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映画「福田村事件」…「いま」を照射する関東大震災と朝鮮人虐殺

  • 映画「福田村事件」…「いま」を照射する関東大震災と朝鮮人虐殺

 

 花巻祭り初日の8日、コロナ禍を経て4年ぶりの全面開催となったお祭り広場の喧騒(けんそう)を避けるようにして、私は宮古市の映画館に向かった。100年前、同じように村祭りを祝ったはずの地方の寒村でなぜ、あのような凄惨な事件が起きたのか。“群集心理”の暴走を描いた映画「福田村事件」(森達也監督、2023年9月1日公開)にその記憶の根っ子を探りたいと思ったのだった。道中、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた海岸沿いの防潮堤が実は災害防止というよりも、巨大な記憶の“忘却装置”のようにさえ見えた。歴史から消された「過去」を知りたいと思う渇望がいや増しに強くなった。

 

 1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東大震災が発生。首都東京を含めた近県で、死者・行方不明者が10万5千人をかぞえる大惨事となった。戒厳令が発令される中、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた。略奪や放火をしている」といった流言飛語(りゅうげんひご)がまたたく間に広がった。監督官庁の内務省(当時)も暗にこのことを認め、マスコミもこのデマ情報をいっせいに垂れ流しした。民間人で組織された「自警団」などによって殺害された朝鮮人は最大で6千人に達するというデ-タもある。

 

 「福田村事件」は大震災発生の5日後の9月6日、首都圏から約30キロ離れた千葉県東葛飾郡福田村(現野田市)で起きた。映画の前半では村の寄り合いや冠婚葬祭、無念の帰還をした出征兵士の出迎えなど、当時は全国のどこにでも見られた光景が延々と映し出される。同じころ、四国・香川から親子や縁者など15人で編成する薬の行商団が内地に向けて出発した。前年の1922年には被差別部落の解放を目指した「水平社」宣言が発せられている。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」…日本で初めての人権宣言と言われるこの宣言文がまるで、通奏低音のようにスクリ-ンに流れる。その頃、一方の福田村にも首都圏からの避難民が続々と押し寄せ、あのデマ情報があっという間に口伝えで拡散していった。

 

 利根川沿いの村境に達した時、異変が起きた。「(讃岐弁を耳にした村人が)聞いたことのない言葉だ。朝鮮語だ。こいつら朝鮮人だ」―。このひと言が村人たちの疑心暗鬼に火をつける結果になった。にわか仕立ての「自警団」が襲いかかり、幼児や妊婦を含む9人が殺された。村の駐在が「(鑑札を調べた結果)この人たちは日本人だ」と仲裁に入ったが、すでに遅かった。行商団の団長が殺害される直前、宙を仰ぐようにしてつぶやいた言葉が耳にこびりついている。「朝鮮人なら殺してええんか」―。映画の中で自らを「エタ」(被差別部落民)と呼ぶ行商団と日本の植民地下にあった朝鮮人…。その「差別」の重層構造に打ちのめされた。

 

 「群れは同質であることを求めながら、異質なものを見つけて攻撃し排除しようとする。この場合の異質は、極論すれば何でもよい。髪や肌の色、国籍、民族、信仰、そして言葉。多数派は少数派を標的とする。悪意などないままに、善人が善人を殺す。人類の歴史はこの過ちの繰り返しだ。だからこそ、知らなくてはならない。凝視しなくてはならない」と森監督は語り、パンフレットには「これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語」という言葉が刻まれている。

 

 そう、私たちはつい半年前まで「自粛警察」とか「マスク警察」などといった現代版「自警団」に翻弄(ほんろう)されていたのではなかったか。その意味では、100年前の福田村事件こそが足元を照らし出す貴重な記憶ではないのか。

 

 花巻祭りの最終日、私はその時に目にした光景を正直な気持ちでつづった(10日付当ブログ参照)。祭り好きは人一倍のつもりであるが、目の前の祭りの“熱気”と当時の福田村の村人たちの“狂気”とが一瞬、重なり合うような気持になったからである。たとえば、それがひとつの塊(かたま)りになった時の”熱狂”みたいな…

 

 風流山車の先導役を務めるその人物を見つけた市民が「あれ、なんであの人が」と口走った言葉を私は耳に聞き取っていた。“エッフェル”事件で批判の渦中にある国会議員が”神域”ともいうべきその行列の中にいた。しかも、神輿まで担いでいたとは。本来なら、この種の神聖な場に身を置いてはならないはず…その市民の不信感に私も同意した。「“不都合な真実”はなかったことにする」―。気の遠くなるような時空を経てもなお、あの時と同じような「空気」の色合いにギクリとした。福田村事件の犠牲者追悼慰霊碑が建てられたのは事件から80年が経過した2003(平成15)年のことである。

 

 車で片道3時間も要した映画鑑賞の帰路、映画館がひとつもない足元の貧しさにハタと我に返った。まるで、文化が果てるまちではないか。その「イ-ハト-ブはなまき」ではいま異論を排除するかのような形で、新花巻図書館の「駅前立地」が強引に進められようとしている。森監督は「集団に埋没しないためには、一人称で自分を語ることが大事だ」とテレビのインタビュ-で話していた。ネット社会のいま、フェイクニュ-スは瞬時に世界を席巻(せっけん)する。船頭の「倉蔵」や元教師の「智一」が意を決したように止めに入る場面が大写しになった。「二人の勇気」に身震いを覚えながら、「一人称」の大切さを改めて実感した。

 

 

 

 

(写真は映画「福田村事件」のポスタ-)

 

 

<註>~事件の背景やその後(ウキペディアなどより)

 

 この事件に関連し、8人が騒擾(そうじょう)殺人罪に問われたが、被告人らは「郷土を朝鮮人から守った俺は憂国の志士であり、国が自警団を作れと命令し、その結果誤って殺したのだ」と主張した。全員に実刑判決が言い渡されたが、昭和天皇の即位による恩赦で釈放された。出所した中心人物の1人は後に選挙を経て村長になり、村の合併後は市議会議員を務めた。背景としては事件の4年前、日本からの独立を求める「三・一運動」が起きた際、それを弾圧するためにメディアを総動員して、日本に歯向かう「不逞(てい)の輩」という宣伝が流布(るふ)された。関東大震災時、朝鮮人虐殺につながった流言飛語の背後には「権力」に従順な善良な国民たちの“群集心理”が潜んでいた。

 

 

 

《追記―1》~伊藤野枝・大杉栄没後100年記念シンポジウム

 

 関東大震災の混乱に乗じ、社会主義者や自由主義者などが検束・殺害される事件(亀戸事件や甘粕事件など)が相次ぎ、社会運動家の大杉栄と妻の伊藤野枝、甥の橘宗一の3人は9月16日、憲兵大尉の甘粕正彦らによって殺害された。今月24日には明治大学(東京)駿河台キャンパスで、作家の森まゆみさん(「『青踏』時代の伊藤野枝」)とルポライタ-の鎌田慧さん(「大杉栄 自由への疾走」)らが自著をベ-スに「現代における震災100年」を語る。なお当時、自警団などによる犠牲者は朝鮮人と間違われた中国人や言葉のなまりを疑われた沖縄や秋田の人まで広範囲に及んだ。

 

 

 

《追記―2》~「分断すらない日本人」

 

 公開中の映画「国葬の日」を監督した大島新監督が「世論を分断させたかのように報じられた(安倍元首相の)国葬を映画化してみて、むしろ『分断』すらなかった実態が明らかになった」と次のように語っていた。顕在化しない分だけ、事態は100年前もより深刻なのかもしれない。「お上が決めたら素直にすべて従う『お上主義』の人は、かなりいると思う。周囲と違うことをやらない。同調圧力が強い。日本全体の『ムラ社会』的な空気や土壌が影響している。もっと一人ひとりが自立している世界。そういったことを望みたい」(9月17日付「朝日新聞」)

 

 

 

《追記―3》~市民力、全開!!

 

 花巻市内でフェアトレード店を経営する新田史実子さんが主宰する「暮らしと政治の勉強会」が今回の岩手知事選で全開、“市民力”の大切さを教えた。次は夢の図書館を目指した全国規模の署名運動へとフットワークの軽い市民運動を展開中。以下のアドレスからどうぞ

 

おいものブログ:SSブログ (ss-blog.jp)

 

 

 

 

 

新花巻図書館をめぐる”利権の構図”(番外編)…(道義的には)不適切だが、違法ではない!?、~そして今度は“エッフェル”女子が山車の先導役に!!??~旧統一教会の“悪夢”、ふたたび!!!???

  • 新花巻図書館をめぐる”利権の構図”(番外編)…(道義的には)不適切だが、違法ではない!?、~そして今度は“エッフェル”女子が山車の先導役に!!??~旧統一教会の“悪夢”、ふたたび!!!???

 

 「新しい風は、市政の風通しをよくしたいということです。すなわち市民への情報提供に努める。そして市民の皆様、市議会及び議員の皆様の声をよく聞く。それから、市政の決定過程の透明性を高める。どうしてそのような市政を行ったのかがきちんと説明できるように。市長が決めたということではなく、市長がなぜ決めたかということをしっかり残すことが大事だと。そのようなイメ-ジを持っております。それで、市民と一緒に花巻市をよくしていこうと、そういう風を吹かせたいということでございます」(平成26年3月開催の花巻市議会3月定例会の会議録から)―。

 

 上田東一市長は初当選後の初議会で、私の質問に対してこう答弁した。何度読み直しても初々しい決意表明である。ところが、ふと足元に目を転じると新花巻図書館をめぐる“利権”疑惑に見られるように、忘れてはならないはずのその“初心”は霧の彼方にかすんでしまっているではないか。

 

 「19,194,190円」―。今年4月26日付で公表された上田市長の「所得等報告書」によると、非上場株式の譲渡所得名目で約2千万が計上されている。配偶者(妻)が経営する大手廃棄物処理業「(株)サンクリ-ン」が昨年6月15日付で他業者に営業権が移ったのに伴った株式所得で、法的には問題はないとされる。一方、市民の間では「市側と請負関係にある企業からの利得になることに道義的な疑義は生じないか」という声が上がっている。

 

 同社をめぐってはかつて「花巻温泉郷廃棄物処理組合」の安藤昭組合長(花巻温泉社長)が会計担当の監査役を兼任するという「委任―受託」疑惑が浮上した。当時、実際の処理業務はサンクリ-ンに一括委託されており、委託料の2分の1が市側からの補助金で年間1,100万円から1,600万円の幅で交付されていた。残りの相当分が組合負担で多い時は総額4千万円(令和元年度)に達していた。

 

 「コンプライアンスは、一義的には法令遵守と訳されているところでございまして、広義のコンプライアンスとしては、法令はもとより、県や市町村の条例、規則等、さらには社会的な規範の遵守まで含まれているものと存じているところでございます」(平成28年6月開催の花巻市議会6月定例会の会議録から)―。上田市長は一貫して、初心に加えて“コンプライアンス”の重要性をことあることに強調してきた。ところが一転、手の平返しのような手法が大手を振るい始めた。たとえば、黒塗り文書(いわゆる“のり弁”)の乱発や新図書館をめぐる「利権の構図」、市民から疑念の目が向けられる“不労所得”…

 

 「上田」語録をつらつら、反芻(はんすう)しているうちにハタと思い出した。就任直後の最大の懸案だった「新興跡地」の売却問題に際し、上田市長は「利活用の目的がはっきりしない土地の取得に市民の大切な税金を使うわけにはいかない」と言明した。瓦礫(がれき)の荒地と化してすでに5年以上。そういえば、その口から「市民の大切な税金…」という言葉がつとに聞かれなくなったような気がする。とくに、新図書館の「駅前立地」が表面化した以降は…。駅前立地に伴い、新たな税金(土地購入費や建物の解体費用など)の投入が避けられなくなるという事実はなるべく、表ざたにはしたくないということかもしれない。その意味では、正直な人ではある。

 

「(道義的には)不適切だが、違法ではない」―。3期目を迎えたいま、自らが“公約”に掲げてきた「社会的な規範の遵守」を破り続けてなお、恬(てん)として恥じない強権姿勢がますます、顕著になりつつある。

 

 

 

 

(写真は開会中の9月議会で、強気の答弁を繰り返す上田市長=花巻市議会議場で。インターネット中継の画像から)

 

 

 

 

《追記ー1》~えっ、あの“エッフェル”女子が!!??花巻まつりの先導役に出現!!!???(コメント欄に写真を2枚掲載)

 

 

 「まさか、禊(みそぎ)のつもりじゃあるまいな」―。花巻まつり最終日の10日午後、風流山車のパレードを先導する一群の中にその姿を見つけた時、一瞬、わが目を疑った。自民党女性局のフランス研修旅行で国民の顰蹙(ひんしゅく)を買った“エッフェル”女子のひとりで、参議院議員(岩手選挙区)の広瀬めぐみさん(57)に似た姿が目に飛び込んできたからである。「でも、まさかな」と思ったが、周囲の「あれ、あの人、あの広瀬さんじゃないの」という声で、あわててシャッタ-を切った。確認したら、やはり本人に間違いなかった(広瀬スキャンダルについては、8月11日付当ブログ参照)

 

 この人は先の知事選で落選した千葉絢子陣営の最大の支援者と目されていたが、例のスキャンダルが足を引っ張ったのではないかとうわさされている。そのご当人が今度は花巻市民が待ちに待った「ハレの日」に現れたのを知り、この厚顔ぶりにまたびっくり仰天。「自分の過ちの禊のつもりで、祭りを利用しようとしたのか。有権者を裏切っておきながら、縁起でもない。だとすれば、まるで疫病神」という厳しい声も聞こえてきた。

 

 それにしても、上田東一市長や藤原伸市議会議長のほか、隊列に加わった名士のお歴々が誰ひとりとして、この「是非(理非曲直)」に無頓着だったとすればむしろ、そっちの方が大問題である。お祭り騒ぎに乗じて「(スキャンダルは)なかったことにしよう」という魂胆がミエミエ。「禊」には元々、「水に流す」という意味が込められている。「不適切だが、違法ではない」(上記当ブログ参照)という上田流がこんな形でまつり最終日に披露されるとは予想だにしなかった。

 

 ふと目の前の光景に先日、観た映画「福田村事件」の画面が二重写しになった。100年前の関東大震災の直後、千葉県のある寒村で行商人を朝鮮人と見間違えた虐殺事件が起きた。流言飛語(デマ)に踊らされた“群集心理”の危うさを描いた作品である。この気の遠くなるような時空間の根っ子で何かが通底しているように思った。ひと言でいえば、”人権感覚”のマヒとむき出しの差別感情や排除の思考、そして歴史の隠ぺい…単なる「錯誤」なのだろうか。その辺の考察については後日、ブログに掲載したい。

 

 

 

《追記ー2》~”女変幻”(旧統一教会→エッフェル塔→花巻まつり→?)

 

 

 広瀬議員は初当選(2022年7月)した選挙の際、「世界平和統一家族連合」(旧統一教会)との関係を取り沙汰されたのに対し、イベントへの出席や祝辞、祝電などのかかわりを認めたうえで、「参院選前の今年5、6月ごろ、支援者に誘われて盛岡市の教会を訪れ、責任者にあいさつをした」(2022年10月8日付「朝日新聞」)と答えている。

 

 一方、「花巻家庭教会」がある地元花巻選挙区からに立候補し、3回目の当選を果たした川村伸浩議員(自民党)も当時、「教会へあいさつに回ることがあった。何度かあいさつに行くうちに宗教団体であることは理解したが、問題がある団体という認識はなかった」(同上)と語っている。広瀬議員は今回の県議選に際しても川村議員の総決起大会(7月21日付当ブログ参照)に駆けつけるなどその“蜜月”ぶりはFB上でも話題になっていた。そして、上田東一市長や市議会与党の「明和会」の面々と嬉々として、“お祭りショット”に収まる二人の姿を見て、その深いつながりに改めて納得をした。

 

 なお、「明和会」所属議員9人(うち1人は議長職)の中の3人が議会事務局が行ったアンケート調査に対し、「(旧統一教会側から)機関紙などが一方的に送られてくるが、関わりは一切ない」としている。その一方で、私の手元には「協会に出入りしているのを見た」という目撃情報が寄せられるなど、”虚偽”回答が疑われるケースもあり、全貌は闇に隠されたままである。

 

 

 

《追記ー3》~市民力、全開!!

 

 花巻市内でフェアトレード店を経営する新田史実子さんが主宰する「暮らしと政治の勉強会」が今回の岩手知事選で全開、”市民力”の大切さを教えた。次は夢の図書館を目指した全国規模の署名運動へとフットワークの軽い市民運動を展開中。以下のアドレスからどうぞ。

 

 ・おいものブログ:SSブログ (ss-blog.jp)

 

 

 

 

 

 

 

 

新花巻図書館をめぐる“利権の構図”(下)…イ-ハト-ブに巣食う「ステ-クホルダ-」~利権に群がる人脈図!!??

  • 新花巻図書館をめぐる“利権の構図”(下)…イ-ハト-ブに巣食う「ステ-クホルダ-」~利権に群がる人脈図!!??

 

 「もし可能なのであればスポ—ツ用品店敷地を市有地にして、図書館を建てるというのが駅前案の中でも最も望ましい方向だということを私は主張させていただいている。…あの場所に図書館を建てて橋上化と一緒に西口の利用も皆さん交渉してもらったプランを反映させてつくりあげて行くというのが 一番良いんじゃないかなと」(会議録から原文のまま)―。この発言は昨年9月20日に開催された「新花巻図書館整備基本計画試案検討会議」(座長・市川清志生涯学習部長)で、有識者委員のひとりである公益財団法人花巻国際交流協会の佐々木史昭理事長が「駅前立地」を主張した際の内容である。佐々木理事長は同じ会議で次のような発言も口にしている。

 

 「商工会議所の一員としてコメントさせていただくと、地方経済というのは、やっぱりどうしても安心を求めたり名前を求めたりして大手、大手というように行きがちなんですけれども…岩手県内でも立派な仕事をしている建設会社はありますし、花巻市内の会社でもあるので、ぜひそういう皆さんにおかれましても、できれば地域のしっかりした会社ができるのであれば地域の会社にやってもらって、そこに皆さんもコンタクトしていただいてつくり上げていくというマインドを大事にしていただきたいというように思います」(会議録から原文のまま)―

 

 「ステ-クホルダ-」という業界用語ある。“利害関係人”という意味で、端的に言えば「委託―受託」関係がそれにあたる。ところで、花巻国際交流協会の佐々木理事長は一方で花巻商工会議所副会頭の肩書を持ち、同時に鉄道事業などに実績がある「(株)中央コ-ポレ—ション」(花巻市内)の代表取締役社長の地位にもある。上記の二つの発言はこうした立場の違いが言わせしめた内容で、正直と言えば全くその通りである。

 

 主として、JR側の鉄道事業などを請け負う独立行政法人「JRTT鉄道・運輸機構」(前身は日本鉄道建設公団)は鉄道周辺の工事の安全確保のため、「線路近接工事安全対策」を定め、工事に参入できる有資格名簿を公表している。花巻市内で工事資格を有する企業は全部で11社でこのほか、コンサルタントなどの役務資格のある企業が2社となっている。この中の1社が「(株)中央コ-ポレ-ション」で、図書館の駅前立地が実現した場合、優先的に工事を請け負うことができる立場にある1社である。さらに、同社は駅自由通路や橋梁工事にも実績があり、上田東一市長が強力に進める「JR花巻駅橋上化(東西自由通路)と図書館の駅前立地」がワンセットで実現すれば、この二つの巨大プロジェクを同時に受注できるという仕組みにもなっている。

 

 また、有資格企業13社の中には前・元副市長が役職者として名を連ねる2社が含まれているほか、ほとんどが市側と深い請負関係にある。ちなみに今回、文書開示請求をして入手した「JR交渉」の回答書(8月17日付当ブログ)にも立地場所に予定されているスポ-ツ用品店の撤去に当たっては「線路近接に係る施工方法について、当社と確認を行う」―との条件が課せられている。

 

 市当局がなぜ、これほどまでに「駅前立地」にこだわるのか―。その謎を解くカギのひとつが本件の“利害関係人”であるJR東日本と花巻市、事業参入の資格を有する企業の三者の「利害」関係である。分かりやすく言えば、「自社所有地をなるべく高値で売却したい」(JR側)―「駅橋上化と図書館のワンセット効果で駅前活性化(賑わい創出)を実現したい」(市側)―「(駅橋上化と図書館を合わせた)総事業費がざっと80億円にのぼる巨大プロジェクトを受注したい」(有資格企業)…この三者の利害が一致する場所は「JR花巻駅前」しかないというわけである。

 

 新図書館問題が迷走を繰り返すきっかけになったのは3年以上前の「住宅付き図書館」の駅前立地(2020年1月29日)という“青天の霹靂”のような突然の計画発表だった。立地場所に50年間の定期借地権を設定し、上階に住宅を併設するという手法に議会や市民から反対の声が上がり、結局は住宅と定期借地権の部分は撤回された。その直後から突然、高校生たちが駅前立地を望んでいるという、確たる根拠もないままの“若者待望論”が市側から盛んに喧(けん)伝されるようになった。いま考えれば、若者たちも結局は利権行政の“人質”(政治利用)だったということが言える。

 

 「駅前を希望する意見が多かった」―。上田市長が最終的に図書館の駅前立地を決断したのは冒頭の検討会議の意向を受けてのことだった。その方向性を主導したのが「国際交流協会理事長兼商工会議所副会頭」の肩書を持つ人物だったことがHP上などで公表されている公の事実から明らかになった。仮にもうひとつの候補地である病院跡地に立地する場合、制限なしの「一般競争入札」に付さなければならない。その分、入札機会もオ-プンになり、透明性のある競争原理が期待できる。これに対し「駅前立地」の場合、最初から建設業者や設計業者が限定されるといういびつな構造になっていることが今回、浮き彫りになった。

 

 背後にもっと複雑は事情があると思いきや、実際は「図書館はどうあるべきか」という本質論をそっちのけにした、利害関係者による“利権争い”だったということが白日の下にさらされた格好である。文化の殿堂ともいわれる「図書館」を食い物にした“利権人脈”はその経緯を市民(納税者)に明らかにすべきであろう。

 

 

 

 

(写真は「風の鳴る林」など宮沢賢治をイメージしたメルヘンチックな駅前は“利権争い”の舞台になっていた=花巻市大通りで)

 

 

 

《追記ー1》~「もう、タオルを投げたくなった」!!??

 

 花巻市議会9月定例会の一般質問が4日から始まり、伊藤盛幸議員(はなまき市民クラブ)が懸案の新花巻図書館問題について、「JR交渉のその後の動きはどうなっているか。駅前立地に伴うまちづくりの展望をどう描いているか」などとただした。これに対し、市川清志生涯学習部長が「花巻の玄関口として、集客効果が期待でき…」と例の“耳だこ”答弁を繰り返すと、伊藤議員は「その内容は以前にも聞いている。質問に答えていない」と食い下がった。でも、“百万遍念仏”を聞かされているようで、どっちもどっちもだなとため息がもれた。私を含めた市民が一番知りたいのは、市側がなぜこれほどまでに駅前立地にこだわり続けるのか。誰もが納得できるその合理的な理由は何なのかーということなんですよ。

 

 

《追記―2》~ホテルも活性化にひと役!!??

 

 「銀河ル-ム」や「山猫ル-ム」それに賢治ゆかりの品々を集めた「宮澤賢治探検本部」…。JR花巻駅前の目と鼻の先に位置するホテル「グランシェ-ル花巻」が今年3月、賢治を模したメルヘンチックな雰囲気に姿を変えてリニュ-アルオ-プンした。同ホテルは30年前、国土交通省(当時建設省)の駅前開発事業「レインボ-プロジェクト」を導入し、花巻商工会議所会頭などを歴任した故宮澤啓祐氏が起業した。

 

 その後、老朽化やコロナ禍の中で営業不振に陥っていたが、「駅前活性化に寄与したい」というホテル業界大手の「(株)リオ・ホ-ルディングス」の意向を受け、花巻市当局が全面支援する形で国の「高付加価値化事業」補助金などを運用して再建にこぎつけた。「駅前活性化」という観点では図書館の駅前立地の位置づけと軌を一にしている。「新図書館×駅橋上化×新装ホテル」―この“三位一体”のまちづくり構想を背後で支えているのが実は「利権の構図」であることがここからも見て取れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

岩手県知事選の“狂気の沙汰”(下)…からの脱出~“人間選択“選挙で達増氏が5選へ

  • 岩手県知事選の“狂気の沙汰”(下)…からの脱出~“人間選択“選挙で達増氏が5選へ

 

 岩手県知事選挙の投開票が3日行われ、報道各社は投票締め切り直後の午後8時すぎ、一斉に達増拓也氏(59)の「開票前」当確を打った。無所属現職の達増氏と無所属新顔で前県議の千葉絢子氏(45)の事実上の与野党対決となった今回の知事選は東日本大震災やコロナ禍をくぐりぬけて来た達増氏に5選目の県政を託した。「これまでは学歴(東大法学部や米国の大学)や経歴(外務省職員や衆議院議員)を表に出すことは控えてきたが、今回は人間“達増”を知っていただきたいと思い、素顔を正直にさらすことにした。まるで、初めての選挙みたいな初々しい気持ちだった」―。達増氏のこの謙虚な言葉の中に勝因があると思った。一方で、対立候補のまるで真逆な印象がそれだけ際立った選挙戦だった。

 

 イーハトーブ(岩手花巻)はすんでのところで、“狂気の沙汰”から脱出することができた。明日(4日)には知事選の熱気が残る中、花巻市議会9月定例会の一般質問がスタ-トする。さぁ、「イ—ハト—ブ“図書館戦争”」の休戦明けはどんな結末に…

 

 

【確定得票数】(投票率56・63%)

 

・達増拓也~336,502票

・千葉絢子~232,115票

 

 

 

(写真は花束を受け取るた達増氏=NHKテレビから)

 

岩手県知事選の”狂気の沙汰“(中)…「健常者優位主義」を公然と口にする候補者とは!!??~今宵は願いごとが叶うス-パ-ム-ン、そして「100年後と100年前と」…

  • 岩手県知事選の”狂気の沙汰“(中)…「健常者優位主義」を公然と口にする候補者とは!!??~今宵は願いごとが叶うス-パ-ム-ン、そして「100年後と100年前と」…

 

 「子どもを産むとき、ただ五体満足であればいい。ただそれだけを思って、子どもを産みました。けれども成長していくと、やっぱり勉強ができてほしい。できれば経済やさまざまの産業のリ-ダ-として、岩手県に貢献できる人材になってほしい…」―。今次知事選に自民・公明両党の全面支援を受けて立候補している千葉絢子氏(45)のある集会でのこの発言にギョッとした。憚(はばか)りもなく「健常者優位」発言(優性思想)を口にする、その心性に言い知れない“恐怖”を抱いたのである。

 

 こう言ってのける千葉候補にはおそらく、今年度上半期の芥川賞受賞作『ハンチバック』(市川沙央著)などは眼中にないだろう。自らが重度障害者である市川さんは「せむし(ハンチバック)の怪物」と公言する主人公の口を通じて、社会の「健常者優位主義」に鋭い皮肉の目を向ける。読み終わった瞬間、その代表格のひとりがいままさに知事選を戦っているこの人だと思った。市川さんは受賞会見で「重度障害者の受賞がどうして“初”なのか考えてもらいたい」と話した。この発言の重さも到底、千葉候補の耳には届かないであろう。

 

 「重度障害者が社会との軋轢(あつれき)のなかでルサンチマン(恨みや嫉妬などの憎悪感情)を抱えても、それを知らずに生きていける健常者たちには伝わらない」(28日付「朝日新聞」)―。二松学舎大学の荒井裕樹准教授(障害者文化論)はこう述べている。障害者差別を口にしてなお、恬(てん)として恥じない人物を知事候補に持つという我が身の不幸に慄然(りつぜん)たる気持ちになった。

 

 こんな殺伐とした選挙戦さ中の27日、市内の社会福祉法人「花巻ふれあいの里福祉会」(こぶし苑)で福祉まつりが開催された。コロナ禍で中止になっていたため、4年ぶりの開催となった。私は市議になる前の6年ほどの間、知的障害者が通うこの施設の園長を務めた。園庭では同じくらいに年を重ねた利用者たちが全身汗だくになりながら、3B体操の演技を披露していた。てる君やのぶ君、みきちゃん、きくよちゃん…。みんなが「園長、園長」と叫びながら、かけ寄ってきた。涙が汗と一緒に頬を伝った。在職中、私は宮沢賢治の作品『マグノリアの木』から借用して、「銀の鳩」―「天の鳩」と名づけたパン工房と産直施設を建てた。いまも健在なその姿に胸が詰まった。

 

 「本日の開催、まことにおめでとうございます」―。祝辞を述べる上田東一市長の妙に上ずった声が耳に飛び込んできた。表向きは”中立”を装いつつ、裏ではコソコソと千葉候補の支援に回る姑息(こそく)な振る舞いに反吐(へど)が出そうになった。「こんな見え透いた茶番で障害者とその家族の歓心(かんしん)を買うような卑劣な行為は止めてほしい」と心底、そう思った。

 

 

 

(写真は炎天の中、精いっぱいの演技を披露する利用者たち=8月27日、花巻市湯口のこぶし苑で)

 

 

 

●《知事選特集》

 

 ~千葉候補の発言「全記録」のリンク先を以下に掲載します。政治家の命は「言葉」です。アナウンサーを生業にしてきた千葉候補の口からどんな言葉たちが語られているのか。本当の言葉には魂が宿るー“言霊“(ことだま)と言ったのは作家の故石牟礼道子さんでした。

 

 

https://x.com/meguken0714/status/1694859872406536685?s=51&t=5UVcDeGXHwLdDdpIyRS7mg


https://x.com/meguken0714/status/1694992378606616769?s=51&t=5UVcDeGXHwLdDdpIyRS7mg


https://x.com/meguken0714/status/1694977179279646986?s=51&t=5UVcDeGXHwLdDdpIyRS7mg


https://x.com/meguken0714/status/1694710900354322461?s=51&t=5UVcDeGXHwLdDdpIyRS7mg

 

https://t.co/ciRPiu3aDT https://x.com/makimakiia/status/1693641660914081858?s=51&t=5UVcDeGXHwLdDdpIyRS7mg

 

・ https://t.co/ciRPiu3aDT

 

 

 

 

《9月3日投開票の岩手県知事選まで固定掲載》~知事選両陣営に公開質問状

 

 花巻市内で花巻市内でフェアトレ-ド商品などの販売を手がける「おいものせなか」(新田文子代表)は次期知事選に立候補を表明している達増拓也・千葉絢子両陣営に対し、各分野にわたる公開質問状を提出した。新田さんら有志は昨年1月の花巻市長選以降「暮らしと政治の勉強会」を主宰し、「おまかせ民主主義」からの脱却を訴え続けている。質問状への回答やその他のアクセス先は以下の通り。

 

岩手県知事選候補者に公開質問状と回答8頁(pdf)

・候補者早わかり版チラシhttps://oimonosenaka.com/wp-content/uploads/hayawakari-rotated.jpg

 

おいものせなか | Organic, Ecology and Fair Trade (oimonosenaka.com)

おいものブログ:SSブログ (ss-blog.jp)

 

 

 

 選挙とは言葉の戦いでもある。その言の葉の中に心を揺さぶる“言魂”(ことだま)が宿っているかどうか―。今次の知事選でとくに目を引くのはその言葉の貧困である。そんな時にふと、吸い寄せられるのが哲学者の鷲田清一さんが朝日新聞一面に長期連載する「折々のことば」である。投票日まであと4日。人間観察の目を養うため、8月29日と30日付に掲載された珠玉の2編を引用させていただく。

 

●たち悪くなれとの事が今の世に生きよと云ふ事に似てゐる(違星〈いぼし〉北斗)

 

~和人(シャモ)による差別に抗(あらが)い、アイヌの民族復興に身を捧げる中で早逝(そうせい)した歌人は、侮蔑され、簒奪(さんだつ)され、見世物にされてきたアイヌの怒りと、その抵抗の中で味わう底なしの哀(かな)しみとをこう詠む。全文字にふられた傍点が、荒(すさ)んで今にも絶叫しそうなおのれの心を必死で抑え込んでいるかに見える。百年近く前の歌なのに現在を詠(うた)っているよう。『違星北斗歌集』から=29日付

 

●神様が私達を創造下さった時、私達の心はきれいなものであったそうです(中里篤治〈凸天〉)

 

~“アイヌの啄木”と呼ばれた違星(いぼし)北斗とともにその民族復興に尽くした中里。いくら頑張っても「斥(しりぞ)けられ、のけ者にされ、けむたがられ」るアイヌの一員として、荒(すさ)んだ復讐の念を滾(たぎ)らせる一方、深い寂しさゆえに不遇の人たちを慰めうるという、その引き裂かれた思いを綴(つづ)った。「コタン」創刊号(1927年)に載せた文章「偽らぬ心」(『違星北斗歌集』所収)から=30日付

 

 

 

《追記ー1》~まちがいのない選択を!?

 

 月が一年中で最も地球に近づく「スーパームーン」を迎えたこの日(8月31日)、イーハトーブ(岩手花巻)の未来を占う県知事選の投票日もあと3日後に迫った。「みんな、まちがいのない選択を…」。東北地方は”月光浴”に最適な天気に恵まれた。幾分、秋の気配が感じられる中天の満月を仰ぎながら、実に13年ぶりのお目見えに、こんな願いごとを唱えた(コメント欄に写真掲載)

 

 

《追記ー2》~100年後と100年前と(関東大震災から100年)

 

 

 「100年先も岩手で家族を育み、一生にわたって安心して暮らしていける岩手」―。3日投開票の岩手県知事選に立候補している千葉絢子氏(自民・公明両党支援)の選挙公報を読みながら、私はちょうど100年前に起きた凄惨な事件を思い起こしていた。

 

 1923(大正12年)9月1日、関東大震災が勃発。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマがあっという間に広がり、自警団や憲兵隊によって、多く朝鮮人の命が奪われた。あれから100年を経たこの日、「福田村事件」(森達也監督)というタイトルの映画が公開された。震災の5日後、首都圏から約30キロ離れた千葉県福田村(現野田市)で、香川県からやって来た薬売りの行商人9人が「朝鮮人」と疑われ、虐殺された。映画の中で群集心理の恐ろしさを描いた森監督は「集団に埋没しないためには、一人称で自分を語ることが大事だ」と話していた。

 

 「100年後」を語る千葉候補はそれでは「100年前」の”負の遺産”とどう向き合って生きてきたのだろうか。障害者差別を平然と口にするこの人に対し、そんな“歴史感覚”を期待する方がそもそもないものねだりかも知れないが…。タモリがいう「新しい戦前」の足音がヒタヒタと近づいているような気がする。

 

 

《追記―3》~あれっ、例の“布教”演説と瓜二つ!!??

 

 「鈴木財務大臣とは、国道4号の県内他地域を含めた拡幅工事の進捗状況や、当市における防災対策の現状および国の支援を活用したコンパクト・プラス・ネットワークのまちづくりについてお話いたしたところであり…大臣からは必要な予算はしっかり確保するとの発言があり、お忙しい中、真摯にご対応いただいたことに感謝申し上げる次第であります」ー

 

 1日に開会した花巻市議会9月定例会の行政報告で、上田東一市長は胸を張ってこう述べた。あれ、どこかで聞いたような名調子だなと思って、ハタと心づいた。自民党や公明党の全面的な支援を受けて今次知事選に立候補している千葉絢子氏が8月24日、当地花巻で開いた総決起大会で口にした内容と余りにも似通っていたからである(8月26日付当ブログ「岩手県知事選の“狂気の沙汰”(上)」参照)。

 

 千葉氏はその時、祝辞を述べた上田市長の前でこう力説した。「皆さま方にはリ-ダ-を変えて、しっかりと月に4度でも5度でも財務大臣、総務省さまざまなところにお願いに行けるリ-ダ-を選んでいただかなくては岩手県の皆さまの幸せにつながらない。私は今日、布教するために参りました」―。「どうりでな」と妙に得心した。それにしても、これって神聖な議場を利用した巧妙な“選挙応援”じゃないのかなぁ…