HOME > ヒカリノミチ通信について

コロナ禍の中で、「アイヌ新聞」記者のことを思う

  • コロナ禍の中で、「アイヌ新聞」記者のことを思う

 

 『「アイヌ新聞」記者 高橋真 /反骨孤高の新聞人』(合田一道著、藤原書店)―ドキッとするようなタイトルの本が送られてきた。時を経ずして、敬愛するアイヌの古布絵作家、宇梶静江さん(88)から電話があった。「あなたも同業の記者経験者。差別に苦しみ続けるアイヌ民族の実態をきちんと伝えてね」。今年3月中旬、ある“アイヌ差別”をめぐって、ネット上は炎上していた。まるで、この騒動を察知したかのようなタイミングの刊行に身震いした。

 

 「この作品とかけまして、動物を見つけた時と解く。その心は、“あっ、犬”」―。3月12日、日テレ系の情報番組でアイヌ民族を描いたドキュメンタリ-を紹介した際、お笑い芸人がこんなナゾかけ問答をした。“あっ、犬”が「アイヌ」を連想されるとして、アイヌ民族などから抗議が殺到し、局側が謝罪すると同時に当人も「今回の件で僕の勉強不足を痛感しました。知らなかったとはいえ、長い年月にわたりアイヌの皆さまが苦しまれてきた表現をすることになってしまいました」と素直に頭を下げた。私は一連の騒動の中で「無知」ということを考えた。無知がもたらす「罪深さ」ということについて…

 

 冒頭に掲げた本はこの騒動のさ中の3月30日に発刊された。主人公の高橋真は北海道・幕別にアイヌを両親として生を受けた。警察官を志して、帯広警察署の給仕になったが、アイヌは警察官にはなれないと知り、新聞記者を目指した。「十勝新聞」や「十勝農民新聞」などの記者を経て、敗戦の翌年に「アイヌ新聞」を刊行。終刊するまでの1年余りに第14号まで続いた。前年、GHQ(連合国軍最高司令部)にアイヌ問題解決のための請願書を提出した高橋は高まる気持ちを創刊号にこう、書き付けた。「日本の敗戦は逆に日本人の幸福を招く結果となって、今やアイヌ同族にも真の自由が訪れ、我々アイヌは解放されたのである」(1946年3月1日付)―。

 

 「一万七千余のアイヌ民族の敵、それはアイヌから搾取を欲しい儘(まま)にする悪党和人である」(第2号、同年3月11日付)―。1976(昭和51)年、56歳の若さで亡くなった高橋の短い人生は差別と同化を強制した「北海道旧土人保護法」(1899=明治32年)の撤廃を求める血みどろの戦いだった。その過激な言動は差別の激しさの裏返しでもあった。「アイス」という看板を目にしただけでも足がすくんでしまう…私自身、こんな苦悩をアイヌの友人から直接、聞いたことがある。「止伏寒二」のペンネ-ムで高橋は「大東亜十億民衆の解放」という独自の視点の「アイヌ差別廃止論」(1946年6月11日付)を展開している。以下に筆者の合田さん(元北海道新聞記者)の解説を引用する。

 

 「日本国土にいるアイヌ民族をはじめ、(植民地下で)日本人として取り扱われている台湾人、半島人(高橋の原文のママ。朝鮮半島の人々)を解放せずして、東南アジア人の解放などない、と論じる(高橋)真の視点は明快で鋭い」―。同書の出版と前後して、この世を去った元韓国人BC級戦犯、李鶴来(イ・ハンネ)さんの面影がこの文章に重なった(3月7日付当ブログと同29日付当ブログ「追記」参照)。救済と名誉回復を果たせないままに逝(い)ったこの「不条理」をいち早く見抜いていたのがアイヌ民族だったことに胸を突かれた。

 

 “あっ、犬だ”発言をめぐっては、放送倫理・番組向上委員会(BPO)が放送倫理違反の疑いで審議することを決めたらしい。(おのれの感染に気が付かない)無症状者群がコロナ禍を一挙に拡大したように、「そんな倫理なんかの次元じゃないよな」と私はブツブツと自問を繰り返す。ふいに、かのソクラテスの名言「無知の知」を思い出した。「知らないこと」よりも「知らないことを知らないこと」の方が罪深い―という例のやつである。そういえば、連続射殺事件を起こした死刑囚、永山則夫の獄中記のタイトルも『無知の涙』だった。4月3日付朝日新聞のコラム「多事争論」にこの差別発言に触れた文章が載っていた。ほぼ同感である。

 

 「無数の言葉が咀嚼(そしゃく)を拒み、より硬度と速度を増してネット空間を飛び交っている。腑(ふ)に落ちる前の言葉を次から次へと交換し、『いいね』とうなずきあう。私たちは、そんな幻想の連帯の時代を生きている。言葉を吐く前の逡巡(しゅんじゅん)をショ-トカットし、吐いてしまった言葉を悔いる人が増えるのは、当然のなりゆきだろう。ざらついた心が生む侮蔑の表現も、分断を分刻みに再生産し続ける。ネットという目に見えぬ異界から、大量のつぶてを浴びる。そんな新しい風景を耐え抜く胆力を、現代の私たちはまだ鍛え切れていない。心がすくむ」

 

 戦後、「北海タイムス」の記者などをした高橋は自らが主宰するアイヌ問題研究所の紀要に「アイヌ残酷物語」(1961年)と題する長文の論考を掲載している。血の吐くようなこの叫びから今回の差別発言に至るまで、わずか60年の時空しか隔たっていない。

 

 

(写真は「アイヌ記者」高橋真の苦闘の足跡を追った話題本)

 

 

 

《追記》~柏葉講演会の動画

 

 4月25日に開催され、好評をいただいた童話作家、柏葉幸子さんのオンライン講演会「図書館と私」の動画を「新花巻図書館ーまるごと市民会議」のフェイスブックにアップしました。どうぞ、ご覧ください。

 

 

柏葉ワ-ルド、全開!?―「図書館と私」オンライン講演会

  • 柏葉ワ-ルド、全開!?―「図書館と私」オンライン講演会

 

 「図書館のあり方をみんなで考えよう」―。「新花巻図書館―まるごと市民会議」主催の第4回オンライン講演会が4月25日(日)午後2時から開かれた。講師は当市出身の童話作家、柏葉幸子さん(盛岡市在住)。デビュ―作の『霧のむこうのふしぎな町』(1974年、講談社児童文学新人賞)はのちに、空前のブ-ムを呼び起こした宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」(第52回ベルリン国際映画祭金熊賞)のモチ-フになったことで知られる。1時間の持ち時間をフルに使い、時にユ-モアを交えた“柏葉ワ-ルド”に参加者は酔いしれた。

 

 「いま、コロナ禍でふるさとに戻れない悲しみを多くの人が抱えている。この作品も10年前の東日本大震災をきっかけにしたある種の“ふるさと喪失”物語。そんな視点で読んでもらえたら…」―。柏葉さんは舞台化や映画化で話題を呼んでいる『岬のマヨイガ』(2016年、野間児童文芸賞)に触れて、こう語った。この作品のもう一方の主人公は『遠野物語』に登場するカッパやオオカミなどの妖怪たち。舞台化に当たっては世界的に有名な人形劇師、沢則行さん(チェコ在住)が担当した。「人形に仕立てたのが大当たり。その沢さんが今度はコロナ禍のため、チェコに戻れなくなった。お陰でずっと、舞台指導をやっていただけた」と笑いを誘った(2月11日付当ブログ参照)

 

 「図書館って、ひとつの人格ではないのか」と言って、柏葉さんは一冊の本を紹介した。『炎の中の図書館―110万冊を焼いた大火』(ス-ザン・オ-リアン著、羽田詩津子訳)…米国史上最悪の図書館火災に見舞われたロサンゼルス中央図書館の復興の足跡を追ったルポルタ-ジュである。「この本を読みながら、図書館とは司書と利用者が一緒になって育てていくもんだとつくづく、思った」と柏葉さん。アフリカのセネガルでは人が亡くなることを「図書館が燃えた」と表現することをこの本で知った。たぶん、柏葉さんも同じことを言いたかったのではないだろうか。

 

 「よく、編集者から言われるんですよね。あなたの本は推理小説と漫画を一緒くたにしたみたいだ、と。要は根がオッチョコチョイなんですね。そのオッチョコチョイが底をついたみたい。よく、これまで無事に生きて来れたもんだと思います。物書きのかたわら薬剤師もずっと、やってきました。だって、児童書だけじゃ食っていけませんもの」―当年、67歳の柏葉さんは最後までユーモアを忘れなかった。

 

 質疑の中で「花巻らしさとは何か」―を問われた柏葉さんは「う~ん、よくわからない」と口ごもりながら、モゴモゴと続けた。「(宮沢)賢治さんも読まれているし、それを表に出して図書館づくりを考えるとか…」。考えて見れば、賢治は銀河宇宙を飛翔(ひしょう)し続けた童話作家だった。「柏葉作品も宇宙や異界を股にかけている点ではおんなじだな」と妙に得心した。まこと、「イーハトーブ」とは岩手・花巻のことだったことにハタと心づいたのだった。賢治の造語であるこの言葉は一般的には「理想郷」という意味で使われることが多いが、初出の『注文の多い料理店』(広告チラシ)では「ドリームランド」と表現している。”夢の国”―私にはこっちの方がぴったりくる。そう、「理想の図書館」から「夢の図書館」へ……

 

 この日の講演会の録音動画は「まるごと市民会議」のホ-ムペ-ジとフェイスブック上で近く公開する。

 

 

 

(写真は笑顔を浮かべながら、話す柏葉さん。ユ-モアいっぱいの講演に参加者は魅了された=4月25日午後、インタ-ネット上の画面から)

急告―柏葉講演会(オンライン)のチラシ訂正方

  • 急告―柏葉講演会(オンライン)のチラシ訂正方

 

 4月18日付当ブログ「第4回『図書館と私』オンライン講演会…『まるごと市民会議』主催」のチラシ上のQRコ-ドが間違っていました。開催日が迫っている中で、ご迷惑をおかけしますが、正しい表示に差し替えます。つつしんで「お詫びと訂正」を申し上げます。

魂の贈り物

  • 魂の贈り物

 

 気持ちが落ち込んでいる時、まるで心の内を見透かすようなタイミングで、その人は”言(こと)の葉(は)”を届けてくれる。今回のそれは批評家で随筆家である若松英輔さんの詩集『たましいの世話』―。「先に逝ってしまった大切なあなたへ」と帯にある。ペ-ジをめくると、「いのち ひとつ」と題する詩が目に飛び込んでくる。こんな詩である。

 

亡くなったのは

わたしが愛した

あの人で

千人の中の一人ではないのです

 

もう 抱き合えない

あの人は

街を歩く 千人を

どんなに探しても

見つかりません

 

亡くなった人が

多いとか

少ないとか

そうした

話しの奥には いつも

 

たった ひとつの

いのちを喪った

わたしのような

人間がいるのを

忘れないで下さい

 

 「約束」「悲しい人」「はげまし」「しあわせのあかし」「慰めの方法」「別れ」「なぐさめの真珠」「透明な釘」…。こんなタイトルの詩編が34、並んでいる。たとえば、亡き妻が好きだったヨハン・パッヘルベルの「カノン」の旋律をそのひとつひとつに重ねてみる。「生きる」ということの意味を底支えしてくれる、かけがえのない時間である。

 

 

 

(写真は生前の妻が片時も離さなかったCD。若松さんの詩編にすう~っと、溶けこんでいくよう)

 

 

第4回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

  • 第4回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

 

 

 「図書館のあり方をみんなで考えよう」―。「新花巻図書館―まるごと市民会議」主催の第4回オンライン講演会が4月25日(日)午後2時から開かれる。講師は当市出身の童話作家、柏葉幸子さん(盛岡市在住)。デビュ―作の『霧のむこうのふしぎな町』(1974年、講談社児童文学新人賞)はのちに、空前のブ-ムを呼び起こした宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」(第52回ベルリン国際映画祭金熊賞)のモチ-フになったことで知られる。

 

 野間児童文芸賞を受賞した『岬のマヨイガ』(2016年)は東日本大震災に遭遇した3人の女性がマヨイガ(迷い家=古民家)で共同生活しながら、きずなを強めていくという物語。『遠野物語』に登場する妖怪たちとの交流も描いた異色作。今年になって、竹下景子主演で舞台化されたほか、今年中の映画化が決まっている。演題はずばり「図書館と私」―。『モンスタ-ホテル』シリ-ズや『かいとうドチドチ』シリ-ズなど数多くの作品が繰り広げる変幻自在な“柏葉ワ-ルド”へどうぞ。4月1日付の広報「はなまき」や「まるごと市民会議」のフェイスブックなどで参加方法を案内しています。

 

 私事になるが、柏葉さんとは今回、約20年ぶりの再会となる。2002年4月20日―。「千と千尋の神隠し」の上映会場となった花巻市文化会館大ホ-ルは立ち見が出るほどの観客であふれ、外には入りきれない人たちの長蛇の列ができた。隣接する図書館では映画の上映に合わせて、1週間にわたって「柏葉幸子童話作品展」が開催された。宮崎駿監督は当時、こんな風に語っていた。「その頃、『霧のむこう…』という70年代に書かれた児童文学の映画化を検討してみたんです。正直、僕はその話のどこが面白いのか分からなくて、それが悔しくてね。映画化することで、その謎が解けるのではないかと…」(当時のパンフレットから)―

 

 その2年前、42年ぶりにふるさとに戻った私は映画館が姿を消してしまった街のたたずまいに愕然(がくぜん)とした。仲間たちに声をかけ、「『花巻に映画の灯を再び』市民の会」を結成。その旗揚げ記念に計画したのが宮崎アニメと童話作品展の同時開催だった。1日3回の上映会は大盛況で終わった。私たち「市民の会」は益金の一部で柏葉作品を買いそろえ、花巻市立図書館に寄贈した。あれから20年、今度は柏葉さんからその図書館とのかかわりを聞く機会を得たことに不思議な縁(えにし)さえ感じる。「図書館(本)とは実に出会いの広場なんだ」と……

 

 

《注》~マヨイガ

 

 東北や関東地方に伝わる、訪れた者に富をもたらすとされる山中の幻の家、あるいはその家を訪れた者についての伝承。たとえば、柳田国男の『遠野物語』(1910年)には「無欲ゆえに富を授かった三浦家の妻の成功譚」(第63話)や「欲をもった村人を案内したせいで富を授かれなかった若者の失敗譚」(第64話)などが紹介されている。マヨイガは遠野地方の呼び名で、「山奥の長者屋敷」として語り伝えられている(ウキペディアなどより)

 

 

 

 「新花巻図書館―まるごと市民会議」設立趣意書

 

 

 「図書館って、な~に」―。コロナ禍の今年、宮沢賢治のふるさと「イ-ハト-ブはなまき」では熱い“図書館”論議が交わされました。きっかけは1月末に突然、当局側から示された「住宅付き図書館」の駅前立地(新花巻図書館複合施設整備事業構想)という政策提言でした。多くの市民にとってはまさに寝耳に水、にわかにはそのイメ-ジさえ描くことができませんでした。やがて、議会内に「新花巻図書館整備特別委員会」が設置され、市民の間でもこの問題の重要性が認識されるようになりました。「行政に任せっぱなしだった私たちの側にも責任があるのではないか」という反省もそこにはありました。

 

 一方、当局側は「としょかんワ-クショップ」(WS)を企画し、計7回のWSには高校生から高齢者まで世代を超えた市民が集い、「夢の図書館」を語り合いました。「図書館こそが誰にでも開かれた空間ではないのか」という共通の認識がそこから生まれました。そして、その思いは「自分たちで自分たちの図書館を実現しようではないか」という大きな声に結集しました。

 

 そうした声を今後に生かそうと、WSに参加した有志らを中心に「おらが図書館」を目指した“まるごと市民会議”の結成を呼びかけることにしました。みんなでワイワイ、図書館を語り合おうではありませんか。多くの市民の皆さまの賛同を得ることができれば幸いです。

 

2020年10月25日 

 呼びかけ人代表  菊池 賞(ほまれ)