本格的に美術批評に取り組み始めた今泉は、
36歳のとき、人気作家 梅原龍三郎と安井曽太郎の批評に挑みます。
また、ルノワールなどの外国作家も取り上げていきます。
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米沢市上杉博物館 0238-26-8001
留学から帰国した今泉は、
パリで知り合った同世代の日本人作家たちに、展覧会批評を依頼されます。
その積み重ねによって、今泉は「美術評論家の卵」となっていきます。
今泉は、東京帝国大学在学中に「二つの絵」と出会い、
美術に生涯を捧げようと決意します。
卒業は、パリ大学、ベルリン大学へ留学し、
同じく留学中の日本人作家たちとも交流を持ちました。
今泉は、米沢中学(現 山形県立米沢興譲館高校)、山形高等学校(現 山形大学)を卒業し、東京帝国大学へ進学。
美学美術史を学びながら、自分の将来を決めきれずにいました。
しかし様々な出会いが今泉を美術の道へ誘っていきます。
美術評論家の今泉篤男は、
明治35年(1902)、 山形県米沢市に生まれました。
学生時代は、油彩画に熱中し、友人らと同人誌に小説を書くなど、
文芸活動に勤しむ青年だったといいます。