朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

07.豊龍神社エリア
エリア地区/宮宿

(お願い)
 このサイトは、朝日町エコミュージアムがこれまで培ってきたデータを紹介することにより、郷土学習や観光により深く活用されることを目的に運営いたしております。
 よって、サイト内で紹介しているほとんどの見学地は、観光地として整備している場所ではありません。夏は草が茂り道がなくなる場所もあるかも知れません。もちろん冬は雪に閉ざされます。また、個人所有の神社や建物等も一部含まれております。アクセスマップも細道までは表示されません。
 予め御了承の上、見学の際は下記についてご留意下さるようお願い申し上げます。

・安全に留意し危険な場所には近づかないで下さい。
・マナーを守り、無断で個人敷地内に入らないで下さい。
・不明な場所につきましては、エコミュージアムルームへお問い合わせ下さい。または、エコミュージアムガイドをご利用下さい。
Tel0237-67-2128(月曜休)
 承和11年(844)に延暦寺の僧安慧(あんえ)が奥州を巡り歩いて、講場をその地に開いた時、龍の神霊を祀って東五百川の鎮守として、別当東守寺を建立したと記されている。さらに慶長年間(1596〜1615)に寒河江肥前の守が社殿を再建し、明治維新の廃仏毀釈によって豊龍神社となり、東守寺住職は復職して豊嶋氏を称したとする。
 明和年間(1764~72)に左沢在住の松山藩医であった羽柴玄倫が誌した『宗古録』には、安慧がこの地に天台の教えを広める決意をしたとき「瑞巌美麗の姫大神」があらわれ「我こそ海童神(わだつみのかみ)の娘なり」と名のり「汝の護法善神とならん」と誓ってくれたのが豊玉姫大神であるという。
 さらに、安慧みずから大般若経600巻を書写して筐(はこ)に納め、この山上に埋めたと述べ、山号を「宝経といい或は宝筐と作る」と書いている。
※『朝日町史 上巻』(朝日町)より抜粋

 祭礼は5月3日。大獅子や宮神輿、樽神輿の行列など、宮宿地区を挙げて毎年盛大に行われています。

アクセスマップはこちら

※駐車場は神社裏手にあります。
 根周り11m、目通り幹囲7.5m。平安時代の承和11年(844)延暦寺の僧安慧によって豊龍神社創建時にご神木として植えられたと言い伝わっています。落雷や風雪により頂部や大枝を失くし樹勢を損なっていましたが、樹木医により適切な処置が施されました。山形県指定天然記念物(1965年4月指定)。

豊龍神社
アクセスマップはこちら
 市神石は、宮宿の「市」の繁栄や安泰を願い市神をまつったものです。豊龍神社参道入口にあたる宮宿本町五叉路から宮宿商店街を長年見守ってきました。造立年不詳。
※参考文献『朝日町の石佛』朝日町長寿クラブ連合会
アクセスマップはこちら
 つぼみがふくらみ始め、今年も伊豆権現(宮宿栄町)のご神木樹齢700年の桜のライトアップが始まりました。
 豊龍公園のある経ヶ崎は、豊龍館(ほうりゅうたて)のあった場所です。戦国期の鳥屋ヶ森城主(館山)岸美作守の館と考えられています。

鳥屋ヶ森城跡
豊龍神社
アクセスマップはこちら
撮影場所
能中経壇からの風景
 福昌寺は、永禄元年頃(1558年)、館山鳥屋ヶ森城主岸美作守義満の菩提寺として鳥屋ヶ森根小屋に創建されました。しかし、戦国期の五百川合戦により最上義光に滅ばされ焼失します。後に三本木に寺を再建し、熊野権現社地が開拓された天正17年(1589)に現在地に移りました。境内には岸美作守義満の墓碑があります。
アクセスマップはこちら
 甲斐の武将武田家を先祖とする雲沢寺は、慶長5年(1600)送橋に一寺を建立したのが草創とされます。
 寺伝によると、宝徳元年(1449)武田信玄の祖父の弟にあたる武田信安が出羽に下向し、最上氏により山辺町高楯城主となります。信安17歳の時、水利の便が悪いことを知り玉虫沼を築堤しますが、水源地となる周辺一帯は鳥屋ヶ森城主岸氏(朝日町新宿)の所領であったため自領だった末吉良村(朝日町宮宿元町一帯)と交換しました。
 文明3年(1471)最上義春の命により葦名戦争に参加しますが大敗します。信安は人生の無常を感じ仏門に帰依し、鬼の目山谷に草庵を建立し戦没武士の菩提を弔いました。これが山辺町の了広寺です。
 そして慶長5年(1600)、了広寺四世西心法師が住職を長男宋賢にゆずり、三男宋察を連れて送橋村に来て雲沢寺の草創の一寺を建立したのです。その後、宮宿に再建しましたが宝暦7年(1757)と明治10年(1877)に大火に見舞われ全焼しました。送橋の経塚に仮堂を建てて8年ののち、宮宿森林(旧宮宿中学校跡 緑ヶ丘)に移り、その後現在地に再々建となりました。
 浄土真宗大谷派。ご本尊は阿弥陀如来。総高60センチ肩幅22センチの立像は寛永16年(1639)の作と伝わります。
※抜粋 / ふるさと朝日町散歩(長岡幸助・朝日町広報委員会)
※本堂見学は直接お問い合わせ下さい。
アクセスマップはこちら
 別当柴田七郎兵衛氏の記録によると、宝永年間(1704〜1710)に再建されたと伝わる太子堂は、元は朝日岳信仰の参道で六反の渡しがあった清水に建立されていたそうです。明治20年(1887)頃に、稲荷様が祭られていた現在地に再建されました。また、後に阿部文作氏寄進による弘法大師像も祭られました。江戸初期の製作とされる聖徳太子像を中心に稲荷様、弘法大師の三体が合祀されています。
※抜粋/『ふるさと朝日町散歩』(長岡幸助・朝日町広報委員会)
アクセスマップはこちら
 鈴木酒造は、朝日銀山の歴史とともに創業した300年の歴史を誇る県内一小さな酒蔵です。松嶺藩の令官小笠原左衛門佐源経政を先祖とし、四代鈴木和泉経元は四の沢堰開削に尽力しました。屋号は「以津美屋」通称「マルシメ」。機械化も最低限で、もろみの温度管理や仕込み時期は、もろみの音を聞いて判断する昔ながらの製造法を続けていらっしゃいます。
 昭和47年に共同ビン詰めによる合理化と品質向上のため(株)設楽酒造店(西川町)(株)八幡屋酒造店とともに、月山酒造株式会社(寒河江市)を設立しました。代表銘柄に「銀嶺月山」や「豊龍」があります。

※見学は年に一度開催される見学会へどうぞ。詳しくはエコルームまで。
アクセスマップはこちら
おらほの地酒!朝日町の酒蔵を訪ねる (見学会H16)
フォトギャラリー(PC)

 
 火伏、盗難よけ、安産の神様として親しまれている宮宿栄町の伊豆大権現神社には、樹齢およそ700年とされるご神木のエドヒガン桜があります。4月22日のお祭りは、のぼり旗を上げだんごやゆべしの店も出され賑やかです。毎年花の季節には地元有志によりライトアップも行われています。

写真はこちら
伊豆大権現神社
アクセスマップはこちら
 伊豆国の伊豆大権現(静岡県熱海市の伊豆山神社※明治に改称)の分霊を勧請したとされる。創建年代は不詳だがご神木のエドヒガン桜の樹齢はおよそ700年とされる。ご神体には「伊豆大権現一宇為□□、万年豊穣、安全火盗消除、宮宿村、鈴木長吉」他の御神札には「奉勧進伊豆大権現、諸大眷属開眼、降魔□□、慶応三年丁卯年」と墨書されている。
 例祭は4月23日(旧暦3月15日)。火伏、盗難よけ、安産の神として厚く信仰されている。
※『ふるさと朝日町散歩/長岡幸助氏』より抜粋

伊豆大権現の種まき桜
静岡・伊豆山神社
※伊豆山神社ご神徳
一切の生物の親神として、生命の充実、発展の御守護を土台として、国の護り、産業、事業、経営の護り、良縁の護り、 殊に禊道、錬成の御導きの御神威は著しく、火防鎮火、温泉守護の御神徳弥高くまします。
 平成10年、町の新しい産業創出を願い南アフリカから9羽のダチョウが輸入されました。寒暖の差に強く、飼育による環境負荷もなく、遊休農地の有効利用にもなっています。ダチョウの肉は、低脂肪・低カロリーなのに良質なたんぱく質や鉄分が豊富に含まれており、健康志向の現代にマッチしたヘルシー食品です。また、生食のほか加工食品や脂肪を使った石けんやクリーム、皮革製品も販売しています。展示團では常時50羽から100羽が放牧されています。
(有)山形朝日オーストリッチ産業センター TEL 0237-67-3101
→参考サイト ペロリンが行く(おいしい山形)
アクセスマップはこちら
 助の巻の「さくら地蔵尊」は、通称「いぼ地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。
 別当鈴木家によると「由来は定かではないが、数百年の昔、小川の向かいに天にそびえる桜の老木があり、それが枯れて洞中から地蔵尊が現れた。それで桜地蔵尊といわれ、家内安全、子どもの成長、五穀豊穣の守護神として庶民の信仰が厚かった。特にいぼの治療にはご利益が多く、遠く東京や川崎方面から参詣に来た」と。昭和8年に火災のため惜しくも文書、記録は消失したが、「桜地蔵尊助ノ巻村」の木版の中に、立派な地蔵尊の木造が彫刻され、家宝として今に伝えられています。例祭は旧3月24日。明治のはじめに山際にあったものを現在地に移したとされています。
※『ふるさと朝日町散歩』(昭和63年)より抜粋
アクセスマップ
 舟運時代、最上川最大難所といわれた五百川峡谷には大難所5ヵ所(朝日町内4ヵ所)、難所15ヵ所(朝日町内11ヵ所)があり、多くの船が転覆しました。流域にはニ渡(荷渡・仁和足)神社など、安全舟運を祈願したとされる神社がいくつもあります。
 大難所“三階の滝”に続く難所“天神巻き”のある助ノ巻には、上杉家が改修したとされる天神宮があります。社殿棟札には「上杉喜平治」の名前が書かれてあります。天神巻きで助けることがたびたびあったので「助ノ巻(すけのまき)」になったと云われています。神社裏の崖下が天神巻きです。
上杉喜平治の棟札写真(撮影/若月啓二氏)

アクセスマップはこちら