土塁と屋敷の中央にある大欅
だけである。
昭和45年頃まで両側と南側に6メートル幅の館掘が残っていたが、埋め立
てられてしまった。今の館町の屋並みは大須賀氏の家来や名子によって作
られ、始めは「新館(あらだて)」と称した。白山神社は屋敷鎮守、長遠寺
は菩提寺として大須賀氏によって創建されたものである。
平成6年度設置。