朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
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八ツ沼城の落城
村山地方の領土拡大を狙った最上義光は、八ツ沼城と鳥屋ヶ森城(新宿)を攻略します。これが五百川合戦です。
最上軍は、大蕨口より二千騎、義光本体千騎、併せて五千騎で五百川に攻め入ってきました。そのときの八ツ沼城は五百騎といわれ、最上軍を相手に小関加衛門、客僧羽黒弁寛を中心によく戦いましたが、家老小関加衛門、客僧羽黒弁寛も戦死し、永禄八年八月十五日山形城主最上義光によって八ツ沼城が落城しました。落城説は天正九年、同十二年もありますが、朝日町史では永禄八年説を用いています。
岸家は朝日将軍木曽源義仲後胤、岸美作守源朝臣義満は、木曽義仲十五代の末裔で、柴田兼頼を頼って関東より移住したと言われますが明確ではありません。
宮本 八ツ沼城主原甲斐守重忠、墓が若宮寺に鳥屋ヶ森城主岸美作守の墓が福昌寺にありますが、どちらも永禄八年八月十五日死亡とあります。
お話 : 小松寿一さん(八ッ沼)
※平成10年 対談「八ッ沼のおこり」より
写真は八ッ沼城跡
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最上軍は、大蕨口より二千騎、義光本体千騎、併せて五千騎で五百川に攻め入ってきました。そのときの八ツ沼城は五百騎といわれ、最上軍を相手に小関加衛門、客僧羽黒弁寛を中心によく戦いましたが、家老小関加衛門、客僧羽黒弁寛も戦死し、永禄八年八月十五日山形城主最上義光によって八ツ沼城が落城しました。落城説は天正九年、同十二年もありますが、朝日町史では永禄八年説を用いています。
岸家は朝日将軍木曽源義仲後胤、岸美作守源朝臣義満は、木曽義仲十五代の末裔で、柴田兼頼を頼って関東より移住したと言われますが明確ではありません。
宮本 八ツ沼城主原甲斐守重忠、墓が若宮寺に鳥屋ヶ森城主岸美作守の墓が福昌寺にありますが、どちらも永禄八年八月十五日死亡とあります。
お話 : 小松寿一さん(八ッ沼)
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