意見集約の信憑性に疑義…“図書館”立地のためではなく、“駅前”立地のための意見集約だった―という手の込んだ謎解きに挑んだ結果は(パブコメ総集編)!!??

  • 意見集約の信憑性に疑義…“図書館”立地のためではなく、“駅前”立地のための意見集約だった―という手の込んだ謎解きに挑んだ結果は(パブコメ総集編)!!??

 

 市側は「駅前立地」に至った意見集約の根拠について、①重要視された分類の上位五つは「アクセス」(56人)、「活性化」(51人)、「安全」(42人)、「周辺環境』」(40人)、「駐車場」(34人)となった、②この結果から、「活性化」「アクセス」については「明らかに駅前が良い」、「周辺環境」「安全」については「どちらかといえば駅前がよい」と4分類において駅前が評価され、総合花巻病院跡地については「駐車場」についてのみ「どちらかといえば病院側がよい」と評価されたことが分かった―としている。

 

 以下に疑問点を列挙する。市民の多くも同じような疑問を抱いており、「新花巻図書館整備基本計画」(案)においては、その点に留意して記述するように要望する。

 

 

1)ヒアリングシートの「10分類」の指標は対話型「市民会議」の総意を反映する形で作成されたのか。メインファシリテーターである山口覚・慶応義塾大学教授の助言はあったのか。あるいは同種のひな型を参考にしたのか。

 

2)上位五つの選択は会議参加者に委ねたとのことであるが、AI による解析によると、そのほとんどが「知のインフラ」とも呼ばれる図書館立地にはなじまない指標となっている。むしろ、商業施設やアミューズメント施設などを対象とした意見集約といった方が的確かもしれない。逆に言えば、会議参加者の側に「図書館と何ぞや」という根本的な認識が希薄だったことの証左とも言える。こうした「図書館」認識について、メインファシリテータ―や市側の担当者による助言・指導はなかったのか。

 

3)意見集約に当たって、なぜ上位五つの分類だけを適用したのか。むしろ、「他施設との連携」や「文化・歴史」「防災」など下位の方が図書館立地の適否を判断する上で重要な指標であると考えるが、それを除外した理由は何か。分類指標に順列を付けることを統計学上では「順序バイアス」と呼ばれ、今回の場合も「駅前立地」へ有利に働くような順列になっていると思われる。ただ、こうした腹の探り合いは余り生産的ではないので、この場では駅前立地の決め手とされた「4分類」の指標がいかに図書館との“親和性”に欠けているのか―以下に具体的な検証を試みたい。


 

 

●そのひとつの「周辺環境」について、AI は「駅前は人通りが多く、夜でも明るくて安心できる」(令和7年3月15日号「広報はなまき」)とその理由を回答している。周辺環境あるいは立地環境は図書館のような文化施設の場合、とりわけ重要視される指標である。そのケーススタディとして、以下の事例を取り上げたい。

 

 岩手の地で「石と賢治のミュージアム」(一関市)を立ち上げるなど、賢治を“実践”したことで知られる吉成信夫さんは「公募」によって、岐阜市立図書館の館長を2015年から5年間務めた経験がある。その業績が認められ、2022年には先進的な活動に贈られる最高賞「ライブラリーオブザイヤー」に輝いた。

 

 「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の中にその図書館はある。岐阜駅から北へ約2キロメートル、岐阜城がそびえる金華山のふもとにその施設は位置している。設計したのは著名な建築家の伊東豊雄さん。「岐阜駅─長良川─金華山をつなぐ緑の拠点をつくることで、街に緑のネットワークが広がっていくことを期待したい」と設計の動機を語っている。メディアコスモスは開館9カ月半で、来館者100万人を達成した。図書館を含むこの複合施設を軸にした雄大な「周辺環境」が誘客に貢献しているのは言うまでもない。

 

 一方、当市の建設候補地のひとつだった「病院跡地」も霊峰・早池峰を眺望できる位置にあり(残念ながら、花巻城址はがれきの荒野と化して、見る影もないが)、広い敷地にも恵まれている。メディアコスモスもそうであるように図書館という建造物は「世界の美しい図書館5選」などのセレクションに見られるように、その造形美も試される文化施設である。駅舎やホテルなどに囲まれたビル群の中に造形美を求めるのはそもそも、無理である。「人通りが多く、夜でも明るい」というだけでは余りにもみすぼらしくはないか。これでは図書館が泣いてしまう。

 

 

●さらに、AIは「安全」について「駅前は交番が近く、明るく夜も安全」(同上「広報はなまき」)と回答している。一方で、会議参加者の一部からは「病院跡地」について、土砂災害や急傾斜地崩壊などの“災害リスク”を懸念する声も出されたが、議論を深めた形跡はうかがえない。「安全」の解釈の天地の隔たりにびっくりさせられる。

 

 言うまでもなく、建物本体の「安全」の確保は周辺環境に劣らずに重要な指標である。図書館の立地予定地は病院跡地の一部とされたが、市側は確たる証拠を示さずにその安全性は担保されていると述べるに止めた。しかし、当該地全体が市有地である以上、そうした災害リスクを除去することこそが行政の使命である。この際、図書館のような公共建造物の安全性の確保の議論こそが急務ではなかったのか。「交番が近いから…」とはこれまた、余りにも短絡すぎないか。

 

 

●「アクセス」と「活性化」の指標はいずれも通常の「賑わい創出」には欠かせない指標である。公共交通と図書館との相乗効果による駅前活性化は他都市でもよく見られるパターンである。しかし当市の場合、「病院跡地」という有力候補地があったにも関わらず、最初から「図書館は駅前でなければならない」という特殊な事情があった。裏を返せば、今回の意見集約は図書館の駅前立地の適否を判断することよりも「駅前立地」そのものの“お墨付き”を取り付けるのが狙いだったということである。結論を急ごう。

 

 「駅橋上化事業(東西自由通路)の見返りが図書館の駅前立地だった。この二つの巨大プロジェクトによって、『受益』する利害関係者にとっては最初から、『駅前』以外の選択肢はなかった」―。反論がある場合は4月23日付で提出したパブリックコメント「『駅前立地』に至る経緯の記述について」に対して、誠意ある回答を寄せてほしい。

 


 

 5年有余にわたった新花巻図書館の“立地”論争の結末を見ながら、私はこの絵に描いたような“茶番劇”に妙に得心する気分になった。JR花巻駅前のスポーツ用品店敷地にある日突然、「青天霹靂(せいてんへきれき)」劇場が幕を開けた。鳴り物入りの演目は「ある不幸な出自―「『住宅付き図書館』の駅前立地」物語…上田東一市長自らが脚本・演出を手がけたこのサプライズこそがすべての始まりだった。

 

 多くの時間と莫大な金を投じたこの長編劇の筋書きは乗客(市民)をいかにして、終着の「JR花巻駅」まで無事に“道連れ”にすることができるかどうかにかかっていた。度重なるワークショップ(WS)や市民説明会、「事業費比較」調査、公募「プロポーザル」方式、果ては真っ黒く塗りつぶされた公文書や議会質疑における虚偽答弁と反問権の乱発…。返す刀で今度はこの私的なブログを”ウソ”呼ばわりしたりと…ありとあらゆる「権謀術数」(けんぼうじゅつすう)が繰り出された。

 

 進行を妨げようとする市民は強制排除され、電車の前に立ちふさがった市民はまるで、“暴徒”扱いされた。そして、終着駅にたどり着いた途端、詰め腹を切らされたのが市民会議の参加者ではなかったのか。ある意味、最大の犠牲者だったのかもしれない。

 

 万が一将来、“駅前図書館”に何らかの瑕疵(かし)が生じるような不都合な事態が発生した場合、その責任の一切は市側にあることを最後に明記しておきたい。仮にも「市民会議の意向を最大限に尊重した結果…」などという口吻(こうふん)は口が裂けても許されないと…

 

 


 

 

 

(写真は白雪に輝く早池峰山。こうした景観を包み込んだ図書館構想は見果てぬ夢と化した=2024年12月末、花巻市内の中心部から)

 

 

 

対話型「市民会議」の構成とその欺瞞性…数字のマジシャンがその数字に逆襲される時(パブコメ第6弾)!!??

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Ω数字(その1)~3,500人VS.75人

 

 市側の説明によると、無作為抽出した15歳以上の市民3,500人に対し、対話型「市民会議」への参加を打診した結果、75人から参加したい旨の回答があった。回答率は2%余りで、この数字だけを見るとスタート時から図書館問題への関心の低さがうかがわれた。

 

Ω数字(その2)~75人の内訳(性別、世代間)

 

 会議構成は若年層(10代~30代)が35人、中高年層(40代~60代)が34人に対し、高齢者層(70代以上)は6人。性別は女性38人、男性37人。応募した75人がまるで、“神技”みたいに世代別と性別ごとに截然(せつぜん)と区分けされていることに驚かされる。本当に70台の応募者は6人しかいなかったのか。男女比率がほぼ均等に二分されているのは単なる偶然なのか。

 

Ω数字(その3)~75人の会議への出欠状況

 

 実際の会議出席者は最初から構成人員(75人)を大きく下回った。第1回(令和6年11月17日):65人、第2回(同12月21日):64人、第3回(令和7年1月26日):57人、第4回(同2月15日):53人

 

 さらに、会議への出席頻度は全4回のすべてが42人、3回が19人、2回が6人、1回が2人で、実に6人が参加を申し出ておきながら、出席はゼロだった。さらに、第4回目の会議では出席者53人に対し、立地場所の選択をするヒアリングシートの記入を求めたが、この日の会議に欠席し、過去2回の出席実績のある12人分は郵送によって加算された。統計学上の原則に従えば、ヒアリングシートに記入する資格があるのは全会議に出席した42人に限定されなければならない。”帳尻合わせ”と疑われても致し方ない。


 

 以上の数字の羅列から垣間見えてくるのは恣意的に“民意”を作り上げようとする強引な手法である。たとえば―

 

1)応募した75人がそのまま、おあつらえ向きの構成になっていること自体が不自然である。実際は75人を超える応募者があったのではないか。その中から市側が改めて世代別や性別ごとの選抜をしたのではないか。現に市側から「(参加を打診する)オファ―があった」という匿名の情報が私の手元に寄せられている。

 

2)毎回の出席者が構成人員を下回り、全会議(4回)の出席者がやっと半数を上回る42人に止まった時点で、この会議の正当性は統計学上の”蓋然性“の点からも無効とすべきであった。

 

3)市側が意見集約をする際の一般的な手法として「まちづくり市民アンケート」がある。無作為抽出した15歳以上の市民2,500人が対象で、昨年度は4割近い984人(39・4%)が回答した。「有意性」の高いこの手法をなぜ、採用しなかったのか。

 

4)「病院跡地」への立地を求める署名数は市側で精査した結果、市内在住者の自筆署名数は6,181人(総数では10,269人)に上った。市民アンケートを実施した場合、統計学上から見ても「駅前立地」を上回るのは目に見えている。この手法を採用しなかったのはその「結果」をあらかじめ予測したからではなかったのか。

 

5)上記の署名数「6,181」という数字をどのように評価しているのか。「新花巻図書館整備基本計画」(案)の中にこの数字に込められた想いが具体的にどう反映されているか。「(賢治)ゆかりの地」論の詭弁性については、5回目のパブリックコメントですでに言及ずみである。


 

 以上5点については多くの市民も同じような疑問を抱いている。この疑問を払拭するように「整備基本計画」の記述を書き改めてほしい。

 

 

 

 

 

(写真は「友達にも知ってもらいたいから」と病院跡地への署名用紙を写メする高校生=2023年12月24日のXmasイブの日、イトーヨーカドー花巻店(当時)で)

牽強付会を地で行く「ゆかりの地」論(パブコメ第5弾)~速射態勢へ!!??  

  • 牽強付会を地で行く「ゆかりの地」論(パブコメ第5弾)~速射態勢へ!!??   

 

 「花巻は賢治のまちであるから、賢治にゆかりのある場所に建設するべきという強い意見をお持ちの方々もいらっしゃいます。でもそれについては、市民会議の中でも図書館の場所と宮沢賢治ゆかりの場所であることは必ずしも結びつかないんじゃないかという意見の方もたくさんいらっしゃいました」(3月27日開催の定例記者会での上田東一市長の発言)

 

 「花巻駅前も賢治作品『シグナルとシグナレス』の舞台であり、『銀河鉄道の夜』のモチーフとなった岩手軽便鉄道や花巻電鉄の駅があった場所で賢治ゆかりの地でもあります」(3月28日開催の議員説明会での菅野圭生涯学習部長の発言)

 

 「日ハ君臨シ カガヤキハ/白金ノアメ ソソギタリ/ワレラハ黒キ ツチニ俯シ/マコトノクサノ タネマケリ…」(花巻農学校「精神歌」)―。賢治は1921(大正10)年12月、花巻農学校(旧稗貫農学校)の教師となり,校歌を持たなかった生徒のためにこの歌を作詞した。まるで一編の詩編のような校歌は次第に市民の口の端にも上るようになり、いまでは“市民歌”として毎朝夕の7時、市役所屋上のスピーカーから市内全域に流されている。

 

 “桑っこ大学”と揶揄(やゆ)されたその作詞の舞台こそがもうひとつの立地候補地の「旧花巻病院跡地」だった。真の意味での「ゆかりの地」とはこういう場所を指すのではないのか。賢治はあらゆる山野を渉猟(しょうりょう)し、それを作品に残した。上記の二人の伝(でん)によると、その足跡の一つひとつが「ゆかりの地」ということになる。“こじつけ”もいいところである。「駅前立地」へ誘導するための姑息(こそく)な“底意”が透けて見えてくる。

 

 「牽強付会」((けんきょうふかい)とは―。市側も対話型「市民会議」の意見集約の際に利用したという「AI」(人工知能=Copilot)に聞いてみた。「自分に都合がいいように、滅茶苦茶な理屈をこじつけることです」という答えが返ってきた。ピッタリではないか。「整備基本計画」では駅前立地に至る経緯について、誤解を与えないよう丁寧に説明してほしい。

 

 


 

(写真は賢治が花巻農学校「精神歌」を作詞した旧稗貫農学校。前身は郡立農蚕講習所で、生徒数はわずか60人余という小さな学校だった=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

《パブコメ第2弾》~「鶴陰」精神と新興跡地(第1弾は4月1日付当ブログ参照)

 

 

・「基本計画」(案)は三つ基本方針の筆頭に「郷土の歴史と独自性を大切にし、豊かな市民文化を創造する図書館」―を掲げ、その精神は先人の偉業をたたえた「鶴陰碑」にさかのぼるとしている。現在、この碑は市博物館に移設・展示されているが、かつては旧花巻城三の丸(のちの東公園)に建っていた。

 

 戦後、当該地は旧新興製作所の社有地となったが、同社が移転して以降は荒れるに任せたまま放置されている。さらに、現在は所有者が存在しない状態になっており、災害時や景観上の不安も高まっている。仮に来館者が新図書館の理念が宿る由緒あるこの地が廃墟と化している現実を知った際の落胆は思いに余りある。新花巻図書館の開館に合わせ、いわゆる「新興跡地」の改修を進めてほしい。

 

・新花巻図書館の開館時における館長は庁内人事のたらい回しではなく、広い知見を有する人材を求めるために「公募制」を導入してほしい。

 

 

 

 

《パブコメ第3弾》~当地ゆかりの現役作家コーナーの設置について 

 

 

 平成14年4月、市文化会館で宮崎駿監督のアニメ作品「千と千尋の神隠し」が上映されるのに合わせ、隣接する図書館で「柏葉幸子童話作品展」が開催された。主催した「『花巻に映画の灯を再び』市民の会」は益金の一部で『ミラクル・ファミリ-』や『地下室からのふしぎな旅』、『ざしきわらし 一太郎の修学旅行』、『モンスタ-・ホテル』シリ-ズなど柏葉作品を購入し、図書館に寄贈した。それらの作品はいま、こども室のコーナーに並べられているはずである。
 

 第15回講談社児童文学新人賞を受賞した『霧のむこうのふしぎな町』(1975年)は「千と千尋…」の下敷きになったことでも知られる。柏葉さんの作家活動はめざましく、『つづきの図書館』(2010年)は第59回小学館児童出版文化大賞、『岬のマヨイガ』(2016年)は野間児童文芸賞に輝いている。さらに、3年前には『帰命寺横丁の夏』が米国で出版された最も優れた児童書に贈られる「米バチェルダー賞」を受賞。ドイツ、韓国、ロシア、インドネシアの各国で翻訳出版されている。

 

 そんな矢先に飛び込んできたのが当市在住の阿部暁子さんの作品『カフネ』が本屋大賞を受賞したというビッグニュースである。このほかにも地道な作家活動を続けている人もおり、人材発掘を兼ねた「現役作家コーナー」をぜひ、設置してほしい。

 

 

 

《パブコメ第4弾》~「駅前立地」に至る経緯の記述について

 

 

・「花巻市立地適正化計画」(平成28年6月策定)によると、都市機能誘導区域内における事業として「生涯学園都市会館(まなび学園)周辺への『図書館(複合)』の移転・整備事業」が挙げられている。

 

・一方、「新花巻図書館整備基本構想」(平成29年8月)では「『都市機能誘導区域』に整備することとし…候補地を数箇所選定した上で、基本計画において場所を定める」としている。

 

 以上の記述について、①わずか1年足らずの間に建設場所がまなび学園周辺から『数箇所』に拡大された理由は何か、②今回、対話型市民会議が「駅前立地」を決定する以前に市側は複数の建設候補地の中から、「駅前」を第1候補に挙げた経緯がある。事業主体である市側が当該地を立地の最有力候補地として、位置付けた理由は何か。
 

 この2点について、市民が理解できるように「整備基本計画」の中に明記してほしい。

 

 

 

 

対話型「市民会議」の意見集約と「市民アンケート」とのこの乖離のナゾ~“民意”の正体、ここにあり!!??

  • 対話型「市民会議」の意見集約と「市民アンケート」とのこの乖離のナゾ~“民意”の正体、ここにあり!!??

 

 

 「議会側からも再三要望があったのになぜ、アンケート調査を回避したのか。“民意”はやはり、恣意的に作り上げられたものではなかったのか」―。花巻市は18日付HP上で、5月9日締めきりのまちづくりに関する「市民アンケート」への協力を呼びかけた。対象者は住民基本台帳から無作為抽出した15歳以上の市民2,500人。「生活やまちづくり」「防犯や防災、健康、福祉」など7項目について問う形になっており、この中には「生涯学習や芸術文化」について考えを聞く項目も含まれている。

 

 「駅前か病院跡地か」―。統計学的な「有意性」の観点から見ても到底、「民意」を反映したとは言えない対話型「市民会議」での駅前立地の選択に比べて、「市民アンケート」の回答(回収)率の高さに驚いた。回答は郵送かインターネットを通じて行われるが、過去の回答率は令和6年度が984人(39・4%)、5年度が988人(39・5%)、4年度が1,056人(42・2%)、3年度が971人(44・1%)と40%前後を維持。2年度には1,184人(53・8%)と初めて過半数を超えた。

 

 一方の「市民会議」は同じ方法で抽出した3,500人の中から、参加を希望した「75人」で構成されたことになっている。会議への参加を表明した回答率はわずか2%余りで、市民アンケートとの差は歴然としている。さらに、4回開かれた会議すべてに参加したのは42人(1.2%)、最終回、ヒアリングシートに実際に記入したのは65人(うち、当日欠席者12人分は後に郵送で受理)に過ぎない。

 

 そうした中、市民団体が「病院跡地」への立地を求めた署名数は市側が精査した数字だけでも約6,000人に上っている。仮に新図書館の建設場所に関し、同じ手法で「市民アンケート」を実施したとすれば、統計学上は明らかに病院跡地の方が上回ったことが容易に予測される。「民意を的確にとらえるためにも市民アンケートが必要ではないか」と議員から問われた際、上田東一市長は「この種の選択に多数決の論理はなじまない」と突っぱねた経緯がある。「(上田市長は)結果が分かっていたからではないか」というのは根拠のない憶測だろうか。

 

 市民会議の皆勤者42人と市人口89,185人(令和7年3月31日現在)を電卓に入力して、割り算をしてみた。0,0004709%…限りなくゼロに近い数字が画面に現れた。新花巻図書館の建設場所の最終決定をした市民の意思表示は芥子(けし)粒みたいにかすんで見えない。結局、ヒアリングシートに記入したわずか65人(こちらは全人口比率0,0007288%)による”多数決”によって「駅前立地」が決まったということである。ちなみに、「病院跡地」への立地を希望した約6,000人の全人口比率は6・7%を数える。この数字は一体、何を物語っているのか。その数字に聞くのが一番、手っ取り早い。上田市長はこうした「数字のマジック」について、以下のように述べている。

 

 「75名中42名の方は4回全てに参加していただきまして、19名の方が3回、6名の方が2回と多くの市民の方に参加いただいたと思っております」(2月19日開催の定例記者会見)ー。しかし、この発言の中では1回しか参加しなかった人が2人、参加を表明しながら、一度も参加しなかった人が6人もいたことには触れられていない。この数字をもって「多くの市民」と言ってのける心性には驚き入るばかりである。これを称して、数字の「マジック」ならぬ「詐術」(目くらまし)と言うのではないのか。

 

 「百年の計」とも言われる文化の殿堂に反映された、これが上田流“民意”の正体である。賢治の理想郷「イーハトーブ」は未来永劫、取り返しのつかない”負の遺産”を背負わされてしまった。なお、新図書館の整備基本計画(案)にかかる最後(4回目)の市民説明会が19日、市内の「まなび学園」で開かれた。

 

 

 

 

 

(写真は立地場所について、話し合う市民会議のメンバ―たち=花巻市のまなび学園で、市HPから)

 

 

 

 

 

 

「本屋大賞」に花巻出身・在住の阿部さん…図書館“迷走劇”のさ中の朗報~片や、市職員の不祥事も明るみに!!??

  • 「本屋大賞」に花巻出身・在住の阿部さん…図書館“迷走劇”のさ中の朗報~片や、市職員の不祥事も明るみに!!??

 

 全国の書店員が“今いちばん売りたい本”を決める「2025年 本屋大賞」の大賞作品が9日に発表され、当市出身・在住の阿部暁子さん(39)の『カフネ』(講談社)が大賞に選ばれた。今回で第22回目となる同賞には上位10作品がノミネートされ、恩田陸や一穂ミチ、青山美智子、朝井リョウなど人気作家の作品を中から、堂々と大賞を射止めた。まるで、“不動産”物件さながらの「図書館」騒動に辟易(へきえき)していた矢先の朗報。「本とは、図書館とは…」。これをきっかけに今度こそ、本物の図書館論議が盛り上がることを期待したい。

 

 阿部さんは県立花巻北高校を卒業。2003年、第18回全国高等学校文芸コンクール(小説部門)で、最優秀賞を受賞したのを機に執筆活動へ。2008年、『いつまでも』(刊行時に『屋外ボーイズ』に改題)で、第17回ロマン大賞を受賞し、作家デビューした。著書に『どこまでも遠い場所にいる君へ』『また君と出会う未来のために』『パラ・スター(Side宝良)』『金環日蝕』『カラフル』などがある。

 

 法務局に勤める野宮薫子は、溺愛していた弟が急死して悲嘆にくれていた。弟が遺した遺言書から弟の元恋人・小野寺せつなに会い、やがて彼女が勤める家事代行サービス会社「カフネ」の活動を手伝うことに。弟を亡くした薫子と弟の元恋人せつな。食べることを通じて、二人の距離は次第に縮まっていく…。『カフネ』はこんな展開で進んでいく(ORICON NEWS)から)

 

 阿部さんは受賞の喜びをこんな表現で語った。「すごい賞をいただいてまだ実感がわかない。自分がお茶わんだとすると、器からはみ出そうなくらいのご飯を盛られたような感じ」(9日付「東京新聞」電子版)。その一方で、第1回本屋大賞受賞作の小川洋子さんの『博士の愛した数式』を大学に入学した2004年に読んだことに触れ、「すごく心を打たれて、このような物語を死ぬまでに書けるようになりたいと強く思いました。長い時間がたって、今ここに自分が立たせてもらっていることを、本当に光栄に思います」(NHK)と話した。

 

 「今日は本当はつなぎの服を着てごついブーツを履いて、髪をお団子にして来ようと思っていたんですが、担当さんと家族に“やめておけ!”と言われたので(笑)」―。受賞式ではこんな一幕もあり、会場は笑いに包まれた。思わず、当市出身の童話作家の柏葉幸子さん、そして宮沢賢治と重なるような感性を阿部さんに感じてしまった。その柏葉さんは2022年、『帰命寺横丁の夏』で英語に翻訳され、米国で出版された最も優れた児童書に贈られる「米バチェルダー賞」を受賞している。同書はドイツ、韓国、ロシア、そしてインドネシアでも翻訳出版され今、世界中の注目を集めている。

 

 この5年余り、「イーハトーブはなまき」は「図書館抜き」の“立地”論争に明け暮れてきた。その結果、およそ文学的な議論をわきに置いたまま、新図書館の駅前立地が決まった。「図書館とは何ぞや」という本格的な議論は基本計画の策定に向けたこれからが本番となる。

 

 そんな折しも、阿部さんはこれ以上ないようなタイミングで『カフネ』という人間愛に満ち溢れた物語を私たちにプレゼントしてくれた。さらに、柏葉さんは今年2月、インドネシア語に翻訳された自著のトークイベントに招かれるなど「イーハトーブ」からの発信に忙しい日々を送っている。手をこまねいているわけにはいかない。早急に”図書館”王道論に向けた議論を始めなければならない。

 

 

 

(写真は「本屋大賞」を受賞した阿部さん=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記ー1》~行政トップの「図書館」像というか「賢治」観とは!!??


 

 阿部さんの「本屋大賞」受賞というビッグニュースが飛び込んだと同じこの日、上田東一市長が3月定例記者会見の質疑でこう述べていた。「花巻は賢治のまちであるから、賢治にゆかりのある場所に建設するべきという強い意見をお持ちの方々もいらっしゃいます。でもそれについては、市民会議の中でも図書館の場所と宮沢賢治ゆかりの場所であることは必ずしも結びつかないんじゃないかという意見の方もたくさんいらっしゃいました」(市HP)

 

 一体全体、「賢治ゆかりの地」とはどこを指すのか。そもそも「賢治ゆかり」とは何を意味するのか―さっぱり、伝わってこない。これって、“東大論法”というのだろうか。あるいはまた、単なる文学“音痴”なのか。阿部さんの登場が余りにも鮮烈すぎたせいか、「駅前図書館」のイメージがますます貧相に見えてきた。当の阿部さんはある雑誌のインタビューでこう語っている。「宮沢賢治が生まれた岩手県花巻市で育ちました。周りに自然が多いので、昔話を聞いていても普通にそのへんで起こりそうだなと感じていました。小さい頃からわりと、空想力が強めだったようです」(「WEB本の雑誌」)

 

 

 

《追記―2》~「魚は頭から腐る」、いや「鰯の頭も信心から」!!??

 

 

 13日付の市HP上に上田東一市長のこんなコメントが掲載された。「この件について、現時点では報道されている情報しか把握できていない状況です。今後、事案の詳細を確認した後、市としての対応を検討してまいります。誠に遺憾であり、市民の皆さまに深くお詫び申し上げます」

 

 この件とは「令和7年4月12日(土曜)、午後4時30分頃、岩手県北上市の商業施設で、当市職員(49歳)が約1,000円相当の商品を盗んだ疑いがもたれ、店からの通報を受けて駆け付けた警察官により、同日午後5時30分頃に現行犯逮捕されたもの」(同HPより)―。「魚は頭から腐る」という一方で、「鰯(いわし)の頭も信心から」とも。「イーハトーブはなまきは」は頭から爪先まで内部崩壊の危機に。市長が口癖の「コンプライアンス」(法令遵守)も「ガバナンス」(内部規律)も木っ端みじんにぶっ飛んじゃった。「The End」