甲子(きのえね)の大黒さま

甲子(きのえね)の大黒さま
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 米沢マイバックシステムのエコシールがいっぱいになりました。これはレジ袋削減のためにマイバックで買い物をするとエコシールが一枚もらえるシステムです。二十枚のシールが貯まると六十円のお買い物券になります。
 
 スーパーのレジ袋、パン屋さんの個別に入れていく袋、クリーニング屋さんの洗濯物を包む袋、お歳暮やお中元の包装紙などは本当に必要なのだろうかと考えさせられます。
 
 ゴミ問題は生活に密着しているために抜本的な解決ができません。ですから、一人一人の心がけが必要になってきます。このエコシールもお金のためではなく、自分なりの地球への貢献だと思えば大きな意義があります。
 
 最近の異常気象に文句を言う前に、果たさなければならない責任があるのかもしれませんね。たかが一枚のビニール袋、されどこの一枚に環境保護の意義を見いだせる人が増えれば、地球はもっと私達をやさしく包んでくれるのかもしれませんね。

今日の目標
 身近なことに大きな意義を見つけましょう


 昨日、紹介した三沢東部小学校の校庭にある、大きなイチョウの木の写真です。私も父も祖父も、このイチョウの木の下で遊び大きくなりました。
 
 しかし、この近くに産廃処分場が建設されようとしています。このイチョウの木は、子供達はどうなってしまうのでしょうか。
 
 今の日本には解決の難しい問題がたくさんあります。私は多くの人が関心を持ち、自分なりの意見を持つことが大切だと思います。
 
 関心が高まり議論されるようになれば法律も整備されるでしょうし、新しい技術も生まれてくることでしょう。私たちは一人では何もできませんが、思いを同じくする多くの人と世の中を変えていくことはできると思うのです。子供達が安心して暮らせる日本であってほしいと思います。

今日の目標
 身近な問題に関心を持ちましょう
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 日本三景の天橋立の朝の写真です。美しい海岸をゆっくりと散歩することができました。普段は忙しくなかなか散歩をする機会がありません。ゆっくりと散歩をしていますと、道端のいろいろなものが目に入り、とても新鮮でした。
 
 普段ですと車で移動することが多いものですから、外の景色など目に入りません。歩くからこそ四季の移ろいを感じられるのかもしれませんね。
 
 忙しく余裕のない生活をしていますと、心が和む時間を持てなくなってしまいます。心に余裕を持つためには、時間に余裕を持ち、ゆっくりできる時間が必要なのかもしれませんね。
 
 いつも忙しそうなのに余裕のある人というのは、きっと自分なりのくつろぎの時間を持っている人なのでしょうね。人間は走り続けることはできません。張りつめた心を癒す一時を持ちたいものです

今日の目標
 ゆっくり、心の和む時間を持ちましょう
 京都では暑くなってきますと、三条から四条にかけての鴨川沿いのお店で、写真のように川床で食事を楽しむことができます。
 
 川床で食事をしますと、川風が気持ちよく暑さを忘れさせてくれます。私は冷房が苦手なものですから、人工的な涼しさではなく昔ながらの川床に感心しました。
 
 人工的に作られたものは薬と同じで強い効果がある反面、副作用もあると思うのです。クーラーなら部屋は涼しくなりますが、その分の熱を外に放出しさらに暑くなってしまいます。また、冷え性になってしまう人もいます。
 
 昔ながらの智恵は強い効果はありませんが、体にも地球にもやさしいものばかりです。今年の夏は風流に、昔ながらの智恵をいろいろと実践してみたいものです。

今日の目標
 機械に頼らない生活をしてみましょう
   







三月に入り暖かくなってきたのですが、また雪が積もってしまいました。春を感じるのはまだ少し早いようです。野山にまだ何もないこの時期に、梅は花を咲かせます。梅の花を見ていると、寒さを忘れ心が和みますね。
 
 松竹梅といいますが、松は「松樹千年翠」(しょうじゅせんねんのみどり)というくらい一年中青々としています。竹はまっすぐに天に向かって伸びます。梅はまだ寒さ厳しい時期に花を咲かせます。
 
 私も松竹梅にならい、つねに若々しく元気で、自分の信じる道をまっすぐに進み、辛い時期にこそ人の心を和ませるような人になりたいと思います。

今日の目標
 今日は松竹梅を実践しましょう。
 白石朝太郎さんの「人間を 取ればお洒落の 地球なり」という川柳です。
 地球を一つの命とする考え方があるそうです。地球にとって循環している水は血液、広大な大地は筋肉といったところでしょうか。では、私たち人間の存在は何にたとえられるのでしょうか。私たち人間の存在は、地球という大いなる生命体の中で有益なのか有害なのかどちらでしょうか。
 
 私たち人間の体にウィルスが侵入すると体は撃退するために、熱を出します。最近の異常気象は地球が人間というウィルスを撃退しようとしているかのようにも見えてしまいます。
 解決されない環境問題がたくさんあります。地球に暮らす一員として考えなければなりませんね。

今日の目標
 温暖化防止のために、近いところには歩いて、停車する時はエンジンを切りましょう。
 今日からシリーズ企画として、私が感銘を受けた川柳を紹介したいと思います。私は川柳の素人ですので、感じたままに書かせていただきます。あらかじめ作者の方には、お詫びします。
  
 井上信子さんの「国境を 知らぬ草の実 こぼれ合い」という川柳です。
 
 自然の世界は草木がそれぞれに一生懸命に生きていて、それでいて全体としてうまく成り立っています。それぞれに支え合い共存共栄しているのが、自然界です。
 
 私たち人間には争いごとが絶えません。物心両面にわたって優先順位を作り、まず自分のものを守ろうとしてしまいます。お互いに自分の大切なものを守ろうとして、争うのですから人間は悲しい生き物なのかもしれませんね。

今日の目標
 人と争わずに生活しましょう。
  
小野川温泉を流れる鬼面川(おものがわ)の写真です。水は環境のバロメーターといいますが、この川がきれいなままであることを願っています。

西欧の科学は人間が生きていくために、自然を克服し支配するためのものでした。しかし、日本では自然と共生する生活をしていました。自然を崇め、共に生きてきたのです。
 
現代は環境破壊が進み、環境問題も取りあげられるようになりました。もしかしたら科学の大発見があり、私たちがなにもしなくても環境問題が解決されるかもしれません。でも、私は科学の力に頼らずに、みんなが地球のことを考え環境を大切にできるようになることのほうが、尊いことだと思うのです。地球に住む一人の人間として。

今日の目標
 今日は環境のことを考え、自分にできることをしてみましょう。

 白布峠の夕陽の写真です。連なる山々と夕陽が神秘的ですね。昔は山は神々が住まいし所とされ、現在でも各地に霊山があります。
 当山は山伏の法流を受け継いでいます。山伏は、山の中で修行をします。ひたすら歩き続ける修行は大変です。疲れてくると急な山道を登りながら、「もうダメだ、休憩したい」という自分の弱い心との戦いになります。それでも、重い足を一歩また一歩と進めていきます。
 すると、ある瞬間から疲れも苦しみも感じなくなることがあります。自分と山という区別がなくなり、山と一体になったような感覚です。すべての命がつながり、地球という大きな一つの命の中で生かされているように感じるのです。たとえ一瞬でも、貴重な体験です。みなさんも山に登ってみませんか。

今日の目標
 一日の中で何度も、自分の弱い心と向き合う機会があると思います。今日は負けないようにしましょう。
 当山の裏側に栗の木があります。そんなに大きい栗ではないのですが、甘くて美味しい自然の恵みです。でも、落ちた栗を全部拾おうとは思いません。天然の栗の木です。半分だけもらって、残りは小さな動物たちに譲るのがいいと思っています。
 人間の欲には終わりがありません。採れば採るほど、持てば持つほど、欲しくなってしまいます。自分で自分の欲を抑えなければ、欲に翻弄されてしまいます。立ち止まって我慢する習慣も必要かもしれませんね。山に入ったときに、後から来る人や動物のために、少しでも残せる心の豊かさを持ちたいですね。

今日の目標
 タバコ一本、ビール一杯なんでもかまいませんから、なにか一つ我慢してみませんか。
 一生懸命に咲いているシュウメイギクと大黒さまの写真です。当山にはいろいろな花があり、つねになにかしら咲いています。
 戦後、私たちは物質的に豊かになることが贅沢だと信じてきました。今の日本は贅沢の極み、日本人誰もが幸せになっているはずです。でも、そうではないことを日々の新聞やテレビが証明しています。
 当山は山奥で不便なところです。買い物に行くにも時間がかかりますし、冬場は毎日雪と格闘しています。でも、小野川の自然の中で花に囲まれて暮らせるのは贅沢なことだと思っています。本当の贅沢とはなんでしょうか。

今日の目標
 自分へのご褒美。自分なりの贅沢をしてみましょう。心を満たしてくれる贅沢を。
 山の中で枯れようとしている老木です。枝は雪の重みで折れてしまっています。折れているのはまわりの若木が枝を伸ばしやすいように、日の光を受けやすいようにとの配慮かもしれません。少しずつ自分の身を枯らしながら、まわりの若木を育てていくのです。あと、何年かすれば木自体も倒れてしまうでしょう。折れた老木は自分がそうしてもらったように、次の新しい命のための苗床となります。そうやって命の連鎖が続いていくのです。木は枯れるべき時に枯れ、死すべき時に死にます。恐れることもなく、あがくこともなく、ただ自然の摂理のままに生きているのです。新しい命のために我が身を削る老木に感動しました。
 本堂の右側にある「竹林の七賢」の屏風です。江戸時代の狩野派の狩野伊川が書いたものだといわれています。竹林の七賢とは中国の三国時代の末期に、竹林で清談したといわれる七人の自由人のことです。世俗に疲れた心を癒すために、静かなる竹林を求めたのかもしれません。
 体の汚れはお風呂に入れば流すことができます。しかし、心の汚れはなかなか落とすことができないものです。小野川に竹林はありませんが、豊かな自然があります。時々、自分が息をしているのも忘れてしまうほど、自然に引き込まれることがあります。きっと、それが癒しの瞬間なのでしょう。
 小町山に植えた、ブルーベリーが実をつけました。山の小鳥たちが食べられるように、そして私たちが少しわけてもらえるようにと植えたものです。私たち人間は今まで自然から一方的にもらうばかりでした。返すのはゴミや二酸化炭素ばかりです。共存共栄という言葉は自分と他人という、人間社会のなかで使われています。しかし、自然と人間がお互いに共存共栄できる社会こそが、これからのあるべき姿なのではないでしょうか。
 小町山に咲いているヤマユリの写真です。とても綺麗な花ですね。でも、このヤマユリが綺麗に見えるのは一生懸命に咲いているからで、花をつけているからではないと思うのです。草花は花をつけてもつけなくても、一生懸命に生きています。私たちが自然の中で癒されるのは、綺麗な花を見るからではなく、一生懸命に生きている、いのちのエネルギーに感化されるからなのかもしれません。