朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
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五百川峡谷の誕生1
五百川峡谷の誕生1
佐竹伸一氏(常盤)
1 はじめに
最上川は、米沢盆地から上山盆地へと流入することなく、米沢盆地の西北方にある長井盆地に迂回して、出羽丘陵を貫く五百川峡谷を北進し、左沢から山形盆地へと流れを進めています。
最上川には五百川峡と最上峡の二つの峡谷があり、このうち荒砥〜左沢の約25kmが五百川峡谷と呼ばれています。
今回の講座では、最上川が、隆起量が結果として最も大きかった所をわざわざ選んで流れ五百川峡谷を誕生させた謎を探っていくことにしましょう。
2 最上川の誕生
今から1500万年前ごろ、東北地方の大半は深い海の底に沈んでいました。現在の山形県にあたるところも全域が海の底にあったわけです。1200万年前頃になると、東北地方全域に広がっていたこの深い海の中の所々に山脈のような高まりができ、海の中に盆地のような地形が形成されました。
こうした海盆化されたやや深い海は、1000万年前頃になると、広い範囲で地盤が隆起したことにより、さらに少しずつ浅くなっていきました。現在の地理で言えば、庄内から新庄・山形・米沢にかけての一体が長い入り江となり、入り江の両側は陸地となりました。ヤマガタダイカイギュウは、このような入り江に生い茂る昆布などの海藻を食べて生活していました。
500万年前頃になると、地盤の隆起はさらに進み、日本海から続く入り江は分断されて、米沢、山形、新庄の順に、ほぼ現在の盆地にあたるところが湖沼となっていきました。この時、各地に分断された湖沼をつないで誕生したのが原始の最上川であり、起伏のゆるやかな大地の中を悠然と流れていたのです。
3 五百川峡谷の誕生
人類が誕生する第四紀という時代をむかえると、それまでゆるやかだった地形は、激しい地殻変動によって彫刻をほどこされることになります。山がより高さを増す一方で、盆地は沈降を続けながらも隆起した山地から運ばれてくる土砂で埋め立てられていくことになったのです。
先に述べたように激しい隆起活動が始まる以前、最上川はすでに本地域を流れの場として選んでいました。川幅は現在よりも広く、ゆるやかな流れでした。しかし、周辺の大地が隆起していくにつれて、そのような環境は激変していくことになります。水の働きによる浸食量より大地の隆起の量が上回れば、川はその流れを変えてしまいますが、浸食が隆起の量を下回らないかぎり、川はより深く大地を削りこんで周辺は切り立った峡谷となります。最上川の浸食の力と大地が隆起する力とがせめぎあい、数万年の時間をかけて五百川峡谷が誕生したのです。
こうした地殻変動は、山形県においては村山変動と呼ばれており、60万年前頃に始まったと考えられています。この変動によって、それまでのっぺりとした丘のような存在にすぎなかった朝日連峰が、断層運動を伴いながら激しく隆起し、現在のような高く深い山岳となっていきます。地殻にできた亀裂からマグマが上昇し、月山や蔵王山が誕生したのも同じ時期です。五百川峡谷の誕生は、こうした激しい地殻変動と一連のものなのです。
平成18年
佐竹 伸一(さたけ しんいち)氏
昭和57年(1982)山形大学教育学部卒業。山形大学理学部教授(地球環境学科長)山野井徹氏に師事。現在、河北町立谷地西部小学校教諭。
山形応用地質研究会幹事。朝日山岳会副会長。現代俳句協会会員・俳誌「小熊座」同人。
著書「朝日連峰の四季」など。また、「朝日町町史 上・下巻」に執筆。
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佐竹伸一氏(常盤)
1 はじめに
最上川は、米沢盆地から上山盆地へと流入することなく、米沢盆地の西北方にある長井盆地に迂回して、出羽丘陵を貫く五百川峡谷を北進し、左沢から山形盆地へと流れを進めています。
最上川には五百川峡と最上峡の二つの峡谷があり、このうち荒砥〜左沢の約25kmが五百川峡谷と呼ばれています。
今回の講座では、最上川が、隆起量が結果として最も大きかった所をわざわざ選んで流れ五百川峡谷を誕生させた謎を探っていくことにしましょう。
2 最上川の誕生
今から1500万年前ごろ、東北地方の大半は深い海の底に沈んでいました。現在の山形県にあたるところも全域が海の底にあったわけです。1200万年前頃になると、東北地方全域に広がっていたこの深い海の中の所々に山脈のような高まりができ、海の中に盆地のような地形が形成されました。
こうした海盆化されたやや深い海は、1000万年前頃になると、広い範囲で地盤が隆起したことにより、さらに少しずつ浅くなっていきました。現在の地理で言えば、庄内から新庄・山形・米沢にかけての一体が長い入り江となり、入り江の両側は陸地となりました。ヤマガタダイカイギュウは、このような入り江に生い茂る昆布などの海藻を食べて生活していました。
500万年前頃になると、地盤の隆起はさらに進み、日本海から続く入り江は分断されて、米沢、山形、新庄の順に、ほぼ現在の盆地にあたるところが湖沼となっていきました。この時、各地に分断された湖沼をつないで誕生したのが原始の最上川であり、起伏のゆるやかな大地の中を悠然と流れていたのです。
3 五百川峡谷の誕生
人類が誕生する第四紀という時代をむかえると、それまでゆるやかだった地形は、激しい地殻変動によって彫刻をほどこされることになります。山がより高さを増す一方で、盆地は沈降を続けながらも隆起した山地から運ばれてくる土砂で埋め立てられていくことになったのです。
先に述べたように激しい隆起活動が始まる以前、最上川はすでに本地域を流れの場として選んでいました。川幅は現在よりも広く、ゆるやかな流れでした。しかし、周辺の大地が隆起していくにつれて、そのような環境は激変していくことになります。水の働きによる浸食量より大地の隆起の量が上回れば、川はその流れを変えてしまいますが、浸食が隆起の量を下回らないかぎり、川はより深く大地を削りこんで周辺は切り立った峡谷となります。最上川の浸食の力と大地が隆起する力とがせめぎあい、数万年の時間をかけて五百川峡谷が誕生したのです。
こうした地殻変動は、山形県においては村山変動と呼ばれており、60万年前頃に始まったと考えられています。この変動によって、それまでのっぺりとした丘のような存在にすぎなかった朝日連峰が、断層運動を伴いながら激しく隆起し、現在のような高く深い山岳となっていきます。地殻にできた亀裂からマグマが上昇し、月山や蔵王山が誕生したのも同じ時期です。五百川峡谷の誕生は、こうした激しい地殻変動と一連のものなのです。
平成18年
佐竹 伸一(さたけ しんいち)氏
昭和57年(1982)山形大学教育学部卒業。山形大学理学部教授(地球環境学科長)山野井徹氏に師事。現在、河北町立谷地西部小学校教諭。
山形応用地質研究会幹事。朝日山岳会副会長。現代俳句協会会員・俳誌「小熊座」同人。
著書「朝日連峰の四季」など。また、「朝日町町史 上・下巻」に執筆。
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