11月の体験学習室

  • 11月の体験学習室

10月24日からのの体験学習室についてお知らせいたします。

季節企画は「七五三」(10/24(金)~11/25(火))です。
造形体験は「紙でつくるいろいろものいれ」(10/24(金)~11/25(火))です。

紙をつかって、ふくろや箱をつくってみましょう。
平面が立体になるおもしろさを体験してみませんか。

※ご利用の際は感染予防にご協力ください。
※発熱や、風邪症状のある方はご利用をお控えください。
※5人以上のグループでのご利用は、事前にご相談ください。
※定員は20名です。混雑時はお待ちいただくこともございます。

それではご来館を心よりお待ちしております。
お問い合わせは 米沢市上杉博物館0238-26-8001までどうぞ。

2025.10.24:denkoku:[博物館情報]

令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」⑧

  • 令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」⑧

令和7年度の上杉文華館は「謙信・景勝に手紙を書く」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。

 戦国時代、書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書 も作られました。そこには差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることも できます。東国の大名間では、差出は実名に花押、宛名は名字に殿の尊称という表記が、原則的に対等な関係を示していました。特別な内容や礼状などでは、宛名に「謹上」のような上所、差出の実名に官途や姓などを加えて厚礼とし、より丁寧な気持ちを表すこともありました。

 永禄4年(1561)、謙信(長尾景虎)は上杉憲政から名跡と関東管領の地位を譲られ、上杉氏を名乗ったことはよく知られています。これによって謙信、景勝 はその地位に応じた書状を受け取ることになりました。宛名には、「上杉殿」や「上杉弾正少弼殿」などの名字を冠したもの、「山内殿」や「越府」、「春日山」 などの地名を記すもの、また本人ではなく、報告を求めて側近に宛てたものなどがみられます。これらは差出人の立場によって選ばれますが、その基準をみていくことで、謙信や景勝の地位、諸大名家の権力構造、東国社会の変容などがみえてくると思われます。

2025年度はこの解明に取り組んでいきます。

 

第8回《大名家の事情Ⅱ…佐竹氏》

 

 【展示期間】10月23日(木)~11月25日(火)

 

  展示目録はこちら

 

常陸太田 ひ た ちお おた (茨城県常陸太田市)を拠点にした戦国大名佐竹氏は、小田原(神奈川県小田原市)を拠点に関東に勢力を伸ばす北条氏と鋭く対立していました。そのため、その 当主義重 よししげ は上杉謙信や景勝の軍事力に大きく期待し、関東出兵を何度も要請していました。両者に対する義重の書状の宛所は「山内殿」に「御宿所 おんしゅくしょ 」や「御報 ご ほ う 」などの 脇付で表現されていました。  そして、当主のみならず、家臣団最上位に位置付けられた佐竹氏一門(北家・東家・南家)は、義重と同じ表現を用いました。これは、ほかの戦国大名家が当主や前 当主のみが使用していたことと比べて、大きな違いであり、佐竹氏の特徴でした。佐竹氏の権力行使と関連する家臣団編成の特徴に基づくものであったと考えられます。  また、譜代 ふ だ い 家臣の上位に位置付けられる側近や重臣らにみられる書札礼の特徴も、他家の事例と比較しながら、紹介していきます。

 

 

▼ コレクショントーク

 日時:11月9日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

令和7年度上杉文華館展示スケジュールはこちら

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2025.10.23:denkoku:[博物館情報]

特別展「上杉謙信の祈りと信仰」資料紹介

  • 特別展「上杉謙信の祈りと信仰」資料紹介

ただいま開催中の特別展「上杉謙信の祈りと信仰」から展示紹介をいたします。

 

展示紹介①

黒い法衣を着た法体姿の謙信像(泰巖歴史美術館様ご所蔵、前期展示のみ)。 法体姿でありながら、身辺に武器を配した構図は、謙信の武将と僧の二面性を伝えています。同様の作例が確認でき、一般的な謙信のイメージを表現したと見られます。

Uesugi Kenshin in black robes, seated on a striped mat. Japanese calligraphy text is visible above the figure.

 

展示紹介②

「朱皺漆紫糸素懸威六枚胴具足 三宝荒神形兜付」を描いた甲冑と考えられ、武将姿の謙信の肖像画と見られます(新潟県立歴史博物館様ご所蔵、前期展示のみ)。この甲冑は謙信所用として伝来しています。

なお、この図像は、「親慶」という絵師による作品であることが分かりますが、この絵師の詳細については現在のところ不明です。

 

資料紹介③

謙信が青年期に武者修行で廻国した際に用いられたと伝わる笈(泰巖歴史美術館様ご所蔵、前期展示のみ)。 江戸時代には米沢城内の文庫に保管され、「謙信一世秘蔵ノ道具」として伝来し、謙信の信仰が後世に語り継がれたことを示しています。

笈を開扉すると、内側は金箔が捺されており、上下それぞれに引き出しがついています。

「謙信公年譜」天文12年夏条によると、「加能越三箇国ヲ巡見有テ十月末ニ栃尾ニ帰リ玉フ」とあり、謙信の北陸巡行の記事を載せていますが、他資料での裏付けができず、現時点では伝承の域を出ません。

 

資料紹介④

川中島合戦で、謙信が善光寺から持ち出した仏具(法音寺様・熊野大社様ご所蔵)。これらの仏具は、弘治元年(1555)の戦いで越後に移され、謙信の信州支配を正当付けようとしました。前期展示では、善光寺ゆかりの宝物類を一堂に展示しています。

手前から、金銅五鈷鈴(重要文化財)、金銅五鈷杵(重要文化財)、金銅舎利塔(県指定文化財)、金銅宝珠塔、如来尊宝印を展示しています(全て法音寺蔵)。

善光寺銘金銅華鬘(南陽市指定文化財、熊野大社蔵)。中央下に「善光寺」の銘が入っています。

金銅三坪旛(南陽市指定文化財、熊野大社蔵)。

 

資料紹介⑤

謙信の北陸侵攻において、謙信が越中国内の一向一揆勢の退散を祈願した願文です(国宝「上杉家文書」)。「藤原謙信」の署名下に捺された朱印には、「阿弥陀・日天・弁財天」と彫られており、この点からも謙信の信仰が垣間見えます。

A vertical scroll with black ink calligraphy in Japanese, featuring dense text written in a traditional style. A red seal with intricate designs, including the characters

A vertical scroll with black ink calligraphy in Japanese, featuring dense text written in a traditional style. A red seal with intricate designs, including the characters

 

資料紹介⑥

謙信が発心坊に対して戦勝祈願を指示した文書(国宝「上杉家文書」)。謙信は越後の寺社に対して修法の効験が表れないことを厳しく非難し、夜も寝ずに祈祷に励むように命じました。好転しない越中情勢を前に、法力を得て事態の打開を図ろうとしたと考えられます。

宛名の発心坊は、素性が不明ですが、謙信が越中に連れていった陣僧(戦場に供する僧侶)と考えられています。

 

資料紹介⑦

謙信が春日山城本丸の毘沙門堂に安置された妙法蓮華経です(佐久市教育委員会ご所蔵)。表紙には「妙法蓮華経第(巻数) 毘沙門堂」との墨書があり、毘沙門堂の伝来を裏付けています。水晶製の軸端は室町時代から見られ、本資料も同時代の作成と判断されます。

Two black rectangular boxes containing rolled scrolls tied with string. The scrolls have visible text and illustrations, including ink writing on the covers reading

 

資料紹介⑧

天正2年(1574)末、謙信が伝法灌頂を勧修した際に使用されたと伝わる曼荼羅で、謙信と高野山の密接な関係を物語る代表的な資料です(法音寺様ご所蔵)。謙信はこの儀式で正式な真言宗の僧侶となりました。護摩行で実際に使用されたため、全体が黒ずんでいます。

金剛界曼荼羅

胎蔵界曼荼羅

 

資料紹介⑨

高野山の僧・快慶が謙信に送った文書(国宝「上杉家文書」)。快慶は、謙信が長年望んでいた仏門に入り、密教に信心を寄せたことを称えると共に、謙信による献金へのお礼も述べています。この献金は大火で被害を受けた高野山の復興のために寄せられたものでした。

A handwritten document in black ink on beige paper, featuring vertical columns of Japanese calligraphy. The text includes the name Uesugi Kenshin, written in a traditional style.

本資料の宛名に「謙信法印御房」と記されている点も必見です。

 

資料紹介⑩

上杉景勝が自身の法要について述べた遺言状です(国宝「上杉家文書」)。景勝は、大規模な法要の執行を遠慮し、通常通りの法要執行を指示しました。謙信の法要を大々的に行う一方で、自身の法要を簡素なものとする点に、謙信に対する畏敬の念が感じられます。

First image displays a beige scroll with vertical black ink Japanese characters arranged in columns, detailing historical text from the Uesugi family documents related to Uesugi Kenshin faith and rites. Second image shows another beige scroll segment with similar vertical script, including decorative elements like a small tree-like motif and additional kanji passages on the will by Uesugi Kagekatsu.

First image displays a beige scroll with vertical black ink Japanese characters arranged in columns, detailing historical text from the Uesugi family documents related to Uesugi Kenshin faith and rites. Second image shows another beige scroll segment with similar vertical script, including decorative elements like a small tree-like motif and additional kanji passages on the will by Uesugi Kagekatsu.

 

資料紹介⑪

謙信を祀る御堂(みどう)の内部を描写した絵図です(国宝「上杉家文書」)。善光寺ゆかりの仏具や毘沙門天に関連する宝物類などが、御堂本檀に隣接する毘沙門堂や如来堂に安置されていたことが分かり、謙信にゆかりある宝物類の伝来が確認できます。

An ancient Japanese ink drawing on aged paper illustrates the detailed floor plan and interior layout of a temple hall with labeled sections for Buddhist altars storage areas and adjacent structures like Bishamonten hall and Nyorai hall containing religious artifacts and treasures visible in structured compartments and architectural elements.

 

資料紹介⑫

謙信の二百五十周忌法要を記録した冊子です(上杉文書)。掲載頁には、法要当日の藩士の参詣場所が詳述されています。藩士は本丸の御堂に直接参詣できず、二の丸の大乗寺内の拝礼の間で参拝しました。大規模な法要でも、御堂の出入りは厳格に管理されていました。

Open aged booklet with Japanese calligraphy on cream paper showing detailed black ink characters arranged in vertical columns across both pages describing historical event details in classical script style. Second image displays another open page of similar booklet with intricate vertical text in black ink on aged paper capturing formal records of locations and procedures.

Open aged booklet with Japanese calligraphy on cream paper showing detailed black ink characters arranged in vertical columns across both pages describing historical event details in classical script style. Second image displays another open page of similar booklet with intricate vertical text in black ink on aged paper capturing formal records of locations and procedures.

 

資料紹介⑬

謙信の三百五十周忌を記念して作成された絵葉書(当館蔵)。神輿渡御では、約300人の人々が装束等を着て市内全域を巡りました。祭礼は上杉神社で大々的に行われ、市民を中心に盛り上がりました。謙信の崇敬の"かたち"は、時代を越えて今日へ引き継がれています。

神輿渡御の様子。上杉家の家紋竹雀紋の鞍覆がかけられた牛車の奥には、絵馬殿が見えます。

上杉謙信木像。新潟県糸魚川市の彫刻家・瀧川美堂が制作しました。美堂は木彫りの謙信像を作ることに生涯を捧げた彫刻家と言われ、謙信への顕彰が込められた作品と言えます。現物は上杉神社稽照殿に展示されています。

 

 

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2025.10.13:denkoku:[博物館情報]

10月の体験学習室

  • 10月の体験学習室

10月の体験学習室についてお知らせいたします。

季節企画は「お月見」(9/26(金)~10/21(火))です。
造形体験は「ハニカムシートでつくろう」(9/26(金)~10/21(火))です。

薄い紙を貼り合わせて作った「ハニカムシート」という材料を使って、いろんなものを作ってみましょう。型紙も用意しているので、「何を作ったらいいか分からない……」という方も気軽にお楽しみいただけますよ。

※ご利用の際は感染予防にご協力ください。
※発熱や、風邪症状のある方はご利用をお控えください。
※5人以上のグループでのご利用は、事前にご相談ください。
※定員は20名です。混雑時はお待ちいただくこともございます。

それではご来館を心よりお待ちしております。
お問い合わせは 米沢市上杉博物館0238-26-8001までどうぞ。

2025.09.25:denkoku:[体験学習室]

令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」⑦

  • 令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」⑦

 

令和7年度の上杉文華館は「謙信・景勝に手紙を書く」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。

 戦国時代、書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書 も作られました。そこには差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることも できます。東国の大名間では、差出は実名に花押、宛名は名字に殿の尊称という表記が、原則的に対等な関係を示していました。特別な内容や礼状などでは、宛名に「謹上」のような上所、差出の実名に官途や姓などを加えて厚礼とし、より丁寧な気持ちを表すこともありました。

 永禄4年(1561)、謙信(長尾景虎)は上杉憲政から名跡と関東管領の地位を譲られ、上杉氏を名乗ったことはよく知られています。これによって謙信、景勝 はその地位に応じた書状を受け取ることになりました。宛名には、「上杉殿」や「上杉弾正少弼殿」などの名字を冠したもの、「山内殿」や「越府」、「春日山」 などの地名を記すもの、また本人ではなく、報告を求めて側近に宛てたものなどがみられます。これらは差出人の立場によって選ばれますが、その基準をみていくことで、謙信や景勝の地位、諸大名家の権力構造、東国社会の変容などがみえてくると思われます。

2025年度はこの解明に取り組んでいきます。

 

第7回《大名家の事情Ⅰ…北条》

 

 【展示期間】9月25日(木)~10月21日(火)

 

  展示目録はこちら

 

 上杉謙信と北条氏はともに関東管領の地位に拠って、関東支配をめぐって対立していました。永禄11年(1568)12月、北条氏と同盟を組んでいた武田信玄が、同じ く同盟者であった今川氏真 うじざね を攻撃して懸川 かけがわ (静岡県掛川市)に逐 お いました。これに対して北条氏は氏真への支援を表明し、劣勢を挽回するため、謙信と同盟を結びま した(越相 えっそう 同盟)。この同盟締結の要請から破綻 は た ん に至る約三年間の北条氏から上杉氏への書状が伝わっています。  北条氏の書状は、当主(前当主)、一門間、家臣、それぞれで様式に違いがありました。特に一門間の相違については、この同盟交渉における上杉氏に対する北条氏 の姿勢という観点から理解されています。一方で、そのような差異が北条氏内の序列を反映しているとみることもできます。今回は、北条氏の序列の視点から文書をみ ていきます。

 

▼ コレクショントーク

 日時:10月5日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

令和7年度上杉文華館展示スケジュールはこちら

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2025.09.25:denkoku:[博物館情報]