朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

01.朝日連峰エリア
りんご畑の向こうに見える暖日山(ぬくいやま)と野々山の間に大朝日岳を望むことができます。明治時代に釜山開墾地(かまやまかいこんち)に植えたものが、朝日町のりんご栽培の始まりとされています。
推薦・写真 / 菅井 源三郎さん(和合)

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朝日連峰について
和合平に広がるりんご畑の奥に、雄大な大朝日岳を見ることができます。リンゴの花咲く季節から果実の収穫が終わるころまで、さまざまな風景を楽しむことができます。
推薦・写真 / 崔 鍾八さん(和合)

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朝日連峰について
江戸時代に徳川将軍より朱印状を賜った白山神社の境内や、南北朝時代に創建され、県内でも5本の指に入るほど古い永林寺周辺から大朝日岳の姿を見ることができます。
推薦・写真 / 堀太敬太郎さん(大谷一)

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朝日連峰について
大谷東住宅団地(旧大谷小学校跡地)北方の田園から大谷集落の奥に大朝日岳を見ることができます。秋には白鳥が落ち穂をもとめる姿も見ることもできます。
推薦・写真 / 堀太敬太郎さん(大谷一)

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朝日連峰について
大谷から大江町堂屋敷へ通じる猿田越えの頂上付近から、大谷の田園風景と大朝日岳の姿を一望できます。峠の名称は近くにある申田(さるだ)山から付けられたといわれています。
推薦者・写真 / 堀 敬太郎さん(大谷一)

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朝日連峰について
山岳信仰の山といわれる「日光山」のふもとにあるりんご畑から、道円山の奥に大朝日岳を望むことができます。粧坂(けわいざか)は大沼浮島を経由して出羽三山参りの街道からの追分となっていました。
推薦・写真 / 小野重信さん(朝日町真中)

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朝日連峰について
国道287号線沿い、大江町との境から、中沢集落の後方に大朝日岳を望むことができます。そばには子育て地蔵として有名な「よだれ地蔵」もあります。
推薦 / 小野重信さん(朝日町真中)

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よだれ地蔵

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朝日連峰について
エリア地区/立木〜朝日鉱泉

・登山の際は、事前に登山情報を必ずお確かめ下さい。
朝日山岳会(PC)
観光協会
観光協会(PC)
朝日鉱泉ナチュラリストの家(PC)

(お願い)
 このサイトは、朝日町エコミュージアムがこれまで培ってきたデータを紹介することにより、郷土学習や観光により深く活用されることを目的に運営いたしております。
 よって、サイト内で紹介しているほとんどの見学地は、観光地として整備している場所ではありません。夏は草が茂り道がなくなる場所もあるかも知れません。もちろん冬は雪に閉ざされます。また、個人所有の神社や建物等も一部含まれております。アクセスマップも細道までは表示されません。
 予め御了承の上、見学の際は下記についてご留意下さるようお願い申し上げます。

・安全に留意し危険な場所には近づかないで下さい。
・マナーを守り、無断で個人敷地内に入らないで下さい。
・不明な場所につきましては、エコミュージアムルームへお問い合わせ下さい。または、エコミュージアムガイドをご利用下さい。
Tel0237-67-2128(月曜休)
昨年秋に西部公民館で開催した故阿部幸作さんの写真展を創遊館で再開催します。祭りや運動会など昭和の懐かしい写真の展示や遺されていた8mmフィルムで制作した映画「あの素晴らしい日々をもう一度」もご覧いただけます。

日時 2月23(水)〜3月13日(日)午前9時〜19時(最終日は16時まで)
場所 朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」ギャラリー
リクエストに応えてもう一度!
■阿部幸作氏8mmフィルム上映会
ドキュメンタリー映画 「あの素晴らしい日々をもう一度」


 町の写真屋さん阿部幸作さんが遺した、昭和の懐かしい映像を編集して一本の映画にまとめました。仮装行列や花笠パレード、五百川織りの様子や西部地区の運動会、地区の祭りの様子など、懐かしい映像が多数おさめられています。
 前回の上映会にお越しいただけなかった方、もう一度見たい方、ご来館お待ちしております。

 日 時 平成22年11月27日(土) 午後1:30〜、午後7:30〜
 場 所 朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」2F 会議室
 ※入場無料です。

阿部幸作氏について

朝日町エコミュージアム20周年記念事業
■阿部幸作氏が遺した8mm映像上映会 「あの素晴らしい日々をもう一度」
朝日連峰初の山岳写真家故阿部幸作氏は、100本を超える8mm映像で朝日町の人々の暮らしも遺していました。朝日町エコミュージアム協会では、これまで一本ずつデジタル映像化に取り組んでおりましたが、この度ついに完了し、昭和30〜40年代の朝日町を抜粋し紹介できることとなりました。懐かしい時代や人々が甦ります。

日 時 2010年10月24日(日)午前9時30分〜昼前
会 場 朝日町西部公民館(常盤)
入場料 無料

■第4回阿部幸作氏写真展「あの頃の君がいる」
今回は、朝日町の暮らしの中から「祭り」風景を中心に、そして昭和29年に山形新聞で連載していた写真記事なども展示致します。

日 時 10月1日(金)〜24日(日)午前9時〜午後5時(土、日休館)
※24日(日)の上映会では開館致します。
場 所 朝日町西部公民館(常盤)
入場料 無料

お問い合わせ 朝日町エコミュージアムルーム
Tel 0237-67-2128(月曜休)

チラシのダウロード(PC)はこちら
チラシ表(A4)
チラシ裏(A4)
 雄峰朝日連峰磐梯山と共に国立公園として時代の脚光を浴びてから5年になる、朝日連峰は最近、山岳地形、山岳気象、動植物の生態または無尽蔵と称される地上地下資源、電力資源において専門家はもとより一般山岳愛好家の注目を引く様になったのは何より嬉しいことである。
 五百川郷の中心地朝日町(宮宿町)から二十四キロ。トラックを利用して約一時間四十分登山の基地朝日鉱泉に到着する。
 山形から約四時間、始発バスの客となれば、お昼にはすでに俗塵を湯に流して仙境の客人となれるのだ、せんせんと流れる朝日川の左岸一段と高い丘地に二軒の鉱泉旅館がある、朝日館、古川屋がこれである。開湯は明治初年。実に八十余年の歴史ある鉱泉である。朝日大権現の霊異によって発見され、泉質は炭酸カルシューム。胃腸病、腹痛等に特効あるといわれている。浴客実に年間六千人。夏期登山シーズンとなれば遠く関東地方からも訪れ一日三百人を越す時もめずらしくない。登山シーズンには宮宿から出張売店もありサービスにつとめている、しかし五百川郷のそちこちにみられる原始的なランプぐらしだ。
 古川屋の古老、房吉翁はことし六十六歳。十五歳の時から先達をつとめ朝日を跋渉する事、実に五百三十回。全く山の主である翁はいまなおかくしゃくとして大きいどうらんになた。きせるをポンとたたきながら「今の若い者は…」と気焔を上げている。先年若者数名連れて大朝日から全く道なき道をぬうて三面に行っている。旅館は食付一泊三百円、宿泊料一泊百円。下界で想像のつかない安さだ。
(写真・阿部幸作“ランプ生活の朝日鉱泉” 文・長岡幸助)
※山形新聞連載記事「朝日探訪」ランプの朝日鉱泉〜山の主・先達つとめる房吉翁〜
(昭和30年、掲載日時不明)より全文
林野庁の「森の巨人たち百選」に選ばれた幹周り9.27メートルのクロべの巨木と、新緑のブナの森を楽しみます。朝日町ふるさとミニ紀行Vol.2(朝日町エコミュージアム案内人の会)

日時 / 平成22年5月30日(日)午前
参加費 / 500円(資料・保険代)
集合 / 朝日鉱泉ナチュラリストの家駐車場
定員 / 10人(2時間半の登山ができる方)
案内 / 西澤信雄
※弁当、飲み物ご持参下さい

申込み / 
エコルーム Tel 0237-67-2128 まで(月・木休み)
もしくは左下お申込みフォームより。〆切5/20

朝日鉱泉ナチュラリストの家 (PCサイト)
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 朝日連峰のブナの原生林や高山植物に魅せられ、「朝日のカモシカ」の異名をとった朝日町が生んだ山岳写真家。 
 昭和24年(1949)より西五百川村常盤に写真店を営むとともに、朝日連峰の写真を撮り始める。昭和26年(1951)に故安斉徹博士(山形大学教授)の磐梯朝日国立公園指定のための調査に同行したのがきっかけで、大朝日岳の美しさ、魅力にとりつかれる。
 「写真技術はいい腕もさることながら、シャッターチャンスだ。動かぬものはともかく、流れのある被写体は2度同じものを撮ることはできない。」(毎日新聞より)と、山には3台のカメラを持って、気象が織りなす大自然をなんとか写真にしようと、毎年十数回、合計300回以上朝日連峰に通い、多くの写真を撮影する。
 特に昭和27年(1952)旧郵政省の磐梯朝日国立公園記念切手シリーズの「朝日岳」「月山」の原画に選ばれた時は、県内の多くの人々が喜んだ。
 昭和57年(1982)に発表した「朝日連峰 四季と植物」(高陽堂書店刊)は朝日連峰最初の本格的な写真集であり、「学術資料としても高く評価されるだろう。」(元県立博物館長 結城嘉美氏談)など多くの方面から関心を呼んだ。
 氏は山岳だけでなく朝日町の原風景や風物も数多く撮影し、3万枚以上の写真を撮ったといわれる。
 趣味も多才で、文筆、焼き物制作、刀剣、骨董などに造形が深く朝日町の文化活動に多くの足跡を残した。

略歴

大正13年(1924) 西五百川村常盤に生まれる。
昭和19年(1944) 海軍を志願、舞鶴海兵団に入隊。
昭和20年(1945) 終戦後、復員する。
昭和23年(1948) 
東京神田の写真館に助手として就職。
昭和24年(1949) 
帰郷後、西五百川村常盤に写真店を開店。(東京へ修業に通いながら)
キヨエさん(西五百川村太郎)と結婚する
昭和25年(1950)12月 
朝日岳の組み写真が全日本観光写真コンクール1位入選。
昭和26年(1951) 
磐梯朝日国立公園指定のための調査に同行し朝日連峰の広大無辺なブナの原生林や高山植物に魅せられる。 日本写真協会観光写真展特選。
昭和27年(1952) 
磐梯朝日国立公園記念切手の原画(大朝日岳と月山)として採択される。
昭和27(1952)〜昭和56年(1981) 
この間、朝日連峰に毎年十数回のぼり寝袋とパンとカメラを持って寝泊りして山岳風景や高山植物の写真を1万枚以上撮り続け、県内各地で写真展を開催する。
昭和56年(1981)8月 
産経新聞山形版に「涼線・大朝日岳をゆく」を30回にわたり連載する。
ラ・ポーラギャラリーで「朝日連峰・光と闇」の写真展開催。
この写真展がきっかけとなって、写真集の出版が決まる。
昭和57年(1982) 
「朝日連峰・四季と植物」をA5判高陽堂書店より発刊、県内外の多くの山岳愛好者に好評を博する。
昭和62年(1987) 
長い間の統計調査員の活動に対し「藍綬褒章」を受章する。
平成7年(1995)11月30日  
72歳で死去。撮影総数は3万枚以上にも及ぶ。

第一回阿部幸作写真展
『朝日連峰 四季と植物』(高揚堂書店)

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お話 : 花山忠夫氏(宮宿)

〈大朝日岳の軍道について〉
 朝日軍道は葉山から御影森山〜平岩山〜大朝日岳〜中岳〜西朝日岳〜竜門〜と続いている。
 大朝日岳の山頂付近は大変風当たりが強い所で、草もあまり生えず岩も露出している。私は険しい大朝日岳の山頂は通らないで、中腹を迂回したのではないかと考えている。
 中岳の方から見た大朝日岳の斜面に電光形の道跡の線を発見した。そして大朝日岳の避難小屋の裏には、その斜面に至る道跡も見つけた。その辺りの背の低い灌木はだいぶ太くなっているので、近代になってから開削はしていないことが分かる。
 大朝日小屋から中岳に向かう途中に天下の名水”金玉水”があるが、その上部周辺にも地形を平らにしたような痕跡が見受けられる。水場も近いので番小屋があったのかも知れない。ここはもう少し掘って探すとなにか出てくるのかも知れないが、一木一草たりとも採ってはならない「特別保護地域」なので全く手をつけることはできない。

〈西朝日岳の消えた道跡〉
 西朝日岳の斜面に残る電光形の道跡を見ていて、下のほうの道が、一曲り、二曲り位消えていることに気付いた。また、折り返しがこのまま鋭角なカーブでは馬車が通れないので、そこに車回しの形跡があったはず。それも消滅したと考えられる。
 掘削は上から掘ったと思う。下から掘っていくと上から掘削した土でまた埋まってしまう。余った土で車回しを作り、さらに余った土は下の方に盛土をし、その上に道を作ったのではないか。ここは大変雪が積もる場所なので、盛土した所が流され道や車回しが消滅したと推測している。

〈吟味された測量〉
 電光形になっているという事は、馬や荷車を通した証拠といえる。よく見ると測量がきちんと成されている。電光形の道の左へ登るそれぞれの線だけを見ると平行になっており、右へ登る道もそれぞれ平行になっている。かなり吟味したのだと思う。また、地形上全体の掘削できる巾は限られているので、折り返しの数も割り出してから測量を進めていったのであろう。
 このことを考えると、私が迂回していると思っている大朝日岳でも、同じように開削は可能であったのではないかと思う。

〈開削の苦労が見える〉
 山は岩がたくさん出てくる。そこを避け勾配を変えてしまうと馬や馬車が通れなくなるから、実際の開削は大変な苦労があったと思われる。
 道跡を見ると、薮の中に岩を見つけることができるが、よく見ると岩の節にあわせて引き裂いたような剥がし方になっている。もしかしたら火薬を使ったのかも知れない。

朝日町の天地人パネルディスカッション「直江兼続が開いた朝日軍道」(平成21年11月)
※写真は西朝日岳に電光形に残る朝日軍道

花山 忠夫(はなやま・ただお)氏
 昭和25年生まれ 朝日町宮宿在住。平成4年朝日山岳会長に就任。平成4年環境庁自然公園指導委員。平成4年〜平成7年自然環境保全地域管理人(ヌルマタ沢野川地域)。平成8年自然公園管理人(朝日地区)。平成16年自然公園の適正利用、安全登山の推進等の功労により、環境省自然環境局長表彰を受賞。朝日山岳会の仲間と登山者の安全確保のため登山道整備や清掃、自然環境保全等の活動に尽力している。

なぜ朝日軍道が必要だったか

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