朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
大沼の歴史について
大沼の浮島は、前半は朝日岳と非常に深い関係があります。朝日岳は、人間にとって大切な水の源ですから、神様が山から田植え前に降りてきて、秋に帰っていくと思われていました。ですから、修験者は神様のいる山に入って、体を鍛え験力を得たのです。当時、朝日修験は栄えたようです。
大行院の文書には朝日岳に宿坊を建てたとか、水口、野々山などのルートから登ったとか書かれています。役の行者によって発見された。そして北条時頼の時に閉鎖されたとなっています。しかし、このような言い伝えは県内によくあるようです。竜山、御所山、肘折などもそうです。
ここには、水に対する信仰があったと思います。沼には24から66の島があると言われていたのが、江戸時代には、それが日本の国の数32になったと思われます。池の形は上から見るとキツネに見えます。カササギ橋もあります。キツネは、稲荷様で水の神様。カササギは七夕で農耕の神様です。そんな意味から大沼は神の住む地だったのです。
大沼は個人より時の支配者の願いをかなえる場所だったようです。鎌倉の将軍大江氏、最上氏などの名前が残っている文書が多く残っています。江戸時代に朱印地になったのもそんなことからだろう。しかもその順番が、慈恩寺の次になっています。慈恩寺は平泉と並ぶ東北一の寺だから、大沼の位の高さがわかります。そのため月に4度は島にこもり神事をしていたようです。そんな大切な所だから、周りの木は切らないとか、朱印状をもらいに行く時は皆で分担するとかの取り決めがありました。
大沼の人は、神事をする以外は、農業をしていたようです。米を作り、畑を作り、蚕を飼い、青麻を作っていました。
またここには、多くの有名人が来た話が多くあります。藤原実方は本当かどうか分からないが、芭蕉は来ていない。芭蕉塚は、18代の別当が俳句が好きで作ったようです。多くの旅行記に書かれているのは本当で、出羽三山の帰りに寄ったのだろう。出羽三山には7〜8万人が来た。丑の年は15万人もきたのだから、かなりの人が大沼にも来た。大沼では泊めたり案内していたのだろう。明治時代の村山地方の収入は30万で10万が紅花、10万が商業で、10万が出羽三山といわれています。多くの人がその帰りに寄ったとすれば、大沼もかなり賑わったと思います。だから県内に広く知れ渡り、神殿の修復などには多くの寄付が集まったらしい。今の私達が考える以上に大切な所だったのです。だから、大正15年に国の名勝に指定されたのだろう。
お話:鈴木 勲氏(朝日町文化財保護委員、郷土史研究家)
朝日町エコミュージアム協会
:[
メモ
/
13.大沼浮島エリア:詳細について
]
Home
ニュース&イベント情報
ニュース&イベントデータ
朝日町エコミュージアムの訪ね方
01.朝日連峰エリア
01.朝日連峰エリア:見学場所
01.朝日連峰エリア:住民学芸員のお話
01.朝日連峰エリア:詳細について
01.朝日連峰エリア : 関連団体・書籍
01.朝日連峰エリア : 関連もよおし
01.朝日町から見える大朝日岳ビューポイント33
02.朝日川エリア
02.朝日川エリア:見学場所
02.朝日川エリア:住民学芸員のお話
02.朝日川エリア:詳細について
02.朝日川エリア : 関係団体・書籍
03.空気神社エリア
03.空気神社エリア:見学場所
03.空気神社エリア:住民学芸員のお話
03.空気神社エリア:詳細について
03.空気神社エリア : 関係団体・書籍
04.佐竹家エリア
04.佐竹家エリア:見学場所
04.佐竹家エリア:住民学芸員のお話
04.佐竹家エリア:詳細について
05.八ッ沼エリア
05.八ッ沼エリア:見学場所
05.八ッ沼エリア:住民学芸員のお話
05.八ッ沼エリア:詳細について
05.八ッ沼エリア : 関係団体・書籍について
06.椹平の棚田エリア
06.椹平の棚田エリア:見学場所
06.椹平の棚田エリア:住民学芸員のお話
06.椹平の棚田エリア:詳細について
06.椹平の棚田エリア : 関係団体・書籍
07.豊龍神社エリア
07.豊龍神社エリア:見学場所
07.豊龍神社エリア:住民学芸員のお話
07.豊龍神社エリア:詳細について
08.館山エリア:見学場所
08.館山エリア:住民学芸員のお話
08.館山エリア : 詳細について
08.館山エリア : 関係団体・書籍
09.町のりんごエリア
09.町のりんごエリア:見学場所
09.町のりんごエリア:住民学芸員のお話
09.町のりんごエリア:詳細について
09.町のりんごエリア : 関係団体・書籍
10.沢内エリア
10.沢内エリア:見学場所
10.沢内エリア:住民学芸員のお話
10.沢内エリア:詳細について
11.杉山と長谷地エリア
11.杉山と長谷地エリア:見学場所
11.杉山と長谷地エリア:住民学芸員のお話
11.杉山と長谷地エリア:詳細について
11.杉山と長谷地エリア :関係団体・書籍
12.五百川峡谷エリア
12.五百川峡谷エリア:五百川峡谷の魅力
12.五百川峡谷エリア:見学場所(北部)
12.五百川峡谷エリア:見学場所(中・西部)
12.五百川峡谷エリア:住民学芸員のお話
12.五百川峡谷エリア:詳細について
12.五百川峡谷エリア:関係団体・書籍
12.五百川峡谷エリア:事業報告
五百川峡谷ビューポイント
14.秋葉山エリア
14.秋葉山エリア:見学場所(大谷)
14.秋葉山エリア:住民学芸員のお話
14.秋葉山エリア:見学場所(川行)
14.秋葉山エリア:詳細について
14.秋葉山エリア : 関係団体・書籍
13.大沼浮島エリア
13.大沼浮島エリア:見学場所
13.大沼浮島エリア:住民学芸員のお話
13.大沼浮島エリア:詳細について
13.大沼浮島エリア : 関係団体・書籍
15.大隅遺跡エリア
15.大隅遺跡エリア:見学場所
15.大隅遺跡エリア:住民学芸員のお話
15.大隅遺跡エリア:詳細について
15.大隅遺跡エリア : 関係団体・書籍
16.朝日町ワイン
16.朝日町ワイン:見学場所
16.朝日町ワイン : 住民学芸員のお話
16.朝日町ワイン:詳細について
17.朝日町全エリア
エコミュージアムルームだより
エコミュージアムショップ
朝日町エコミュージアム協会
リンク
住民学芸員
カテゴリー
メモ
メール
Q&A
暦
リンク
地図
ウィキ
特集
プラン
ケータイサイト
問い合わせ
プロフィール
All Rights Reserved by asahimachi ecomuseum
大行院の文書には朝日岳に宿坊を建てたとか、水口、野々山などのルートから登ったとか書かれています。役の行者によって発見された。そして北条時頼の時に閉鎖されたとなっています。しかし、このような言い伝えは県内によくあるようです。竜山、御所山、肘折などもそうです。
ここには、水に対する信仰があったと思います。沼には24から66の島があると言われていたのが、江戸時代には、それが日本の国の数32になったと思われます。池の形は上から見るとキツネに見えます。カササギ橋もあります。キツネは、稲荷様で水の神様。カササギは七夕で農耕の神様です。そんな意味から大沼は神の住む地だったのです。
大沼は個人より時の支配者の願いをかなえる場所だったようです。鎌倉の将軍大江氏、最上氏などの名前が残っている文書が多く残っています。江戸時代に朱印地になったのもそんなことからだろう。しかもその順番が、慈恩寺の次になっています。慈恩寺は平泉と並ぶ東北一の寺だから、大沼の位の高さがわかります。そのため月に4度は島にこもり神事をしていたようです。そんな大切な所だから、周りの木は切らないとか、朱印状をもらいに行く時は皆で分担するとかの取り決めがありました。
大沼の人は、神事をする以外は、農業をしていたようです。米を作り、畑を作り、蚕を飼い、青麻を作っていました。
またここには、多くの有名人が来た話が多くあります。藤原実方は本当かどうか分からないが、芭蕉は来ていない。芭蕉塚は、18代の別当が俳句が好きで作ったようです。多くの旅行記に書かれているのは本当で、出羽三山の帰りに寄ったのだろう。出羽三山には7〜8万人が来た。丑の年は15万人もきたのだから、かなりの人が大沼にも来た。大沼では泊めたり案内していたのだろう。明治時代の村山地方の収入は30万で10万が紅花、10万が商業で、10万が出羽三山といわれています。多くの人がその帰りに寄ったとすれば、大沼もかなり賑わったと思います。だから県内に広く知れ渡り、神殿の修復などには多くの寄付が集まったらしい。今の私達が考える以上に大切な所だったのです。だから、大正15年に国の名勝に指定されたのだろう。
お話:鈴木 勲氏(朝日町文化財保護委員、郷土史研究家)