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号外―「蜂の巣城」の攻防…ならぬ、子どものケンカ!?”図書館戦争”、泥沼化へ

  • 号外―「蜂の巣城」の攻防…ならぬ、子どものケンカ!?”図書館戦争”、泥沼化へ

 

 「図書館は単に本を借りる場だけではない。まちの将来を支える基盤であり、〝まなび直し”の場でもある」―。そう答弁する目の前の人物の顔を私は穴のあくほど見つめ続けた。今年1月下旬、上田「(青天の)「霹靂」(へきれき)市政が突然、「賃貸住宅付き図書館の駅前立地」(いわゆる、“上田私案”)を公表した際、この人物、つまり長井謙・副市長は図書館「コストパフォ-マンス」論(費用対効果)を持ち出し、「政策立案に当たっては、利益(もうけ)があるかどうかがポイントだ」と滔々(とうとう)とまくしたてた。私は居ずまいを正してもう一度、正面に向き直した。そこに座っていたのはまぎれもなく、「ジキルとハイド」その人だった。

 

 花巻市議会の「新花巻図書館整備特別委員会」(伊藤盛幸委員長)が19日開催され、当局側から今度は「総合花巻病院の建物・施設の解体、土地譲渡に関する状況」と題する新しい資料が提示された。同病院が旧県立厚生病院跡に移転・新築したその跡地の今後の工程表に関する資料で、当該地も図書館立地の候補地のひとつである「まなび学園」周辺地域に位置づけられている。しかし、譲渡時期について病院側は、コロナ禍による入院患者の減少などを理由に「3年程度の期間で資金力を養った後で…」と将来の不透明性を匂わせている。果たせるかな、議員側から疑問の声が挙がった。「結局は立地が難しいという“ダメ出し”の資料ではないのか」(10月15日付当ブログ参照)―

 

 「一般論として、市有地を有効活用する場合、たとえば図書館以外の利用の可能性も考える必要がある」―。市川清志・生涯学習部長のこの発言が火に油を注ぐ結果になった。「(10月15日開催の)議員説明会で、唐突にまなび学園周辺への“市庁舎移転構想”が示された背景には当局側のそんな腹案(ハラ)が隠されているのではないのか」…。「いや、仮の話として建物の“規模感”を分かっていただくため…」などと防戦するが、もはや手遅れ。大げさに言えば、蜂の巣をつついたような体(てい)である。「これだけではない。当局側の資料には自分たちに有利になるような新聞記事が添えられている。市民の声を反映した議会側のアンケ-ト調査も同時に併記すべきではないか」(「そうだ」の声も)…

 

 ふいに、「反骨の砦」(1964年)というタイトルのテレビドキュメンタリ-の一場面が脳裏によみがえった。作家、松下竜一(故人)の傑作『砦に拠る』のテレビ化で1960年代、九州を縦断する一級河川・築後川水系をめぐる、13年間に及ぶ「ダム建設反対」運動(蜂の巣城闘争)を描いた作品である。その拠点が「蜂の巣城」と呼ばれた。鉢巻き姿のリ-ダ-、故室原知幸の絶叫調の演説がまだ耳の底に残っている。

 

 「図書館は単に本を借りる場だけではない。(富士大学教授で、図書館アドバイザ-の)早川(光彦)教授がワ-クショップ(WS)で紹介した本にもそう書いてある」―。われに返ると、ある議員が一冊の本を振りかざして、熱弁を振るっている。あれっ、「ジキル&ハイド」氏もさっき、おんなじこと言っていた。だったら、”上田私案”を突きつけられた、その時にこの「図書館」理念を訴えれば良かったことに…。何を、いまさら。これを称して、”付け焼刃”という。件(くだん)の本は「知の殿堂」とも言われるニュ-ヨ-ク公共図書館(NYPL)をルポした『未来をつくる図書館』(菅谷明子著)。ところで、早川教授自身、この図書館が実は「公立」ではなく、NPO法人(非営利組織)の運営だということを理解していないみたいだった(8月28日付当ブログ参照)。とまあ、揚げ足取りはこの辺にしてと思っていたら、会場がざわめいている。

 

 「市民に誤解を与えるおそれもあるので、委員長として“市庁舎移転構想”やその他の不適切な資料はHPからの削除を要求したい」―。紛糾した特別委はこうしてやっと、幕を閉じた。「子どものケンカみたいだな」と心底、そう思った。当局側も議会側も原点に戻って、出直すべきではないのか―。当局側は“上田私案”を白紙撤回し、議会側にはまさに「未来の図書館」を目指した独自の対案を示し、市民ぐるみの「図書館」論争を巻き起こしてほしいものだと切に願いたい。どっちもどっちだ。いい加減にして、目を覚まさんか!?

 

 ところで、もう一方のご本尊はと言えば一…。前日(18日)の日曜日、大迫町で行われた絵画・作文コンク-ルの応募作品(「21世紀への提言」)などを収めたタイムカプセルの開封式で、上田東一市長はこう述べた。「25年前の人たちの夢、提言を確認し、それを踏まえて大迫のまちづくりに取り組みたい」―。1995年、当時の児童生徒らがふるさとへの思いや希望を表現した作品253点が四半世紀ぶりに掘り出されたが、図書館も未来への夢を託すタイムカプセルのようなものである。しかし、この夢を話し合うべく開催されたこの日の議会特別委の場に、特段の用務がないにもかかわらず、当の上田市長の姿はなかった。

 

 

 

 

 

(写真は神妙な表情で答弁する「ジキル&ハイド」氏こと長井副市長、その右は藤原忠雅副市長=10月19日午前、花巻市議会委員会室で)

 

号外―図書館立地について、代替案…当局側が方針変更か!?いや、どうも そうではないらしい!

  • 号外―図書館立地について、代替案…当局側が方針変更か!?いや、どうも そうではないらしい!

 

 「突然起こる事変や大事件。青く晴れわたった空に突然、雷が鳴り響くことから」―。「青天の霹靂(へきれき)」について、広辞苑はこう説明している。上田(東一)“強権”市政がいつの間にか、“霹靂”市政というもうひとつの仮面をかぶっていたことが明らかになった。「賃貸住宅付き図書館の駅前立地」という、いわゆる“上田私案”を「最善」としてきた新花巻図書館について、当局側は15日に開かれた市議会議員説明会で改めて5か所(パターンとしては7通り)を立地候補地として提示した。

 

 このうち、旧総合花巻病院跡地など3か所が市役所に隣接した「まなび学園」(生涯学園都市会館)周辺地区で、元女学校を改修したこの施設は現在、シニアのサ-クル活動などに利用されている。当局側はこの日の説明で、この一帯に図書館を立地する場合は周辺道路の改良工事や既存の体育館の撤去などが必要となり、「オ-プンは早くて6年後の令和8年4月、場合によっては令和10年にずれ込む」という見通しを明らかにした。さらに「仮に」という前提付きで、将来、市役所庁舎をこの場所に移転した場合の見取り図も資料として示した。新市役所は5階建てが想定されており、床板面積は全体で1万5千平方メ-トルになるという具体的な数字まで挙げた。

 

 市庁舎の移転計画についてはこれまでも複数の議員が当局側の見解をただしてきたが、「長寿命化を図りながら、現庁舎を維持したい」という答弁を繰り返し、移転・新築計画については一切、言及してこなかった。ところが、この日突然「上田イカズチの神」の雷鳴がとどろいたと思った瞬間、頭上から“市役所”が舞い降りてきたという次第である。スポ-ツ界に「フェイント」という用語がある。タイミングをはずすなど相手の意表をつく見せかけの動作や攻撃を指す。結局は他候補地の「ダメ出し」を続け、「やっぱり、駅前立地しかない」という着地点にたどり着きたいという算段がミエミエ。

 

 当局側はこの日のうちに、議員説明会での膨大な説明資料を一挙にHPにアップしたが、このこと自体が異例のことである。さらに、市役所の”移転の件”については、取ってつけたように「あくまでも、規模感をとらえるための、土地利用方法の 一案であり、このような構想があるものではありません」と注釈しているが、逆にネガの裏側が透けて見えるようではないか。世間ではこのことを「藪(やぶ)をつついて蛇を出す」(藪蛇)という。余計なことをして状況を悪くする、しなくてもよいことをして危難に遭うことなどを意味する。そういえば、「藪から棒」という似たような言い方もあったなぁ。“ご飯論法”だけではなく、こんな奥の手もあったというわけである!?イヤハヤ、油断も隙(すき)もあったもんじゃない。

 

 

 

(写真は「これが最善」として、今年1月末に示された「駅前立地」の図面=JR花巻駅前のJR所有のタケダスポ-ツ店跡に建設される予定になっている)

 

号外―ルポ「としょかんワ-クショップ」その4…ソデ(?)にされたWS!、“市民参画”って、な~に?

  • 号外―ルポ「としょかんワ-クショップ」その4…ソデ(?)にされたWS!、“市民参画”って、な~に?

 

 「図書館は民主主義の学校。今やっていること(ワ-クショップ=WS)はまさにそのもの。今度は皆さんから出されたアイデア(理念)を具体的に計画に落とし込んでいく段階。コロナ禍の時代、どういう図書館を実現し、維持していくのか。人との身体的な距離を保つという点では、従来の1・25倍の広さの図書館を視野に入れる必要がある。皆さんの期待に応えたい」―。市主催の「としょかんワ-クショップ」にアドバイザ-として参加している富士大学の早川光彦教授(図書館学)の時宜を得た適切な助言に意を強くしてきたが、10月1日発行の「広報はなまき」を見て、びっくりした。市民参画の対象から肝心なこのWSが外されているではないか。

 

 広報によると、新花巻図書館整備基本計画に関する市民参画は、同基本計画素案が策定されることを前提として実施される―として「花巻市立図書館協議会での審議」(令和3年2月と4月の2回)、市民から広く意見を募る「パブリックコメント」(同年2月いっぱい)、「市民説明会」(同年2月から3月にかけて、市内4か所)の三つの方法で行われることになっている。他方、WSは7月25日の20代・高校生対象(計2回)を皮切りに始まり、現在は私など公募委員12人を含めた一般対象(8月23日から10月25日までの計5回)の部がこの日で4回まで終了した。あとは最終10月25日のテ-マ「レイアウト」(ハ-ド面)を残すだけになっている。

 

 一方、まちづくりの“憲法”とも呼ばれる「花巻市まちづくり基本条例」(平成20年3月19日)は「市政への参画」について、こう規定している。「市の執行機関は、まちづくりに関する重要な計画の策定及び変更並びに条例等の制定改廃に当たっては、市民が自らの意思で参画できる方法を用いて、市民が意見表明する機会を保障する」(第12条)。また参画の方法としては「意向調査」、「パブリックコメント」、住民説明会や公聴会などの「意見交換会」、「ワ-クショップ」、「審議会その他の付属機関における委員の公募」(第13条)などを挙げている。さらに「市政への市民参画ガイドライン」(平成21年8月、市長答申)は、市民参画が必要な施策として具体的にこう記している。「公共の用(たとえば、体育館、運動公園、図書館)に供される重要な施設の建設計画の策定または変更」―

 

 ところがである。今回の市民参画スケジュ-ルによると、基本計画の素案づくりはまるで“見切り発車”みたいに、WSの終了を待たないまま10月からスタ-トすることになっている。「先が決まっているから…」というのなら、手前勝手な言い分である。この点については、まちづくり基本条例で設置が義務付けられている「市民参画・協働推進委員会」(8月24日開催、佐藤良介委員長ら15人)でも複数の委員からこんな異論が相次いだ。「ワ-クショップを市民参画の方法の中に、図書館であるならば余計入れるべきだと思う」(会議録から)―

 

 これに対して、市側の担当者は苦し紛れにこう答弁した。よ~く、吟味して読んでいただきたい。まるで意味不明な文章である。これを称して、いま永田町界隈で流行(はや)っている“ご飯論法”というのであろう。つまりは質問に真正面から答えず、論点をずらして逃げるという論法である。スケジュ-ルによると、基本計画の策定・決定は来年4月中となっている。あと先が逆だから、こんな「ウソも方便」を口にせざるを得なくなろうというものである。

 

 「確かに、市の市民参画ガイドラインの中では、ワ-クショップがひとつの手法として挙げられておりますので、市民参画の方法に入れるべきだということは、そのとおりだろうと思っております。しかしながら、図書館整備の基本計画をたてるために、まずは素案をつくらなければならないところ、まだ素案ができていないという状況にありますので、その素案ができた段階で、市民参画のガイドラインに則った市民参画を行おうと考えております。したがいまして、今、ワ-クショップをして意見を集約しながら、計画の素案をつくるという動きをしているところになります。ワ-クショップで出てきた意見すべてとはならないかと思いますが、十分に計画の中に入れ込んで、素案をつくっていきたいというものになります」(会議録から)

 

 「新花巻図書館整備基本計画につきましては、素案ができてから市民参画ガイドラインに沿った市民参画を実施していきたいという計画で今回、お諮(はか)りしております。この手法については、市民参画ガイドラインにございますので、素案ができる前のワ-クショップを市民参画計画の中に盛り込んで行う場合も考えられますが、今回につきましては、先ほどご説明した(生涯学習部)担当課の考え方で、今回、お諮りしたところでございます」(同上)

 

 「痛くもないハラ」を探られるのが不本意なら、(パンを食べたにもかかわらず)「ご飯(米)は食べていない」(ご飯論法)などという詭弁(きべん)は止めた方がよろしい。一連の「としょかんワ-クショップ」には高校生から私みたいな老残の身まで世代を超えた顔ぶれが一堂に会している。それはそれは奇想天外かつ自由奔放な「図書館」論議が続けられており、アイデア満載。“箱もの”行政の見本みたいな「賃貸住宅付き図書館」(いわゆる“上田私案”)にはとても収まりそうにはない。ましてや早川教授がいみじくも指摘するように、強権的な「上田流」がコロナ禍のこの期(ご)に及んでもなお、通用するものなのかどうか。逆にだからこそ、かつてない規模のWSを目論(もくろ)み、安倍晋三前首相よろしく“やってる感”(既成事実化)を演出するしかないのであろう。口の悪い向きはこのテの手法を「アリバイづくり」などと揶揄(やゆ)する。

 

 今回の一連の“図書館戦争”の発端になった、私が「幻(まぼろし)」と名づけるもうひとつの図書館構想がある。今年1月末、まるで青天の霹靂(へきれき)のように当局側から示された「新花巻図書館複合施設整備事業構想」(前記“上田私案”)である。どうしたわけか「最善の案」と位置付けるその構想は市のHPのどこを探しても見つからない。私はこの日、「WSの図書館論議には欠かせない重要な資料。最終回(10月25日)までに全員に事前配布してほしい」と要求、市川清志・生涯学習部長も渋々ながら了解した。さァ~て、どうする!?“裸の王様”ぶりを遺憾なく発揮して、得意技の強行突破と来るのか。それとも……。「新花巻図書館」の行方からますます、目が離せなくなってきた。

 

 

 

(写真は世代を超えた市民が図書館の夢を語り合った。こんな大規模なWSは過去に例はない=10月11日、花巻市葛の市交流会館で)

 

 

 

《追記ー1》~“ご飯論法”

 

 「除外をしたのではない。今回、任命した方を任命させていただいた」、「結果として任命されない形で残った。残したのではない」―。日本学術会議の推薦候補者の“任命拒否”問題での加藤勝信・官房長官の発言(10月9日付「岩手日報」)。この論法の名手とも言われるご仁が国の広告塔の官房長官とはなにおかいわんや…。「イーハトーブ」の足元で、”ご飯論法”のまねごとをやりたいのなら、加藤御大のように堂々と木で鼻を括(くく)る覚悟を示してほしいものである。

 

 

《追記ー2》~花巻城址(新興製作所跡地)に新図書館を!?

 

 第4回WSで、私は新花巻図書館の立地場所として「花巻城址」(新興跡地)を候補地に挙げた。市の中心部に位置するこの場所は上田市政になってから譲渡問題が持ち上がったが、「利用目的が決まっていない」として、買取を拒否した経緯がある。その後、一帯は土地ころがしを業(ぎょう)とする不動産業者の手にわたり、今はがれきの荒野と化している。高台の「東公園」は桜の名所として知られ、花巻開町に尽くした先人の名前を刻した「鶴陰碑」や音楽堂などもあった。宮沢賢治の作品にも登場する由緒ある土地で、この地こそ「イーハートーブ図書館」の最適地だという思いである(意見交換の場での写真はコメント欄を参照)。なお、地元の賢治研究家、鈴木守さんは自身のブログ「みちのくの山野草」(2016年11月1日付)にかつての東公園の賑わいを伝えるある女性のエピソードを紹介している。

 

 「桜の季節まるまる一カ月はお花見ですごく賑やかでした。坂を上って公園に入ってすぐの照井団子屋さんが大繁盛で、料理屋では御座敷や縁側で芸者さんのお相手でのんびり優雅にやっていました。大きな音楽堂があって、木造で床が高く、柱と屋根はありましたが後ろ以外の壁はなかったと思います。観客は前の草地に座って見たものです。あれが残っていれば音楽好きの今の若い人たちは喜ぶでしょうね」

 

 

《追記―3》~東公園と賢治と啄木と

 

 「城址(しろあと)の/あれ草に臥(ね)てこゝろむなし/のこぎりの音風にまじり来(く)」―。宮沢賢治はこんな短歌を残している。この「城址」は東公園を指し、岩手県立大学名誉教授で、地理学者の米津文夫さんによると、石川啄木の有名な歌「不来方のお城の草に寝ころびて…」のオマ-ジュ作品ではないかという。

 

 

《追記―4》~鶴陰碑と上田弥四郎

 

 かつて、東公園にあった鶴陰碑は現在、市博物館に移設・展示されているが、この中に「上田弥四郎」(1768―1840年)という名前が刻まれている。説明文にはこうある。「花巻城の大改修工事(1809年=文化6年)の際に陣頭指揮をとり、『造作文士』とも呼ばれた。儒者としても知られる」。上田東一市長の先祖に当たる人物である。背丈ほどの雑草が生い茂る廃墟はまさに、芭蕉のあの句を思い出させる。「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」―。ご先祖の無念が思いやられる。

 

 

 

 

 

 

忙中閑―聴く図書館…「その男は、レコ-ドを演奏する」

  • 忙中閑―聴く図書館…「その男は、レコ-ドを演奏する」

 

 「“図書館騒動”に疲れた頭を癒そうと出かけた先がまた、図書館だった」―。最初からオチ(落ち)みたいな書き出しだが、ジャズの聖地としてつとに知られる「ジャズ喫茶 ベイシ-」(岩手県一関市)を舞台にした映画「JAZZ KISSA BASIE/Swiftyの譚詩(Ballad)」(星野哲也監督、9月18日公開)は、オ-ナ-の菅原正二さん(78)の“ジャズな生きざま”をあぶり出したドキュメンタリ-である。店名はいうまでもなく、あのビッグバンドを率いた故カウント・ベイシ-に由来する。冒頭の字幕に「聴く図書館」という文字が映し出された。「レコ-ドを演奏する」その人はまぎれもなく、「音」の図書館長でもあることに得心した。

 

 菅原さんは早稲田大学在学中、プロ顔負けの「ハイソサエティ-・オ-ケストラ」のバンドマスタ-やドラマ-として活躍。「全国大学対抗バンド合戦」(TBSラジオ主催)では3年連続の全国優勝に導いた。1967年にはビッグバンドとしては日本初の米国ツア-を敢行。「チャ-リ-石黒と東京パンチョス」のドラマ-を務めた後、50年前に郷里に戻り、自宅の土蔵を改築して「ベイシ-」をオ-プンした。「すべての不具合は接点を疑え」―。オリジナルのレコ-ド針を開発するなど、オ-ディオシステムを自在に操る“音の魔術師”の名前は全世界にとどろいた。

 

 サックス奏者の渡辺貞夫や坂田明など日本のジャズ界をけん引するミュ-ジシャンだけではなく、米国のドラム奏者、エルヴィン・ジョ-ンズ(故人)や在日韓国人3世のケイコ・リ-、フィリピン出身のマリ-ンなど女性歌手を含むライブのメッカとしても知られる。「カウント・ベイシ-・オ-ケストラ」は日本公演の際、ここでリハ-サルをした後で本番に臨むというエピソ-ドは有名な語り草である。「ジャズというジャンルはない。ジャズな人がいるだけだ」という菅原さんの“呪文”に魅せられた有名人は音楽家に止まらない。タモリや永六輔(故人)、立川談志(同)、落語家の春風亭小朝、指揮者の小澤征爾、女優の鈴木京香、建築家の安藤忠雄…。「毎日、ベイシ-の音を聴きたい」―。『麻雀放浪記』で知られる直木賞作家、色川武大(ペンネ-ム、阿佐田哲也)は同地に居を移した10日後、心臓が破裂して他界した。享年60歳。永さんの著書『大往生』を地で行くような、まるで”ジャズ葬”みたいな見事な「死に際」ではないか。

 

 朝日新聞岩手県版に「Swiftyの物には限度、風呂には温度」と題する長期連載の人気コラムがある。「Swift」とは迅速とか素早いなどを意味する英語。このニックネ-ムの名付け親はカウント・ベイシ-で、菅原さんの行動力に感嘆し、語尾に「y」を付けて贈ったという秘話が伝えられている。10年以上前、Swiftyこと菅原さんはコラムの中にこう書いている。「物事にはおのずと『着地点』というものがはじめから決まっており、その『場所』が見えておれば無駄に右往左往する必要はないのだ、ということを、ぼくはカウント・ベイシ-から無言で教わった」(2008年10月25日付)。コラムの愛読者である私は「この人は譜面の上に文字を書き連ねているのではないか」とさえ思う。文章が実にリズミカルなのである。とてもじゃないが、かなわない。

 

 「聴く図書館」に集う華々しい人名録を見ていると、図書館とはまさに“出会いの場”であるという実感に襲われる。ところで、「Swifty」には策略とか計略、ペテンなどという含意もあるらしい。だれかれの区別なく、「音の迷宮」へと誘(いざな)う手口はまさにこの言葉にふさわしいではないか。「(宮沢)賢治とはあなたにとって、どんな存在か」と問われるたびに、私はこう答えることにしている。「稀代(きだい)の詐欺師ではないか」―と。時空を超えて、銀河宇宙へと導いてくれるその心地よさに感謝したい気持ちからである。賢治が”夢の国”と名づけた「イ-ハト-ブ図書館」の実現を望むのは、こうしたSwifty流によだれが出るほどの憧れがあるからでもある。

 

 ビリ-・ホリデイ、サラ・ヴォ-ン…。「ベイシ-」の客席の椅子には往年の名歌手の名前が刻まれたブロンズ色のプレ-トがはめ込まれている。そこに身を委ねていると、たとえば「奇妙な果実」を歌うビリ-がす~っと、目の前に立ち現れてくる。スクリーンではSwiftyが何やら、ボソボソとしゃべっている。「ジャズは滝の流れみたいにうるさいだけじゃないかという奴がいるが、その滝を突き抜けると、向こう側には静寂があるんだよな」―。そう、図書館と名のつく「空間」のそのさらに先には茫洋(ぼうよう)とした静寂がどこまでも広がっているのではないのか、とそんな気がする。「音には命があった」という字幕を残して、映画は幕を下ろした。

 

 

 

 

(写真はジャズ喫茶「ベイシ-」を丸ごと描いた映画のポスタ-=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

号外―図書館とホ-ムレス…映画「パブリック」からのメッセージ

  • 号外―図書館とホ-ムレス…映画「パブリック」からのメッセージ

 

 「I can see clearly now the rain is gone(雨が止んだいま、視界は良好さ)/I can see all obstacles in my way(俺に立ちはだかるものが全部見えるよ)」―。素っ裸の男たちが大声で歌いながら、警察の護送車に向かって歩むラストシ-ンにぐっときた。映画「パブリック」(エミリオ・エステベス監督、2018年)は大寒波の中、図書館を占拠した黒人ホ-ムレスたちの奇想天外な姿を描いた米国映画で、サブタイトルは「図書館の奇跡」。コロナウイルスの脅威と未曾有の自然災害にさらされる現代社会にとって、「図書館の役割とは何か」―を根底から考え直すきっかけが与えられる作品である。

 

 「今夜は帰らない。ここを占拠する」―。米オハイオ州シンシナティの公共図書館を根城にしているホ-ムレスのリ-ダ-が突然、エステベス監督自身が扮する図書館員のスチュア-トにこう告げたことから、上を下への“騒動”へと発展する。そのころ、シンシナティはまれに見る寒波に見舞われ、行政が用意した緊急用シェルタ-からあぶれたホ-ムレスが路上で凍死するという悲劇が続出。「Make some noise」(声を上げろ)という呼びかけに約70人の仲間たちが立ち上がった。「voice」(声)ではなく、「noise」(雑音)である。集団の怒りがそこにはある。

 

 「図書館のル-ルを守るべきか、ホ-ムレスの人権を優先させるべきか」―。難しい決断を迫られたスチュア-トには実は薬物中毒や万引きなどの前科があり、自身も路上生活を経験したことがあったが、どん底の彼を救ったのは「本との出会い」だった。図書館の外では市警察や次期市長選に出馬予定の検察官、それにスチュア-トの前科を暴き立て、「占拠はこの男がそそのかした」などとセンセ-ショナルをあおり続けるテレビ中継など騒然とした雰囲気になっていた。混乱の中でインタビュ-に応じ、ホ-ムレスの窮状を訴えたスチア-トが口にしたのは意外にも、ジョン・スタイベックの小説『怒りの葡萄』の一節だった。「ここには告発しても足りぬ罪がある。ここには涙では表しきれぬ悲しみがある」……

 

 「彼らは臭いから…」―。東日本に甚大な被害をもたらした台風19号が接近していた昨年10月、東京・台東区の自主避難所で、ホ-ムレスが区職員によって受け入れを拒否されるという出来事があった。実はこの映画の中でも“体臭”を理由に入館を拒否されたホ-ムレスが裁判を起こし、図書館側が敗訴するというエピソ-ドが紹介されている。ホ-ムレスに対するこうした“排外主義”は内外を問わない。たとえば、花巻市主催の20代・高校生対象の「としょかんワ-クショップ」(8月8日)で、ある高校生は「変な人が来ない」図書館が欲しいという意見を述べている。視野の向う側に無意識のうちに「ホ-ムレス」の姿を見ていたのかもしれない。

 

 その片言隻句(へんげんせっく)をあげつらうつもりは毛頭ない。そうではなく、「新花巻図書館」問題に揺れる今こそ、私たち市民はこの映画の問いかけにきちんと、耳を傾けるべきではないのか。恐ろしいのはこのような無意識の“意識”である…。そんなことをつらつら考えていると、画面ではテレビ中継で事態を知った市民たちが次々と洋服や食べ物などの救援物資を手に図書館前に集結していた。図書館がまるでライフラインの拠点と化している。この逆転の光景に胸が熱くなった。

 

 冒頭の歌はジャマイカ出身のレゲエ歌手、ジミ-・クリフ(72歳)が1993年にリリ-スしたヒット曲「I can see clearly now」である。スチュア-トの勇気に背中を押されるように図書館長が号令をかける。「図書館はこの国の民主主義の最後の砦だ。戦場にさせてたまるか」―。自ら進んで連行されるホ-ムレスの集団は続けてこう歌う。「Gone are the dark clouds /that had me blind」(空をさえぎっていた雲が流れていった/まぶしいくらい明るい一日になる)……。黒人に対する警察側の残虐行為に抗議して始まった「B・L・M」(Black・Lives・Matter=黒人の命も大事)運動の光景が交錯した。“道徳上の任務”という言葉を使って、エステベス監督は映画製作の動機をこう語っている。

 

 「アルコ-ル依存症や麻薬中毒がこの国の図書館を利用するホ-ムレスたちをひどく悩ましている現状を受けて、『ニ-バ-の祈り』も必ずバナ-(画像)に取り入れようと思った。図書館員は事実上のソ-シャルワ-カ-であり、救急隊員だ。オピオイド(鎮痛剤)過剰使用時の救命薬の取り扱い訓練を図書館員が受けるケ-スも珍しくない」(パンフレットから)

 

 

  「公立」ではなく、「公共」という訳語がぴったりのこの映画は、まるで現下のコロナ禍を予見したメタファ(暗喩)のような気さえする。”奇跡”を呼び起こす存在としての図書館の可能性を私たちは今一度、論じなければならない。スチュアートが読み上げたスタインベックの代表作は世界中のどこの図書館にも常備されている蔵書である。私はそのことの意味にこだわり続けたいと思っている。図書館とは歴史を語り継ぐ「ストレージ」(記憶装置)でもある、と……

 

 

 

 

 

(写真は映画「パブリック」の一場面=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《注》~「ニ-バ-の祈り」

 

 アメリカの神学者、ラインホルド・ニ-バ-(1892―1971年)が作者であるとされる。当初、無題だった祈りの言葉の通称。Serenityの日本語の訳語から「平静の祈り」「静穏の祈り」とも呼称される。この祈りは、アルコ-ル依存症克服のための組織「アルコホ-リクス・アノニマス」や薬物依存症神経症の克服を支援するプログラム12ステップのプログラムによって採用され、広く知られるようになった(ウキペディアより)