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第2回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

  • 第2回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

 

 「図書館のあり方をみんなで考えよう」―。「新花巻図書館―まるごと市民会議」主催の第2回「図書館と私」オンライン講演会が今月24日に開かれる。講師は当会発起人のひとり絵本専門士の牧野幹さんで、演題は「本からのおくりもの」。15日発行の広報「はなまき」の伝言板でも告知する。多くの皆さまの参加をお待ちします。

 

 

「新花巻図書館―まるごと市民会議」設立趣意書

 

 「図書館って、な~に」―。コロナ禍の今年、宮沢賢治のふるさと「イーハトーブはなまき」では熱い“図書館”論議が交わされました。きっかけは1月末に突然、当局側から示された「住宅付き図書館」の駅前立地(新花巻図書館複合施設整備事業構想)という政策提言でした。多くの市民にとってはまさに寝耳に水、にわかにはそのイメージさえ描くことができませんでした。やがて、議会内に「新花巻図書館整備特別委員会」が設置され、市民の間でもこの問題の重要性が認識されるようになりました。「行政に任せっぱなしだった私たちの側にも責任があるのではないか」という反省もそこにはありました。

 

 一方、当局側は「としょかんワークショップ」(WS)を企画し、計7回のWSには高校生から高齢者まで世代を超えた市民が集い、「夢の図書館」を語り合いました。「図書館こそが誰にでも開かれた空間ではないのか」という共通の認識がそこから生まれました。そして、その思いは「自分たちで自分たちの図書館を実現しようではないか」という大きな声に結集しました。

 

 そうした声を今後に生かそうと、WSに参加した有志らを中心に「おらが図書館」を目指した“まるごと市民会議”の結成を呼びかけることにしました。みんなでワイワイ、図書館を語り合おうではありませんか。多くの市民の皆さまの賛同を得ることができれば幸いです。     

2020年10月25日 

 呼びかけ人代表  菊池 賞(ほまれ)

「富太郎」の佐川と「賢治」の花巻…首長の“通信簿”の雲泥の差!?

  • 「富太郎」の佐川と「賢治」の花巻…首長の“通信簿”の雲泥の差!?

 

 「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎を生んだ高知県佐川町と、世界的な童話作家で詩人でもある宮沢賢治のふるさと「イ-ハト-ブ」…天と地とをひっくり返したような光景の逆転に正直、目ん玉が飛び出るような思いになった。首長の政治姿勢(理念)次第で、まちの姿がこうも違ってしまうものなのか―。さ~て、今回の登場人物は堀見和道・佐川町長と片やわが上田東一・花巻市長である。ともに最高学府(東大)を卒業後、民間企業を経て首長になった。堀見町長は平成25(2013)年10月に初当選し、上田市長はそのわずか4ケ月後に市長に就任。現在2期目の両首長の“通信簿”をこっそり、のぞいてみると…。

 

 上田市長が国の優遇制度が得られやすい「立地適正化計画」に市政運営の基盤を据えたのに対し、堀見町長は「市民参加」型のまちづくりを目指しているのが特徴。市街地活性化や定住促進に力点を置く上田市政は昨年、住宅付き「図書館」の駅前立地という構想を打ち出し、大方の市民の反対にあって、撤回の止むなきに至った。これに対し、堀見町政を象徴するのが「みんなでつくる総合計画」(第5次佐川町総合計画、2016年策定)。巻末には計画づくりに参加した353人の発言が並んでいる。「自分が発言したひと言が、全体の計画のなかに具体的に載っていると、その発言をした人はうれしいですよね。一つひとつを実践するときには、発言した人は必ず参加してくれます」―。こう語る堀見町長は就任と同時に「衆人環視」の下で仕事がしたいと、執務机を役場1階のオ-プンスペ-スに置いている。

 

 「新花巻図書館―まるごと市民会議」が今回、定期購読を始めた図書館専門季刊誌「LRG」(ライブラリ-・リソ-ス・ガイド)の最新号(2020年秋号=第33号)は「みんなにとっての図書館」をテ-マにした特集。そのひとつに「『みんなでつくる総合計画』の実践から」と題する堀見町長へのインタビュ-記事が掲載されている。この計画は2016年度のグッドデザイン賞(公益財団法人日本デザイン振興会)を受賞。その理由について、こう述べている。

 

 「地方自治体が長期的なまちづくりの方針や将来像、その実現の手段などを総合的、体系的に示す『総合計画』は、10年間のまちづくりの大事な指針であるにもかからず、どの地域も似た内容のものが多く、その地域に住まう住民や、行政職員に、積極的には読まれない、活用されないという課題がありました。平成26年度より、高知県佐川町では『みんなでつくる総合計画』プロジェクトと称し、町長、役場職員、地域住民が手を取り合って、町の魅力を再発掘し、10年後の佐川町について議論を重ね、みんなが一丸となって誇りに思える総合計画づくりに取り組んできました。住民一人ひとり、『みんなが主役』の新しいまちづくりプロジェクトです」―

 

 一方、堀見町長はコロナ禍での将来のまちづくりについて、上掲対談の中でこんな抱負を語っている。「これから、いちばん実現したいことは、『植物のまち佐川』を、ウィズコロナやポストコロナ時代のまちづくりの一つのモデルとして、世界へ発信したいと思っています。牧野博士は、植物を育てることで思いやりの心を育むことができると教えてくれていますし、『憂欝(ゆううつ)は花を忘れし病気なり』という素敵な句を詠んでいます。花を愛で、思いやりあふれるまちであることを、子どもから大人までみんなが誇りに思って自慢し合えるような、そんなまちにしたいと思っています。それが、大きな夢ですね。そうなったら、世界一幸せなまちになると思っています」―

 

 「市民パワーをひとつに歴史と文化で拓(ひら)く/笑顔の花咲く温(あった)か都市(まち)/ イーハトーブはなまき」―。上田”強権”(パワハラ)市政の下で、このまちの将来都市像が泣いている。

 

 

インタビュ-記事には“目からうろこ”の堀見語録が満載。以下にそのいくつかを紹介したい。“通信簿”の評定は市職員や市民の皆さんにお任せすることに…

 

 

●選挙のときに掲げたスロ-ガンは、「みんなで創造(つく)ろう!チ-ムさかわ」でした。でも、「みんなで総合計画をつくる」というだけでは、得票にはつながらないですよね。一般的には、「〇〇を無料にします」というような直接的な言葉のほうが票を集められると言われています。そういった公約にもよいものもあると思いますが、本質的な改革にはならないと思ったので…

 

●「みんなで」と言うときに、とても気をつけていることがあります。意識しているのは、「こうしなければならない」とか「こうすべきだ」という言葉を使わないことです。総合計画のなかで25のアクションを挙げていますが、それは「どれか一つでもやってみませんか」というメッセ-ジなのです。トップダウンだと、仕事もやらされる感が強く、面白くなくなってしまいます。

 

●佐川町だけではないと思うのですが、行政は計画をつくることが目的になってしまっている場合が多いです。「計画ができました」「概要を配りました」で一段落してしまうのです。帰ってくるまえに佐川町の第4次総合計画も読んだのですが、計画の内容はすごくよいなと思いました。特に、「フアシリテ-タ-を育てていく」と具体的なことが書いてあり、なかなか前向きだと感じました。でも「フアシリテ-タ-は何人いるの?」と聞くと、「いや、やれていません」と答えが返ってくる。

 

●(「チ-ムさかわ」に)職員は、最初はとまどったと思います。できるだけ横断的に関わってほしかったので、仕事も増えました。チ-ム力を高めるために、最初の頃に2回合宿をしました。考えをまとめるときやアイデアを深めていくときには、結東力を高めるためにも1泊2日の合宿をするのがよいのです。職員に対しては、できるだけ怒らない、命令をしない、上からやれと言わないことを意識しています。職員は税金で給与をもらっているわけですから、町民のために公のために働くことがベ-スになければなりませんので、そうしたことを、ときには厳しく伝えながら、できるだけ職員とベクトルを合わせるように配慮しながらやっているつもりです。

 

 

●(「地域しあわせ風土スコア」というアイデア政策について)私は、町長や役所は、一生懸命仕事をしてマネジメントを続けていくことで、より町民が幸せになることだと思っているのですが、10年前よりも幸せになったかどうかは測りにくいと思っていました。お金とか名誉とかではなく、心の幸せとして「ほっとする」「あなたらしく」「なんとかなる」「ありがとう」「やってみよう」という5つの気持ちと、それを後押しする価値観や土壌があるかで地域の人の幸せを測るという考えは、すごく画期的なことだったと思っています。

 

 

 

(写真は牧野博士から贈られたソメイヨシノが咲き誇る「牧野公園」。日本の桜名所100選のひとつ。同じ“花”巻も負けてはいられない=高知県佐川町で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

「老老」日記…コロナ禍の老人コミュニティ-

  • 「老老」日記…コロナ禍の老人コミュニティ-

 

 「女房に先立たれた男やもめは、かなりの確率で1年以内に死ぬらしい」―。それなりのエビデンス(証拠)に裏打ちされたこの“法則”を辛うじて乗り越えたのもつかの間、3回忌の昨年に襲いかかったコロナ禍についに、降参。昨年8月、花巻市郊外の3食付き老人向け施設に仕事場の拠点を移した。2021年1月1日現在の入所者は定員30人に対し、10人(女性7人、男性3人)。平均年齢はざっと80歳前後か。

 

 さ~て、唯我独尊(ゆいがどくそん)を押し通してきた男が、老人コミュニティ-での集団生活に適応できるのかどうか。果たせるかな、コロナ鬱に加えて、集団鬱の追い打ちにグロッキ-気味。そんな矢先、昨年暮れに入所した2人の女性に救われた気持ちになった。この出会いをコミュニケーションのきっかけにできれば…。そんな思いで殊勝にも以下(要旨)のような“所信”を職員や入所者の皆さんに配った。プライバシ-を侵害しない範囲内で折に触れ、コロナ禍の老人コミュニティ-の悲喜こもごもをお伝えしていきたい。

 

 

 私たちはいま、「コロナパンデミック」という人類がかつて経験したことのない困難な時代を生きざるを得ない宿命を背負わされてしまいました。その最大の損失は人と人をつなぐ従来のコミュニケ-ション手段が奪われたことです。いまではまさに忌み嫌われる言葉(“濃厚接触”)になってしまいましたが、実は「人」を人たらしめるものこそが、お互いの肌が触れ合う存在感だったと思います。これがかなわなくなったいま、私たちは新しい方法を模索しなければなりません。

 

 この施設に最近、歩行器を必要とする方や耳の不自由な方が入所されました。私はとっさに宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節―「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ…」というあの有名な詩句を思い出しました。次の瞬間、賢治の「行ッテ」(Go To)精神そのものがいままさに感染防止の上で「NG」扱いになってしまったことにハタと気づかされました。でも、賢治が言いたかったことは「寄り添う」ことの大切だと思い直しました。歩行器をそっと、押してあげました。なにか、フ~っと吹っ切れる思いがしました。筆談用のボ-ドに名前を書くと、その人は目を真っすぐに向けて微笑んでくれました。「これでいいんだ」と思いました。

 

 私たちは同じ屋根の下で寝食をともにする大家族です。みなさん、長い人生を生き抜いてきた達人たちです。職員のみなさんたちと一緒にどこにも負けない「新しい生活様式」をこの場で築き上げようではありませんか。運命共同体といったら、大げさになりますが、コロナ時代を生きるマニュアルはどこにもありません。お互いに知恵を出し合い、叡智(えいち)を結集して手探りで進むしかないと思います。焦らずに少しずつ、お互いの人生の歩みを語り合いながら、イ-ハト-ブ(賢治の理想郷)への第一歩を踏み出そうではありませんか。

 

 あの銀河宇宙から満天の星が降り注いでいます。なんという幸せでしょう。私はこの地こそが「イ-ハト-ブ」にふさわしいのではないかと内心、誇らしく思っています。

 

 

 

(写真は新春の老人コミュニティ-のとある光景=2021年1月4日、花巻市内で)

 

 

 

謹賀新年…「人間の土地」へ

  • 謹賀新年…「人間の土地」へ

 

 明けましておめでとうございます。

 

 コロナ感染者が過去最多の4520人を記録して越年した新しい年。読書事始めは『人間の土地へ』。沖縄・石垣島に住む娘が「最近読んで面白かった、考えさせられた本でした」と送ってくれた。登山家でフォトグラファ-の著者、小松由佳さん(38)は秋田出身。2006年、エベレストに次ぐ世界第二の高峰・K2(カラコラム山脈=8611㍍)へ、日本人女性として世界で初めて登頂に成功。東京郊外の知的障がい者施設や若者の自立支援に携わり、2012年にシリア人男性と結婚。

 

 冒険家の角幡唯介さんは「小松さんが山を下りてから、どういう生き方をしているのか気になっていた。混迷のシリアで人間の生の条件を見つづけた彼女の記録は、とても貴重だ」と評している。そして、漫画家のヤマザキマリさんはこう書く。「登山で知った自然界の過酷を、シリアの混乱と向き会うエネルギーに昇華させ、全身全霊で地球を生きる女性の姿がここにある」―。コロナ禍の中で求められるのは、小松さんのように隅々にまで目を凝らす「視点の移動」ではないだろうか。そんなことを予感させる本である。早く、ペ-ジをめくりたい。冒頭にサン・テグジュペリの代表作『人間の土地』(堀口大學訳)の一節か置かれている。

 

 「人間に恐ろしいのは未知の事柄だけだ。だが未知も、それに向かって挑みかかる者にとってはすでに未知ではない、ことに人が未知をかくも聡明な慎重さで観察する場合なおのこと」

 

 そして、小松さんは自らの「人間の土地」について、こう記す。

 

 「ヒマラヤの山々は、私に”命が存在することの無条件の価値”を気づかせてくれた。人間がただ淡々とそこに生きている。その姿こそが尊い。私はその姿を追い求めていこう。シリアの砂漠にあって幸福な日々を生きた人々のなかに。激動の内戦に翻弄され、異国の地に生きようとする人々のなかに。そして、夫ラドワンや、二人の息子たち、私自身のなかに。私は歩き続ける。ヒマラヤから砂漠へ。難民の土地へ。そしてまだ見ぬ、人間の土地へ」(同書最終章「夜の光」より)

 

 

 

 

(写真は次男をおんぶしながら取材を続ける小松さん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

緊急提言―「花巻城址」残酷物語…(私論)旧東公園に新花巻図書館を!?

  • 緊急提言―「花巻城址」残酷物語…(私論)旧東公園に新花巻図書館を!?

 

 「兵どもが夢の跡…」と化した花巻城址(旧新興製作所跡地)の見るも無残な惨状について、7回にわたって経過を振り返ってきた。今年最後となる当ブログではあえて、その地に新花巻図書館を立地すべきだとする“私論”を披露させていただく。今年1月下旬、上田東一市政は「住宅付き」図書館の駅前立地という、まさに青天の霹靂(へきれき)を地で行くような提言を公表した。市民の大方の反対にあい、市当局は当初案の撤回に追い込まれ、私たち市民有志も「新花巻図書館―まるごと市民会議」を結成。「図書館と私」をテ-マにしたオンライン講演を企画するなど図書館のあり方を模索してきた。

 

 「まるごと市民会議」では今後の議論を深めるため、図書館専門誌『季刊 ライブラリ-・リソ-ス・ガイド』(LRG)の定期購読を決めた。最新の第33号は「みんなにとっての図書館」(前編)と題するまるごと特集。編集発行人の岡本真さんは巻頭言にこう書いている。「これはまず私が人生において考えもしないような切り口です。このような特集テ-マが本誌において掲げられることは、雑誌が本来もつべき多様性(ダイパシティ-)の現れでしょう」―。実は私自身、市当局の新図書館構想に違和感を抱くきっかけを作ってくれたのは岡本さんの意表を突く発言だった。コロナ禍が猛威を振るい始めていた7月10日、岡本さんは日経BPのメ-ルマガジン「新公民連携最前戦」の中でこう語っていた。

 

 「1つめは『賑わい・交流を生む図書館』、『場としての図書館』という考え方に基づく図書館振興の課題です。端的に言えば図書館の集客機能がまちづくりの文脈で評価・尊重されてきましたが、新型コロナの感染拡大を防ぐには、図書館においても、むやみに人を集められない、かつ長時間の滞在が好ましくない、さらに交流自体を大規模には行えないということになります。この10年ほど、大きな影響力をもってきた図書館による『賑わい』創出という考え方は、曲がり角に来たと感じています。…今後も発生が予測される新たな感染症の脅威を見込むと、公共施設の計画・整備・運営は一度ゼロベ-スから組み上げ直していく必要があるでしょう」―

 

 「目の前に示された市側の図書館構想はコロナ禍の時代とは相容れない代物ではないのか」―。まったく想定していなかった思考回路の盲点を突かれた思いがした。そんな折、まちの中心部に残骸をさらす旧新興跡地の来し方に思いが重なった。「その地の歴史性とか風土性こそがダイバシティ-を構成する重要な要素ではないのか」と…

 

 由緒ある花巻城の盛衰についてはシリ-ズ「『花巻城址』残酷物語」で触れたので、ここでは繰り返さない。また、わずか100万円で当該地を公共用地として所有するチャンスがあったにも関わらず、そうしなかった上田市政の当初の政策判断を今さらながら言挙(ことあ)げするつもりも毛頭ない。かといって、悪質な不動産業者の手に落ちたことを「運が悪かった」と他人事みたいに言い募る向きに与(くみ)するものでも決してない。私が問題にしたいのは政治の「結果責任」ということについてである。かつて、「東公園」の名前で親しまれた花巻城址(旧新興跡地)の地下部分にカネミ油症の原因物質であるPCB(ポリ塩化ビフェニル)が不法に放置されていることが明るみに出た(12月8日付当ブログ「猛毒『PCB』が所在不明に!?」参照)

 

 「当該PCBは容器に密閉された状態になっており、カネミとは状況が違う。市民に直接被害が及ぶことは考えにくい。当該地を改めて取得し、利活用するためにはざっと14億円以上の経費が見込まれる。“安物買い”(100万円)に手を出さなかった当初の判断はいまも間違っていないと考えている」―。この件について、上田市長は花巻市議会12月定例会で、こう答弁した。「お前が市長なら、どうする?」という声が聞こえてくる。答えはいとも簡単である。

 

 「当該地をただちに市の所有に移し、早急にPCBの危険を除去する。将来の跡地の利活用については広く、市民の意見を募る」―。考えて見れば、余りにも当たり前のことではある。市民の安心・安全の確保こそが首長に課せられた最大の使命だからである。ちなみに以前、当該地が競売に付された際の買入可能価格は9千万余り。また市の試算によると、PCBの除去に要する費用は1千2百万円弱である。選択の余地は他にはあり得ない。皮算用(コストパフォ-マンス=費用対効果)がお好きな上田市長の試算14億円に比べてもわずか14分の1に過ぎない。「イーハトーブ花巻応援寄付金」(ふるさと納税)が昨年同期比の3倍の18億円に達し、今年度は総額30億円の大台にのぼる見通しらしい。どうして、この人はそのほんの一部でもふるさと「イーハトーブ」のシンボルでもある花巻城址の復元に回そうとしないのか。ナゾが深まるばかりである。わけが分からん。

 

 「新花巻図書館整備基本構想」(平成29年8月)は高らかにこううたっている。「本市は、宮沢賢治や萬鉄五郎をはじめとした多くの先人を輩出しています。江戸時代の先人を顕彰した『鶴陰碑』に記された人々は自らの研鑽に精進し、学術文化はもとより、地域や産業の振興と発展、そして後継者の育成に努力を重ねてきました。花巻には歴史的に学びの風土があり、この精神は私たちの次の世代に受け継いでいかなければなりません」―。そう、その通り。まったく、異論はない。

 

 鶴陰碑には花巻のまちづくりに尽くした人士170人の足跡が記され、その中には花巻城の改修事業の指揮をとった上田市長の先祖の名前も録(ろく)されている。そして、賢治はその碑が建っていた旧東公園に寝ころびながら、こう詠んだ。「城址(しろあと)の/あれ草に臥(ね)てこゝろむなし/のこぎりの音まじり来(く)」―。あれから百年以上たった今、その背の下に猛毒が秘匿(ひとく)されているという悪夢…。こんな足元の歴史をさまよっているうちに、私は旧東公園こそが新花巻図書館の立地場所に最もふさわしいという結論に立ち至ったのだった。その思いはもはや、確信に近い気持ちにまで高まっている。かつて、新幹線の新花巻駅誘致の際、子どもたちは貯金箱ごとの寄付を寄せ、”市民力”が集めた募金は約12億円にも上った。「賢治」をまるごと収めた”イーハトーブ”図書館とでもなれば、世界中から善意が殺到すること請け合いであろう。

 

 それにしても、不思議な思考徘徊ではある。これも元をただせば、岡本さんの「コロナ」発言がきっかけだったような気がする。コロナの1年がもうすぐ、終わろうとしている。「私(たち)はなぜ、これほどまでにコロナに翻弄(ほんろう)されたのであろうか。いや、翻弄されなければならなかったのであろうか」―。こんな自問自答はおそらく、新しい年でも繰り返されるのであろう。

 

 月並みながら、みなさん、よいお年を―

 

 

 

(写真は新図書館の立地場所はここしかない、と私が確信する旧東公園のいま。建物は撤去され、コンクリ-トがむき出しのままになっている=花巻市御田屋町で)