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東根市保健福祉センター
新しい世代交流の場の形成
私たちの提案する東根すこやか・やすらぎの郷は、市民が気軽に立ち寄り自然な交流と出会いが生まれる、にぎやかで活気の感じられる施設です。複合施設にありがちな迷宮性を避けて、全体の構成は機能が並列配置されるコンビニエントでオープンな親しみやすい建築を目指しています。このようなシステムの空間は、将来にむけての柔軟性・持続性・拡張性をもちながら、基本構想のなかで述べられている「市民の快適空間としてのシンボル性」を充分に備えた崇高さを実現します。
2001.05.11:
羽田設計事務所
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特別養護老人ホームなごみの里
2001.05.09:
羽田設計事務所
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社会福祉法人米沢弘和サンプラザ
2001.05.09:
羽田設計事務所
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羽田ルネッサンスを夢みて
MESSAGE
”羽田ルネッサンス”を夢みて
月刊「近代建築」 2001年4月号
私たちの師である羽田他所夫は金沢の生まれであったが、戦後山形の地に腰を据え、建築の作品にとどまらず、さまざまな分野で近代化を推し進めた生粋のモダニストであった。羽田が生を享けたのは1917年、ロシア革命の年である。その頃の日本は大正デモクラシーや世界恐慌、軍国主義の嵐が吹き荒れ、建築のモダニズム運動の影響とともに、青年期の思想形成に大きな影響を与えたと思われる。そのためか戦後生まれの私たちよりも既成の価値観にとらわれない自由さと、剛毅な精神を併せ持っていた。建築の作品性という面では、モダニズムの原則に忠実な、愚直なまでの原理主義者であった。とりわけポストモダンの風潮には批判的で、主張を最後まで曲げない頑固さが私たち若い世代との軋轢を生んだ時期もあった。モダニズムの揺籃期を過ごした羽田にとって、当然の反応であった。その羽田も他界し、自由で進取の気性に富む精神は現在の事務所に引き継がれた。
こうして21世紀の初頭に建築の世界を展望する時、羽田がこだわりをみせたモダニズムが再び輝きを増しはじめたようにみえる。地方から見ると、反モダニズムから生まれた地域主義すら取りこみつつあると感じる。一世を風靡した、地方の建築とは屋根をのせることかと思わせる単純な風潮はなりを潜め、あらたな展開をはじめた感がある。
私たちがそのことに関心をもつのは、めざしてきた建築がプレモダンな風土的表現を超えたいと願ってきたからである。少なくとも地域の中に封じ込められた建築ではないデザインを求めてきた。それは、建築は常に時代の新しい精神をとりこみながら変化して当然であるし、そうあるべきだと考えるからである。
たとえば素材や工法を工夫することで、土地の風景や文化に同化させるあらたな風土的デザインの可能性もある。モダニズム=ユニバーサリズムの隆盛はそれを勢いづかせると感じている。当然、その隆盛の秘密はユニバーサリズムが情報化社会の建築表現にふさわしいという側面と、少し皮肉な見方をすれば、経済のバブル崩壊という側面のなかでぜい肉をおとさざるをえなくなった建築が、モダニズムの質素な美学を再発見した面がある。むしろ、実態は後者に近いのだろう。
地方が直接世界と繋がる現在、軽くて透明なモダニズムの感覚は、自然にあふれた地方にはよく似合う。何より重く暗い空間に取り囲まれてきた観のある地方には、自由な拡がりと開放的な表現をもつモダニズムこそふさわしいと感じる。その意味では地方の建築もようやく風土という狭い地域主義(しかも半ば便宜的にこじつけられた観のある)にとらわれた表現から解き放たれつつある。少なくとも建築家の関心が薄れてきたことは明らかである。もちろん、土着の文化が生みだした空間の魅力は継承されて当然であることはいうまでもない。
こんなことを書いたのは、実は山形と山を隔ててわずか60キロ先の仙台に、情報化時代を象徴するような建築イメージを持つ伊東豊雄のメディアテークが出現したことも影響している。なにより身近なところに世界レベルの建築ができたことの衝撃は大きい。それより土着の建築家としてもっと気になる建築は、木質系の材料とガラスを結び付けた表現の慶長船ミュージアムや馬頭町広重美術館である。こういうデザインをみると、土着の建築家の目をひらかせて、地方のごくありふれた場所にたつ建築が大きくゆたかな可能性をもつことを感じさせるからである。ともあれ、ここ数年東北やその周辺にできた外資の手?よそから来たアトリエ派の建築家?によるいくつかの建築は、新しい時代の雰囲気を伝え,黒船来航のように、この地に大きな影響を与えつつある。とすれば、迎え撃つ私たち土着の建築家はそれをどう受けとめ、どう折り合いをつけるか興味深い。少なくともこれからは外資と拮抗する力量が問われるだろう。
一方で、建築の表現とは別個の問題として、まちづくりや建築の企画や計画のプロセスに、少しずつユーザー参加という形でワークショップが広がり始めていることは何よりもうれしい。特に公共建築の実際の使い手と幅広い意見交換の場が増えてきていることは望ましい傾向である。さらに欲を言えばエンドユーザー参加の機会があれば理想である。私どもは、高齢者福祉施設「とかみ共生苑」のプロジェクトに構想の段階から5年間かかわった経験から、その期間の長さと議論の密度は結果の満足と必ず結びつくことを学んだ。
何よりそれぞれの分野のエキスパートがひざを交えて議論すれば、化学反応を起こしてあたらしい物質アイディアがうまれる可能性が高まることを、身をもって体験させられた。それは要請があれば何度でも何時でも足を運べるという、地域に腰を据えて活動をする者にのみ可能なことである。土着の建築家としての至福の時でもある。実はそれぞれが自由な立場で発言できるワークショップの現場から学ぶことの大きさははかり知れない。反面不勉強を思い知る場でもある。しかし相互の絶え間ないやりとりの中でもたらされる情報の深さと拡がりの生む成果は大きいと実感している。この経験から、できるだけ企画構想の段階から建築家としてプロジェクトに参加し、ユーザーとの議論を深める機会を多くつくりたいと願っている。むしろ、これまでは誰かに条件を整理してもらい、最終的に形にすることが建築家の仕事であるかのように、建築家自身もクライアントも思い込んでしまってきたように思えるからである。確かに、ユーザーという多様な主体との関わりのなかでは孤軍奮闘をせまられ、「建築をデザインする」という立場からみると忌避したい作業に思われがちである。しかし、その結果がユーザーの声不在の建築という形で今日納税者たる市民に重くのしかかっているのが現実である。これを打開するためには、建築家が日頃から積極的な形でまちづくりに関わりつづけることだろうと思う。地域の人々から信頼がなければ成し得ないのも事実だからである。しかし、そのような要請をうけることも、参加の機会も過去にはほとんどなかったのが現実であるが、最近は様相がすこしづつではあるが状況が変わってきた。
このように足元を見れば、テーマは山のようにあり、土着の建築家の課題はむしろ拡大している。社会が大きな変革期にある現在、建築家への期待と役割は大きい。地域と密着して設計活動を営むものとしては、否応なく地方が自立して生きるみちや魅力の創造にふかく関わってくる。明白なビジョンを持たない地域は沈没していきかねないからだ。今後はむしろまちづくりに積極的に関わらざるをえないのである。その結果として、土着の建築家としての基盤がより強固なものになるはずである。少なくとも幅広く多様な主体との関わりを忌避することによってではなく、悪戦苦闘の場面をとおして建築家としての構想力を示していきたいと考える。
私たちはこれまで「山形のあたらしい風景をつくる」という想いで、ひとつひとつの作品が伝統的な建築の魅力と共存し、拮抗する力を与えようと努めてきた。それはモダニズムの平明さと率直さが、やがて自然な形で日本人の心象風景にとけこむ日を、羽田とともに夢見てきたからである。幸いなことに、私たちの事務所は50年を超える歴史と、多様なプロジェクトに関わってきた経験の中で、この地への愛情と責任を感じ取ってきた。これからも決して地域の中に安穏とすることなく、あらたな建築の創造をめざして、遠く深い眼差しをもってこの地で活動をつづけていきたい。
2001.04.01:
羽田設計事務所
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history 1980-1971
1980 トヨタカローラ山形 トレーニングセンター
1980 南陽市庁舎
1980 大蔵村立赤松小学校
1980 荘内銀行 天童中央支店
1980 上山市立南中学校
1980 山交ハイヤー株式会社 本社社屋
1980 山形市立滝山小学校 校舎
1980 碁点レクリエーションセンター
1980 皆瀬村運動広場
1980 歌懸稲荷神社 社宅
1980 M邸
1980 I邸
1979 白田写真館
1979 日本ミリポア工業(株)米沢工場
1979 新野電子(株)
1979 新野産婦人科医院
1979 沼沢井出病院
1979 山交整備(株)
1979 山形市総合福祉センター
1979 山形県労働金庫 山形北支店
1979 山形県第一信用組合
1979 山形ナショナル 酒田営業所
1979 山形いすず 寒河江営業所
1979 山の家
1979 寒河江市市民体育館
1978 日米商事 深町給油所
1978 大蔵村立肘折小学校体育館
1978 大蔵村立中央公民館
1978 小安幼児プール
1978 山辺町立山辺小学校校舎
1978 山形市立滝山小学校校舎
1978 山形市立蔵王第一小学校屋内運動場
1978 山形いすず寒河江営業所
1978 喜久屋旅館増築
1978 寒河江ダム周辺振興管理センター
1978 皆瀬幼児プール
1978 ヤマケン 秋田営業所
1978 S邸
1977 保養所むつみ荘
1977 大蔵村立肘折小学校
1977 新和ボーリング事務所
1977 山形交通本社ビル
1977 山形県労働金庫新庄支店
1977 山形県営野球場
1977 山形県ニットセンター
1977 山形トヨタ大の目営業所
1977 最上町町民体育館
1977 寒河江市民プール
1977 S邸
1976 天元台レストハウス
1976 蔵王ドライブイン
1976 山形市立蔵王第一小学校
1976 山形県自治会館
1976 香月堂
1976 吉本旅館改築
1976 S邸
1976 (株)みちのく企業駅前貸し店舗
1975 石巻屋商店
1975 山形市立第九中学校屋内運動場
1975 三沢商店
1975 最上町立瀬見公民館
1975 皆瀬村幼稚園
1975 トヨタカローラ山形 米沢営業所
1974 日米商事 長井給油所
1974 大蔵村立沼台小中学校
1974 千足屋 米沢第二営業所
1974 山交 坊平高原ロッジ
1974 山形トヨタ 南陽営業所
1974 (株)須山商店
1973 大蔵村立沼台小学校屋内運動場
1973 荘内銀行 北町支店
1973 新和調査設計事務所
1973 商工中金酒田事務所
1973 山形市立第九中学校
1973 山形交通 長井出張所
1973 山形県教育センター
1973 山形県遺族会事務所
1973 山形いすず 米沢営業所
1973 最上町庁舎
1973 高畠町立亀岡小学校
1973 高畠町営体育館
1973 県立新庄農業高校自営者養成寄宿舎
1973 吉井屋商事株式会社
1973 O邸
1973 N邸
1972 日米商事 双月給油所
1972 渡辺外科医院
1972 大蔵中学校屋内運動場
1972 最上コミュニティーセンター
1972 佐藤商店
1972 高畠町立屋代小学校屋内運動場
1972 県立村山農業高校寮
1972 寒河江消防庁舎
1972 寒河江市立国保病院
1972 寒河江市民会館
1972 皆瀬村給食センター
1972 皆瀬総合センタープール
1972 カローラ山形 長井営業所
1972 U邸
1972 N邸
1971 米沢商工会議所会館
1971 日米商事 駅前給油所
1971 日米プラザ 青田
1971 南陽市立宮内小学校
1971 東海林アパート
1971 大蔵中学校
1971 大蔵村保養センター
1971 山形県消防学校
1971 佐藤商店
1971 ヤマコーボウルタカハタ
1971 ヤマコーボウルオグニ
1971 M邸
1971 K邸
2000.01.01:
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history 2009-2001
2009 県営住宅通町団地
2009 水盤のある家
2009 さくらんぼテレビジョンスタジオ
2009 置賜スポーツ交流プラザ 湯るっと
2009 米沢市公営住宅塩井町団地
2008 Nビル新築工事
2008 庄内町新産業創造館
2008 一日町の家(O邸)
2007 Sクリニック
2007 七日町の家(N邸)
2007 山形県営松境・住吉団地移転建替及び
酒田市琢成学区コミュニティ防災センター
2007 東根消防署
2007 MSI本社ビル
2007 尾花沢市立福原中学校・体育館
2007 ダイヤ26B
2006 ギャラリーのあるゲストハウス
2006 レジデンスTOMO
2006 大手門パルズ
2006 六日町グリーンハイツ改修及び増築
2005 尾花沢市地域介護・福祉空間整備等事業
2005 特別養護老人ホームとかみ共生苑地域介護予防リハビリセンター増築
2005 特別養護老人ホームとかみ共生苑ドライエリア改修
2005 特別養護老人ホームしらいわ(仮称)
2005 東海大山形高等学校 トレーニングセンター改築
2005 鶴岡社会保険事務所レイアウト変更
2005 地域ケアセンター東陽館改修
2005 T邸
2005 T邸
2005 S邸
2005 山辺プール改築
2005 山形県自動車販売店リサイクルセンター
2005 在宅介護複合施設ほづみ
2005 最上川中流土地改良区管理棟
2005 S邸
2005 K邸
2005 花登茂店舗併用住宅改修
2004 オフィスナインビル
2005 (仮称)第2はとみね荘
2004 遊佐中央児童館(仮称)施設
2004 東海大学山形高等学校環境設備
2004 田の字ハウス Tall type Vol 1
2004 T邸
2004 朝日プラザエザース山形中央口修繕
2004 蔵王やすらぎの里軽費老人ホーム改修
2004 勤労者福祉センター教育会館
2004 おしゃれサロンへあ増築
2004 (仮称)オフィス・ナインビル新築
2003 Sスタジオ
2003 特別養護老人ホーム蔵王やすらぎの里修繕
2003 特別養護老人ホームとかみ共生苑増築改修
2003 鶴岡地区医師会介護老人保健施設
2003 M邸
2003 なかやま保育所
2003 山形市鈴川公民館
2003 山形市社会保険事務所庁舎来客拡張等
2003 寒河江やすらぎの里増改築
2003 介護付有料老人ホームやすらぎ苑
2003 I邸改修
2003 グループホーム出羽共立苑
2003 山口ハートクリニック
2003 (仮称)あいあい特別養護老人ホーム
2002 米沢六中
2002 平成(13年度)黒川地区活性化施設
2002 内藤医院
2002 I邸
2002 山形トヨタ鶴岡営業所改修
2002 山形トヨタ新庄営業所(工場)増築
2002 高畠町営体育館改修
2002 荒砥駅前交流施設整備
2001 木の実保育園増築
2001 高畠町立屋代小学校屋外プール改築
2001 高畠町コミュニティプール施設改修
2001 K邸
2001 グループホームとかみ共生苑増築
2000.01.01:
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”羽田ルネッサンス”を夢見て
私たちの師である羽田他所夫は金沢の生まれであったが、戦後山形の地に腰を据え、建築の作品にとどまらず、さまざまな分野で近代化を推し進めた生粋のモダニストであった。羽田が生を享けたのは1917年、ロシア革命の年である。その頃の日本は大正デモクラシーや世界恐慌、軍国主義の嵐が吹き荒れ、建築のモダニズム運動の影響とともに、青年期の思想形成に大きな影響を与えたと思われる。そのためか戦後生まれの私たちよりも既成の価値観にとらわれない自由さと、剛毅な精神を併せ持っていた。建築の作品性という面では、モダニズムの原則に忠実な、愚直なまでの原理主義者であった。とりわけポストモダンの風潮には批判的で、主張を最後まで曲げない頑固さが私たち若い世代との軋轢を生んだ時期もあった。モダニズムの揺籃期を過ごした羽田にとって、当然の反応であった。その羽田も他界し、自由で進取の気性に富む精神は現在の事務所に引き継がれた。
こうして21世紀の初頭に建築の世界を展望する時、羽田がこだわりをみせたモダニズムが再び輝きを増しはじめたようにみえる。地方から見ると、反モダニズムから生まれた地域主義すら取りこみつつあると感じる。一世を風靡した、地方の建築とは屋根をのせることかと思わせる単純な風潮はなりを潜め、あらたな展開をはじめた感がある。
私たちがそのことに関心をもつのは、めざしてきた建築がプレモダンな風土的表現を超えたいと願ってきたからである。少なくとも地域の中に封じ込められた建築ではないデザインを求めてきた。それは、建築は常に時代の新しい精神をとりこみながら変化して当然であるし、そうあるべきだと考えるからである。
たとえば素材や工法を工夫することで、土地の風景や文化に同化させるあらたな風土的デザインの可能性もある。モダニズム=ユニバーサリズムの隆盛はそれを勢いづかせると感じている。当然、その隆盛の秘密はユニバーサリズムが情報化社会の建築表現にふさわしいという側面と、少し皮肉な見方をすれば、経済のバブル崩壊という側面のなかでぜい肉をおとさざるをえなくなった建築が、モダニズムの質素な美学を再発見した面がある。むしろ、実態は後者に近いのだろう。
地方が直接世界と繋がる現在、軽くて透明なモダニズムの感覚は、自然にあふれた地方にはよく似合う。何より重く暗い空間に取り囲まれてきた観のある地方には、自由な拡がりと開放的な表現をもつモダニズムこそふさわしいと感じる。その意味では地方の建築もようやく風土という狭い地域主義(しかも半ば便宜的にこじつけられた観のある)にとらわれた表現から解き放たれつつある。少なくとも建築家の関心が薄れてきたことは明らかである。もちろん、土着の文化が生みだした空間の魅力は継承されて当然であることはいうまでもない。
こんなことを書いたのは、実は山形と山を隔ててわずか60キロ先の仙台に、情報化時代を象徴するような建築イメージを持つ伊東豊雄のメディアテークが出現したことも影響している。なにより身近なところに世界レベルの建築ができたことの衝撃は大きい。それより土着の建築家としてもっと気になる建築は、木質系の材料とガラスを結び付けた表現の慶長船ミュージアムや馬頭町広重美術館である。こういうデザインをみると、土着の建築家の目をひらかせて、地方のごくありふれた場所にたつ建築が大きくゆたかな可能性をもつことを感じさせるからである。ともあれ、ここ数年東北やその周辺にできた外資の手−よそから来たアトリエ派の建築家−によるいくつかの建築は、新しい時代の雰囲気を伝え,黒船来航のように、この地に大きな影響を与えつつある。とすれば、迎え撃つ私たち土着の建築家はそれをどう受けとめ、どう折り合いをつけるか興味深い。少なくともこれからは外資と拮抗する力量が問われるだろう。
一方で、建築の表現とは別個の問題として、まちづくりや建築の企画や計画のプロセスに、少しずつユーザー参加という形でワークショップが広がり始めていることは何よりもうれしい。特に公共建築の実際の使い手と幅広い意見交換の場が増えてきていることは望ましい傾向である。さらに欲を言えばエンドユーザー参加の機会があれば理想である。私どもは、高齢者福祉施設「とかみ共生苑」のプロジェクトに構想の段階から5年間かかわった経験から、その期間の長さと議論の密度は結果の満足と必ず結びつくことを学んだ。
何よりそれぞれの分野のエキスパートがひざを交えて議論すれば、化学反応を起こしてあたらしい物質アイディアがうまれる可能性が高まることを、身をもって体験させられた。それは要請があれば何度でも何時でも足を運べるという、地域に腰を据えて活動をする者にのみ可能なことである。土着の建築家としての至福の時でもある。実はそれぞれが自由な立場で発言できるワークショップの現場から学ぶことの大きさははかり知れない。反面不勉強を思い知る場でもある。しかし相互の絶え間ないやりとりの中でもたらされる情報の深さと拡がりの生む成果は大きいと実感している。この経験から、できるだけ企画構想の段階から建築家としてプロジェクトに参加し、ユーザーとの議論を深める機会を多くつくりたいと願っている。むしろ、これまでは誰かに条件を整理してもらい、最終的に形にすることが建築家の仕事であるかのように、建築家自身もクライアントも思い込んでしまってきたように思えるからである。確かに、ユーザーという多様な主体との関わりのなかでは孤軍奮闘をせまられ、「建築をデザインする」という立場からみると忌避したい作業に思われがちである。しかし、その結果がユーザーの声不在の建築という形で今日納税者たる市民に重くのしかかっているのが現実である。これを打開するためには、建築家が日頃から積極的な形でまちづくりに関わりつづけることだろうと思う。地域の人々から信頼がなければ成し得ないのも事実だか
らである。しかし、そのような要請をうけることも、参加の機会も過去にはほとんどなかったのが現実であるが、最近は様相がすこしづつではあるが状況が変わってきた。
このように足元を見れば、テーマは山のようにあり、土着の建築家の課題はむしろ拡大している。社会が大きな変革期にある現在、建築家への期待と役割は大きい。地域と密着して設計活動を営むものとしては、否応なく地方が自立して生きるみちや魅力の創造にふかく関わってくる。明白なビジョンを持たない地域は沈没していきかねないからだ。今後はむしろまちづくりに積極的に関わらざるをえないのである。その結果として、土着の建築家としての基盤がより強固なものになるはずである。少なくとも幅広く多様な主体との関わりを忌避することによってではなく、悪戦苦闘の場面をとおして建築家としての構想力を示していきたいと考える。
私たちはこれまで「山形のあたらしい風景をつくる」という想いで、ひとつひとつの作品が伝統的な建築の魅力と共存し、拮抗する力を与えようと努めてきた。それはモダニズムの平明さと率直さが、やがて自然な形で日本人の心象風景にとけこむ日を、羽田とともに夢見てきたからである。幸いなことに、私たちの事務所は50年を超える歴史と、多様なプロジェクトに関わってきた経験の中で、この地への愛情と責任を感じ取ってきた。これからも決して地域の中に安穏とすることなく、
あらたな建築の創造をめざして、遠く深い眼差しをもってこの地で活動をつづけていきたい。
2000.01.01:
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history 1970-1960
1969 日米商事 北町給油所
1969 南陽市立赤湯保育園
1969 南陽市消防庁舎
1969 事務機センター感光社
1969 山形市立蔵王第三中学校屋内運動場
1969 山形県労働金庫 鶴岡支店
1969 高畠町立屋代小学校
1969 県立鶴岡病院 管理サービス等
1969 遠藤商事本社社屋
1969 遠藤商事 大野目給油所
1969 H邸
1968 大石田町立白鷹分校
1968 多郎兵衛旅館
1968 新山形いすずモーター
1968 小川医院
1968 小国町町民プール
1968 小国町沖庭小学校屋内運動場
1968 山辺町立中央公民館
1968 山形市立蔵王第三小学校
1968 県立養蚕試験場
1968 県精神障害者救護施設
1968 吉本旅館
1968 皆瀬総合センター
1968 G邸
1967 中川小学校屋内運動場
1967 大江町庁舎
1967 新庄社会保険事務所
1967 小国町立玉川小学校
1967 小国町開発総合センター
1967 山形美術博物館増築
1967 山形県消防学校
1967 山形ダイハツ 米沢営業所
1967 高畠町庁舎
1967 高畠町消防庁舎
1967 高畑町立糠野目小学校
1967 県立米沢商業高等学校
1967 ZAOドライブイン
1967 T邸
1967 S邸
1967 S邸
1967 K邸
1967 I邸
1967 I邸
1966 飯豊町立中津川中学校
1966 飯豊第二小学校
1966 赤湯町立中川小学校
1966 小国町立足中小学校
1966 出羽三山神社増築
1966 蚕業技術研修館
1966 産業会館酒田
1966 阿部商事
1966 ZAO GARDEN
1966 T邸
1966 S邸
1965 柏倉ビル
1965 蔵王ロープウエイ山頂駅休憩所
1965 山形いすず 鶴岡営業所
1965 県立天童商工高校屋内運動場
1965 宮内町立宮内中学校
1964 防衛庁 蔵王‘蔵王青年隊員の家‘
1964 飯豊町立第二小学校
1964 長井市立総合病院 精神科病棟
1964 精栄堂印刷所
1964 新庄観光案内所
1964 山交 市役所バス停留所
1964 山形県立小国高等学校
1964 山形いすず サービスセンター
1964 霞城自動車専門学校
1964 シェル石油 山形南給油所
1964 アートビューティーサロン
1964 S邸
1964 N邸
1964 N邸
1964 M邸
1963 米沢市立第五中学校
1963 山形美術博物館
1963 山形新聞 山形放送 米沢支社
1963 宮川アパート
1963 むつみ洋裁学院
1963 K邸
1962 大蔵村庁舎
1962 醸造会館
1962 山形社会保険出張所
1962 山形市立上山小学校
1962 山形県研修センター
1962 山形いすず サービスセンター
1962 公立県南総合病院
1962 S邸
1961 湯沢 皆常商店
1961 小白川商店
1961 小国小学校
1961 小原写真機店
1961 山形新聞 鶴岡支局
1961 山形トヨタ自動車株式会社
1961 高楯山TV送信所
1961 後藤歯科医院
1961 県立新庄工業高校
1961 宮内町立吉野中学校屋内運動場
1961 岡崎医院
1961 いとや商店
1961 YBC蔵王中継所
1961 O邸
1961 O邸
1961 K邸
1961 K邸
1960 余目町庁舎
1960 遊佐町庁舎
1960 野々村 改装
1960 農協寄宿舎
1960 村尾旅館改造
1960 蔵王パークホテル
1960 荘内銀行 酒田支店
1960 松栄ホール
1960 山形県自治会館
1960 高畠第三中学校
1960 高畠第一中学校
1960 すずらん街店舗
1960 O邸
2000.01.01:
羽田設計事務所
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メモ
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history 2000-1991
2000 K邸
2000 労働金庫酒田支店
2000 ケアハウスふるさと(仮称)
2000 蔵王ドライブイン改修(レストラン横倉)
2000 南陽市立病院改修
2000 N邸
1999 特別養護老人ホーム 太陽の里ふたば
1999 山形トヨタ自動車板金工場
1999 ディサービスセンターE型蔵王やすらぎの里増築
1999 レジデンスTOMOあこや町
1999 山形第一信用組合米沢北支店改装
1999 高畠町営体育館玄関ホール改修(増築)
1998 山形いすゞ新庄営業所
1998 A邸
1998 軽費老人ホーム 蔵王やすらぎの里談話室増築
1998 トレンド七日町
1998 特別養護老人ホームはとみね荘
1998 七日町こまくさ園
1998 夢工房
1998 鶴岡勤労者総合スポーツ施設
1998 楯岡駅
1998 アムテック
1998 大蔵村立赤松小学校改築
1998 山形酸素新庄営業所
1998 特別養護老人ホーム長寿園増改築
1998 てんどう駅西クリニック増築及改修
1998 旧山形県研修センター内部改修
1998 緑町ワンルームマンション
1997 特別養護老人ホーム中山ひまわり荘
1997 池田機械工業
1997 滝山小学校
1997 真室川町梅里苑増改築
1997 至誠堂総合病院病棟部改修
1997 山形県立ゆきわり養護学校校舎・寄宿舎増築
1997 山形いすゞ東根出張所
1997 高畠町教育事務室改造
1997 遠藤建設社屋
1997 N医院 N邸
1997 もんま医院増築
1997 たつのこ保育園
1997 コーポかじょう
1997 アムゼ株式会社
1996 旅籠町マンション
1996 豊田地区公民館
1996 特別養護老人ホームとかみ共生苑新築
1996 長井勤労者総合スポーツ施設
1996 Oアパート O邸
1996 山野辺町民プール
1996 山形県立鶴岡中央高等学校
1996 山形トヨタ大野目マイカーセンター
1996 山形トヨタ自動車酒田営業所改築
1996 最上町老人保健施設及医学リハビリテーション
1996 高畠町立亀岡小学校屋内運動場等改修
1996 ヨークベニマル寒河江店
1996 セミコンダクターズニイノ増築
1996 さくらんぼテレビジョン演奏所
1996 イフコレンタカー山形営業所
1996 あとりえ瑠衣都
1995 日米商事東根温泉町給油所
1995 長清水団地8.9号棟
1995 総合療育訓練センター調理員室改修
1995 川越病院改造
1995 西村歯科増築
1995 真室川町立小又小学校屋内運動場改築
1995 篠原心療内科クリニック
1995 至誠堂総合病院増改築
1995 山形第一信用組合糖野目支店増築
1995 山形市立病院済生館シンボルタワー
1995 山形交通七日町バス待合所
1995 高畠町立糖野目小学校屋内運動場改築
1995 寒河江市総合福祉保健センター
1995 株式会社新和調査設計事務所山形支店
1995 駅西クリニック
1995 ミートショップ横山
1995 サンエー技研工場増築
1994 至誠堂総合病院改修
1994 山形第一信用組合 米沢支店
1994 山形いすゞ自動車 山形営業所
1994 戸沢村野口温泉源泉整備
1994 県営長清水団地
1994 ヨークベニマル西那須野店
1993 日米商事 鶴岡給油所
1993 日米商事 楯山事務所
1993 真室川町立真室川小学校校舎
1993 真室川町立真室川小学校屋内運動場
1993 山形第一信用組合 宮内支店
1993 山形県立産業短期大学校学生会館
1993 山形トヨタ 天童営業所
1993 最上町立最上病院改築・健康管理センター
1993 戸沢村立神田保育所
1993 戸沢村いきいきぽんぽ館
1993 H邸
1992 尾花沢市立宮沢中学校校舎
1992 尾花沢市立宮沢中学校屋内運動
1992 蔵王やすらぎの里 特別養護老人ホーム
1992 真室川町立釜渕小学校屋内運動場
1992 山形県立畜産試験場
1992 ヨークベニマル新庄店
1991 日米商事 新庄中央給油所
1991 山形日立米沢営業所
1991 最上町庁舎 増築
1991 角川保育所・本郷児童館併設
1991 屋代小学校
1991 ローズボウル改装
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