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花巻市長・上田流「コンプライアンス」のチグハグ~礼節もいずこかへ

  • 花巻市長・上田流「コンプライアンス」のチグハグ~礼節もいずこかへ

 

 「本件に関する警察の捜査に協力するとともに、捜査の進展を見守りつつ当該消防士に対しては厳正な処分を行い、…職員一丸となって職務にまい進し、一日も早く市民の皆様からの信頼を回復できるよう努めてまいります」―。11月8日、免許停止期間中の花巻市の消防士(26)が救急車の運転をしていた事案が明るみに出た際、上田東一市長は“厳罰”をほのめかしながら、報道陣の前に深々と頭を下げた(11月7日付当ブログ「追記」参照)。「ところで、あなたにとってのコンプライアンスとは何か」…私はこの光景を見ながら、ふと鼻白む気分になった。3年前の平成28年6月定例会でのやりとりを思い出したからである。

 

 「コンプライアンスは、一義的には法令遵守と訳されているところでございまして、広義のコンプライアンスとしては、法令はもとより、県や市町村の条例、規則等、さらには社会的な規範の遵守まで含まれているものと存じているところでございます」―。私の一般質問に対して、上田市長はこう明言した。当時、全国の自治体では「コンプライアンス」に関連して、首長自らの行動を律する条例化の動きが出ていた。たとえば、富山県氷見市では同じ6月定例会で「氷見市長等の行動規範及び政治倫理に関する条例」を制定し、「地方自治法第142条の規定の趣旨を尊重し、市長等の配偶者若しくは1親等の親族又は法人に対し、市等との請負契約等を自粛するよう働きかけ、市民に疑惑の念を生じさせないよう努めること」(第7条)と規定した。

 

 地方自治法「第142条」は首長などの兼業を禁止した規定で、こう定めている。「普通地方公共団体の長は、当該普通地方公共団体に対し請負をする者及びその支配人又は主として同一の行為をする法人の無限責任社員、取締役、執行役若しくは監査役若しくはこれらに準ずべき者、支配人及び清算人たることができない」―。その当時(平成27年度現在)、花巻市から一般廃棄物の収集・運搬業務を委託されている業者は全部で14社あった。うち、ごみ収集業務などの請負額が一番多い会社の代表取締役に上田市長の配偶者が就任していることが判明し、市民からその是非を問う声が聞かれた。

 

 私はそのこと(配偶者の代表取締役)自体は法に抵触するものではないという前提に立ったうえで、「コンプライアンス上の、いわゆる“社会規範”について」―の認識をただした。上田市長は後任の人材探しが難航したことなどを理由に挙げながら、前言を翻(ひるがえ)すような説明をした。法律にうとい素人にはとても理解不能な、いわば“目くらまし”的な便法がこの人の得意技である。牽強付会(けんきょうふかい)……つまり「自分の都合のいいように、強引に理屈をこじつける」―とはこのことではあるまいか、とその時に思った。

 

 「社会規範というのは定義ございませんし、これはそのときそのときで市民の皆様、あるいは我々が考えていくものだろうと思います。その意味で、はっきり規範はどこにあるのかということについては、必ずしもクリアに出てくるものではないだろうと思っております。…その上で申し上げますけれども、コンプライアンスというのは全てではないのです。コンプライアンスを守れば、全てが解決する問題ではございません。規範というのは、言ってみればル-ル化している、あるいは法に近いものを規範というと私は理解しています。それを守ればいいのではなくて、要するに、物事をはっきりさせた上で、とにかく規則を守りましょうよというのがコンプライアンスなのです」(会議録から)

 

 「家内が代表者であることは、なるべく早くやめてほしいというのが私の気持ちです。いや、それではいけないのだと、例えば議会で条例化して、会社をやめるか、あるいは市長をやめるかどちらかをとりなさいと規定されれば、そのときには考えなくてはいけません。私は規範に違反しているとは思いませんけれども、妥当ではないということでル-ル化するとお考えになるのは全く反対するものではございません。そういうことであれば、それは検討していただきたいと考えている次第です」(会議録から)―法令だけでなく、(社会)規範にも違反していない。ダメだというなら、議会の責任で条例化するなりしてほしい…私にはこんな“開き直り”に聞こえたのだった。

 

 「罪を憎んで、人を憎まず」―。将来のある消防士の不祥事の報に接した時、私はこの青年がなぜ、仲間や上司に対応の処し方を相談しなかったのか…ということが真っ先に頭をよぎった。高速道路上の速度違反はうっかりすると、誰でも犯してしまう。私も若気の至りで、速度オ-バ-をした苦い経験がある。だからこそ、「免停のまま、救急出動につかざるを得なかった」というその“孤立”に、私は慄然(りつぜん)とさせられたのである。さらには、違法行為(免停中の救急出動など)の罪状がまだ確定していない段階で、当該職員の実名をHP(11月8日付)上に公開するという人権感覚の欠如にも驚いてしまう。

 

 当市にはコンプライアンスに関し、「花巻市職員倫理規程」(平成25年)や「不正防止に係る内部通報制度」(平成27年)などきめ細かい取り決めがある。しかし、コンプライアンスはある意味で、「同調圧力」と「忖度(そんたく)」を抱え持つ“両刃の剣”でもある。前者が強まれば強まるほど、後者が頭をもたげてくる。つまりは仲間内への気遣いは次第に薄れ、上司の顔色をうかがうだけのヒラメ集団化してしまうのは目に見えている。最近の“上田城”にはそんな雰囲気が強まっているような気がしてならない。殺伐とした空気が庁内に充満している。

 

 「市長等は、地方自治法その他の法律における市長等の兼業禁止に関する規定の趣旨を尊重し、市民に疑惑の念を生じさせないようにするため、その配偶者、2親等以内の親族又はこれらの者が役員をしている会社その他の法人若しくは次に掲げる会社(略)その他の法人に、市との工事、製造その他の請負契約及び物品の購入契約の締結を辞退させるものとする」(第5条)―。大阪府と京都府の県境にある茨木市は2年前、配偶者がその行政と請負関係にある会社の役員などに就任することを禁止する厳しい条例を制定した。

 

 一方の足元では真逆な動きが進行していた。上田市長の配偶者はその後、平成29年2月19日付でいったん代表取締役の座を退いたが、今年(平成31年)2月1日付でふたたび、その任に返り咲いていた。茨木市など他の自治体などとの認識の乖離(かいり)に驚かされる。現場職員にコンプライアンス(法令遵守)を求めるのなら、トップとしてまず自らの襟(えり)を正すのが先決ではないのか―。この日、令和元年最後の12月定例会が開会した。二元代表制の根本に立ち返り、議員諸侯に置かれては、市長ら当局側の監視をゆめゆめ怠ることなかれ……

 

 

 

(写真は「何でも話せる職場」こそがコンプライアンスの基本だと訴える漫画=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記-1》~自己責任への言及なし

 

 12月定例会初日の6日、上田東一市長は当ブログで取り上げた消防士の不祥事に触れ、「免停中に救急車を運転した事案については現在警察で捜査中であり、その進展を見守りながら、当該職員に対しては厳正に対処したい」と述べた。結局、行政トップとしての「自己責任」への言及はなく、コンプライアンスだけでなく、ガバナンス(統治能力)の欠落もさらけ出した。

 

 

《追記ー2》~中村さんの死、黙とうさえもなく…

 

 アフガニスタンで非業の死を遂げた医師の中村哲さん(享年73)に対し、皇室のほか安倍晋三首相ら各界から弔意があふれ、9日開催された衆院本会議では大島理森議長の追悼の言葉に続いて、出席者全員が黙とうを捧げた。同じこの日、花巻市議会3月定例会で一般質問が始まったが、上田東一市長は答弁に先立ち「中村さんは宮沢賢治賞(イーハトーブ賞)を受賞しており、心からご冥福を祈りたい。告別式には職員を派遣したい」と述べるに止まり、議会側にも黙とうを促す動きはなかった。賢治もきっと、あの世で失望していることであろう。4日付当ブロブの追悼記事を参照願いたい。

 

 

 

 

追悼!!「アフガン、命の恩人」…中村哲

  • 追悼!!「アフガン、命の恩人」…中村哲

 

 「この土地で『なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か』と、しばしば人に尋ねられます。人類愛というのも面映いし、道楽だと呼ぶのは余りに露悪的だし、自分にさしたる信念や宗教的信仰がある訳でもありません。良く分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、賢治の『セロ弾きのゴ-シュ』の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手しているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける」―

 

 「アフガンの命の恩人、中村哲さん、銃弾にたおれる」―という衝撃的なニュ-スに接し、私はいま、呆けたような状態で冒頭の文章を口にしている。『医者井戸を掘る―アフガン旱魃の闘い』などの著書で知られる医師の中村哲さん(享年73)が4日、ハンセン病の治療や農業振興などの支援に当たっていたアフガニスタンで銃弾に死した。引用した文章は2004年、第14回宮沢賢治賞(イ-ハト-ブ賞)を受賞した際、遠い異国のアフガンから寄せられた感謝のメッセ-ジの一節である。この文章はこう結ばれている。「馬鹿で、まるでなってなくて、頭のつぶれたような奴が一番偉いんだ(『どんぐりと山猫』)」という言葉に慰められ、一人の普通の日本人として、素直に受賞を喜ぶものであります」

 

 私が新聞記者として初めて遭遇した最大の出来事は「三池炭鉱炭じん爆発事故」(1963年=福岡県大牟田市)で被災し、重篤な後遺症に苦しむ患者たちの取材だった。。458人が死亡し、839人が不治の病と言われた「一酸化炭素(CO)中毒」に侵された。九州大学医学部を卒業した中村さんがその時、若き精神科医の研修生として、患者の治療に奔走していたことをあとで知った。当時、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の現場で、互いにすれ違っていたかもしれない。いま思えば、その時の運命的な”出会い“が6歳年下ながら、私が彼を人生の師と仰ぐきっかけだったように思う。

 

 中村さんの母方の伯父は作家の火野葦平で、外祖父は日本有数の炭鉱地帯・筑豊の荷役を一手に請け負ったヤクザ(任侠)の血を引く玉井金五郎である。火野の長編小説『花と竜』は父親の玉井をモデルにした作品で、映画化もされた。受賞後、中村さんが講演に当市・花巻を訪れたことがあった。質問の段になって、私は手をあげた。「中村さんの中にはヤクザの血が流れているんじゃないですか。ぶれることのない姿勢を見ているとそうとしか思えないんですが…」―。内心、ぶしつけな質問かと思ったが、アジアのノ-ベル賞と言われる「マグサイサイ賞」を受賞したひげ面はニャッと笑って答えた。「実は私もそう思っているんですよ」。その時の満面の笑顔が消えることのない残像として、私の脳裏に刻まれている。

 

 第1回「沖縄平和賞」(2002年)を受賞した際、中村さんはこう述べている。「遠いアフガニスタンでの活動と、アフガンに出撃する米軍基地を抱える沖縄、このコントラストは、現場にいる私たちには圧倒的であります。平和をとなえることさえ、暴力的制裁を受ける厳しい現地の状況の中で物言えない人たちの声、その奪われた平和の声を『基地の島・オキナワ』が代弁するのは、現地にいる日本人として名誉であります。沖縄の抱える矛盾、これは凝縮された日本の矛盾でもありますが、米軍に協力する姿勢を見せないと生き延びられないという実情は、実はかの地でも同じです。基地を抱える沖縄の苦悩は、実は全アジア世界の縮図でもあることをぜひお伝えしたいと思います。―。その時の基金をもとに現地に開設された診療所は「オキナワ・ピース・クリニック」と命名されている。

 

 「武器ではなく、命の水を」―。中村さんは終生この言葉を口にし、倒れる直前までそれを実行した。今回の訃報を受け、私はこの年末年始を米軍基地で揺れる「沖縄・辺野古」に身を置いてみようと考えている。中村さんの「原点」でもある大牟田(三池)の地で留守宅を守り続けた妻の尚子さん(66)は言葉少なに語った。「場所が場所だけにあり得ると思っていた。家にずっといてほしかったけど、本人が(活動に)かけていたので……」……“三池の知遇”よ、さようなら。そして、勇気を与えてくれたヤクザの末裔よ、ありがとうございました。合掌

 

 

 

(写真はありし日の中村さん。アフガニスタンの地で=インタ-ネット上に公開された写真から)
 

 



 

現人神と政教分離…そして、狂気の笑い

  • 現人神と政教分離…そして、狂気の笑い

 

 「大日本帝国は、万世一系の天皇が、これを統治する」(明治憲法第1条=明治22年2月11日公布)―。わが宰相の「天皇陛下万歳」と21発の祝砲で始まった大嘗祭(だいじょうさい)を含む一連の天皇の代替わりの儀式を見ながら、いままた「現人神」(あらひとがみ)が目の前に降り立ったような錯覚を覚えた。現憲法の改正を待たずして、この国はすでに「天皇は、神聖であって、侵してはならない」(同第3条)という“天皇制”国家に先祖返りしたのではないのか…と。その神格化はまるで、得体の知れない「鵺」(ぬえ)のように足元に忍び寄りつつある。

 

 「奉祝 令和 天皇陛下御即位/新しい御代(みよ)をお祝いしましょう」―と染め抜かれたのぼりが風にひらひら揺れていた。先月11月23日、花巻市の旧石鳥谷町内の神社には奉祝の長い列ができていた。かつて、「新嘗祭」(にいなめさい)と呼ばれたこの宮中行事は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)などすべての神々に新穀を供え、その恵みによって収穫を得たことに感謝する祭である。国民の祝日に関する法律(昭和23年)の施行によって、現在は「勤労感謝の日」(祝祭日)に指定されている。今回のように新天皇の即位後、最初に行われる儀式はとくに「大嘗祭」と呼ばれるということを初めて知った。

 

 その前日、私はこんな風潮に不安を覚える文章を書き記した(11月22日付当ブログ「神話崩しの時代」参照)。その直後、上田東一市長がこの行事に「公務」として出席することをHPで知った。さっそく、担当部署に経緯をただした。「祭儀にのみの出席。地域行事と認識しているので、公務としての位置づけで何ら問題はない」。今年8月、別の神社の神職昇進を祝う会にも上田市長の姿があった。私は当選直後の平成23年12月定例会で、各種神事が終わった後に行われる宴会―「神社直会(なおらい)」に対し、市長交際費が支出されていることについて、「政教分離」の観点から見解をただした。憲法判断は分かれていたが、当局側は今後この種の支出を“自粛”することを表明した。

 

  「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」―。憲法第20条は「政教分離」原則について、こう定めている。「令和」改元以降、この条文もほとんど死文化したかのようである。

 

 「われらを毀損(きそん)してくるものを、倍返しで冒涜(ぼうとく)せよ」―。作家、辺見庸さんの最新作『純粋な幸福』の帯にはこんな過激な文字が躍っている。その詩篇「グラスホッパ-」の中の一節…「世界の実相は気鬱(きうつ=気がふさいで晴れ晴れしないこと)にみちている。それなのに、老いも若きも総理大臣も天皇も、そうでないふりをしている。まるで、たるんだ尻(けつ)みたいな顔して。気鬱をはらうには怒り狂うより他にはない。狂気といわれようが、怒気をあらわにしてなに悪かろう」―。私が前掲ブログをアップした同じ日、辺見さんは新著に関するインタビュ-でこうも語っている。

 

 「表現がこれほど萎縮、収縮した時代はない。新聞を読めば活字が寝ていて、悲しみや憤りを屹立(きつりつ)させようというパッションがない。怒鳴りつける代わりに笑う。もう笑うしかないという内面の嘲笑によって冒涜したい」(11月22日付「岩手日報」)―。そういえば、話題の映画「ジョ-カ-」(11月2日付当ブログ「即位礼と啄木、そして“ジョ-カ-”の登場」参照)の主人公―殺人鬼、ア-サ-・フレックの持病は「笑い」病である。医学的には「情動調節障害」というらしいが、この悪役を演じる名優、ホアキン・フェニックスが犯罪をおかす前後に発する狂ったような「笑い声」がまだ、頭蓋の奥でこだましている。

 

 『悲しすぎて笑う』(1985年)というタイトルの本が私の書棚の片隅に置かれている。表紙は茶色に変色しかけ、「女座長筑紫美主子(ちくしみすこ)の半生」という副題も判読しにくくなっている。ロシア革命で日本に亡命した白系ロシア人と日本人との間に生まれた美主子(1921―2013年)は九州・佐賀地方に伝わる漫才「佐賀にわか」を身に付け、女座長にまで上り詰めた。しかし、「青い目」の漫才師は絶えず、差別の目にもさらされ続けた。そんな半生をこの本にまとめた詩人の森崎和江さん(92)がある時、私に語った言葉をふいに思い出した。「悲しみの極にはもう、笑いしか残されていないということだと思う」

 

 「富者の天国は貧者の地獄である」―。今年春、日本の主要都市で「笑う男」と題するミュ-ジカルが上演された。『レ・ミゼラブル』などで知られるヴィクトル・ユ-ゴ-の同名の小説が原作で、17世紀の英国が舞台。腐敗した貴族社会を風刺する内容で、見世物にするために“笑い顔”に口を整形された道化役者が主人公として登場する。元祖「ジョ-カ-」である。

 

 笑う男もジョ-カ-も、そして美主子もともに道化役者として、この世を生きた。たとえ、それが敗者の高笑いだったとしても、道化を演じながら狂い笑いするしかない…そんな時代を私たちはいま、生きているのだろうか―。

 

 

 

(写真は時と場所とをかまわず、発作的に狂い笑いする殺人鬼・ア-サ-=インタ-ネット上の公開の写真から)

 

 

エリカに“憑依”(!?)した太宰

  • エリカに“憑依”(!?)した太宰

 

 「一緒に堕(お)ちよう。死ぬ気で恋、する?」―。映画「人間失格―太宰治と3人の女たち」(蜷川実花監督、2019年=当ブログ10月19日付「男やもめの“ハシゴ映画”顛末記」参照)はこんなセリフで幕を開ける。太宰に扮した俳優の小栗旬がもうひとつの太宰の代表作『斜陽』のモデルとなった愛人の太田静子を口説くシ-ンである。「恋を、しに来るのを待ってた」と真っすぐに受け入れる静子役を演じるのは、いま薬物疑惑の渦中にいる女優の沢尻エリカ(33)である。連日、テレビのワイドショ-を賑わせているこの女優を横目で見ながら、ふと思った。「ひょっとしたら、この人はまだ、静子役を演じ続けているのではないのか」…

 

 静子ら3人の女性を愛した作家の太宰治(1909―1948)は昭和23年6月13日、最後の愛人の山崎富栄と一緒に東京・玉川上水で入水自殺するまでの39年間の人生で、自殺未遂や心中未遂などを4回繰り返している。さらに、カルモチン(催眠剤)やパビナ-ル(鎮痛剤)などを服用し、常時、薬物中毒の状態にあった。こんなデカダンス(虚無・退廃)の太宰と小説家を希望する静子との運命的な出会いが訪れる。沢尻は静子という人物について、こう話している。「どこまでもピュアな人。自分の感情にストレ-トに生きて、終戦直後の日本では、難しかった時代かもしれませんが、諦めずにやりきった女性なのかと思いました、…好きなことに突き進む点は、すごく素敵だと感じます」(パンフレットから)―

 

 「バ-チャル・リアリティ」という言葉がある。仮想と現実が混然一体となった状態で、一般的は「仮想現実」と訳されている。太宰の愛人・静子に魅力を感じるという沢尻はもしかしたらずっと前から、境界線の向う側(仮想)を生き続けてきたのではないのか…つまりは太宰という人物像がこの女優に“憑依”(ひょうい)していたのではないのか―。広辞苑によると「憑依」とは「霊などがのりうつること」とある。薬物中毒の太宰の霊がエリカに乗り移り、「好きなこと」に突き進んだ結果が、今回の“エリカ騒動”を引き起こしたのではあるまいか。こんな妄想に取りつかれたという次第である。「耄碌(もうろく)の成れの果て」と笑わば、笑え。ところで沢尻は一方で、こんなことも漏らしている。

 

 「(静子が)自分の好きなことに対してとことん、“いく”姿勢は好きですけど、太宰と禁断の恋にのめりこみ、奥さんがいることをしりつつ子供を産むという精神と言動は、個人的には理解できないところもありました」(パンフレットから)―。「静子」から「エリカ」へ…向こう側(仮想)からこちら側(現実)へとふと、我に返った瞬間だったかもしれない。そういえば、沢尻は逮捕後、「薬物は10年以上前から使っていた」などと量刑に影響が出そうな言葉を口にし、その一方で尿検査の結果は陰性と出ている。このあたりの心境がナゾだとワイドショ-はかまびすしいが、へそ曲がりの私は「これぞ、大女優のあかしじゃないか」と逆に応援したくもなる。

 

 冒頭の殺し文句で静子を演じる沢尻を口説き落とした太宰役の小栗はこんな風に語っている。「実際の沢尻さんはサバサバしていて話しやすい。静子との絡(から)みの場面も多かったと思うのですが、とてもやりやすく、助けてもらいました。静子との印象で強く残っているのは、撮影初日、バ-の奥の個室でキスする場面ですね。あそこから、太宰へのラストの人生が始まったという感じがあります」(パンフレットから)―。私の脳裏にも静子になり切った沢尻の迫真の演技が残像のようにこびりついている。

 

 沢尻エリカは「パッチギ!」(井筒和幸監督、2005年)で新人賞を総なめしたほか、「ヘルタ-スケルタ-」(蜷川監督、2012年)で日本アカデミ-賞優秀主演女優賞を受賞している。「虚」と「実」を自在に行き来することこそが、演技者にとっての欠かせない技(わざ)だと私は思っている。「堕ちるところまで堕ちた」…人間を失格したエリカはいま、そのどん底から「はい上がろう」としているのではないか。太宰を溺愛し、いまその男にバイバイを告げるようとする名優・エリカにエ-ルを送ろうではないか。自分にも「老いを味わう」―気分(11月17日付当ブログ参照)が少しは出てきたのか、と満更(まんざら)でもない今日この頃である。

 

 

 

(写真は静子(エリカ)と太宰(小栗)の逢瀬の一場面=インタ-ネット上に公開の写真から)

神話崩しの時代…偉人伝説のいま

  • 神話崩しの時代…偉人伝説のいま

 

 「隠された風景を見る/消された声を聞く」―。こんなキャッチコピ-にひかれて、『北海道大学 もうひとつのキャンパスマップ』(北大ACMプロジェクト編)なる本を入手した。当市花巻と北大とは切っても切れない縁がある。たとえば、北海道帝国大学(当時)の初代総長に就任した佐藤昌介(1856-1939)は当市に生を受けた。また、第6代学長の座についた島(しまよしちか=1889-1964)は父の実家の当市で幼少期を過ごし、のちに“リンゴ博士”として名をはせた。さらに、『武士道』で知られる当市ゆかりの新渡戸稲造(1862-1955)も佐藤とほぼ同時代を生き、北大の前身である札幌農学校で教鞭をとっている。

 

 「北大の植民地主義を考える」という章の中に佐藤と新渡戸が登場する。札幌農学校1期生の佐藤はのちに近代日本における「植民学」の基礎を築くことになる。ニュ-ジ-ランドの先住民族・マオリやネイティブアメリカン(インディアン)の統治に学びながら、佐藤は北海道開拓のありようを展望する。同書はこう指摘している。「佐藤の議論は、『植民地』である北海道に『資本』と『人(植民)』を投入することによって、発展段階を一足飛びに『進化』させることを目標とした」―。郷土の偉人伝説として語り継がれてきた「北大の父」が一方で、先住民族であるアイヌの「同化」政策の先駆けを果たしたことは地元ではほとんど知られていない。

 

 「われ、太平洋のかけはしにならん」と宣言し、国際連盟事務次長を務めた新渡戸は一般的には「平和・人道主義者」として認識されている。しかし実は佐藤と同様、植民学の系譜に属することに言及する論述はほとんど見られない。新渡戸は1906年に朝鮮を訪問した際、「枯死国朝鮮」と題する論文を残している。同書はその闇に踏み込んでこう喝破する。「新渡戸は朝鮮を『枯死国』と称し、自力で民族を発展させることができず、日本の『世話』がなければ『消滅する運命』、『亡国』に至るしかないものと認識している」―。朝鮮の植民地支配と現在に至る朝鮮蔑視の源流は、新渡戸のこの言にさかのぼることができるのかもしれない。

 

 郷土・花巻の偉人伝説(神話)の頂点に君臨するのは言うまでもなく「宮沢賢治」である。神話にはいつの時代でもタブ-(禁忌)がつきものである。つまり、それに異議を唱える側を排除しようという作用である。逆に言えば、その種の神話は誰かにとって必要であるからこそ、維持されるものでもある。「人間になった筈(はず)だがまた神に」という川柳が新聞に載っていた(11月16日「朝日新聞」)。大嘗祭(だいじょうさい)を皮肉った内容だったが、「天皇の政治利用」という意味ではその神格化ほど時の権力にとって、都合の良いものはなかろう。

 

 こんなことをつらつら考えていたら、唐突に賢治の「利権」という言葉が脳裏に浮かび上がった。賢治を「聖人君子」に祭り上げることによって、その恩恵に浴しようという風潮が最近ますます、勢いを増してきたような感じがする。花巻在住の在野の賢治研究者である鈴木守さんは『本統の賢治と本当の露』と題する著作で、こうした賢治“神話”(聖者伝説)の虚構に向き合い続けてきた稀有(けう)な人である。そのブログ「みちのくの山野草」(11月18日付)の記述に目を引かれた。私宅の近くにある「雨ニモマケズ」詩碑の写真が添えられ、こう書かれていた。

 

 「賢治さんが生前血縁以外の女性の中で最も世話になったのが高瀬露さんです。ところがどういうわけか〈高瀬露悪女伝説〉が全国に流布しているというのが実態です。そこでこのことについて、主に『仮説検証型研究』という手法に依って再検証をしてみましたところ、それは単なる虚構であり、〈高瀬露は悪女とは言えない〉がその『真実』だということを検証できました。よって、このことは重大な人権問題ですから、ここに報告します」―。神話に身を寄せる側にとっては、“不都合”な真実である

 

 詩碑の向こうから、賢治の声が聞こえたという。「そうなんです、露さんからはオルガンや讃美歌を教わったりしたことを始めとしていろいろと大変お世話になったというのに、露さんがとんでもない〈悪女〉にされているという実態を知り心を痛めています。これではまるで『恩を仇で返した』ということになり、残念でなりません。ですから、鈴木さんの論文が採用され、そのことによって、〈高瀬露は悪女とは言えない〉がその『真実』だということを広く知ってもらえることを祈っておりますよ」―。鈴木さんのこうした地道な研究を黙殺し続けてきたのが、賢治精神の継承を標榜する他ならぬ「宮沢賢治学会」だった。

 

 そういえば、こんなことがあった。「被災地に住む者として、少しでも賢治精神を実践しようではないか」―。3年ほど前、鈴木さんら地元の賢治愛好家らが中心になって、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた大槌町を支援しようと「募金運動」を立ち上げた。ところが、学会側(富山英俊代表理事=当時)の全面支援が得られると思いきや、逆にイチャモンをつけられるという前代未聞の事態が発生した。その時の代表理事当人が今年の宮沢賢治賞(奨励賞)に選ばれるという“椿事”(ちんじ)まで起きている。何かが倒錯している。賢治(の”利権”)を食い物にしていると言うほうが端的でわかりやすい。

 

 足元の「偉人」列伝をざっと見ただけでも、偉人は永遠に偉人でなければならないという、ある種の「法則性」が浮かび上がってくる。そして、その偉人をさらに偉人たらしめていくためには、異端者を排除し続けなければならないという悪循環を繰り返すしかないのだろう。これをひと言で言ってしまえば「差別」ということである。私たちはいま、こんな息苦しい「神話の時代」を生きているのかもしれない。「オレの本当の姿を見てほしい」という賢治の声が私の耳にも聞こえてくる。“聖者”扱いされることに一番、辟易(へきえき)しているのは当の賢治であるはずである―

 

 

 

(写真は北大構内に立つ佐藤昌介の胸像=インタ-ネットに公開の写真から)