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トド(海馬)を殺すな、ジュゴン(海牛)も殺すな…

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 「トドを殺すな、トドを殺すな/俺達みんなトドだぜ/おい撃つなよ、おい撃つなよ/おいおい俺を撃つなよ/そこの人!俺を撃つなよ」―。頭蓋の底にこびりついていた、まるで咆哮(ほうこう)とでもいうべき歌と旋律が突然、目を覚ましたようだった。「あの酔いどれ歌手がまだ、健在だったのか」と年甲斐もなく目頭が熱くなった。競輪評論家で絵描きでもある「友川カズキ(かずき)」(68)である。『週刊金曜日』(2月1日号)のロングインタビュ-で数十年ぶりに再会を果たした。1976年にリリ-スした「ドトを殺すな」を、友川は東北弁を使って吠えるように歌う。北海道・羅臼の荒れ狂う海がその歌の背後から立ち上がってくる。

 

 秋田出身の友川は能代工業高校時代はバスケットボ-ルに打ち込み、その後、肉体労働を続けながら作詞・作曲を積み上げ、1970年代に衝撃的なデビュ-をした。ウイスキ-を飲みながらギタ-をつま弾く、その指先から弦が一本、一本と切れていく…こんな伝説を持つ友川の歌に出会ったのは40年近く前の北海道勤務時代。知床半島の付け根に位置する羅臼沖のオホ-ツク海には巨体を持て余すトドの群れが岩礁に寝そべっていた。漁師町の中心部に「海馬屋」を名乗る居酒屋があった。海馬、つまりトド肉を食べさせる店だった。お世辞にも美味しいとは言えなかった。片隅には何やら怪しげに「幸福を呼ぶヒゲ」と銘打ったトドのヒゲが土産用に並べてあった。トドの生首がイベント用に展示されたこともあった。

 

 「海のギャング」―。漁網などを破り、魚を食い荒らすトドは漁師たちの嫌われ者だった。1960年代、有害駆除の名目で自衛隊が出動する騒ぎに発展した。航空自衛隊のF-86戦闘機による機銃掃射、さらに陸上自衛隊の重機関砲や小銃がトドの根城―”トド島”をめがけて発射された。しかし、実際は駆除に名を借りた射撃訓練だった。当時の新聞によると、3300発の砲弾がわずか15分の間に打ち込まれたケ-スもあった。ひょっとして「とどめを刺す」の語源は、ここに由来するのではないのかとさえ思った。NHKのロ-カルニュ-スは「春の風物詩」として報道した。「役にたてば善だってさ、役にたたなきゃ悪だってさ」と友川はイントロの部分でこう叫ぶ。「トドを殺すな」は生きとし生けるものに平気で銃を向ける時代に対するプロテストソングでもあった。

 

 北の海に生息する「海馬」(トド)に対して、南の海を生きるのは「海牛」とも呼ばれる「ジュゴン」である。「ジュゴンを殺すな、俺達みんなジュゴンだぜ…」とひとり口ずさんでみる。かつて、トドが機銃掃射を浴びせられたようにいま、沖縄の「辺野古」新基地建設現場では大量の土砂がサンゴ礁の海に投入され、ジュゴンたちは行き場を失いつつある。いやすでに個体数が減っていると言われる。どうしたわけか、不意に映画「シン・ゴジラ」(庵野秀明脚本・総監督)のシ-ンが二重写しになった。トドもジュゴンも、そしてゴジラも…その受難が何か既視感のある光景として、脳裏に浮かんだのである。武器を向けられているのは、実は私たち自身に対してではないのか。

 

「巨大不明生物」(シン・ゴジラ)の正体は海底に捨てられた大量の放射性廃棄物を摂取して生き返った太古の海洋生物。存亡をかけた攻防が続けられ、ついに米国が主体となった多国籍軍による熱核(ミサイル)攻撃が実行に移されることに。結局、血液凝固剤を注入することによって、シン・ゴジラを「凍結」することに成功。首都圏へのミサイル攻撃はすんでのところで回避される―。友川はこうした時代の暗部をまさに予言的に歌い、いまも歌い続けているのではないか。「自他に抗(あらが)う―表現者のハシくれとして」というタイトルのロングインタビュ-で、友川はこう語っている。

 

「だからこの国は貧相なんだよ。政治だけじゃない。この民度の低さ、あくび出るだろ、つまらなくて。オレも含めて、悶々とするのはそこなんだよ。その自覚はあるんだよ。くだらないんだよオレも。最低だもん、だから許せない。そういう社会を許してる自分も許せない。でもそういう許せない自分に対して(自分が)生意気だからつらいんだよ。創造と破壊は、過激であればあるほど破滅に向かうのは自明なの。創造と破壊は同時進行だから。ずっと寂滅(じゃくめつ)、ずっと絶望」―

 

 私の妻は昨年夏に旅立った。その亡骸(なきがら)を沖縄・石垣島のサンゴ礁の海に葬った時、島生まれの小学生の二人の孫たちが言った。「おばあちゃんは死んだんじゃない。ジュゴンに生まれ変わったんだよ」。私(たち)は絶望しながらも、いや絶望しているからこそ、友川流に歌い続けなければならないのだと思う。「俺達はトドだ、俺達はジュゴンだ、沖縄の人たちはみんなジュゴンだ、そして俺達日本人はみんな(シン)ゴジラだ。俺達を殺すな!!妻も殺すな…」と―。

 

 

 (写真はウイスキ-の水割りを飲みながら演奏する友川さんと絶滅が心配されるトド。アメリカとロシアでは絶滅危惧種に指定されている=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

  

花巻市議会、生きてますか…「死んでま~す」

  • 花巻市議会、生きてますか…「死んでま~す」

 

 花巻市議会報告会(「市民と議会との懇談会」)が開かれた5日、まるで狙いを定めたようなタイミングで朝日新聞全国版の特集面に「地方議会 生きていますか」という記事が掲載された。川崎市議会議員の小田理恵子さんら3人の当事者が地方議会の危機を憂(うれ)うる内容だったが、その日の夕方、まさに目の前でそのことが現実となって現われた。私は昨年夏に引退するまでの2期8年間の議員生活の経験を踏まえた上で、今度は一市民の立場から見えてきた視点で、次の4点についての質問を用意していた。①副市長の複数性、②花巻市議会基本条例、③監査委員を兼任する議員と議長・副議長の質問権、④議員定数削減、⑤議会だより「花の風」の編集方針―いずれも市民目線でとらえた重要課題である。

 

たとえば、当市の副市長職は定数条例で「2人とする」と定められている。私の質問に対し、上田東一市長は平成29年9月の決算特別委員会で「今の副市長の仕事の分量、あるいは貢献いただいていることからすると、必要だと考えています。1人では到底無理だと思っています」と答弁している。ところが、一人体制になって1年近くが経過し、さらに今年1月末にはもう一人も退任し、「副市長ゼロ」という異常事態になっている。「市長発言からも行政執行上の停滞が懸念される。二元代表制の建前から議会側には監視義務があるのではないか」とただしたのに対し、出席議員は「当局任せで、そこまでは思いが及ばなかった」と非を認める発言をした。ハプニングは④の質問の最中に起きた。

 

「この質問はこの場にふさわしくない。あなたの質問にみんな疲れている。個人として議会側に問いただせばよい」―。答弁をさえぎる形で、ある市民が突然発言した。一瞬、頭が真っ白になった。「議員定数の問題は議会活動を支える生命線ではないのか」と口ごもっていた次の瞬間、今度はさらに信じられない出来事が現出した。司会役の大原健議員(無所属)がこの発言を「動議」として認めるとし、「何人かの参加者の方々もうなずいていた」とこれに同調する態度を見せた。これこそが永田町界隈(国会内部)でよく見かける「印象操作」ではないのか。まさか「サクラ」とは思いたくはないが、この市民の発言の真意を測りかねた。実際にそう思ったのかもしれない。そんなことよりも、私は一市民の“不規則発言”をタテに質問を封じようとする魂胆(こんたん)にうそ寒い精神の堕落を見た思いがした。腐臭が漂ってきた。「公正性を担保できない司会者の下では、いくら質問を続けてもムダだ」として、私は残余の質問をとりやめた。

 

「地方議会 生きてますか」―の中で、前出の小田議員はこう語っている。「まず、驚いたのは議員同士がほとんど議論をしないこと。都市計画や予算配分などの大きな問題について、議会の総意で対案をつくり、首長や行政に提示することはできていない。ほとんどの地方議会に、議員間で合意形成するという文化がないんですね」―。

 

質疑応答の中身について、逐一報告しようと思っていたが、その気力も萎(な)えてしまった。想像力を駆使して問答の光景を思い描いていただければ…。「議員との自由な意見交換」(開催要領)―のこれが実態だった。9年前、議会の「最高規範」として制定された「議会基本条例」は次のように規定している。「議会は、市政の監視及び評価並びに政策立案及び政策提言を行う機能が十分発揮できるよう、円滑かつ効率的な運営に努めなければならない。議会は、公正性及び透明性を確保し、市民に開かれた運営に努めなければならない。議会は、市民の多様な意見を的確に把握し、市政に反映させるための運営に努めなければならない」(第4条「議会の活動原則」)―

 

お~い、「花巻市議会、生きてますか」―。「死んでま~す」という声があちこちから聞こえてくる。

 

議会報告会は2月6日も大迫交流活性化センタ―。東和図書館、石鳥谷生涯学習会館で開催される(いずれも午後6時半から)。議会の実態を知るためにも多くの市民の皆さんに足を運んでいただき、活発な意見交換を尽くすことを切に望みたい。朝日新聞はこの日もたまたま、特集を組んでいた。タイトルは「誰のための地方議会」―

 

 

 

(写真は29人の市民が参加した議会報告会=2月5日午後7時半過ぎ、花巻市花城のまなび学園で)

地図から消される街…そして、サンゴ礁の海では

  • 地図から消される街…そして、サンゴ礁の海では

 

 「この間、避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐(あわ)れみを向けられ、次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい『無関心』だ。話題を耳にすることが激減した」と著者の女性記者(朝日新聞)、青木美希さんは自著『地図から消される街―3.11後の「言ってはいけない真実」』のはじめにの中にこう書き、エピロ-グをこう結んでいる。「被害者、避難者の声は、復興、五輪、再稼働の御旗のもとにかき消されていく。…あとには何もないまち。名前をなくすまち」―。福島第一原発事故の「その後」を地べたを這いまわるようにして取材してきた「言ってはいけない真実」の告発書である。

 

 「『すまん』原発事故のため見捨てた命」(序章)、「声を上げられない東電現地採用者」(第1章)、「なぜ捨てるのか、除染の欺瞞」(第2章)、「帰還政策は国防のため」(第3章)、「官僚たちの告白」(第4章)、「『原発いじめ』の真相」(第5章)、「捨てられた避難者たち」第6章)…。たとえば、帰還率「4・3%」の実態や全国各地をさ迷う数万人単位の避難者、母子避難者の自死―など、人や街そのものが「消されていく」過程が生々しく語られている。私にも既視感がある。

 

 石炭から石油、そして原発へ―。いわゆる「エネルギ-革命」は「スクラップ・アンド・ビルド」政策とも呼ばれ、ある地域社会をそっくり、葬り去ることよって可能になった。そのひとつ―「筑豊」は九州北部の日本最大の産炭地の代名詞だった。写真家、土門拳の『筑豊のこどもたち』(昭和35年)は底辺の子どもたちの、貧困の中にありながらも明るさを絶やさない表情をとらえた代表作である。駆け出しの記者だったころ、閉山炭住の一角である「いじめ」を取材したことがある。セ-ラ-服を身に着けないで登校したことが原因だった。夫が炭鉱を追われ、無一文になった母親がこの制服を質に入れていたことが後でわかった。「筑豊」からはもうとっくに炭鉱は姿を消し、その名を知る人も少ない。

 

 「この中には漁師の声がいっぱい詰まっている。おまえにはペンがあるだろうが…」―。記者として千葉に赴任した時、私はある漁協組合長から膨大な資料を託された。綴りは全部で二十数冊。感圧紙を使って書かれた、ゴツゴツした字面は海が奪われていった軌跡を克明に記録していた。14年前、この時の資料をもとに『東京湾が死んだ日―ルポ/京葉臨海コンビナート開発史』と題した単行本にまとめた。「村で何が起こったか」(第1章)、「追いつめられる漁師たち」(第2章)、「狂騒の浜」(第3章)、「埋め立てその後」(第4章)、「世紀末の光景」(第5章)…。章立ての骨格が青木さんの著書と余りにも似ていることに驚いた。私はこの本のプロロ-グに「不可視の領域」というタイトルでこう書いた。

 

 「ふと、思った。炭鉱であろうと、(石油)コンビナ-トであろうと、その空間を支配するものにとっては、無法と悪意が保障された自由の空間―それが『不可視』の領域ではないのか。高度経済成長はこうした『不可視』の領域を増殖させることによって、初めて可能になったのだと思う、そして、それを促してきたのは、私たちの側の記憶の風化あるいは喪失といったものである。私たち日本人は『忘却』こそが『進歩』だという錯誤を繰り返してきたように思う。いや、『忘却』こそが『進歩』を可能にするという錯誤といった方がいいかもしれない」―。この領域にいまさらに、原発被災地を加えなければならない。

 

 福島県南相馬市のJR常磐線原ノ町駅近くの真宗大谷派原町別院に安置されている4人分の遺骨について、青木さんは『地図から消される街』の中にこう記している。「引き取り手がない、九州などから出稼ぎに来た除染作業員たちのものだ。除染作業は、放射性物質に汚染された草を刈ったり、表土を取り除いて袋に入れて運んだりするのが主だ。悪質な業者も多く、除染手当の不払いも横行していた。被爆を防ぐマスクがない。ほとんどの作業員が泣き寝入りした」―。ゼネコンが除染作業を仕切り、政府は「除染―復興」を口実に帰還を促し、その最前線では非業の死が積み重なっていく。そして、五輪音頭のラッパの最前線にはマスメディアが勢ぞろいしている。

 

 作家、山本周五郎の代表作『青べか物語』の中に「鱸(すずき)拾い」という話がある。「鱸という魚は相当ぬけたところがあるそうで、汐(しお)の退(ひ)くときに汐が退くことをど忘れして、気がついてみると干潟の中の汐溜りに残されていまい、そこから遁(のが)れ出ようとしていたずらに『あばける』のだという。それを見つけて捕るのだから、字義通り『拾う』のであって、私もしばしば、鮭くらいの大きさの鱸を、肩にひっかけて帰る労務者を見かけたことがあった」―。かつて「沖の百万坪」と呼ばれた魚介類の宝庫だったこの海の上にはいま、東京ディズニ-ランドが鎮座し、周五郎の世界はその足下に没している。

 

 決して消すことができないのは「消された地図」の背後から聞こえてくる呪詛(じゅそ)のような声たちである。青木さんは今日もその声を拾い集めている。そして、私の脳裏にはアメリカ直輸入の巨大レジャ-ランドのたたずまいが、沖縄の「辺野古」新基地建設の暴力的な現場と重なりながら去来する(2018年12月14日付当ブログ「日本一の無法地帯…辺野古から」参照)。「沖の百万坪」がそうであったように、サンゴ礁の海も日々土砂の下に消えていく。「パクス・アメリカーナ」(米国の覇権=つまりは日本の属国化)が足元から忍び寄ってくる。それを後押ししているのはここでも青木さんが指摘する、多くの国民の「無関心」である。

 

 

 

(写真はゴ-ストタウンと化した被災地。無人の通りを野放しの家畜がわがもの顔に歩き回る=福島県浪江町で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

余命、一年半…

  • 余命、一年半…

 

 「女房に先立たれた夫は大体、2年以内に死ぬらしいぞ」―。歯に衣着せぬ知友のジャズミュ-ジシャン、坂田明さん(73)からこう忠告された。「健康に気を付けて、長生きしてください」という何か恩着せがましい励ましよりはずっと、ありがたい。一方で「逆もまた真なり」―、夫に先立たれた女房は長生きするというデ-タはこの長寿社会の中ですでに実証ずみである。私の場合はその逆になってしまった。ミジンコの研究者でもある坂田さんからいつだったか、「こいつの命はまるで透けて見えるんだよな」と顕微鏡をのぞかせてもらったことがある。本当にそう見えた。いやはや、命の中までお見通しとあっては…。というわけで、私は心機一転、新年早々からスポ-ツジムに通い始めたのだった。当年78歳―末期高齢者の悪あがき!?

 

 本日29日で妻は没後6カ月を迎えた。坂田さんの定理に従えば、私に残された余命は最大であと一年半ということになる。「いい年をして、今さら命乞いか」という意地の悪いヤジに対しては、苦し紛れにこんな屁理屈を伝えることになる。「そうじゃない。残された1年半には身の回りの整理やこれまで不義理を重ねてきた友人知人へのあいさつなどやることがたくさんある。だから、それをやり遂げるまでは死ぬわけにはいかない。余命を全うするためのやむを得ざる予防措置だよ」―。「やもめ暮らし」を心配してくれる親切な人たちも後を絶たない。ある人が「死別は最大のストレス」というタイトルの新聞記事の切抜きを持って来てくれた。これにはまいった。ある大学教授がこんなことを語っていた。

 

 「遺族ケアでリスクが高いのは高齢の男性。仕事一筋の現役生活を過ごした男性は、家庭や地域を顧みなかったツケが老後に回ってくる。交際範囲が狭く、ほぼ唯一の相談相手である妻に先立たれると、一気に日常が破綻する。下着が見つからないといった程度なら笑えるが、料理ができずに食生活が偏り、生活習慣病を悪化させたり、孤独感からアルコ-ルに頼ったりする人も多い。放置すれば孤独死しかねない。さらに厄介なのは、精神科医療への偏見が強いこと。受診を勧めても、『沽券(こけん)かかわる』などと抵抗。受診者の8割はやはり女性だ」(2017年9月15日付「岩手日報」)―。おいおい、これって、我輩のことではないのか!?そして、今度は…

 

 「おいおい、これって、現代版の『タ-ヘル・アナトミア』(解体新書)ではないのか」―。ジム通いを始めて、これにはもっとまいった。胸、腕、腹、背中、肩、臀部(でんぶ)…。所狭しと置かれた健康器具にはまるで、“腑(ふ)分け”した人体解剖図のような写真が張り付けられ、使用方法が書かれている。「あっ、そうですか。腰の痛みとお腹の出っ張りですね」と若いインストラクタ-が親切に指導してくれる。平日の日中なので私のようなシニアが多い。みんな、何かに取りつかれたように器具を操っている。顔からは噴き出るような汗が…。みんな、そんなに長生きしたいのかなあ。

 

 部位ごとに人工筋肉をこしらえていくさまはまるで、マシ-ンの奴隷ではないかとさえ思えてくる。目の前のテレビに熱中しながら、身体は規則正しい動きを継続する。これって、あの“人造人間”じゃないのか。ゾッとした。「で、おまえさんは何のためにここに来ているのか」―そんな自問が不意に口をついてでた。「うん、それはさ。さっきも言ったように命乞いではなく、つまりは“終活”を存在論(オントロジ-)的な視点で考えて見よう、と…。生き延びようとするのではなく、死を意識して生きるというということさ」(1月25日付当ブログ「『おためごかし』という偽善」参照)―。だんだん、応答がしどろもどろになってくる。

 

 遠音にまたヤジが聞こえてきた。「そんなに格好をつけるんじゃないよ。あんたもしょせんは命が惜しいだけなんだろ」―。隣のシニア男性に負けず劣らず、身体全体から汗が噴き出してきた。ヤジの通りかもしれないなと思った。ひとりの老いぼれた“偽善者”がスポ-ツジムの片隅にぽつねんと佇(たたず)んでいる。さて、今晩の酒のさかなは何にしようかな。いやはや。それはそれとして…坂田大兄、生きる勇気を与えていただき、本当にありがとうございました。

 

 

(写真はスポ-ツジムの訓練のひとこま。いまやシニアの間でも人気が上昇している=インタ-ネット上に公開の写真から)

  

 

「おためごかし」という偽善

  • 「おためごかし」という偽善
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 本を閉じ、ふ~っとため息をつきながら、私はひとりごちた。「この世に対する、これは絶望の書ではないのか」と…。ダダイストの辻潤(1844―1944年)はその名もずばり『絶望の書』(1930年)の中にこう記している。「自分はなんだ?…という疑問に対して、一切無であるという定義は同時になんの定義でもあり得ないが、それ以上に明確な答えはあり得ないのだ…矛盾ということはまた一切であり、同時に無だという意味を含んでいる。一切の現象はそれが、現象である限り、悉(ことごと)く矛盾しているのである。矛盾は現象を成立する根本原理に他ならない」―。「存在論」(オントロジ-)の根本を問う、この呪文みたいな言葉が違和感なく、その本に重なった。

 

 「善良無害をよそおう社会の表層をめくりかえし、だれもが見て見ぬふりする、暗がりを白日にさらす」―。作家、辺見庸さんの最新作『月』のキャッチコピ-にはこんなおどろおどろしい文章がおどっている。「存在」と「非在」、「狂気」と「正気」…。人間存在のあわいを書き続けてきた作家の関心は当然のように「相模原障がい者施設殺傷事件」へと向かう。2016年7月、神奈川県相模原市内の知的障がい者施設で、元職員の男性(当時26歳)が刃物で19人を刺殺し、職員を含めた26人に重軽傷を負わせた戦後最悪の事件である。「さとくん」(園の職員)と「き-ちゃん」(園の入所者)を小説の主人公にすえ、その内面をえぐり出すようにして、物語は進行する。たとえば、二人の間にこんなやり取りめいたことがある。

 

 さとくん;「まったくね…あんたは、なんなんだい?いったい、なにから生まれてきたんだい?なんのために?ひとからかい?まさか…」「しんじらんない。あんた、なにしに生まれてきたんだよ…なくてもよかったろうに…」(作者注・さとくんは表面は明朗快活な性格で、園の人気者だったが、後に退職。園の仕事をつうじ「にんげんとはなにか」といった大テ-マをかんがえるようになり、「世の中をよくしなければならない」と決心する)

 

 き-ちゃん;「そのとき、あたしは澄んでいた。なにか、背筋に快感をおぼえた。やったあ、とおもった。さとくんいがいのだれが、わたしにじかに、こんなことを問うだろう。こんなにも、きほんてきなことを。むきだしの、ぶしつけな、きほん。…わたしは無から生まれてきた。だから、あたしは無だ。」(作者注・き-ちゃんはベッドの上にひとつの“かたまり”として存在しつづける。性別、年齢不明。目がみえない。歩行ができない。上肢、下肢ともにまったくうごかない。発語ができない。顔面をうごかせない。からだにひどい痛みをもち、ときに錯乱し悩乱する。しかし、かなり自由闊達に「おもう」ことができる。すべての「無化」を希求している)

 

 当時、この“極悪非道”な殺人事件に世間は驚愕(きょうがく)させられた。国民のほどんどは障がいのある人たちに心からの哀悼を捧げ、犯人に対しては激しい憎悪の目を向けた。マスメディアも、そしてこの私も…。辺見さんはそうして善意とか正義とか平等とかの背後にうごめく「ウソさ加減」を書こうとしたのではないのか。「人間には誰しも生きる権利がある」などという正論をヘラヘラと口にする私たち自身の内部に巣くう「浄化(クレジング)と排除の欲動」(本書帯文)…。ナチスドイツを引き合いに出すまでもなく、この国はわずか23年前まで知的障がいや精神に疾患のある人に強制不妊をほどこす「旧優性保護法」(1948年―96年)を許してきたではないのか。辺見さんはこの正体を「おためごかし」と呼んでいる。つまりは「偽善」ということである。

 

 フィナ-レの部分にこんな一節がある。「わたしとあまりにもことなっているために、かえって、どこかよく似たあなた。さとくん、遥(はる)けしちかさのあなた。どこにも『場』のないきみ。どこにも『場』のないわたし。なにもかも、すべて、ことごとく廢(し)いた世界の、無‐場(別の個所では「nowhere」という英字表記も)…」―。さとくんとき-ちゃんの立場が同化する一瞬…つまりは誰でもどちらにもなり得るという「オントロジ-」の深淵をのぞかされたように思った。ひるんでしまった。

 

 LGBT(性的少数者)に対し「生産性がない」と言った国会議員がいた。この発言を批判しつつ、私たちは心のどこかで「浄化と排除」を了承してはいないか。周囲に気づかれないように「快哉」(かいさい)を叫んではいないか。その一方で、国民の約8割が「死刑制度」を容認しているというデ-タがある。「人間には誰しも生きる権利があるという」という口の端をへし折るようにして、「死刑賛成」という大合唱が聞こえてくる。辻潤の「矛盾論」が少し、わかるような気がする。そういえば、昨年夏、オウム真理教の死刑囚13人に死刑が執行された時、この列島が祝祭気分だっことを思い出す。「さとくん」には一体、どんな裁きが待っているのか。その時、私たち国民は…

 

悲劇にあって人を救うのはうわべの優しさではない。悲劇の本質にみあう、深みを持つ言葉だけだ」―。被災地・石巻出身の辺見さんは東日本大震災の際にこう語った。人間存在の根本に迫るその筆致に圧倒される。この人の著作に向き合う時は表皮がべろりと引きはがされるような、そんな“覚悟”が必要である。一時は遠ざけていた「辺見」本を妻を亡くして以降、手に取る機会が増えたような気がする。

 

 

(写真は最新刊の『月』と近影の辺見さん=インタ-ネット上に公開の写真から)