朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
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今年は旧暦のうるう年なので、朝日町八ッ沼の春日神社例大祭で大名行列が行われます。
■8月15日午前8時半 神社奉納後に行列出発 詳細はこちら →八ッ沼の大名行列 お通り絵図(コース)もダウンロードできます。 |
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(記事 / 町報あさひ 昭和36年(1961)8月5日号より抜粋) 堀敬太郎さんのお話 昭和三十六年の町報あさひに、花火に関する詳細が出ています。 大谷地区では江戸時代から花火を打ち上げておったといわれておりますが、本当かどうかの確証はありません。しかし、この記事には、江戸時代には火薬の取り扱いは医者が扱っており、白田内記家が白田医者を製造元として「旭連」という連を作ったと。そして白田外記家は、ちょうど今の鈴木床屋辺にあったといわれる浜田医者を製造元として「松本連」をつくって、お互い競い合って花火を打ち上げておったと書いてあるんです。それが明治になり、警察がほとんど火薬を取り扱うようになって、勝手に花火を作ることができなくなり、さあ困ったということで、東の白田藤三郎さん(昭和三十九年に亡くなって、ちょうど今年が五十回忌)を福島に花火師として養成するためにやったと。 そこで勉強して大谷に戻り、松本連、旭連を解消しまして「旭連金玉屋煙火製造販売業」という会社を興して、大正14年まで製造販売もしたと。ちょうど愛宕様に火薬庫があったと昔の人から聞いておりますし、実際製造したことは間違いないと思います。私たち小さい頃はよく花火屋、玉屋って呼んでいました。今も屋号は花火屋ですね。白田八郎さんの小屋に行ってよく花火の殻なんかも見たことがあるので、製造したことは間違いないと思うのです。それが大正十四年まで続いたというふうに書いてあります。 そして明治四十三年に東北の花火大会に白田藤三郎さんが出場して、第三位になったんだそうです。その時の賞品が柱時計なんだけど、残念ながらこれはないそうです。今は孫さんが打ち上げを現在も継続してやっています。 (大谷風神祭シンポジウム・パネルディスカッション 2013.9.25) エコミュージアムの小径第15集『大谷風神祭』より抜粋 上記ダウンロードボタンで記事のPDFファイルが開きます →大谷の花火打ち上げ →大谷の風神祭 →空から人形!?人形傘花火 →小径第15集『大谷風神祭』 |
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白田寿春さんのお話 〔祖父と父のこと〕 うちは玉屋とか花火屋とか呼ばれている。じいさんの藤三郎が花火を作って打ち上げていたんだ。そして、親父の八郎がその後を継いだ。だけど、花火製造は、規制がだんだん厳しくなったのと、危険を伴う仕事だったのでしなかったんだ。 じいさんの花火を作る木型とかあったけね。火薬を入れる丸い紙のお椀を作るもので、木の球になっている。そこに何枚も何枚も紙を重ね貼りして、最後に包丁を入れて二つに割るんだな。刃物の跡がついていたっけね。三寸玉とか五寸玉とかのお椀を、昔は、そうして全部手作業で作っていたんだな。 子供の頃、白山神社のお祭りや学校の運動会の日に、昼間の花火を上げるんだけど、ちょうど学校の裏のほうの田圃で親父が打ち上げるから自慢だったね。その頃はパラシュート入れてあったから、それを拾いたくてみんなで田圃の中をこいで行ったりもした。じいさんもそういうのを作っていたようだ。殻玉も魔除けになるからみんな拾うもんだったね。 親父にはよく追っかけていって打ち上げする所を見ていた。大船木の橋が完成した時や上郷のダム祭りの花火打ち上げにも行った。親父が打ち上げる姿はかっこ良かったね。 〔松田花火屋(中山町長崎)とのつながり〕 その頃は、長崎の松田花火屋が作った花火を買って打ち上げていた。松田さんの話では、花火の作り方を、私の曾じいさん(藤三郎の父)から、松田さんの曾じいさんが教わったのが親しくしている始まりだと聞いている。 親父に「お前もしてみろ」みたいなことをよく言われていたから、自然とするようになったんだ。手伝い経験3年以上で講習を受けると「煙火打ち上げ従事者」という資格をもらえるので23歳の時にとった。松田花火屋所属を表す自分の番号がもらえる。 俺がするようになってから、山形や左沢の花火大会にも松田花火屋の手伝いとして行ったことがある。宮城県で花火を製造している仲間も呼んでやるんだっけ。今は、県外から入って来るようになって呼ばれなくなったね。 〔風神祭の花火打ち上げ〕 風神祭(8月31日)の花火打ち上げは、あの頃は連合区とは関係なかったから、親父も一人でバイクに乗って寄付集めしているんだっけ。寒河江や山形までも行くっけね。 昭和46年頃に、うちでだけするのは大変だということで、連合区さお願いするようになったんだ。ちょうど東区でやっていたお神楽(大獅子)も各区で回すようになった時だった。 俺は静岡で働いていたので、毎年風神祭の時には帰って来て打ち上げを手伝うんだっけ。親父は俺が33歳の時、62歳で亡くなった。その年は、お袋にもだんどってもらって、松田花火と一緒にあげたんだ。 打ち上げするのに最低5人いるから、今でも風祭りの時に松田花火に来てもらっている。筒を立てるための杭立ての準備は、朝からしないと間に合わなくなる。3号と4号を10本ずつ、あとは5本ずつ立てる。 打ち上げは、線香花火みたいに散る小さな火種があって、それに火を点けて筒の中に上から入れる。すると筒底に敷いておいた黒煙火薬が爆発して玉は上がっていく。その時に、同時にへそ(導火線)にも火がついて、上まで行って中の色付きの火薬に引火して玉が開くんだ。ちょうどいい高さで開くように火薬の量を調整する。 万一、筒に火薬入れるのを忘れると、上がらないで筒割れして吹っ飛んでくるから危ないなだ。「騒がずゆっくりでいいから火薬はきちんと入れるべ」と呼びかけながら作業している。 火種を筒に入れると、一瞬のうちに花火は飛び出すけど、火花も筒から飛び出すから、その火花を被らないように風向きを考えて入れるようにする。背中に入ったりしたら大変だからね。火種を持つ指先なんかは、いつもピリピリ火傷している。好きでないとできない仕事だね。 打ち上げは、行列している人達も見て楽しめるように、見えやすい保育園の所を通過している時とか休憩している時とかに集中して上げるようにしている。 俺は、行列に混ざったのは小学生の時にちょうちんをたがったのが最後だったね。風祭りの行列は近くで見たことないな(笑) 〔やりがい〕 嬉しいのは玉が上がっていって無事開いた時だね。一発、一発嬉しくなる。そして、すべて無事に終わった時は、やっぱり安堵感はあるね。特に去年は途中から土砂降りだったから、濡らさないようにするのが大変だった。事故がなくてほっとした。あんなことは初めてだったけ。部落の年寄りからは「大変だったな」と声かけてもらえるね。 大谷の花火の歴史は古いし、大切な役割だと思っている。うちも代々花火屋しているから無くさないで続けていけたらと思っている。なにより、大谷の皆さんの協力でできているので、これからも喜ばれる花火を上げていきたいね。 取材/平成26年3月 ■白田寿春(しらた・としはる)さん 昭和31年1月11日生まれ 昭和55年に煙火打上従事者資格取得。平成2年より父八郎氏に代わり大谷風神祭の花火打ち上げ従事者となる。 上記ダウンロードボタンで印刷用PDFファイルが開きます。 →大谷の花火の歴史 →大谷の風神祭 →空から人形、人形傘花火 →小径第15集『大谷風神祭』 |
榊寿太さんのお話
夜の花火も良かったけど、昼間の花火も楽しみだった。人形傘が落ちてくるんだっけ。空のうえで爆発すると、鉛の重りに引っぱられて降りる。すると中に空気が入って人形の形にふくらんで、ぶーら、ぶーらと等身大くらいの人形が降りてくるんだ。大黒様とか恵比寿様 福助様とか姉様の人形で、色の付いたものだった。 集団での競争心理というのか、それを競い合って拾うのが楽しかったんだね。これが祭りだもんね。それは子供ではなく、青年団が拾うものだった。火災予防のお守りとして玄関に飾るから、大人も一生懸命探したんだな。拾った優越感もあったんだべな。おらだは拾えなかった。とても子供達が拾えるようなものではなかった。 燃えて降りてくることもあったから、火災予防上危なくて無くなったんだな。 (2014年3月取材) →大谷の花火の歴史 →大谷の花火打ち上げ/白田寿春さんのお話 →大谷の風神祭 →小径第15集『大谷風神祭』 |
高田のホタルが見頃になったと情報をいただきました。「見頃は、毎年6月20日から7月10日頃の夜8時〜9時頃。ピークは6月末頃。夜でも気温が高く、湿った空気の時にたくさん見られる」とのこと。どうぞ出かけてみて下さい。
※詳しい場所はエコルームまでお問い合わせ下さい。 →メダカの高田分校とホタルの里 →高田メダカとホタルの里マップ |
「ため池百選」(農水省)に選ばれた大谷のため池群の一つ、「谷地山三連ため池」(渡邉勝美さん所有)の睡蓮が、今年は例年より早く開花し見頃を迎えています。湖面を埋め尽くす優しいピンクの美しさに心癒される風景となっています。安全とマナーに気をつけて見せていただきましょう。
→アクセスマップはこちら →大谷の睡蓮ため池 →渡邉勝美さんのお話 →フォトギャラリー ツイート |
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「私たちの先祖は、日本には八百萬の神の社が様々あるのに、私たち生き物にとって一分一秒その恩恵をいただかなければ死滅してしまう「ありがたい空気」を祀る事を忘れていた」故白川千代雄氏 空気に感謝! 空気を産み出す自然に感謝! 今年も空気神社の祭礼がアースデイに開かれます。祭礼では、年に一度の「御開帳」や鏡上での「みこの舞い」奉納、「浮島雅楽」の演奏が行われます。また、朝日町の特産品の販売や、手打ちそば、ツリーイング(ロープで木登り)、釣り大会、など楽しめるコーナーも充実しています。 日時 6月5日(木・空気の日)7(土)・8日(日) 会場 空気神社・Asahi自然観 主催 空気まつり実行委員会 問い 朝日町役場総合産業課 ☎0237-67-2113 詳しくは↑上記ダウンロードボタンよりPDFチラシをお開き下さい。 →空気神社の誕生 →空気神社エリア概要 →朝日町観光協会ホームページ |
樹齢100年以上といわれる紅玉の木は見事に美しい花を咲かせ、たくさんのミツバチ達が花粉交配に働いていました。
園主の菅井敏一さんによると「山形に果樹試験場ができた時に植えられた5本のうちの1本を残しておいたもの。100年こえているりんごの木は青森でも少ないのでは」とおっしゃっていました。 また、収穫されたりんごは生きていることを教わりました。「りんごを磨くと気孔を閉ざすことになるので息が吸えなくなって死んでしまう。磨いたらすぐに食べて欲しい。凍ったりんごも、水が凍る時に針状になるから細胞が壊されて死んでしまう。」 さらに和合平のりんごについて「ここは白鷹山の火山灰が混じった深層強酸性の土。重たくて固くて酸が強いから長持ちする。フジの場合は、普通は収穫した時が一番おいしくなる。ここのは、一週間から10日位で気にならない酸味になり、収穫時よりもはるかに美味しくなる。そして一か月そのおいしさが続く」と。とても興味深い話を伺うことができました。 秋にまたお邪魔します。菅井さんありがとうございました。 →朝日町最古のりんごの木 →朝日町のりんご栽培の歴史 →見学会「朝日町りんごのはじまり物語 」(H15) →見学会「あっぷるニュー豚とりんご誕生物語」(H26) |
朝日町のりんご栽培のはじまり頃の木とされる、紅玉の古木がまもなく開花を迎えます。写真は昨年秋の実りの様子。母なる樹に抱かれるような不思議な気持ちになりました。
園主の菅井敏一さんいわく「咲き始めの赤い色がまだ残っている位がきれい」と。菅井さんに許可をいただきましたので6日に見に行こうと思っています。 せっかくなので一緒にどうですか! 行ける方はご連絡下さい。 ■5月6日(火)午前10時 朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」エコルーム前集合 →朝日町最古のりんごの木 →見学会「朝日町りんごのはじまり物語 」(H15) →見学会「あっぷるニュー豚とりんご誕生物語」(H26) |
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伊豆大権現神社の種まき桜(樹齢700年以上・エドヒガン)が今年も咲き始め、毎晩のライトアップも始まりました。神社例祭は4月20日です。ぜひお訪ね下さい。
※写真は昨年の満開時のものです →種まき桜 →伊豆大権現神社(朝日町宮宿) |
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■八ッ沼獅子踊り 午前8時半春日神社祭礼 9時10分に神社出発
■大谷獅子踊り 午後5時半過ぎより永林寺本堂前
※時間は前後する場合があります。お早めにどうぞ。
※写真は大谷角田流獅子踊り
→八ッ沼の大名行列と獅子踊り