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沖縄から(3)…迎春:辺野古の浜で初うくし

  • 沖縄から(3)…迎春:辺野古の浜で初うくし

 

 米軍の新基地建設が進む沖縄県名護市の辺野古の浜で2020年元旦の朝、1年の安寧(あんねい)を願う恒例の「初うくし」(初興し)の神事があった。午前7時すぎ、日の出を前に神々に祈りを捧げる「ウガン」が厳かに行われ、約300人の参加者が基地建設の即時中止などを訴えた。三線(さんしん)の演奏に合わせて、伝統の沖縄舞踊が披露される中、海上では抗議のカヌ-隊が湾内を周遊。雲間からすだれのような日の光が船影を浮かび上がらせた。オリンピック・イヤ-の“喧騒”で幕を開けたこの日…屈辱の島―沖縄・辺野古では―――(写真点描=コメント写真)

 

 

(写真は米軍キャンプ・シュワブ近くの松田浜で。祭主はミュージシャンの海勢頭豊さん(中央)=2020年午前7時すぎ、名護市辺野古で。以下の写真の撮影場所と時間はほぼ同じ)

 

 

 

沖縄から(2)…やんばるの森の奥で

  • 沖縄から(2)…やんばるの森の奥で

 

 森は海を/海は森を恋いながら/悠久よりの/愛紡ぎゆく」―。突然、目の前に開けた、まるで石炭の露天掘りのような光景を目にした時、冒頭の歌が不意に口をついて出た。もう50年近く前のことである。宮城県気仙沼市郊外のブナ林が広がる奥深い森を伐採し、治水・利水用のダムを建設する計画が持ち上がった。19年前にこの計画は中止されたが、建設反対の原動力になったのが、この歌をきっかけに生まれた「森は海の恋人」運動だった。

 

 私が当地に赴任したのは、反対運動が盛り上がっていた時期である。「新月ダム建設反対同盟」に参加する顔ぶれにびっくりした。農業や林業に従事する人たちに交じって、潮焼けした漁師たちの姿があった。「名産のカキは森が育ててくれるのさ」という言葉にすぐ合点がいった。支局の前を大川という清流が流れ、アユが川面を飛びはねていた。釣り竿をひょいと肩にかつぎ、晩酌用の塩焼きを釣り上げるのが日課になった。そんな折、新月地区に住む歌人の熊谷龍子さん(76)と知り合った。「森」と「海」と引き合わせたのが熊谷さんのこの歌だった。「森は海の恋人」運動は教科書にも紹介されるなど全国的な広がりを見せ、第3歌集(1996年)には同名のタイトルが付けられた。

 

 警備が手薄になる年末のある日、ヤンバルクイナなど希少生物が生息する山原(やんばる)の森に分け入った。採石場には大型重機がずらりと並び、亜熱帯の豊かな森は無残な姿をさらけ出していた。この一帯から掘り出された土砂は辺野古の海の埋め立て用に投入され、その数は1日だけで大型ダンプカ-172台分(12月27日付「琉球新聞」)に及んでいた。普天間飛行場の「辺野古」移設(新基地建設)に伴い、豊かな大浦湾のサンゴは次々に死滅し、ジュゴンも姿を見せなくなった。南の島では「森」と「海」とを分断する政治の暴力が大手を振るっている。

 

 辺野古埋め立てから1年―。政府は当初予定した工期を5年から10年に延長、軟弱地盤の改良に要する費用などで工事費も3倍近いの9億3千万円に上るという試算を明らかにした。これに伴い、普天間飛行場の返還も1930年代に大幅にずれ込むことが確実となった。一方、新基地建設に必要な「埋め立て総土砂量」は2062万立方メ-トルで、これまでの投入量はわずか1・1%。森と海との破壊が今後、同時並行で進められることになる。

 

 気仙沼湾にそそぐ大川の水源地に当たる室根山一帯(岩手県一関市)では30年前からブナやカエデの植林が続けられ、一帯は「ひこばえ(樹木の若芽)の森」と名づけられている。そして、この運動を支える母体はずばり「牡蠣(カキ)の森を慕う会」(畠山重篤代表)である。「辺野古」を孤立させてはならない。いまこそ、「森は海の恋人」運動の再燃を!!

 

 

 「森と海と溶け合うという汽水域/朝靄のようならむ水の濃度は」(龍子)―

  

 

 

 

(やんばるの森に隠されるように荒涼たる禿山が広がっていた=12月29日、沖縄県国頭村で)

沖縄から(1)…辺野古座り込み、2000日

  • 沖縄から(1)…辺野古座り込み、2000日

 

 「駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄/自分の感受性ぐらい/自分で守れ/ばかものよ」―。作家の高橋源一郎さんは隣国・韓国のルポルタ-ジュ「歩きながら、考える」(12月19日付「朝日新聞」)の冒頭に詩人、茨木のり子(故人)の詩の一節を置いている。私自身、長旅にしのばせるのはこの詩人の詩集である。

 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の「辺野古」(名護市)移設(新基地建設)に反対する座り込みが27日、2000日を迎えた。この日も米軍キャンプ・シュワブでは埋め立て用の土砂の搬入が行われ、出入り口のゲ-ト前には大型ダンプの進入を阻止しようと数10人の人たちが座り込んでいた。車いすに乗ったおばぁの姿が…。最長老の常連、島袋文子さん(90)だった。私もすぐ近くに腰を下ろした。「これより、道路交通法違反の嫌疑で強制排除に入ります」と沖縄県警の現場指揮官。「60年安保」以来だから、実に60年ぶりの“ごぼう抜き”体験である。「腰痛持ちだから、手荒なまねはしないでくれな」というと4人がかりであっという間に歩道上に運び出された。

 

 「ところで、あんたはいま、いくつなの?」と4人の中で一番若そうな警察官に声をかけてみた。「29歳です」と素直に応答。「この腰痛じいさんはいくつに見えるかい?」と今度は私。「まだ60台ではないですか」とその青年警察官。「嬉しいことを言ってくれるじゃないの。わしはなもうじき、80歳になるんだぞ。沖縄の未来は君たちにかかっている。それを忘れないようにな」―。少し、うなずいたようだったが、視線は宙を泳いでいた。こんなやりとりをサングラスをかけた男性がニヤニヤ笑いながら、眺めていた。「おかげさまでやっと、“ごぼう抜き”の栄誉に浴することができました。もっとも安保の時は鎖骨をやられましたけど…」―こうあいさつすると、「それはおめでとうございました」と握手を求めてきた。

 

 沖縄を代表するシンガ-ソングライタ-の海勢頭豊さん(76)との奇跡的な再会はこんな出会いがしらの出来事だった。20年以上も前、私は北海道・阿寒湖畔に拠点を置くアイヌ詩曲舞踊団「モシリ」の全国縦断ツア-に同行取材をした。沖縄公演の際、那覇市内でライブハウスを経営していた海勢頭さんの弾き語りを聴いたのが初対面だった。米軍の実弾演習阻止を歌に託した「喜瀬武原」(キセンバル)や「月桃」などの代表作を収めたCDをその時に買い求めた。

 

 ♯喜瀬武原陽は落ちて 月が昇る頃 君はどこにいるのか 姿もみせず♯…「心が弱くなった時に聴くことにしています。すり減ってしまったのか、最近は音が飛んでしまうんです…」と礼を述べると、「今度、送りますよ」と骨太の手で握り返して来た。「辺野古」は出会いの場でもある。

 

 「米国区域(施設)・在日米軍/許可無き立ち入り禁止/違反者は日本国法律により罰せられる」―。こんな文章の警告標識が基地内外を隔てる有刺鉄線のあちこちに張り付けられている。その写真をカメラに収めようとして、ふぃと見上げると防犯カメラが逆にこっちに照準を合わせていることに気が付いた。その基地の中から若い米兵たちの明るい笑い声が聞こえてきた。休暇をとった海兵隊員の一群であろうか…座り込み現場には目をくれないまま、土砂を満載した大型ダンプの前を小走りで横断し、どこかに姿を消してしまった。

 

 「2000日集会」では日本だけではなく、世界各地からの連帯のメッセ-ジが伝えられていた。その中に朝鮮半島の南西に浮かぶ「済州島」(チェジュ島)の平和運動家からの呼びかけがあった。「韓国のハワイ」と呼ばれるこの島でもいま、軍事基地化が急速に進められている。高橋さんのルポルタ-ジュの一節に済州島に言及したこんなくだりがある。

 

 「…広大な畑の真ん中に、軍用機を攻撃から守るためにコンクリ-トで造った掩体壕(えんたいごう)跡がある。戦争中、ここには日本軍の戦闘機が収納され『決戦の日』を待っていた。この国が日本の植民地であった時代の遺物である。そんな場所があることを、わたしたちは日本人の大半は知らないだろう」―。いま、チェジュ島のあちこちには「Henoko、NO」(辺野古ノ-)のステッカ-が張られているという。

 

 茨木のり子の詩の中に「倚(よ)りかからず」という私が大好きな詩篇がある。こんな内容である。

 

もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや/できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや/できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば/それは椅子の背もたれだけ

 

 

 私はいま、自分自身の「背もたれ」を探す旅を旅しているのかもしれない。もしかしたら、それは「原理・原則」といった類(たぐい)のものであるような気もする。

 

 

 

 

(座り込み2000日の節目の日にも島袋おばぁは頑張っていた。車いすの眼鏡の人=2019年12月27日正午すぎ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲ-ト前で)


 

 

(師走向け特別企画);真冬の夜の“ミステリ-”……「桜を見る会」から「サクラを集める会」へ……花巻中央広場の“怪”!!?

  • (師走向け特別企画);真冬の夜の“ミステリ-”……「桜を見る会」から「サクラを集める会」へ……花巻中央広場の“怪”!!?

 

 「天罰」という言葉は好きではないが、天(の神さま)からも見放されたのかと思った瞬間、この言葉が思わず口元からもれたのだった。時は令和元年の師走12月14日…2日前に花巻市を含む中部圏域にインフルエンザの注意報が発令された、そのまちのど真ん中で「光瞬くクリスマスツリ-の下で、冬を彩るワインパ-ティ-」と銘打ったイベントが開かれていた。オ-プンの午後3時、一天にわかにかき曇り、雪ならぬ大粒の雨が降ってきた。傘を差し、肩をすぼめた市民が三々五々集まってきた。仮設テントの中にはキャンドルが飾られ、灯油スト-ブが赤々と燃えている。10人余りが震えるようにして、グラスを握っていた。突然、テントにたまった雨水が頭上を濡らした。中には傘をさしている人も。「おぉ、寒ッ。インフルにでもなったら大ごと」…早々に退散した。

 

 会場の「花巻中央広場」は今年7月1日、隣接する中心市街地の活性化などをうたい文句に誕生した。しかし、その「出生の秘密」についてはあまり知られていない。花巻市は2016年6月、まちづくりの青写真になる「立地適正化計画」(コンパクトシティ)を策定し、住宅建設などを進める「居住誘導区域」を設定した。上田東一市長はことあるごとに「全国で3番目」と鼻を高くしたが、急傾斜地など災害リスクのある個所(レッドゾ-ン)がこのエリアに5か所も含まれていることが国交省の調査で明らかになった。国から指定除外を求められた結果、急きょ、衣替えして登場したのが件(くだん)の花巻中央広場だった。“生まれ出(いづ)る”不幸はその後もついて回った。

 

 「熱中症公園」、「花巻まつり限定の屋台広場」、「これじゃまるで、上田記念公園」「1億円近い工費も結局、ドブに捨てたようなもんではないのか」。酷暑続きだった今夏、こんな声がひんぱんに聞こえてきた。何度か足を運んでみたが、人の気配はほとんどなかった。ところが、である。開会中の12月定例会に総額847万6千円の補正予算案が上程され、全員賛成で可決された。用途は車いす利用が可能な多目的トイレの設置費用で、来年5月中の完成を目指すのだという。「近くの公衆トイレに行く際、交通量の多い横断歩道を渡らなければならない。だから…」と担当部署は言う。屁理屈も休み休みにしてほしい。「押すな押すなの公園ならいざ知らず。ひとっ子1人もいない空間にトイレとは!?だったら、最初から設置すれば良かったじゃないか」―。これを称して「無用の長物」という。いや、ある種の詐欺か!?

 

 ここまで読み進めてきた大方の人たちにはおそらく、察しがついていることだと思う。不評をカモフラ-ジュするため、あの手この手を使って、そのほころびを隠そうとするのが行政の習性である。例の「桜を見る会」を見れば、一目瞭然である。その「上田」版こそが今回の一大イベントであろう。「初めての冬をあなたと一緒に」…この広場で冬を楽しもうという催しは12月1日にからクリスマスの25日までの大型企画である。運営は同市内の女性グル-プ「BonD Planning」が全面的に請け負い、予算は約200万円。内容は「花巻中央広場冬季活用等に係る社会実験業務」となっており、2020年3月25日までにその成果についてのレポ-トの提出が義務づけられている。

 

 「多様な主体が行き交い、交流を深めていくという広場のコンセプトと企業理念の親和性は非常に高い」という理由で随意契約が結ばれ、飲食などを提供する出店者の選定もこの運営会社にすべてが任された。「リノベ-ションのまちづくりの中で活動を始めたBonD Planningという会社がございますけれども、その方々のプロデュ-スによって、民間の発想力やノウハウを生かしたイベントを開催するという予定にしております」(11月28日開催の記者会見)と上田市長もこの“応援団”を持ち上げることしきり。さもありなん。で、呼び物のこの日のワイン飲み放題は荒天の際は近くの倉庫内に場所を移すことになっていたが、インフルの危険をかえりみずに強行された。

 

 「知り合いからぜひ、と頼まれたので…。この天気なので辞めようと思ったけど、チケット代を無駄にするのもしゃくだから」とある女性。前売券は一枚2000円(税込み)で、150枚限定で売り出された。しかし、肝心の前売券は100枚余りと出足が危ぶまれたが、当日の参加者は248人(市調べ)に上った。さすが、「雨ニモマケズ」のふるさとである。ところで、ピザやポトフ、カレ―などを提供する出店者(6店舗)の中に隣接する中心市街地の商店はゼロだった。ある商店主は吐き捨てるように言った。「私の所にもぜひ、宣伝してほしいとチラシを置いていった。人寄せパンダじゃあるまいし…」。そういえば、こんな書き込みがフェイスブックに載っていた。「『人が集まったから成功』ではなく、少数でも集う公園を創出するためには連携と継続を周辺商店街にも求めていくべきだと思います」―。もっともな意見である。そもそも、発想の原点は中心市街地の活性化ではなかったか。

 

 客を誘導する市の担当職員の姿が目に付いた。「あれっ。このイベントは全部、外部委託じゃなかったっけ」―。寒さに震えながら、そそくさと家に戻ると、一通の匿名のメ-ルがパソコンに届いていた。「職員が手伝ってましたよね。委託した業務に市でさらに人件費かけていいんですかね。請負の原則に抵触しますよね」と書かれていた。問い合わせると、こんな答えが返ってきた。「誘導や記録写真の分担は契約には入っていないので…。3人交代で正式の業務として関わりました」。企画・立案「花巻市」―という構図、つまりは“自作自演”の正体がよろいの下から透けて見えてきた。「汚名挽回」を目指す算段(さんだん)は永田町界隈を揺るがし続ける「桜」騒動と瓜二つである。

 

 「サクラを集める会」―。突然、ブラックユ-モアも顔負けするぐらいの“妄想”に取りつかれた。「サクラ」とはあの「桜」ではなく、お友達やごひいき、ファンなどと税金を使って盛り上がる「偽客」(おとり)集団の謂(い)いである。クリスマスまで点灯されるツリ-を見に夜中にのこのこ出かけてみた。薄明りの中で二人の中学生がスケボ-に興じていた。見上げるような擁壁の上に漆喰(しっくい)壁の建物がぼんやりと浮かび上がっていた。前市政の失政で負の遺産となり、上田市長が解体を表明した旧料亭「まん福」である。その真下には現市政下のもうひとつの負の遺産が広がっている。このセットの妙が胸に突き刺さった。

 

 冬期間は閉鎖される宮沢賢治記念館に通じる渡り階段(367段)、雑草が生い茂る旧新興製作所跡地…。市内には歴代の失政の残骸があちこちに転がっている。いっそのこと、戦跡などをめぐる「ダ-クツ-リズム」(悲しみの旅)にあやかって、こうした「負の遺産」をツア-に組み込込んだ方が誘客に役立つのではないか。心底、そう思った。さ~て、これに勝る“オチ”(落ち)があろうか…東京五輪・パラリンピックの〝聖火“リレ―(6月19日)の花巻市内でのスタ-ト地点が、いわく因縁つきの「花巻中央広場」に決まったことを18日付の新聞各紙が伝えていた。まこと、「ミステリ-」(怪談)にふさわしい結末ではないか-――

 

 

 

(写真は雨もりがするテントの中でワインを口にする市民。見るからに寒々とした光景。テントの中で傘をさしている人もいた=12月14日午後3時すぎ、花巻市吹張町の花巻中央広場で)

 

 

 

《休載のお知らせ》

 

 1カ月ほどの長旅に出ることになりましたので、しばらくの間、当ブログを休載させていただきます。旅先から投稿する際にはまた、よろしくお願い申し上げます。良き年末年始をお過ごしください。

 

 

 

 

 

「さっさと帰れ」発言;余話~今度は遠野市議会で

  • 「さっさと帰れ」発言;余話~今度は遠野市議会で

 

 故中村哲さんの偉業に思いをはせる日々…その余韻に身を置いていた矢先、ふたたび寝首をかかれるような出来事に出くわした。「品位」を語るのに一番ふさわしい人物こそが中村さんだと思っていたが、「議会の品位とは―」という見出しの記事にはこんなことが書かれていた。12月11日付当ブログ「『さっさと帰れ』発言から『被害者はどっちだ』発言へ」と合わせ読んでいただきたい。アフガンから『遠野物語』のふるさとへ…気の休まる暇もないほどに翻弄(ほんろう)される今日この頃である。

 

 「(12月)13日の遠野市議会本会議で、累積赤字が5千万円超に上る遠野ふるさと公社に関連し、小松正真(まさみ)氏(無所属)が市長の経営責任に言及し『失格』などとした発言を議事録から削除する一幕があった。『議会の品位』などを理由に浅沼幸雄議長が職権で削除を求めた形で、小松氏は応じたものの『自由な議論による開かれた議会に反する』と疑問を呈する。『失格』、『ごまかし』、『目くらまし』の三つの発言が削除された。地方議会に詳しい駒沢大の大山礼子教授(政治学)は『人格非難ではなく、常識的に品位を落とす発言とは考えられない。多数派と異なる論点の発言排除のために「品位」が使われてはならない』」(14日付「岩手日報」、要旨)―

 

 元祖「(議会の)品位」論争の幕が切って下ろされたのは東日本大震災が起きた直後のこと。そして、中村さんの“喪”(も)に服さなければならない時期に相次いだ盛岡・遠野両市議会でのドタバタ劇―こうした不謹慎な面々には金輪際、「品位」などという言葉を口にしてほしくないとつくづく思う。地方議会だけではなく、永田町界隈で花見に浮かれる、わが宰相らあなたたちもだ!?河童(かっぱ)たちが泣いている。どうせのことなら、作家、太宰治のように「人間」を「失格」してほしいと思うぐらいである(10月19日付及び11月26日付当ブログ参照)。そして、ふと思い出した。

 

 「…花巻市議会の品位を汚したものであり、議会会議規則に規定する『品位の尊重』に違反するものである。よって、地方自治法の規定により戒告する」―。ちょうど、8年前の12月2日、私は当時の議会議長によって、懲戒処分に処された。「さっさと帰れ」発言を追及する際に「白を黒と言いくるめる」、「(委員長報告の)欺瞞性」、「口裏を合わせる」などという言葉を使ったことが処分事由とされた。さらには処分の正当性を主張するため、地元紙の声欄(2011年12月13日付「岩手日報」)に投書をするなど“弁明”にやっきになった。その時の議長は現在、県議会議員にまで上り詰めている。いまの世の中、“逆立ち”して眺めるしか術(すべ)がなさそうである。

 

 

 

 

(無際限の想像力をかき立てる民話のふるさとには河童が住むと言われる川も流れている=インターネット上に公開の写真から)