朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

12.五百川峡谷エリア
五百川峡谷ビューポイント。「松程へ向かう高台からの風景は素晴らしい。特に秋は水面に紅葉が映り落ち葉も浮かんでいてきれい」
  撰/佐藤幸信さん(大船木)

アクセスマップはこちら

ビューポイント一覧
 最上川で唯一の発電用ダムが、昭和37年(1962)に完成しました。23.5mのダムを築いて水をせき上げ、その落差で放水しタービンを回して発電しています。年間発生電力量は約8000万キロワット、一般家庭約2万戸分の発電を行い、朝日町や山形市に供給しています。
 ダム湖には釣り人が多数訪れ、流し網による鮎漁も盛んに行われています。ダム湖畔には魚供養碑があります。

東北電力(株)
笠原信年さんのお話
上郷ダム発電所について
柴田つやさんのお話
上郷ダム建設の思い出
アクセスマップはこちら

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
    
 上郷地区は、詩人「海野秋芳」(うんの・しゅうほう)が生まれ育った村です。
 大正16年(1917)上郷宇津野に生まれた秋芳は、16歳で上京し、薬局店員として働きながら詩作を始めます。二十歳の時、泉与史郎に師事し詩誌『モラル』の同人となり、それから数多くの詩を発表しました。詩人の高村光太郎、草野心平らとも親交を深め、昭和16年(1942)25歳の時、高村光太郎に序文を贈られて詩集『北の村落』を刊行します。しかし、二年後の昭和18年(1943)秋芳は腎臓結核を患い27歳の若さで亡くなってしまいます。
 詩集『北の村落』には、戦争、農民、工場労働者など弱者の悲哀や叫びが綴られてあり、高村光太郎の「序」は、戦時下の世に刊行するこの詩集を、弁護するように表現されてあることがとても興味深いものとなっています。

高村光太郎の序文
詩集『北の村落』より詩7編
詩人松永伍一氏の寄稿文(山形新聞)
海野秋芳略年譜
遺品
シンポジウム 報告(PC)2004.12
上郷地区見学会 報告(PC)2004.12
朗読CD 詩集『北の村落』(平成21年)
 江戸時代、大庄屋佐竹長右衛門家は、米沢藩の通船差配役を勤めた家柄です。船子(水主)雇い、綱手道の管理、梁仕掛けの管理、破船の救出における人足割り当て、払い米(濡米)の世話など、安全な通船を図る仕事をしていました。「佐竹家住宅」は、元文5年(1740)に建てられたもので、現在も佐竹さんご家族がお住まいです。見学申込みはエコルームへ。

佐竹家住宅について/鈴木治郎氏(pdf)
佐竹家住宅見学会
アクセスマップはこちら


ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
上郷ダム湖畔を見下ろす高台に昭和56年(1981)開業。
作品には、植物の絵が女性的なやさしいタッチで描かれ、工房で開かれる年に一度の作品展には多くのファンが訪れている。

代表 柴田とみ子氏
住所 朝日町大滝542 
電話 0237- 67-3710

柴田とみ子さんのお話
ほおずき窯について
 舟運時代、最上川最大難所といわれた五百川峡谷には大難所5ヵ所(朝日町内4ヵ所)、難所15ヵ所(朝日町内11ヵ所)があり、多くの船が転覆しました。流域にはニ渡(荷渡・仁和足)神社など、安全舟運を祈願したとされる神社がいくつもあります。
 大難所“三階の滝”に続く難所“天神巻き”のある助ノ巻には、上杉家が改修したとされる天神宮があります。社殿棟札には「上杉喜平治」の名前が書かれてあります。天神巻きで助けることがたびたびあったので「助ノ巻(すけのまき)」になったと云われています。神社裏の崖下が天神巻きです。
上杉喜平治の棟札写真(撮影/若月啓二氏)

アクセスマップはこちら

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
 大難所八天(四ノ沢)でも、度々船が転覆し舟人が溺れ多くの積荷が沈みました。享保8年(1723)米沢藩ではこれを深く憂え「これは魔神の祟りならん」と、家臣を川底に潜らせたところ、燦然と輝く神玉石が見つかりました。さっそく川辺に稲荷大明神としてこれを祭り、宮宿村大庄屋鈴木惣三郎を別当としたのだそうです。 安政5年(1858)に現在地に移転されました。

アクセスマップはこちら

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
 ここで取水された水は,9.1kmのトンネルを通り山形市、山辺町、上山市、天童市など山形盆地の農地で使用されています。全体で使用する水のおよそ半分の量を五百川峡谷に頼っているそうです。工事にあたり18人の尊い命が犠牲になりましたが、昭和58年江戸時代からの悲願が成し遂げられました。(国営最上川中流農業水利事業 )

仁藤輝夫さんのお話
山形盆地を潤す五百川峡谷の水
アクセスマップはこちら

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
 カヌーランドのあるかつての難所“面白の瀬”左岸(通称タンの瀬)は、フリースタイルカヌーにとって国内ベスト3に入る流れと絶賛されており、週末には全国から愛好家が訪れています。全国レベルの大きな大会も開かれています。上級者は、飛んだり跳ねたり、前回りをしたりと曲芸のような演技を見せてくれます。また、上流の雪谷地点から、断崖に残る原生自然の中を、連続する瀬をクリヤしながら川下りするのも人気となっています。
 毎年9月の第3日曜日には、カヌー愛好家ら有志がつどい、川下りしながらゴミを拾う五百川峡谷クリーンアップ大作戦が開催されます。
 ※トイレ、脱衣所、駐車場あり。

大井寛治さんのお話
カヌーの魅力 〜瀬〜
カヌーの魅力 〜風景〜
庄司克史さんのお話
カヌーランドのこと

アクセスマップはこちら
※明鏡橋より県道9号を上流へまもなく道下にカヌーランドの建物が見えます。

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
 カヌーランド(通称「タンの瀬」)は、全国屈指の激流ポイントです。休日に限らず、カヌー愛好者たちが全国各地から集結し、年間を通してにぎわいを見せる知る人ぞ知るメッカの地です。雪解けの頃には、世界選手権の第一次予選会を兼ねた選抜大会も開かれます。
 カヌーをしに最上川に通いはじめて15年。最初の頃は、川に入るたびに目がチカチカしたり、口や鼻に臭みが残ったり、そんなことが多々ありました。しかし、ここ最近では、水がきれいになっているのをすごく感じています。

お話 : 庄司克史さん(SOIL-W-PLAY代表)
平成18年11月 五百川峡谷シンポジウムにて

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
 カヌーランドの面白の瀬下流は、 明治時代から昭和20年代まで、煮炊き用のかまどや養蚕用の暖炉の岩を切り出す県内一の“かまど”産地でした。
 当時は左岸側は流れておらず、昭和40年の羽越水害から現在の流れになったとのこと。カヌー愛好家に絶賛される面白の瀬左岸は、岩を切り出した段差にできた偶然の副産物だったのです。

堀敬太郎さんのお話
面白岩と安全だんろ
アクセスマップはこちら
※カヌーランドから明鏡橋にかけてのフットパスを歩くと見ることができます。

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
 旧明鏡橋の下に、元禄時代に水路状に掘削された舟道遺構の一部を見る事ができます。胴突きで砕いたギザギザな岩盤が残り、大掛かりだった工事を想像させます。
 舟道遺構は、平成19年に佐藤五郎氏により確認されたもので、人工的に掘削した30kmに渡る舟道は国内最長であることも明らかになりました。この大工事により、最上川舟運と北前船による西回り航路がつながり、米沢藩はもちろん流域に大きな産業をもたらしたのです。
※写真は渇水すると現れる明鏡橋下の舟道遺構

佐藤五郎さんのお話
五百川峡谷の舟道遺構
若月啓二さんのお話
五百川峡谷開削の歴史

アクセスマップはこちら

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
 最上川の有する水環境・歴史・文化等の資源を結びつけ、地域の活性化を図ることを目的に、歩くことを楽しむための小径“フットパス”が、カヌーランドから明鏡橋下まで整備されました。国内最長の舟道遺構、カヌー、県内一だったかまど岩採り場跡、近代土木遺産の旧明鏡橋など、五百川峡谷の特長を感じながら歩くことができます。
フットパスあさひ見学会報告(2009 PC)
フットパスあさひ見学会2(2009 PC)
アクセスマップはこちら
※カヌーランド駐車場にフットパス全体図の説明看板が設置されています。

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
 金毘羅権現は舟乗りやその家族が安全を願い信仰していたものです。『朝日町の石佛』(朝日町長寿クラブ発行)によると、町内には象頭山・金毘羅権現の石碑が21基もあります。江戸時代末期のものが多く、大巻観音地蔵堂には寛永六年(1629)に立てられた町内で最も古い石碑があります。石碑の多さは最上川舟運が栄えたことを現しているのだそうです。

横山昭男さんのお話
金毘羅・象頭山信仰と舟運
アクセスマップはこちら
※集落内の神社は山ノ神社です。大巻観音地蔵堂はさらに奥にあります。

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア