美術館大学構想

■写真上:グラフィックデザイナー立花文穂さんから頂戴した、パリのSHISEIDO LA BEAUTEにおける立花さんの展覧会カタログ『本のなかに森がみえる』。
■写真下:栃木県立美術館の収蔵庫にて、本学の文化財保存修復研究センターが修復を受ける作品について打ち合わせ。彫刻の修復家として活躍する藤原徹教授(左)と、栃木県美学芸員の木村理恵子さん(右)。中央には舟越桂氏の初期の傑作「風をためて」と、奥にはイギリス現代美術の巨匠デヴィット・ナッシュの無骨な木彫群が見える。いずれも秋に芸工大で公開予定。
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芸工大周辺に植樹されている細身の「大山桜」は、見頃は過ぎたものの、キャンパスにはまだ少し桜色の余韻が漂っています。暖冬の影響か、ずるずると冷気を引きずっている山形では、未だに上着なしでは朝夕は辛いですが、学食の混雑と、新入生たちのフレッシュな装いに、すっかり卒展後の憑き物が落ち切った「春」を実感する毎日です。大学に残った僕たちも、再出発です。

さて、デザイン工学部に新しく着任された先生方の仕事を紹介する展覧会『New face at TUAD』が、先週クローズしました。マルチに活躍するアーティスト・中山ダイスケさんや、写真家・屋代敏博さんの教員就任は、コンテンポラリーアート界ではちょっとしたトピックスであるはずですが、肝心の芸工大関係者(学生+職員)がその事実に気がつくのはもう少し先でしょうか。
7名の先生方は、とても意欲的にショーに参加していただきました。学生の関心も高く、学内向けの展示のわりに、2週間で約1,700名の入場者数を記録しました。地元メディアの取材も多くて、僕も簡単な解説を依頼され、2回もテレビ出演しました。昨年、ちょうど同じ時期に松本哲男学長の大規模な個展『松本哲男展-鼓動する大地-』を開催し、こちらも大好評だったので、新春の「顔見せ」的企画展は恒例になりそうな予感です。
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今年度も美術館大学構想室は様々なプロジェクトに挑戦します。4月一杯は、出展交渉とスケジュール調整のため日本各地を飛び回っていました。2007年度のラインナップがほぼ確定してきたところで(詳細はおいおいメインHPにUPしますが)ここで、ここ最近の動きと年間のコンテンツを数回に分けて紹介しておきます。
まずは今年一番の目玉から。
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【4月10日東京・西村画廊】
日本橋の老舗現代美術ギャラリー西村画廊へ。秋の企画展にお招きする彫刻家の舟越桂さんと、美術館大学構想プロジェクトリーダーの酒井忠康先生、そして西村健治社長とミーティング。西村画廊でアルバイトをさせていただいたのはムサビ院生時代で、もう10年以上も前のことです。その後、4年間を過ごしたタイのバンコクでは、ギャラリー所属作家の小林孝亘さんにお世話になって、そして今、こうして「仕事」として西村社長にお会いできることに不思議なご縁を感じてしまいました。
舟越桂さんには、本プロジェクトの主旨(学生への教育的還元/地域に開かれた大学づくり)に共感いただき、「アイデンティティーの追求」をテーマに、なんと現在制作中で、2008年2月にNYのグリーンバーグギャラリーで発表予定の国内未発表作品5点を、先駆けて山形で出品してくださることになりました。そこにさらに、栃木県立美術館所蔵の初期の代表作2点と、作家所蔵の近作を加え、彫刻作品12〜15点の展観となります。この展示は、12月に京都造形芸術大学ギャラリーオーブにも巡回しますよ。

『舟越桂展 -他人の顔-(仮称)』
会期:2007年10月12日[金]〜11月10日[土]
開館時間:10:00〜18:00(会期中無休/入場無料)
会場:東北芸術工科大学7Fギャラリー

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それから、オレンジ色の高尾行中央線快速に乗り、西荻窪のカフェで、グラフィックデザイナー立花文穂さんにお会いする。立花さんには今年度のアーティスト・イン・レジデンス招聘作家として、山形で滞在制作をお願いするとともに、『舟越桂展』のグラフィックワークも手がけていただけることになりました。立花さん、舟越さんという魅力的なカップリングが実現するのなら、ついでに何か実験的なアートブックが出版できないかと、赤々舍代表の姫野希美さんと思案中。こちらもご期待ください。

『TUAD ARTIST IN RESIDENCE PROGRAM 2007 -立花文穂-』
期間:2007年10月12日[金]〜11月11日[日]
会場:東北芸術工科大学図書館2Fガレリアノルド

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【4月16日:栃木県立美術館へ】
保存修復学科の藤原徹教授とともに栃木県立美術館へ。文化財保存修復研究センターが修復を依頼された3点の彫刻作品の現状調査に同行しました。学芸員の木村恵理子さんにご案内いただき、休館中の館内を行ったり来たり。
栃木県美は今年収蔵庫の耐震補強工事を実施するため、工事期間中は、修復を受ける作品だけではなく、その他の彫刻もセンターの収蔵庫に預かることになりました。収蔵庫で舟越桂さんの初期の代表作2点に遭遇し、10月の舟越展と奇跡的なコミットが決定! そして、僕が敬愛してやまないデヴィット・ナッシュのコレクションも預かることになり、秋の展覧会は国内外の優れた木彫作品が山形に集まることになりました。

『栃木県立美術館所蔵彫刻コレクション展』
日時:2007年10月12日[金]〜11月11日[日]
会場:東北芸術工科大学図書館スタジオ144+ガレリア・ノルド、文化財保存修復センター4階展示室
出展作品:アンディー・ゴールズワージー(英)/神山明/清水九兵衛/デヴィット・ナッシュ(英)/ニアグ・ポール(英)/戸谷成雄/深井隆/ユン・ソンナム(韓)etc.


宮本武典(美術館大学構想室学芸員)
■写真上:山形県大蔵村にある肘折温泉のお社。肘折温泉は約1200年ほど前の大同2年(807年)に発見されたと言われ、農作業の疲れを癒し、骨折や傷、神経などに効く湯治場として全国的に知られている。肘折温泉郷は大蔵村南部の山間にあり、月山を源にした銅山川の両岸に旅館が並ぶ。(ほとんど宮崎アニメの世界)
■写真中:川上にある源泉にて。温泉熱であたためられた卵形のドームに触れて眼を閉じているのは民俗学者の赤坂憲雄大学院長。赤坂先生が発起人となり、地元大蔵村出身の舞踏家・森繁哉教授(左)と、みかんぐみの竹内昌義准教授という、民俗学者+舞踏家+建築家という異色キャストで、1200年の歴史を誇る温泉街を舞台にしたアートプロジェクトを構想中なのです。右は肘折温泉郷振興株式会社の木村さん。
■写真下:温泉街の中心にある木造の旧郵便局。床のモザイクタイルがパリのカフェみたいでモダンです。プロジェクトのコアセンターとして利用できないかと思案中。
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【4月13日:大蔵村肘折温泉へ】
森繁哉先生とともに大蔵村の肘折温泉へ。両先生が民俗学者としてフィールドワークを続けて来たかの地で、「何か大学の制作活動とリンクするアートプロジェクトをコーディネートしてほしい」とのこと。
車で峠道をくねくね2時間。途中、次年子(じねご)蕎麦街道で美味しい寄り道をしつつ、月山の麓に佇む肘折温泉郷で赤坂憲雄先生と待ち合わせ。肘折ホテルの柿崎社長に、鄙びた温泉街を案内いただきました。

まるでつげ義春の漫画から抜け出たような町並は、古くから修験者の宿場や、長逗留する湯治専門の「秘湯」として、県内では有名ですが全国的には知る人ぞ知る存在。温泉街通りに連なる24軒の旅館には売店がなく、湯治客はめいめい浴衣姿で狭い路地を買い物袋を下げて行き交っているのが印象的でした。また、毎朝地の野菜や魚を並べる朝市が立ち、長逗留する客は旅館にある台所で調理するのだそうです。

ここでのプロジェクトは、肘折の開湯1200年を記念するお盆の火祭りに時期をあわせた、温泉場特有の景観のRe:Designになる予定。日本画コース卒業生が、和紙に描いた肘折の風景を、和?燭や照明を仕込んだ行灯などと組み合わせ、古き温泉場の夏の夜を美しくライトアップします。
照明のデザインは、「廻灯籠」をモデルに、建築・環境デザイン学科の竹内昌義准教授がゼミ生とともに設置計画も含めておこない、器具の制作は山形県工業技術センターを通して庄内の伝統工芸「組子」職人に協力を仰ぐ予定です。

『肘折温泉〈廻灯籠〉プロジェクト』
会期:2007年7月13日[金]ー8月17日[金]
共催:肘折温泉郷振興株式会社
監修:赤坂憲雄大学院長/森繁哉教授
企画・制作:建築・環境デザイン学科竹内ゼミ/美術科日本画コース(番場准教授)/美術館大学構想室
協力:肘折温泉開湯一千二百年祭実行委員会/野桜会/山形県工業技術センター庄内試験場

宮本武典(美術館大学構想室学芸員)
■写真:天台宗の高僧にして京都を代表する洋画家・齋藤眞成師の画室と、御歳90を迎える師のポートレート。
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【4月18日:京都極楽真上寺真如堂へ】
天台宗の名刹として知られる京都真正極楽寺真如堂の貫主でありながら、京都洋画壇の重鎮として、これまでバルセロナ、リスボン、ニューヨークで大規模な個展を開催するなど、国際的に活躍する齋藤眞成師。6月中旬から、美術館大学構想室長の山田修市学部長の肝いりで、今年、90歳を迎える師の画業を記念する展覧会「SHINJO SAITO 一心觀佛」を洋画コース主催で開催することになりました。

18日は、齋藤師の熱心な支援者である山形美術館長の加藤千明館長と、出品作品の選定のため、山形空港から伊丹を経て新緑の京都へ向かいました。JR京都駅に降り立ったとたん、故郷の奈良を思い出し、もう無条件に里心が…。高校時代は四条にある銅駝美術工芸高校に通っていた双子の兄を訪ねて、河原町界隈で遊んだなぁ、当時の同級生たちは何をしているだろうかと感慨に耽りながらタクシーの車窓から町並を眺め、京都はさすがに街の文化的密度がすごいとつくづく実感。

京都極楽真上寺(真如堂)は、燃え立つような紅葉がつとに有名で、今の季節は新緑が眩しいほど鮮やかでした。しかし何故か、敷地内はグレーのスーツに身を包んだ新入社員たちで混雑模様。真如堂は三井財閥の菩提寺で、毎年グループの新入社員は全員、貫主である齋藤眞成師の法話を聴くのが習わしなのだそうです。仏僧として高名な方だとは、事前に加藤館長から伺っていましたが、実際にお寺を訪ねて、その伽藍の規模と格式に気圧されっぱなしでしたが、本坊でお会いした齋藤師は、とても御歳90歳には見えない凛とした静かな方でした。加藤館長を交え、しばし展覧会の構成などについて確認したのち、嵯峨野の山際に建つという画室へおじゃましました。

洋画家らしいモダンな空間には、立派な画集のコレクションと、大きな和紙に描かれたドローイングや、書の作品、そして長年使い込まれた画材が堆積し、仏僧の修行と並行して進められた、70年にも及ぶ創作の歴史を、シンと張り詰めた空気とともに物語っていました。壁面には現在制作中の巨大な曼荼羅風の抽象画が掛けられ、山形での新作展に、たいへん意欲的に取り組んでくださっている様子が伺えました。
その画風は軽妙かつ自由奔放。初期の作品はカルマ(業)をテーマにした、アバンギャルドな寓意画だったのですが、現在は天台声明の響きのように、寓意以前の色と光が、軽妙なリズムとともに、絵の中で延々と生動しているかのようです。
「このごろは何も考えずに筆を動かして、偶然生まれたり、消えたりする形のなかに、阿弥陀さんの姿を探しているような心持ちで描いているのです…」

加藤館長にもアドバイスをいただきながら、学生たちに見せるにはどのような作品がいいか打ち合わせた結果、画室から15点程、7階ギャラリー出展する作品を選ばせていただきました。その内容は1ヵ月後、山形でお目にかけます。展覧会の初日には、齋藤師に学生たちの前で書の公開制作をしていただく約束もとりつけました!

その夜は、お二人に連れられて生涯2度目の祇園へ。翌日は、春から京都精華大学の教授に就任した西雅秋さんと久しぶりの再会。

『SHINJO SAITO-一心觀佛-』
会期:2007年6月13日[水]〜6月28日[木]
開館時間:10:00〜18:00(日曜休館/入場無料)
会場:東北芸術工科大学7Fギャラリー 
企画:美術科洋画コース、美術館大学構想室
協力:京都極楽真上寺、山形美術館

開催記念講演+公開制作
「紙に点を打つところから」
日時:2007年6月13日[水]16:30〜18:00
会場:東北芸術工科大学7Fギャラリー

宮本武典(美術館大学構想室学芸員)
■写真上:I'm here.07' 参加作家のひとり、後藤拓朗さん(洋画コース卒業/2007.04.04にUP)による本展のイメージ・ドローイング案
■写真下:『sandrodynamics』砂/2006、大沼剛宏さん(プロダクト大学院修了)による、インタラクティブな砂の彫刻。
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【4月24日:山形市内のギャラリーをめぐる】
一昨年、洋画コースを卒業し、京都市立芸術大学大学院に進学した池谷保君が来山形。市内のギャラリー「葦」で、参加を依頼した夏のグループショー「I'm here.」展の展示構成について打ち合わせました。彼は関西屈指のコマーシャルギャラリーKodama Gallery(http://www.kodamagallery.com/start/index.html)のグループショーに、これまで2回選出されるなど期待の若手アーティストで、芸工大にいたときは、よく美術館大学構想室の企画展を手伝ってくれていました。優秀な人材の他大学への流出は口惜しい状況ではありますが、東北で学んだ彼が活躍する姿は嬉しいかぎり。
池谷君は、この夏、山形駅近くの古いビルの空室で、絵画とインスタレーションを発表する予定です。

この他にも、昨年度まで構想室のアシスタントだった後藤拓朗さんや、大学に副手として戻ってきたペインターの阿部亮平さん(VOCA展06に選出)、ロンドン・デザインナーズ・ブロック参加をきっかけに結成されたデザイン集団『Link』など、将来の活躍が期待される若手クリエイターを、今年も、TUAD卒業生をフィーチャーするアート展『I’m here.2007』で紹介します。

I'm here.05'に参加した本間洋さんは昨年度の文化庁買上に選出され、木彫のルイ・ヴィトンが注目を集めたタノタイガさんも相変わらず多方面で活躍中です。(現在は東京・青山スパイラルの8thSICFに出品中=http://www.spiral.co.jp/sicf/)
06'展で好評を博した岩本あきかずさんは、この時のフライヤーがきっかけで、大阪のコマーシャルギャラリー「studio J」での個展(http://www.daikan.ne.jp/studio-j/exhibitions.html)が実現するなど、参加した作家は活動の場を着実にひろげており、プロジェクトは年々成果をあげているといえるでしょう。

3回目の開催となる今年は、7作家と2グループが参加。
開催テーマを『根の街へ』と題し、会場を、これまでの「せんだいメディアテーク」から、地元・山形市内のギャラリーやカフェ、空きビルの一室や蔵に移した、同時多発的なアートショーになります。
卒展で活躍した工芸コースの卒業生(2007.03.05にUP)が、カフェをまるごと作品化するなど、山形市内を舞台に、地域の方々とがっちりタッグを組んだ、サイトスペシフィックな展観にご期待ください。

『東北芸術工科大学卒業生支援センター企画展 I’m here.2007〈根の街へ〉』
会期:2007年7月5日[木]ー7月15日[日]
企画:美術館大学構想室/協賛:東北芸術工科大学校友会/卒業生後援会/田宮印刷株式会社
招聘作家:阿部亮平/池谷保/大沼剛宏/後藤拓朗/酒井聡/松岡圭介/長瀬渉/大学院工芸+実験芸術領域有志/Link
展示会場:灯蔵・オビハチ/ギャラリー絵遊/蔵大マス/ぎゃるりー葦/恵埜画廊/Cafe Espresso

※運営スタッフ募集中!!
アートの力で山形を面白くしたい人は、このプロジェクトにぜひ運営スタッフとして参加してください。023-627-2043(宮本)までご連絡ください。

宮本武典(美術館大学構想室学芸員)

...もっと詳しく
■写真上中:クレーンで吊り上げられる巨大な手。もともとはパチンコ屋の看板として使われていたものを西さんが譲り受け、もう片方の手を合わせて製作したものです。これまで神奈川県民ホールや広島市現代美術館の個展で大量の石膏の瓦礫と組み合わせて展示されてきました。芸工大のキャンパスでは、本館前の池の中心に、まるで眼下に広がる街や山形の山々を両の手に受けとめているように、空の白い器ような佇まいでスッと置かれました。

■写真下:水上能舞台のアプローチに整列する石膏製の二宮金次郎像。原型は彫刻家のアトリエがある埼玉県飯能市の廃校に立ってたものだそうです。斜めに立てかけているのはある神社に奉納されていた子宝祈願の金精様を型取りしたもので、その他、不発弾や仏頭、蓮座など、聖俗・性死にまつわる象徴的なカタチがズラリと整列し、28日17:30、舞台上で森繁哉教授の舞踏『時の溯上』とともに一気に積み上げられます。
写真:『Roots and Route/1999-2004』宮本武典
2005年2月、INAX GALLERY2での展示風景
アクリルにマウントしたカラープリント、鏡、木製の棚/サイズ可変

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私事ですが、個展のご案内です。
先に紹介した「松明堂ギャラリー」を中心に、国分寺周辺で着実な活動を続ける若いギャラリストと連携して、新作を含むここ2、3年の作品を再構成する機会を得ました。


■『宮本武典展 vol.1 -fig-』
会場:switch-point
会期:2006年3月2日[木]〜3月14日[火]
〒185-0012東京都国分寺市本町 4-12-4 1F tel + fax 042-321-8956
http://www.swich-point.com info@switch-point.com
開廊時間:12時〜19時(但し最終日は17時まで)水曜日休業


■『宮本武典展 vol.2 -愛の風景-』
会場:松明堂ギャラリー
会期:2006年3月2日[木]〜3月14日[火]
〒187-0024東京都小平市たかの台44-9 松明堂書店地下
tel:042-341-1455 fax:042-341-9634 http://shomeido.jp/gallery
開廊時間:11時〜19時(但し、イベントによっては開廊時間を変更する場合があります)


■『宮本武典展 vol.3 -Paris, winter, 2004-』
会場: cafe.bar.gallery.Roof
会期:2006年3月2月[木]〜19日[日]
〒187-0012東京都国分寺市本町3-12-12 tel:042-323-7762
http://www.roofhp.com roof@sunny.ocn.ne.jp
開店時間:12時〜24時 毎週水曜日定休(水曜日が祝日・祝前日の場合は営業)

*gallery tour + opening party:
2月4日[土]16:30-21:00(松明堂ギャラリーからスタート)
作家による作品解説とともに3つの会場を巡り、その後、国分寺のギャラリー・カフェ「Roof」でささやかなオープニングパーティーを開催いたします。
『TUAD AS MUSEUM : Annual Report 2006/2006年度東北芸術工科大学美術館大学構想年報』
[発行日] 2007年6月13日
[編集・発行] 東北芸術工科大学美術館大学構想室
[印刷]田宮印刷株式会社
[判型] B5判、92ページ、モノクロ版(カラーグラビア16ページ)
[発行部数] 1,000部
[デザイン]JEYONE(鈴木敏志+奥山千賀)
※表紙写真は西雅秋氏によるコミッションワーク『DEATH MATCH(彫刻風土/山形)』の断片。カラーグラビアには吉増剛造氏による書き下ろし詩文『佃新報』を見開きで掲載した。目眩のするような言葉の鮮烈な羅列…。
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遅ればせながら、6月になって2006年度の美術館大学構想事業のアニュアル・レポートを発行しました。
2005年度は卒業制作展の時期(2月)に編集作業に勤しんでいたので、年度内に無事発行したのですが、昨年は年度末ギリギリまで、卒展の後始末やら『New Face at TUAD』展の準備やらで着手できず、大幅に遅れてしまいました。
勿論、今もいろいろ同時進行しているプロジェクトがあって、あまり過去を振り返っている余裕はないのですが、構想室の仕事がいかに人的にも予算的にも自転車操業であっても、このレポートの編集作業には最善を尽くさなければなりません。

なぜなら、僕たちの美術館大学構想は、高価な作品のコレクションよりも、展覧会やシンポジウムなどの、無形のソフト事業にこそ力を注いでいますから、「モノ」としての記録は残っていかないのです。その分、こういうレポートを年度毎にきちんとまとめておかないと、せいぜい30年もすれば「何も起こらなかった」ことになってしまうでしょうし(寂しい)。素人なりに大変ですが、このささやかな編集・出版業務は、そういう「時の忘却性」との闘いでもあるのです。

さて本誌『TUAD AS MUSEUM : Annual Report 2006/2006年度東北芸術工科大学美術館大学構想年報』は、(前回のレポートもそうでしたが)所謂、大学の「研究紀要」よりも、ギャラリートークや作品レヴュー、滞在制作のドキュメントノート、作家インタビューなどの採録を中心に構成し、口語体でスイスイ読める、雑誌的な冊子づくりを目指しています。学生が読むものでもありますし。

執筆陣は、酒井忠康氏(美術評論家)をはじめ、吉増剛造氏(詩人)、赤坂憲雄氏(民俗学者)、茂木健一郎氏(脳科学者)、鎌田東二氏(宗教学者)、西雅秋氏(彫刻家)、宮島達男氏(現代美術家)、竹内昌義氏(建築家)など超豪華な顔ぶれで、「美術館は港(=様々な人、作品、情報が出たり入ったりして交流する場)」という酒井氏のポリシーを体現する、多様な表現・研究領域が交流した「語り」の記録集となっています。

皆さん、それぞれに文章のプロフェッショナルですから、こちら側のまとめ方が悪くて紙面構成を台無しにしてしまわないようにと、常にプレッシャーを感じながら編集を進めましたが、その中でも特に、「語りの場」でしばしば生じる、思考の「どもって」いる状態というか、対話の間が良い意味で「詰まる」感じのリアリティーを、どのように文面に残すかに苦心しました。

例えば、シンポジウム『神秘の樹と明日の鳥たち ー詩・旅・思索ー』で、詩人の吉増剛造氏が柳田國男についてこんなふうに語っていました。
「…そのときにね、民俗とか、昔話ではなくて、今日のシンポジウムもそうですけれど、何度も聞いて、話を重ねていく作業によって、物語にある種の「溜り」ができていく。それを〈記録〉とか〈記憶〉とか名付ける必要はなくて、語ることを重ねていくことで、様々な学問の境目が消えていくかもしれない。あるいは他人の記憶を今一度たどり直してみるとかね。そういうことの、とても珍しく、良い例として、柳田國男の存在や著作があるというふうに、私は思うわけです。」
このニュアンス。
それぞれの持つ知識が出会い、ぶつかることで「詰まり」ながら照応し、次の命題へと開いていくような感覚。
対話において、じっと考え込む時間や、会話の余白的な逸脱こそが、テーマの本質を補足し、問題の共有を全体に高めるような気がするのです。(茂木健一郎さんなら「解らない時間の方が、脳が活性化されているのですよ!」とおっしゃるのでしょうが)

文章では、こういうある種の凪状態に陥りながら充実していく沈黙や逸脱を、リズムよく記録していく事はなかなか難しい。シンポジウム『神秘の樹と明日の鳥たち ー詩・旅・思索ー』の採録では、日本を代表する詩人と美術評論家と民俗学者が、それぞれに蓄えてきた蛸壺的な理論や蘊蓄の応酬ではなく、それぞれの「知」の境目を「語り」によって意識的に溶解させていくことで、互いに詩的な感応力を引き出していくプロセスを追体験しているような印象がありました。

現代生活では、メールやブログ(未だに書くのが苦手で気後れしますが…)など、ネットを介した言語情報のやり取りなしに、仕事は成立しなくなっていますが、一方で、やはり直接に巡り会って、それぞれの身体(声、表情、仕草、眼差し)を抱えながら語ったり、聞いたりしていかないと、本当に染みていかない知識や言葉の作用があると、編集の過程でつくづく感じました。

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本誌は、全国の美術館や大学に献本される少部数の限定本で販売はしませんが、ちかく美術館大学構想HP上でPDFデータで閲覧できるようにします。どうぞお楽しみに。
また、学生の皆さんは、図書館で借りられますのでぜひ読んでください。そこには、今、東北で表現を模索する僕たち自身のことが語られています。
それから、もしこのブログを読んで興味を持たれた美術関係機関の方、ぜひHP上の入稿フォームから美術館大学構想室までご一報ください。メーリングリストに加えさせていただきます。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員

■写真上中:出品作家の一人・鈴木伸さん(中央)の制作風景。カオスを生み出すパーツ。
■写真下:作家泊まり込み一週間の成果の中、設営担当の構想室スタッフ・大谷さんが佇む…。搬入は1日仕事、頑張ってください!
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今年で2回目となる『I'm here.』展が、来週22日(金)からスタート。西展のためのカタログ執筆もままならぬほど、美術館大学構想室ではバタバタと細かい調整が続いています。特に今回は映像系の作家が多いため、液晶プロジェクタ−やモニターが大量に必要になり、大学内のいろいろなセクションへ挨拶回り+備品調達に余念がありません。こういうところは大学の利点ですね。

芸工大のスタジオ144では、出品作家の一人・鈴木伸さんの仕込みが連日続いています。鈴木さんは昨年工芸コースを卒業後、東京藝術大学大学院で学んでおり、現在は山形を離れているのですが、この夏は『I'm here.』展のために、こちらでカンズメ状態で頑張ってくれています。展示に掛けるモチベーションは半端ではありません。
最近はアパートの中でしこしこやってる、作品も思考も6畳スケールの若いアーティストばかりなので、こういうマッチョに身を削って作品に向かっていくタイプの作家は応援したくなります。
一昨日は搬入をサポートする学生スタッフを集めて打ち合わせ。今回、鈴木さんは10人の学生スタッフと共に、布と映像を使った大がかりなインスタレーションに挑みます。ご期待ください。

また、23日(土)のギャラリートークに、仙台でインディペンデントキュレーターとして活躍する山崎環さん(NPO法人リブリッジ代表理事)の飛び入り参加が決定!。こちらも熱くなりそうです。
では来週土曜日14:30、せんだいメディアテークでお待ちしています。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:『I'm here.』ロゴタイプは、昨年に引き続き「アカオニデザイン」の小板橋さん(http://www.akaoni.org/)によるデザイン。アート・ディレクションを同じデザイナーが手がけることで、この展覧会のビジュアル的なイメージが定着しつつあるように思います。
■写真中上:学生ボランティアが見事に支えていた鈴木伸さんによる制作+インスタレーション。メディアテークでの設置は15時間を超え、筋力、集中力ともに臨界点ギリギリの設営作業の末、仕上がった作品は意外にクール&シャープな印象。詳細は会場でぜひご覧ください。
■写真中下:坂田啓一郎さんが細かな木組みによる彫像を組み立て中。今回は新作を含め、回転する人体のフォームを彫像化した木彫を6点出品した他、これらのイメージソースとなったスケッチやメモ、マケットなども併せて展示しました。
■写真下:小林和彦さんの映像は、これまでモニター展示が基本だったのですが、メディアテークでははじめてプロジェクターによる壁面投影を試みました。都市が有機的に脈動する様に目眩を覚える、魔術的な空間が出現しています。
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先週の22日[金]、せんだいメディアテークで、今年の『I'm here.』展がオープンしました。21日[木]には早朝くから、キャラバン隊よろしく総勢30名のスタッフが仙台入りし、設営をすませて山形に戻ってきたのは日付が変わる直前、というハードな状況は去年とまったく同じでした。
いくら事前に万全を期して準備しても、想定通りにならないのが展示作業の難しいところですが、身体は悲鳴を上げていても、アーティストとの共同作業で常に気持ちがワクワクしているから、苦にならないんですね。その分、撤収時の寂しさもまた格別ですが。
これまで沢山の展覧会の運営に関わってきて、つくづく思うことは、作品は「アトリエ」と「美術館」を往復移動しているだけで、展覧会とは、実に儚い、一時の仮構的な空間であるわけです。展示が終わった後、白い箱はまた空っぽに戻る。
アーティストも、キュレイターも、サポーターも、そのことは身にしみてよく知っている。だからその場/その関係でしか成立しないコミュニュケーションの流儀を必死になって構築して、人と作品と空間に、深く関わりたいと思うのですね。頑張れる。
その意味では、『I'm here.』の展示に携わった多くの学生ボランティアや、私たちのような裏方のスタッフこそが、参加した5人のアーティストから恩恵を受けているのかも知れません。まだ若い私たちの大学にとって、この経験が一人一人に刻み込むクリエイティブな作用は計り知れません。感謝。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:出産直前の妻のおなか。卒展の準備期間と重なるように、妻は12月9日から3ヶ月間の入院生活の末、3月10日[土]に、3157グラムの元気な女の子を生んでくれた。
■写真下:4番目の孫を抱く父。山形で8年間の教授生活を終え、今春から長野県佐久の山荘に移る。これからは膨大な資料に囲まれた書斎で建築史家として総仕上げの研究に取り組む。
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私事ですが、このブログで度々書いてきたことなので報告します。
今月10日に、はじめての子どもを授かりました。
助産師さんから連絡がはいった深夜0時から家内の陣痛の波が激しくなり、明け方に分娩室に一緒に入って出産に立ち合いました。
しっかりした身体付きの女の子が生まれたのは、まだ夜も明け切らない5:30で、窓からは蔵王の灰色のシルエットが、薄ら空と大地の境界線を描きはじめていました。白々とした蛍光灯の明かりの下で目撃したその瞬間は、以前、大橋仁氏を紹介したブログでも書きましたが、本当に壮絶で切羽詰まった、愛しい命の瞬きでした。

入退院していた時期が、卒展の準備が加速度的に激しくなっていた期間と、ちょうど並行していたこともあり、大学の同僚、先生方、そして大勢の学生たちから暖かい気遣いをいただきました。感謝。
ディレクターズのメンバーからは、沢山の紙オムツのプレゼントが届いたのです。(示し合せていたようです)一つ一つちゃんと包装してあって、むくつけき男子学生が、東青田の『ツルハドラック』で神妙な顔で注文したのかと思うと、頬が緩みます。
ありがとうございます。充分活用させてもらいます。
赤ん坊の名前は、「結子(ゆいこ)」としました。
どのような生き方をするにしても、彼女なりの方法で、人と人の、文化と文化の良きつなぎ手として生きていってほしいとの願いを込め、「つなぐ糸」が「吉をもたらす」という組み合わせを選びました。現在は家内ともども退院し、大学近くのマンションで、3人での静かな生活がはじまっています。


そして、新しい家族が加わると同時に、歴史遺産学科で教授を8年間務めた父・宮本長二郎が、東京芸大時代からの、長かった大学生活を辞し、山形の仮住まいから自邸のある長野県佐久市に移ります。日本全国の遺跡を歩き続け、この列島に埋もれた古代の建築史の謎に向かい続けた筋金入りの研究人生に、不出来な息子たちは只々敬服するのみですが、不思議な縁で2年間、同じ大学に勤められたことは幸せでした。お疲れさまでした。

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さて、折しも今日3月21日は東北芸術工科大学の卒業式。
僕は式自体には立ち合わず、寒風の中、ディレクターズの活動よろしく駐車場誘導をしていたのですが、卒展でなじみになった学生たちが、きちんと正装して、堂々と歩いていくのを、嬉しく眺めていました。若い人たちの旅立ちを見送る立場として、「おめでとうと、さりげなく」よりも、どこか寂しさを感じている自分に、この1年間のそれなりの充実感を噛み締めていました。
寂しいので、この後の祝賀会には出席しません。が、父と僕との不思議な巡り合わせのように、この業界でそれぞれにきちんと仕事をしていれば、いつかまた一緒になることもあります。その可能性に期待して。

卒展を終え、山形のキャンパスを巣立っていく学生たちにとって、そして僕たち家族にとって、それぞれの「産みの苦しみ」を通過し、今、ひとつの時代が穏やかに幕を閉じました。


宮本武典/美術館大学構想室学芸員
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■写真上:美術館大学構想室と卒展ディレクターズメンバーが編集した2007年度の卒業/修了研究・制作展カタログ。これまで卒業式に配布されていた「卒業アルバム」的な記録集を完全リニューアルし、展覧会鑑賞時に使用できる手引きとして、また「卒展2006」全体のドキュメントとして徹底的に作り込んだ。製本は田宮印刷株式会社で、デザインは同社のデザイン部門「JEYONE」の鈴木敏志さんが手がけた。

■写真下:ダンボールケースの中身は以下の3アイテムによる分冊形式。
1)卒展ガイドブック(下)
各学科コースの展示内容やイベントの詳細情報と、卒展出品者523名全員の顔写真、プロフィール、作品/研究コンセプトを紹介している。鑑賞ツールとして来場者に活用してもらうことを目指し、なんとか開催期間中に間に合うように制作した。523名からの原稿回収は、それぞれのPCからブログ書き込み形式をとって手間を省略。会期中はインフォメーションカウンターで1冊500円で販売した。
また、出展者データは学科コースの枠を取り払う50音順で掲載し、通し番号が実際の作品に付けられていたタイトルプレート(キャプション)と照合して検索しやすいように工夫をした。
2)卒展ドキュメントブック(左)
全出展研究・作品の展示写真を掲載するとともに、茂木健一郎氏の講義など、会期中に開催されたさまざまなトークイベントを採録している。フルカラー&厚さ3センチ。各写真は、ガイドブックの出品者データと照合できるようにナンバリングが施されている。DVDに収録されている論文と映像の作品については、サムネール的なテキストと写真をリストとして列記した。
3)卒展DVDデータ(右)
論文と映像作品はPC上で閲覧できるようにDVDデータにした。論文はpdfファイルをダウンロードさせることで、これまでの要約だけの掲載ではなく、ほぼフルボリュームのデータベース化が実現。映像作品はフラッシュでそれぞれ短編に再編集した動画をパソコン上で観ることができるようになった。
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卒展カタログの紹介とともに、下に転載する「Guide」は、僕が年に4本書いている本学図書館発行の「ライブラリー通信」コラムです。今年卒業してしまった何人かの学生が、毎回「読みましたよ!」と声をかけてくれていたので、これからはこのブログに転載します。コラムの内容は、卒展カタログ編集時に、僕がいつも考えていたことでもあります。

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Guide:出会い難き紙片
バルセロナのソフィア王妃芸術センターで、ピカソの『ゲルニカ』にはじめて対面した時のこと。ギャラリーには大勢の人がいたのだが、皆、絵と反対側の壁に張り付くようにして、できるだけ絵と距離をとって鑑賞していたのが印象的だった。巨大な画面の全体像を視界で隅々まで捉えるためには、およそ6mは画面から離れなければならない。人々は安心した表情で、予備知識として事前に蓄えた『ゲルニカ』の図(イメージ)を確認していた。そこには、教科書通りの構図、反戦のメッセージを伝える様々な寓意が織り込まれている。手元のガイドブックには、丁寧な解説もついている。

だが、僕は一人、信号のタイミングを間違って横断歩道を渡りはじめた人のように、見えない境界線を踏み越えて歩き出す。油絵の具の香りを嗅げるくらいキャンパスに近寄って、その力強い筆致と、黒い絵具の質感を眺める。この時、僕の目の前に存在するのは、画集どおりの「図」ではなく、人間パブロ・ピカソが引いた黒々とした線なのだ。そびえ立つ雄牛に圧倒され、暗い画面に灯る?燭の光を感じ、そして何より、画家が絵筆で告発した戦争のビジョンに包み込まれるようにして、一枚の太い木枠と、麻布と、絵具と、画家の腕の痕跡として、そこに確かに『ゲルニカ』が存在しているリアリティーを感じようとしていた。

図書館の画集で、美術館で販売されているポストカードで、僕たちは名画のイメージに慣れ親しんでいる。印刷物となって、手から手へ渡っていく無数の『ゲルニカ』。世に傑作と呼ばれる作品は、出会いの空間を限定されるオリジナルよりも、その作品を取りまくイメージや、ストーリーがひろく国境を越えて共有されていく。多くの人が、例えばルーヴルの『モナ・リザの微笑み』のオリジナルを観たとき、「本物はやっぱり違うよね」と、既に見知った『印刷物のモナ・リザ』との違いを表明せずにはいられない。(よくよく考えてみれば、これは奇妙な発言だ。僕たちは、絵画そのものに、いったい何を見出しているのだろう?)

ポストカードになって世の中を巡っているアート作品は、名画だけではない。美術館でアシスタントをしていた頃、毎朝、学芸員宛に届けられる展覧会の案内状の量に驚いたものだ。毎日、毎日、呆れるほど沢山の展覧会が開催されていて、それを宣伝する一枚一枚に、大仰なタイトルや但し書きが張り付いている。発表する側にとって、それは当然の態度だろう。このアーティストに理解のない国で、どんどん公立美術館から予算を削り、義務教育から情操教育を駆逐している国で、1年以上かけてゼイゼイと資金をかき集めて準備した発表の機会なのだから。

けれども現実は、送り手の淡い期待に反して、有力な美術館やギャラリーでは、コレクションされている作家の新作展などの重要な案内状以外は、ほとんどトランプのカードを切るようにして一瞥されゴミ箱へ直行する。勿論、1枚1枚きちんと眺めて、保管してあげたいが、そんなことをしていたら書類棚はすぐに一杯になってしまうのだ。

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『ゲルニカ』であれ、無名の若手の意欲作であれ、また、それがオリジナルであれ印刷物であれ、美の価値は、様々な情報の力関係においてドライに分類され処理されていく。けれども、不意に送りつけられた何の予備知識のないポストカード上の作品に(ごく稀にだが)無条件に心を惹かれることだってある。

紙面に自分を大きく見せようとする誇大広告の因子が感じられないもの。「まだ答えは出ていない。結論は固まっていない。それを決めるのはあなただ」とメッセージを送ってくるもの。実際にその展覧会に足を運ばなくても、壁にピンナップしているだけで、充分そのアーティスティックな恩恵を与え続けてくれるもの…。

デザインワークは重要だ。写真、タイポグラフィー、コピー、紙質は洗練されていなければならない。だが、それ以上に、送り手のイメージの中で、一枚の紙片となった自身の作品が渡っていく街の風景や、受け取った人の心の動きを、どれだけ具体的に出会いのストーリーとして描いているかが大切だ。

心を打つアートとの出会いは、(どこかで読んだフレーズだけど)極めて起こり難いラブストーリーのように、デリケートにその瞬間を育てていく。膨大な情報の海のなかで生きる僕たちが、たった一枚の紙片を通して、偶然に「見知らぬ誰か」の瑞々しい感性と深く出会うことは、バルセロナでピカソと出会うことと同じくらい感動的な出来事なのだと思う。(東北芸術工科大学図書館発行『ライブラリー通信2007.spring』から転載)

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真:美術館大学構想室アシスタントを2年間務めた後藤拓朗君(左)と、彼の後を引き継ぐ近藤浩平君。ともに洋画コースの卒業生。
背後の絵画作品『部屋・紫・少女の砂』は、後藤君の卒業制作で、2004年の損保ジャパン絵画大賞受賞作。その後、2004年度学長奨励賞として買い上げられ、今も学内に常設展示されている。
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美術館大学構想室のアシスタント後藤拓朗君が、2年間のアシスタント期間を終え、構想室を「卒業」します。キャンパス各所にある常設作品を巡る、入学希望の高校生を対象にした鑑賞ツアーで、作品解説をお願いしたのをきっかけに声をかけ、以来2年間、構想室が企画したすべての展覧会を裏方として懸命に支えてくれました。

これまでに構想室が招いた様々なアーティストや知識人たちとの出会いに影響され、「構想室に関わるようになって、これまでのようにシンプルに絵と向き合えなくなった」と語っていた後藤君。特に、レジテンスで山形に長期滞在したアーティストの富田俊明さん、彫刻家の西雅秋さん、珍しいキノコ舞踊団のメンバーといった、自由放漫かつ才気溢れる「マレビト」との交流は、山形で生まれ育った画家志望の青年に、少なからぬ若さ故の悩みをもたらしたようです。

春からは、「とにかく一度、故郷であるこの山形市を出て、自分の制作や生き方について考える時間を持ちたい」と心に決めたようです。そしてこの言葉は、後藤君だけでなく、親交のあった何人かの山形出身の卒業生たちの口からも聞いた固い決心でもありました。

僕が故郷と創作の愛憎関係について思い巡らすとき、心のなかでいつも反芻する言葉があります。それは、僕の敬愛するマルティニック諸島出身のアフリカ系フランス人小説家マリーズ・コンデの次の言葉です。

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精神の彷徨がなければ創造性は生まれない、と私は思います。
不動性のなかで、盲目的に根をはった生活で、何かが生みだされるとは思いません。
彷徨しなければならない。
彷徨生活は人を解放してくれます。
(…中略…)
私は、創造行為、エクリチュールとは一種の無限運動、
絶えず変化する差異の運動だと思います。
それは流れる水のようなもので、
誰かが言ったように、その水は絶えず繰り返され、再開される。
つまり小説創造は絶えず再開されるのです。

私は一カ所に根を下ろす〈根付き〉ということを信じません。
肉体は故郷に帰りましたが、精神は航海を続けなければならないのです。

マリーズ・コンデ

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クリエイトは終わりのない旅のようなもの。
故郷を離れ、たとえ何処に暮らしたとしても、そしてまた、たとえ創造の日々が中断したとしても、一度深く探し出された感性の鉱脈は、簡単に枯れることはない。これから先、虚ろな情報社会のパワーゲームに傷つくこともあるだろうけれど、芸術を学び、絵画に自分の可能性を賭けた日々に誇りを持って、生きていってほしいと思います。

後藤君ありがとう。
お疲れさま。
そしてこれからもよろしく。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:卒展2006開催記念シンポジウム『21世紀のデザインとアートはどこへ向かうか?』で講演する脳科学者の茂木健一郎氏。
■写真中:ギャラリートーク企画「カフェ@ラボ」で映像コースが招いた映画評論家の村山匡一郎氏。氏は若い映像クリエイターの作品が、従来の「自分探し」から「エンターテイメント」への移行している世界的な傾向を紹介し、その過程ですり落ちてしまう表現者の視野の狭さ、モラルの低下に警鐘を鳴らしていた。「山形には距離的なハンデはあるものの、国際ドキュメンタリー映画祭の伝統があるのは素晴らしいこと。この地に世界中から集まってくる映像を通して世界の現状を知り、映像表現の役割について考えてほしい」と語った。
■写真下:同じく「カフェ@ラボ」で環境デザイン学科は東北大学の小野田泰明氏(右)をゲストに迎えた。対談の相手は「みかんぐみ」の建築家で、本学の竹内昌義助教授(左)。
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テレビのCMで、解剖学者の養老孟司氏が、高校生からの、「先生、〈知る〉ってどういうことですか?」との問いに、「〈知らなかった時〉と〈知った後〉では、まったく別の人間に生まれ変わることです」と答えていました。僕たちは、このような〈知る〉体験に、身体が死を迎えるまでの間に、いったいどれだけ出会うことができるでしょうか?
情報を記憶し、詰め込むだけのカタログ的な学びでは足りない、本質をまるごとつかみとるようなダイナミックな意識の転換。単なる蘊蓄ではなく、価値の押しつけでもなく、「常識」だと思い込んでいた物事の成り立ちの枠を取り払って、まったく広大な「知」の沃野へと押し広げてくれるような、機知に富んだ言葉との出会い。これはなかなか出会い難いもので、理解するための学びも当然必要でしょうし、ただ盲目的な批評の受け手であっても駄目だと思います。
けれども何よりも重要なことは、批評する側も、受け手も、その試行錯誤の果てに「辿り着きたい世界」において、漠然とではありますが、どこか似た指向性を持っていることだと思います。さまざまな「知」の現場で希求される、ある共通した新しい生成の予感。
これを「同時代性」といってもいいかも知れません。同じ時代の、知識人や才能ある表現者たちが、互いに影響し合いながら連鎖し、次の新しい時代を拓いていく。その一端に触れることが、教育現場における、もっとも素晴らしい(芸術)知的体験の一つだと、僕は思います。

前回のブログで書いたように、学部生時代は悶々と過ごしていた僕でしたが、進学した大学院では、幸いにも刺激的な批評の場に身を置いて、緊張感のある学びの時を過ごすことができました。
「オリジナルであれ」「権威に迎合するな」「自己満足は論外」「美術史を学べ」「社会問題に眼を向けよ」「内省を掘り下げよ」「徹底的にやれ」「手を止めず、自らの仮説を信じよ」…恩師の戸谷成雄先生の批評会は毎回厳しいものでしたが、それ以外にも、定期的に学外から国際的に活躍するアーティストを呼んできては、ディスカッションの機会を設定してくれました。(宮島達男副学長もその1人でした)
皆、破滅的・自己陶酔型の芸術家とはほど遠く、知的で紳士的。ギラギラした出世欲など微塵もなく、どちらかというと素朴で静かな方々だったのが意外でした。国際的に成功するアーティストって、熾烈な競争を勝ち抜いたアスリートか政治家のような性格なのだろうと思っていたのです。
講義の後、決まって国立駅前のレストラン『ロージナ茶房』でゲストを囲んで食事をしました。ワインを飲みながら、家族のこと、学生時代のこと、制作者としての悩みなど、リラックスして話をしました。彼らは経験から得た知識を編集し、自分なりの解釈と、世界観を構築し、しかもそこには誰でも住まうことのできる「器のひろさ」を持っていました。その根底には、あえて甘ったるい言葉を使えば、「人間愛」が横たわっていたように思います。

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今回の卒展において、外部からのゲストを交えての「公開審査会」や「シンポジウム」、「カフェ@ラボ」など、たくさんのトーク企画を組んだのは(参照:http://www.tuad.ac.jp/sotsuten2006/events.html)僕の中に、大学時代の経験を通して、外部の視点を交えた「批評の場」の教育的な効果(←あまりいい言い方ではありませんが…)を、身をもって信じている部分があったからです。
各学科コースの先生の協力もあり、会期中は大勢の学識者の方々が来学され、キャンパスのあちこちで、教員や学生たちと語り合いました。ゲストの方々は、学生たちの取り組みを客観的な視点から批評してくださり、また、芸工大での学びを、卒業後、社会においてどのように実践・発揮していくのかなど、シャープな問題提起もしていただきました。(これらのイベントの詳細については、学生スタッフの取材チームが下記ウェブサイトにUPしています。卒展ディレクターズHP=http://gs.tuad.ac.jp/directors/index.php)

しかし中には、「卒展」とはあまり繋がりの感じられない講義や、作者とのコミュニケーションのない、作品への一方的な感想しか聞けなかった講評会もあったように思います。そのような態度から発せられる言葉と聞いていると、僕は本当に虚しくなってしまいます。批評する人は、その言葉を聞く学生たちの無表情な顔に敏感になるべきです。
学生たちは無知ではなく、ただ漠然としたその「何か」の輪郭を描くための、方法や言葉を、まだ獲得していないだけなのです。本当に聞く価値のある批評には、「私たちは何をすべきか、一緒に考えよう」という真摯なメッセージが含まれています。若い人たちと、一緒に何かを語り、考えることの楽しむ、批評者の魂の新鮮さが伝わってくるのです。

そして茂木健一郎さん。

まさに超多忙・時代の寵児でありながら、卒展オープン前日に山形入りし、アートディレクターの北川フラムさんとともに、4時間かけてキャンパスに展示された全出品作を観ていただきました。夜には大講義室にミーティングテーブルを設置し、卒展のコンセプト「OUR ART. OUR SITE.」の趣旨にのっとり、「ここでしか生まれ得ない作品や発想」を評価指標にして、523人の作品・研究のなかから5名の作品を『卒展プライズ2006(作品買い上げ賞)』に選出していただきました。
(審査員:酒井忠康/北川フラム/茂木健一郎/松本哲男/山田修市/宮島達男)
賞の選考課程は学生たちに公開されていたのです。夜の講義室には、たくさんの学生が集まり、「時代の眼」ともいえる審査員の方々が、約500の作品から、たった5点を選出する、100分の1へ至るスリリングなミーティングに立ち合いました。

翌日のシンポジウムでは、芸術作品の価値の優劣を生み出す歴史的・政治的な「文脈」と、作品自体が私たちに与える感動(クオリア)との関係について語ってくださいました。
現状の流行やアートシーンを牽引する「文脈」のイニシアチブは、私たちの生きるこの東北に存在しないことは明らかですが、だからといってグローバルな視点で見た時、東京がその中心にあるかというとそうでもない。Tokyo>Yamagata? 欧米>日本? 茂木さんは「言語や肌の色、国籍や文化、学歴や収入など、様々な文脈が生み出す優劣のコンプレックスから、私たちは完全に逃れることはできない」としながらも、「自分の生きる土地や、人生、作品の本質は、そこに完全に回収されるものではないことを自明のものとしているか、いないかは大きな違いだ」と語りました。
また、茂木さんは文脈の作用自体を揺さぶる〈認知テロリスト〉としての表現の打ち出し方を理論的に構築していく必要性を説き、「既存の価値の構造から逸脱して、この山形の土地にしかない歴史の深みへと降りて生きていく勇気を!」との熱っぽい提案で講演を締めくくりました。
確かに、ものをつくったり、研究していく過程で、自らの「勇気」が度々試されているのを、学生たちは自覚していたはずです。既にある評価の型に安住するか、しないか? 何か余分なものを捨てる勇気。大胆に変えていく勇気。威張ったもの、古いもの、淀んで溜まっているものと決別する勇気。
都市ではなく、「東北」で学ぶことの意味は、他と比較できる文脈において相対的に構築するのではなく、まずその競争自体から降りて、自分たちで価値の構造自体を生み出していくこと…。茂木さんの口調は穏やかでしたが、その語りは、実はこの大学がおかれている状況に対しての、極めて的確で、厳しく、そして素晴らしく建設的な批評であったと僕は受けとめています。

                         宮本武典/美術館大学構想室学芸員


(茂木氏はブログ「クオリア日記」で、山形での2日間を紹介してくださっています。)
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/02/post_bc16.html
■写真:卒展を支えた〈卒展ディレクターズ〉のスタッフたち。1〜3年生を中心に、コアメンバーが27名、期間中のみ参加の当日スタッフ登録者が74名と、総勢100名をこえる在学生が、卒業生523名による大展覧会を動かしていた。その活動は、広報、イベント企画、会場整備、鑑賞ツアー運営、周遊バス運営、HP運営、カタログ作成など多岐にわたり、それぞれの所属する学科の課題もこなしながら、スタッフたちは去年の6月から9ヶ月間、無償で働き続けた。今ではもう家族のような関係。(撮影:サンデーブース)

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4ヶ月ぶりの更新です。
西雅秋さんの展覧会を終え、息継ぎする間もなく、そのまま卒業制作展の準備に没頭してしまいました。こんなにほったらかしにするなんて、人気ブログの条件からほど遠いですね。もし、このブログを定期的に見ている人がいたとしたら、大変申し訳ない事をしました。すみません。

しかし、宮本も美術館大学構想室も、このHP上では眠っていた4ヶ月は、今年大きく変革された「卒業/修了研究・制作展2006」の運営を担い、総合ディレクターの宮島達男副学長と、30名の学生スタッフ(卒展ディレクターズ)とともに、冬のキャンパスを駆け回る激動の日々を過ごしていました。このブログで途中経過を実況すると、弱音とカラ元気で埋め尽くされることが懸念される程、それはそれはハードな毎日でした。

これまで山形美術館で開催していた芸工大の卒展を、松本学長が「キャンパスに一本化する」と宣言してから、気の遠くなるほどの時間を議論に費やしてきました。学生はもちろん、教員、事務局、卒業生をも巻き込み、9ヶ月間「産みの苦しみ」にもだえ続けた卒展。その顛末については、学生スタッフが、卒展ディレクターズHP上にたっぷりとUPしてくれていますので、空白の時間はそちらで埋め合わせしていただければ幸いです。

卒展ディレクターズHP=http://gs.tuad.ac.jp/directors/index.php
TUAD卒展公式HP=http://www.tuad.ac.jp/sotsuten2006/

その卒展も、1週間前になんとか成功に終わりました。
アトリエや研究室を展示会場に転用し、キャンパス内17カ所でパピリオン形式で開催された展覧会を、一週間でのべ2万人の人々に見ていただきました。各サイトで展示されていた作品も、本当に素晴らしかった。
緊張の糸が切れたのか、寒風の中、野外で駐車場管理に立ち続け、次々とインフルエンザで倒れていった学生スタッフたちも、今はもうそれぞれの地元へと帰郷しました。卒展に出品した523名の卒業生たちは、一ヶ月後の卒業式までに、引っ越しや身辺整理に余念がありません。
そして、準備期間と並走するように3ヶ月間病院で過ごしていた身重の妻は、卒展終了と同時に無事に臨月を迎え、今は自宅で静かに出産の時を待っています。

過ぎてしまえば、過ぎ去るには惜しい、さまざまな出来事があった日々。静まり返っている学内で、ようやく自分なりにこの4ヶ月を見つめる余裕が出てきたので、少しずつ、自分の眼で見た卒展について、このブログに書き残しておこうと思います。

繰り返しになりますが、忘れ去られてしまうには惜しい情景だけが、雑然とした意識の片隅で、その本当の価値を当人が理解するまで、雪の夜に灯る街灯のように、微かに輝き続けます。心地よい身体と精神の披露を感じながら、この9ヶ月の経験は、まだまだ多くの事を僕とこの大学に与えてくれると感じています。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典
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■写真上:工芸コースの屋外作業場・ピロティーに建てられたアジトのような受付小屋。大学内で拾い集めた廃材で組み立てられ、厳しい冬の(命がけの)制作時には宿泊小屋としても活用されていた。これぞまさにアートスクールの情景。
■写真中:工芸4年・大槌英樹君によるマジカルな作品配置「希薄なる境界」。雑然とした陶芸工房に、美しく磨かれた漆の黒い板が並べられていた。
■写真中:同じく、芸工大で漆を学んだ井上裕太君の乾漆と写真によるインスタレーション「Maybe that is.」。溶接工房の内部を板で囲み、地下墳墓のような緊張感のある空間を創出した。
■写真下:西蔵王から冷たい風が吹き下ろす鉄場に、無数の鉄パイプが継ぎ合わさった巨大な球体が吊り下げられた。新関俊太郎君の「父に買ってもらった鉄」
撮影:姜哲奎、井上裕太(写真上のみ)
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もうすぐ我が家にやってくる小さな命のために、散らかり放題だった自分の部屋を片付けていたら、靴の紙箱に無造作につっこんであった学生時代に撮った大量のモノクロ写真を見つけ、しばらく眺めていました。父から譲り受けた古くて重いNikomatで、アトリエの友人たちを撮りまくっていたのは、もう12年も前のこと。
テレピンオイルのガラス瓶や、絵具のこびりついた床に転がっているJACK DANIELや、ツナギ姿でタバコをふかす女の子たち。学食のタヌキ蕎麦に、ベルボトムジーンズと午後の玉川上水。大きな石油ストーブの近くで痩せた背中を丸めて座っている僕は、誰が撮ったのだっけ?親たちの世代と同じような70年代フォークや、ぬかみそ臭い同棲や、インドやアフリカを放浪する旅が、皆を熱中させていた頃。
懐かしさを感じると同時に、そこに写っている友人たちは、果たしてこの時代に、このアトリエに帰りたいと思うだろうか?と考えました。少なくとも、僕の答えは「NO」です。90年代のトレンドから乖離することを楽しんでいた、居心地のいいアトリエでの日々は、その実、社会との接点が見いだせない、漠然とした不安を常に抱えていたのでした。「芸術を学ぶと、不幸になる」
自分への自信のなさが、年を追うごとに皆を寡黙にさせ、マッチョな社会構造から卑屈に逃げるような無力な「ひたむきさ」で、作品をつくり続ける生活は、結局僕たちに何をもたらしたのだろうかと、考え込んでしまいます。そして、あれは「教育」だったのだろうか?との憤りも、また。

「OUR ART. OUR SITE.」をキーワードに、これまでメーン会場として借りていた山形美術館から撤退し、展示会場をキャンパスに一本化した今年の卒展。その賛否と可能性を問う、今日に至るまでの全学的かつ膨大な議論は、時にきわどい問題にも触れていきました。ある教授は、「15年経たって、今、卒展の議論によって学内に溜まった膿が一気に噴出しているんだ」と語っていました。
感情的な、あるいは腹の内を探り合うような気のおけない卒展を巡る議論の最中、不謹慎ながら、どこかでこのような状況を好ましく思う自分がいました。僕が学んだアトリエには、閉じた関係の中での居心地の良さはあっても、そうした自分達のいる「場」や「教育」そのものを深く激しく検証していくような議論はなかった。自らが属する社会への批評的な視座の欠如が、その後の12年間、僕たちを現実の生活において、常に苦しめたものだったから。

今回の卒展は(段取りには不手際もあったが、幸いにして)結果的に大成功だったとの評価を、学内外からいただくことができました。しかし、ここで示すことができた「質」は、もともと私たち芸工大が持っていた基本的な力で、これまではその創造への欲求を出力するに相応しい「場」と、「これでいいのか」という自発的な問いがなかっただけなのかな、と僕は感じています。

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さて、議論が生まれたことを喜ばしく思う反面、今回の卒展では、互いに批判し合うだけで何の生産性も生まれないという悪循環に陥る危険性も充分ありました。主張した自分のポリシーを実際の行動に移し、自分なりの仮説(作品+展示)に鍛え上げていくには、9ヶ月という時間は充分な期間ではありませんでした。議論が深まりを見せても、結果、表面化した展示物が質の低いものであったなら、「卒展一本化」は暴挙でしかなく、対話に明け暮れたこの9ヶ月は、虚しい徒労であったことでしょう。

そんな中で、上の写真で紹介した工芸コース有志による実習棟周辺での展示は、漆芸や彫金の伝統的なスキルと、4年間を過ごしたSITEへの愛情を見事に作品に結実させていた点で、今回、もっとも僕の心を打つ展示でありました。「卒展の会場一本化」への激しい批判から上手に距離を置きながら、建学15周年、そして全入時代の到来を機に、変わろうとする大学のもがきを、他ならぬ自分自身への挑戦として(大学への愛憎も含め)真っすぐに「作品」に向き合った彼ら。
一心に打ち込む労働的な制作の積み重ねと、互いに支え合う仲間同士のコミュニケーションが、若者たちが真摯に生きた時間を感じさせる、独立した、緊張感のある空間を生み出していました。この力強さは、大学という教育の場が自然につくりあげたもので、「サイトスペシフィック」謳ったどんな展覧会よりも、より純粋で、自然で、そして切実に、そこにありました。

一見、静かで素朴なようで、実は猛々しい東北の精神風土の中で、それに見合った精神とフィジカルのタフさを、僕たちの大学は身につけなければならない時期に来ているのではないでしょうか。
そのことを、今回の卒展を機に噴出した「若さ」が抱えているひたむきさ、好奇心。そして愚かさや不条理な制度に対する破壊衝動にさえ、教わったような気がしてなりません。懸念すべきは組織に疲れた大人たちの「無気力・無関心」なのです。ルーティンワークの中で、対話することから逃避し、若者たちの向う見ずな欲望と正面からぶつかっていくことから逃げてしまう姿勢は、自分も、自分の属するコミュニティーも、寂しく疲弊させていくことに気がつかなければなりません。
若い人たちと向き合うことで、常に新しく(懐かしく)実験的で、誠実でありたいと強く思いました。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典