メモ
村中いたるところに点在している「楯山三十三観音」や「身代わり地蔵」「甘酒地蔵」「化け石」などは、今も、それにまつわる民話や伝説となって語り継がれているのです。
ところで、現代社会に一番欠けているのは信仰心。
ここは、特定の宗教ではない、空風火水土、全てに神を見る原始アニミズムの世界なのです。
私たちはそれを「祈りのみち」と名付けます。
のどかな、田んぼのあぜ道のほとりに、ひっそり佇む野仏や祠を訪ねて回ると、いつの間にか、異次元の世界に誘い込まれ、気づくと現世の雑念が吹っ飛び、リフレッシュしているという、とっても不思議な空間なのです。
まんだらの里とは、修験道の盛んだった中世の三山信仰に由来します。
白鷹山(虚空蔵山)を主峰とする、脇侍峰の東の黒森山(金剛界)と西の黒森山(胎蔵界)を結んだ三角形の中だけでも、全て歩こうとすると、広大な面積となり、もしかすると、3日掛かりになるかも知れません。でも、一日コース、2時間コース、1時間コースとその人の気分に合わせて自在に組めるところが魅力です。
「まんだらの里」とは、ここ、山辺町に属する里村、作谷沢地区のことを指し、山形市の西方、白鷹丘陵山中に位置する美しい小盆地なのです。
そのユニークなネーミング「まんだらの里」は、かつて、修験道や庶民信仰のメッカであった史実に基づき、この土地をこよなく愛された、故烏兎沼宏之氏が目指した「まんだらの精神」すなわち、神仏、人、草木が共生する小宇宙の理想郷づくりにあります。
「まんだらの里雪の芸術祭」は年に一度の大イベントですが、全体活動の一環として位置付けるものです。
塾誕生のきっかけは、それに賛同した村びとと、東北芸術工科大学の教員有志が集まり、毎月!〜2回会合を開いては、この土地を生き生きさせるための方策を語り合い、土地に因む歴史や他地域、はたまた諸外国の情報などを学習しあう場になっています。全て束縛もルールもない、出入り自由の開かれた場なので、最近は大学生や高校生、そして他地域の若者も、何かを探りにやってきます。
私たちは、この土地の固有の特徴は何かを探っていますが、結局、「まんだらの里」の世界を構築することに気付かされています。それは、「内なる世界」すなわち「見えない世界」の価値を探ることだと考えています。
最近は、塾生でもある慶松寺の白田住職を中心に、お寺の伽藍を昔のように、おじいちゃん、おばあちゃん、そして若者にも来てもらえるようサロン化して、ニケ月に一度、講話会を設けて頂くように企画しました。外からの参加も大いに歓迎です。
そのユニークなネーミング「まんだらの里」は、かつて、修験道や庶民信仰のメッカであった史実に基づき、この土地をこよなく愛された、故烏兎沼宏之氏が目指した「まんだらの精神」すなわち、神仏、人、草木が共生する小宇宙の理想郷づくりにあります。
「まんだらの里雪の芸術祭」は年に一度の大イベントですが、全体活動の一環として位置付けるものです。
塾誕生のきっかけは、それに賛同した村びとと、東北芸術工科大学の教員有志が集まり、毎月!〜2回会合を開いては、この土地を生き生きさせるための方策を語り合い、土地に因む歴史や他地域、はたまた諸外国の情報などを学習しあう場になっています。全て束縛もルールもない、出入り自由の開かれた場なので、最近は大学生や高校生、そして他地域の若者も、何かを探りにやってきます。
私たちは、この土地の固有の特徴は何かを探っていますが、結局、「まんだらの里」の世界を構築することに気付かされています。それは、「内なる世界」すなわち「見えない世界」の価値を探ることだと考えています。
最近は、塾生でもある慶松寺の白田住職を中心に、お寺の伽藍を昔のように、おじいちゃん、おばあちゃん、そして若者にも来てもらえるようサロン化して、ニケ月に一度、講話会を設けて頂くように企画しました。外からの参加も大いに歓迎です。
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「白鷹山(虚空蔵山)」
置賜・村山両郡の境にあり、大山なり。堂は置賜郡にあり。北のふもとは村山郡畑谷村なり。その北の両方に大峰あり。俗に機巧森(はたしもり)と呼ぶ。一に黒森とも言う。
西は胎蔵界を表し、東は金剛界を表し、容相同じと言えり。この所、置賜郡に通ず。俗に境の虚空蔵という。
宝暦十二年(1762)に書かれた「出羽国風土略記」を補う目的で、寛政四年(1792)筆写された「けい補出羽国風土略記」にはこのように書かれてある。
胎蔵界と金剛界、両界まんだらの世界がここに存在したことをはっきりと示している。
山のてっぺんのまんだら世界。
ここは、
山姿秀麗(さんししゅうれい)なる山そのものが神仏である。
森々たる風物一つに精霊神怪がこもる。
ここには、
狩猟、採取の暮らしを護り、
衣食住の材料を与え、
灌漑水をもたらし、
風雨を支配する
山の神や水の神が鎮もる。
こここそは、
山に生きる者たちの共有の郷。
周りに住む人たちの原風景たる地文。
これは、神仏も人間も、動植物も共存している山里まんだらの物語である。
烏兎沼宏之『まんだら世界の民話』筑摩書房1988より