甲子(きのえね)の大黒さま
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何をすべきか
最近、人間関係で悩む人が増えているようです。そもそも、人間関係とはどういったものなのでしょうか。私は
相手との関係の中で自分は何をするべきなのか、何を言うべきなのかを考え行動することが人間関係
だと思うのです。相手との関係の中で自分の役割を意識することが大切なのだと思っています。
生まれたばかりの赤ちゃんは、一人では何もできない「してもらう」ことばかりです。一方的に依存することから、私達の生活は始まります。
そこから成長に伴い自分の役割を求めていくようになります
。思春期にはお互いの役割を模索しながら、不安になり悩みながら人間関係を学んでいきます。
社会人になれば職場・友人・家族の中で自分が必要とされる役割を作り出す生活です。
自分の役割を持つことによって、相手から必要とされる自分を実感することができます。
ただ、賢明な読者の方はお分かりだと思うのですが、自分の役割とは相手のわがままを聞くことではありません。
最初のうちは相手の願いを聞くことに終始しがちなのですが、経験により
相手にとって本当に必要なものを与えられる人になっていきます。
ですから、厳しいことも言えば、あえて手を貸さないこともあるでしょう。また、相手に気づかれず必要なものを与えられるのが理想なのかもしれません。
相手が必要とするものを与えられる人には、自然と人が集まってくるのかもしれませんね。
誰か一人でもいいから、その人にとってなくてはならない人になれたらと思います。
今日の写真
植物にも人間にとっても、太陽、空気、水は欠かすことのできない大切なものです。ところが、普段それを意識することはほとんどありません。私達は本当に必要なものほど意識していないのかもしれませんね。お互いになくてはならない相手、しかしだからこそあたりまえすぎてそれを意識していないのかもしれません。普段、意識していないことをあらためて意識してみると大切なものがたくさん見えてくるのかもしれませんね。
2007.06.27:
hs-1119
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人間関係
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縁を断ち切る
こういう仕事をしていますと、お参りも縁なのだとつくづく思うことがあります。縁がなければなかなかお参りもできないものです。仏教ではこの世界はすべて縁によって成り立っていると教えています。
人と人との縁によって成り立っているのが私達の生活なのではないでしょうか。
縁によって人と出会っては、相手に対して愛情や怒り尊敬や嫉妬といった様々な感情を抱きながら付き合っているのではないでしょうか。喜怒哀楽を繰り返し、ケンカをしては仲直りをしてまたケンカをする、そういうものなのかもしれませんね。
私は人間にとって一番恐ろしいのは無関心になってしまうことだと思っています。自分と結びついているであろう、
たくさんの縁を自ら断ち切ってしまうのが無関心ということなのかもしれません。
無関心とは自分の喜怒哀楽を否定することだと思うのです。それは自分の心を否定することであり、
自分という人間を否定することでもあるのかもしれません。
私達は様々な出会いによって自分の心の世界を広げていきます。
自分の心が広がれば広がるほど、そこからたくさんの喜びや充足といった人間的な豊かさを収穫できるようになります。
私たちは心の開拓者なのではないでしょうか。自分の心を広げていくために日々の縁を大切にしたいと思います。
今日の写真
たくさんの小さなの花が咲いていました。私達もこの花のようなものかもしれません。社会という植木鉢の中でみんなで生活しているのです。社会の枠の中でしか生きられないからこそ、一人では生きられないからこそ、まわりに関心を持ち楽しく生きていきたいものです。
2007.06.22:
hs-1119
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伝えることの難しさ
今年も鷹山大学での講座が始まりました。1回目の講座が終わってみて、何かを人に伝えることの難しさを実感しました。
自分の中にある伝えたい思いのうち、どれだけが言葉となって相手に届いたのだろうか、なんだかもどかしさを感じてしまいました
。
同じ日本語を話すのに、思いのすべてを伝えきれない、理解できないというのはもどかしいものです。そして、
つねに誤解されるかもしれないという不安も会話にはつきまとうものです。
「そんなつもりではなかった」とか「あんなこと言わなければよかった」という後悔もよくあるのかもしれません。
若い人は曖昧な表現を多用し、断定を避けるようです。いかようにも解釈できる言葉を使い、誤解されないようにと
共感されなかったときの防衛策なのかもしれません。
それだけ人間関係に臆病になっているのかもしれませんね。
どれだけ言葉を尽くしても語りきれない思いもあるものです。また、大切なことほど空回りしては伝えられないこともしばしばです。
そんな時はどうしようもない孤独を感じてしまうものです。
伝えきれない自分、理解しきれない相手、その埋めることのできない溝があることを知っておかなければならないのかもしれません。ですが、そのうえで相手を分析しようとするのではなく、
素直に理解したいと思う日々の葛藤の中で、少しずつ相手に近づいていけるのかもしれませんね。
今日の写真
川辺に立つとても大きな木です。一本の木ではなく、何本かの木が寄り添うように立っています。人間もいつも一緒にいると似てくるといいます。それは同じ時間を長く共有することによって、お互いの溝が少しずつ埋まってくるからなのかもしれませんね。誤解を恐れず、ありのままをさらけ出せる相手がいてくれたら幸せですね。
2007.05.29:
hs-1119
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木の根の意識
一人でできることでも、あえてみんなですると楽しいものです。一人で効率よくやってしまいたい、みんなの意見を聞きながら進めるのは大変だという思いもありますが、やはり
みんなでする共同作業は楽しいものです。
仕事では効率が重視され、それぞれに仕事が任せられることが多いものです。しかし、たくさんの人がデスクを並べる中で、
自分一人だけの仕事と時間に没頭してしまっては無機質な仕事になってしまいます。
私は「木の根の意識」が大切なのだと思います。一本の木を支えるためにたくさんの根が張り巡られされています。自分が一人で仕事をしているのではないと思えれば、
成功しても謙虚でいられますし、失敗しても孤独に苦しむこともありません。
「みんなで」という連帯感は責任の押し付け合いをしなければ、
自分を支えてくれる大きな柱になると思うのです。
一人で生きられないからこそ知恵を出し合い力を合わせ、共同で生活しているという思いを持ちたいものです。
一人で生きられないからこそ、必要とされる人間なのだ、自分にもできることがあると思えたら幸せです。
自分の生活が世の中に貢献していて、多くの人のおかげで自分の生活が成り立っているという、お互い様の気持ちを大切にしたいと思います。
今日の目標
お互い様の意識を大切にしましょう
今日の写真
毎日雪の日が続いています。朝起きるとだいぶ積もっていました。これから久しぶりの除雪です。小町山にある白樺の柵も雪に埋もれていました。
2007.03.12:
hs-1119
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心配を信頼へ
家族のこと、友達のこと、世の中のことと心配は尽きることがありません。自分のことならばいくらでも頑張れますが、
まわりの人のことになれば黙って見守るしかありませんから余計に辛いものです。
ですから、どうしてもいろいろと口出しをしたくなってしまいます。ただ黙って見守ることほど難しいことはありません。まして自分の子供ともなればなおさらそうです。「
あなたのことを思って
」とか「
あなたのことが心配だから
」と、自分の思いが濁流のように溢れ出すこともあるのではないでしょうか。
どうして信頼して相手を見守ることができないのかと考えたことがありました。もしかしたら、自分の心配を解消するために口うるさくなっているのかもしれません。
相手のことよりも見ている自分が辛いから堪えられないからこそ、口うるさくなってしまうのかもしれません。
たいがい口うるさく言っても逆効果になると分かっています。
ただじっと見守り、その先にあるはずの相手への信頼にたどり着きたいものです。
心配を信頼にかえるためには、予想以上の忍耐が必要になるのかもしれませんね。安心して相手を見守ることができたらと思います。
今日の目標
じっと相手を見守りましょう
今日の写真
昨日から冬に逆戻りしたかのように雪が降っています。今日の写真は小町山花公園の石楠花です。今まであたたかかったぶん、なんだか寒そうに見えてしまいます。みなさんも風邪をひかないようにお気をつけください。
2007.03.08:
hs-1119
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素直になれないものです
毎日の生活の中でとても大切なのに、とても難しいことがあります。その一つに素直にあやまることがあるかと思います。
「ごめんなさい」のたった6文字がなかなかでてこないことがあります。
ケンカをしても失敗をしても、
早くあやまればお互いに楽なのに、分かっていてもなかなか難しいものです。
意地を張り10年経っても、場合によっては一生涯あやまれないままになってしまうこともあります。
同じクラスの親友とケンカをしてしまいました。自分が悪いと思いながらも、なかなかあやまれないまま口もきかずに一週間が経ってしまいました。今日こそあやまろうと思い学校に行ったら、その親友は両親の急な転勤で突然転校していました。あれから半世紀、還暦を迎えても
あの時のことを忘れられずに、あやまる機会を求めています。
こんなこともあるのかもしれません。
人は様々な後悔を引きずりながら生きています。あやまれないまま疎遠になってしまうのは一番の後悔なのかもしれません。
素直にあやまるのも器量ですし、お互いの信頼関係も強くなります。しかし、なかなか素直になれないのが現実なのかもしれませんね。
今日の目標
悪いと思ったら素直にあやまりましょう
今日の写真
当山のシャクナゲが顔を出しています。例年なら深い雪の下なのですが、今年は埋もれることなく健在です。もう二月も終わってしまいます。なんだか冬が来ないまま春を迎えるような心境です。冬の苦労がなかったぶん、春のありがたみもうすれてしまいそうです。
2007.02.20:
hs-1119
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本当のあなたを知りたい
人と接するときに、いつも思うことがあります。それは
どうすれば本当のあなたにたどり着けるのかということです
。目の前にいるはずなのに、とても遠く感じることがあります。
年と共に相手と距離をとることを憶えてしまいます。礼儀や遠慮という常識とされるものも、場合によっては相手と距離をとる道具になってしまいます。そして、せっかくの出会いを無駄にしてしまう一番の原因は、
先入観や偏見といった思い込みなのではないかと思うのです
。
以前、ある方に「
あなたは人と話す時に、相手を知ろうとしていますか
」と聞かれたことがありました。私にとって衝撃的な言葉でした。それまで目の前の人を知りたいと意識したことはなかったのかもしれません。
自分勝手な評価を相手に押しつけていただけなのかもしれないと反省しました。
人と接するときには、
相手の表面的なものに惑わされずに、自分勝手な思い込みを持たずに、
相手を知りたいという気持ちを忘れないようにしたいと思います。
人間の生活は出会いの連続です。人との出会いを大切にするからこそ、自分の世界が広がり豊かな人間関係を享受できるのかもしれませんね。
今日の目標
出会いを大切にしましょう
今日の写真
昨日は一日雨でした。今日の写真は当山の石塔です。例年ならたくさんの雪をかぶっているのですが、今年は遠慮がちに乗っているかのようです。春一番が吹いたというニュースも聞きました。本格的な冬が来ないまま、春になるようですね。
2007.02.15:
hs-1119
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かたよらない会話
仏教には中道という教えがあります。お釈迦さまは王子として誕生され何不自由のない生活をされておられました。しかし、29歳で出家されてからの6年間は厳しい苦行の毎日でした。
享楽と苦行という極端な体験をされたわけです。
その体験の中から中道という教えが生まれたのではないかと思います。
中道とはどんなことでも極端に走らないように、バランスを大切にしなさいという教えです。
お釈迦様は財産や地位といった世俗的なものと、信心や戒律といった精神的なもののバランスが大切であり、どちらかにかたよらない生活を勧めていらっしゃいます。
人間関係でも自分の思いに固執したり、嫌われることを恐れ自分の思いを圧し殺すことは中道の教えに反するのかもしれません。
お互いに「あなたの言いたいことは十分に分かる。でも・・・」の繰り返しでは疲れるばかりです。自分を優位に立たせようという心理戦は疲弊するばかりで、お互いの距離を縮めることがありません。
どんなに頑張っても相手のすべてを理解することはできません。どんなに頑張っても自分のすべてを伝えることはできません。
自分の思いに固執せず、相手の考えに固執せずに、一時の会話に全力投球するよりも肩の力を抜き楽しい会話を心がけたいものです。
今日の目標
楽しい会話を心がけましょう
今日の写真
もみじに積もった雪が朝日を浴び輝いています。昨年は大雪、今年は暖冬と、なかなかバランスが取れないものです。自然も人間もほどほどが一番いいのですが、なかなかそうはならないようです。
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2007.02.07:
hs-1119
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お互い様の助け合いの美徳
全国最高の負担と全国最低のサービスで話題の夕張市をみなさんはどのように考えるでしょうか。民間の企業なら間違いなく倒産です。民主主義の国で、
自分達で選んだ市長や議員が破綻へと導いたのですから、自業自得という見方もあることでしょう。
しかし、夕張市の破綻により、
私達も自治体の財政について関心と危機感を持つことができました。また、各地方自治体は財政を見直し健全化を図ることでしょう。
夕張市の破綻がもたらした恩恵もあるのかもしれません。
今の日本はすべて自己責任とされる風潮があります。しかし、
それは弱者を切り捨てるということにもつながるのかもしれません。
よく批判される「みんなで」という意識の根底には、みんなで助け合いましょうという日本の美徳があるのだと思うのです。
自治体の境界線になんの意味があるのでしょうか。夕張に住んでいる人も他の地域に住んでいる人も、同じ日本人です。
そして明日は我が身となるのかもしれません。
同じ立場になってから騒ぐのではなく、あたたかい手助けも必要なのかもしれませんね。
お互い様の助け合いの美徳を忘れないようにしたいものです。
今日の目標
隣近所で助け合いましょう
今日の写真
いつもは小野川温泉から撮った写真なのですが、今日は逆に赤芝から小野川の方向を撮ってみました。この時期の晴れた日は光が銀世界に反射して、すべてが美しい風景になります。寒さを忘れて夢中でシャッターを切ってしまいます。
2007.01.25:
hs-1119
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笑顔に笑顔で応える
「笑う門には福来たる」という言葉がありますが、一口に笑うといいましても、作り笑い、苦笑、嘲笑、失笑、哄笑など、あまり良い意味で使われない言葉もあります。
毎日の生活の中では、本音を隠すための笑いというのも多いのかもしれません。
では、本当の笑いとはなんでしょうか。私は笑いには二種類あると思っています。
一つには自分が楽しくて笑うこと、もう一つは相手につられて笑うことの二つがあると思うのです。
笑いにも自他の区別があるのかもしれません。
「笑いが止まらない」というような自分が楽しくて笑うことではなく、相手の喜びに共感して笑うこと相手の微笑ましい姿を見て楽しくなることが、本当の笑いなのではないかと思うことがあります。
相手のために何かさせてもらい相手が喜んで笑ってくれた、その笑顔を見て自分も笑顔になるというのが本当の笑いなのかもしれません。
相手の笑顔を素直に受け取り、笑顔で応えれるようになりたいと思います。
公園ですれ違った赤ちゃんの無邪気な笑顔に、微笑むような笑顔を大切にしたいと思います。
今日の目標
相手を笑顔にしましょう。その笑顔に笑顔で応えましょう。
今日の写真
当山の参道のイチョウの並木です。すべての枝に雪がかかり、そこに日の光が当たり輝いていました。とてもきれいでした。
...もっと詳しく
2007.01.21:
hs-1119
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あたたかい言葉を受け取るために
雪の中で寒さに耐えるシャクナゲの写真です。もし、山の木々や花々が言葉を話すようになれば、私たちは山に行こうとは思わなくなるのかもしれません。静かな自然だからこそ、心が落ち着き癒されるのかもしれませんね。
人間は口を開けば、いろいろな感情が言葉となって出てきてしまいます。悪口・陰口・憎まれ口など、
人間は口を開けば争いの種を撒き散らすのかもしれません。
人間社会も会話がなくなれば、争いが少なくなり暮らしやすくなるのかもしれません。ストレスの溜まった猫や犬が人間を見て癒されるようになるのかもしれませんね。
「口は災いの元」という言葉があるのに、言い放った後でしか自分の言葉の重さに気づくことが出来ないものです。
人間は一日にどれだけの言葉を話しているのでしょうか。もしかしたら、単行本一冊分くらいの言葉を話しているのかもしれません。しかし、そんな意識はありません。
自分の一日の言葉が、「ドンキホーテ」のように
人を楽しませたのか
、「シャーロックホームズ」のように
誰かを追い詰めたのか
、「ダンマパダ」のように
人を導いたのか
、「ファウスト」のように
人を堕落させたのか
、日頃の言動を考えてみることも大切なのかもしれませんね。人の世は因果応報の世界です。自分の発した言葉が巡り巡って返ってきます。
どうせならあたたかい言葉を世の中に巡らせ、それを受け取り幸せな気持ちになりたいものです。
今日の目標
相手を思いやる言葉を心がけましょう
2007.01.13:
hs-1119
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福を呼び込む七福神
お正月といえば縁起のいい七福神があげられます。いい初夢が見られるようにと枕のもとに置いたり、また一月に七福神巡礼が盛んな地域もあります。
七福神といっても純粋な日本の神さまは鯛と釣り竿を持った恵比須さんお一人です。打ち出の小槌と大きな袋を持つ大黒天、七福神の中では紅一点の弁才天、甲冑に身を包み槍を持つ毘沙門天は最後に天とつきますが、もともとは天部に属する仏様です。大きなお腹を突き出し大きな袋を持つ布袋さんは中国に実在したお坊さんです。中国風の衣装をまとう福禄寿、長い頭で黒い鹿をつれているのが寿老人で共に道教の神さまです。
「
笑う門には福来たる
」の言葉通りに、七福神が縁起がいいとされるのは、まったく出身の異なる七人の神さまが
争うことなく、いつも仲良く笑っているからこそ福を呼び込むことができるのかもしれませんね
。
家族といっても現代は考え方も生活もバラバラなのかもしれません。しかし、まったく出身の違う七福神が仲良く笑っているように、
家族みんなで仲良く笑いながら新しい年を過ごしたいものです。
今日の目標
家族みんなで仲良く笑いましょう
2007.01.05:
hs-1119
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教育格差
教育再生会議で塾の禁止が提言されたそうで、マスコミを賑わがせています。子供に塾は必要なのでしょうか。子供も大人も一日の時間は限られています。塾に通うようになれば、
家族と過ごす時間や友達と遊ぶ時間が犠牲になってしまいます
。また、
塾に行けば嫌でも競争心を植え付けられます
。「友達百人できるかな」ではなく「百人の中で一番になりなさい」と教えられます。
競争意識は優越感や劣等感へとつながっていくこともあります。
そもそも塾の問題ではなく、幼稚園や小学校から受験があることが問題なのかもしれません。
しかし、両親からは「
学級崩壊に巻き込まれるかもしれない公立には子供を通わせたくない
」という声もあります。子供は非常にまわりの環境から影響を受けます。無責任な親に育てられた社会性のない自己中心的な子供と、一緒になってほしくないという親心も理解できます。
以前のお受験は学歴のためでしたが、現在は子供に悪い影響を与えたくないという親心もあるのかもしれません。
教育の格差とは大人の格差社会を反映しているにすぎません。今までの日本ではみんなが真ん中に集まる平等・平均の社会でした。しかし、現在ではまったく異なる二つのグループに分かれようとしているかのようです。格差社会とは何も
貧富の差ばかりではなく、人間的な部分での格差が広がっている
のだと思います。子供に関しても、虐待する親と愛情をそそぐ親、給食費を払わない親と払う親、子供を放任する親と躾をする親、これも人間としての格差なのかもしれません。
良識・規範・品格を持って生きようとする人間と、それらを放棄しようとする人間の間に大きな格差が生まれようとしているのかもしれません。
私は人間関係の希薄さが格差社会の根底にあるのだと思います。無常という海で孤独という嵐から、互いの船が遭難しないようにとつなぎ合わせていた「
人間の絆
」という鎖を断ち切ってしまったがために、社会の中で遭難する人が相次いでいるのかもしれませんね。
孤独感と疎外感が「自分なんて、どうなってもいい」という無気力を生み出し、それが人間格差へとつながっていくのかもしれません。
目印になる灯台が必要です。灯台とは自分が帰るべき場所、あたたかい家族だと思うのです。
今日の目標
家族の絆を確認しましょう
今日の写真
もみじの木についていた水滴が日の光で輝いています。古来より仏教では水によって人間が清められるとされています。この水滴を見ているだけでもきれいな心になれそうです。
2006.12.27:
hs-1119
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凍てつく心
まだ雪の積もらないこの時期に落ち葉を掃いてしまおうと頑張っています。雪はなくとも寒いですから、落ち葉は冷たく固く凍っています。天気が良く太陽の光が当たっても、なかなかやわらかくはなりません。
それを見て、ふと思いました。
私の心も凍てつくことがあります。
まわりの人のあたたかい言葉にも、態度も心もなかなかやわらかくなれない時があります。いつまでも凍える屋外に居座り続けようとしているかのようです。
人間はみんな意地っ張りなのかもしれません。
自分が悪いのに素直に謝れない、みんなが許してくれているのに自分を許せない、本当は助けてほしいのに叫べない。
素直に心を開くことは難しいものですね。
ですが、いつまでも一人で凍えていては辛いだけです。
ほんの少しの勇気を持って、あたたかい心のドアを開けたいものですね。
きっと、みんな待っているのですから。あなたが戻ってくることを。
今日の目標
素直な心で人と接しましょう
2006.12.13:
hs-1119
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言えないからこそ
ミスチルの「しるし」という歌詞にたしか「
心の声は相手に聞こえない
」という所がありました。それを聞いてふと思ったのです。自分が心で思ったことは相手には伝わらないのでしょうか。
たしかに、言葉として相手に聞こえることはないでしょう。しかし、
知らず知らずに自分の態度や雰囲気で相手に伝えてしまっている
のかもしれません。
なかなか言葉にできないことほど、なんとかして相手に伝えようとしてしまう
のかもしれません。そして相手に不信を与えてしまうのかもしれませんね。
あなたが嫌いです、もう別れたい、つまらない、信じられない
、というマイナスの感情は言葉にしづらい分だけ、言葉以外のもので伝えようとしてしまうのかもしれません。
以前、「さとられ」という番組がありました。心の声がまわりの人に伝わってしまう人のお話でした。もしかしたら、私達人間は誰もが「さとられ」なのかもしれません。
人間は誰もが自分の心を相手に伝えようと必死なのかもしれませんね。
知らず知らずに伝えているかもしれない心の声には気をつけたいものです。
今日の目標
言葉にできない思いほど気をつけましょう
今日の写真
今日の写真は氷柱の赤ちゃんです。小野川温泉にはまだ雪は積もっていないのですが、たいぶ寒くなってきました。人間の赤ちゃんと一緒で、氷柱の赤ちゃんもかわいいものです。
2006.12.10:
hs-1119
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