九里学園同窓会

「La vie en rose〜めくるめくMの世界〜」

(すみません記事をいただいたのは昨年の12月でしたが、九里学園同窓会の怠慢で平成22年のUPとなってしまいました。かりんさんにもMさんにも読者の皆様にもお詫びいたします)

こんにちは、かりんベイベーです。お客さんに「人の新婚旅行ばかり手配しないで、自分の計画も立てないと」と言われたり「私がもう少し若ければお嫁さんにもらうのに」と70歳のお客さんに同情されながらも、日々頑張って過ごしております。今年も残り一ヶ月となりましたが皆さまお変わりないでしょうか。
さて、今回は北欧研修について書きたいと思います。
今回私が訪れたのはスウェーデン、ノルウェー、デンマークの3ヶ国。主な都市はストックホルム、オスロ、ベルゲン、コペンハーゲン。北欧は給料の約半分は税金になってしまいますが、その分社会保障がきちんとされています。特にスウェーデンは大学まで無料、出産も無料、18歳まで毎月育児金も出て、女性の国会議員も約半分いるという人権を尊重し人間が人間らしく生きられる国。男性同士の結婚も認められた国でもあります。
ノルウェーはとにかく自然が素晴らしい!フロム山岳鉄道とフィヨルド(氷河で削られた谷)クルーズを初め、音楽家グリーグが愛した街でもある世界遺産都市ベルゲン。ここで観た風景を私は一生忘れないでしょう。
デンマークは、アンデルセン童話で有名な可愛らしいおとぎの国。床も木で出来ている暖かみのあるコペンハーゲン空港は誰でも思わず微笑んでしまう、北欧観光の玄関口でもあります(成田から直行便有り)。
そんな国に私は日本からベイベーグッズ2点を持参して参加した。一つは2003年うたかたツアー書き込み式年間スケジュール手帳と(もったいなくて使えなかったが、今回人魚姫つながりで持って来た)もう一つは2009年レインボーマンツアーで買ったミッチーエコバックである。
今回の私の研修に対する意気込みは凄かった。何せ生プライベートミッチーに会う機会を棒に振ってまで仕事を選んだのだ。それなりの気合いと根性なくして帰国は許されない。私は至るところでメモを取っていた。そう日本から持って行ったあの全ページミッチー顔付きスケジュール手帳に。
そうしていたら、それを見ていた仲間一人から「それ誰ですか?」と声をかけられた。ミッチーと答えるとその周りから歓声が上がる。「ずっと気になっていたんだよね〜」「あ、私も私も」と場が沸いた。それから話がミッチーの話題へ。
「小森さん、私も実はミッチー好きですよ。ビデオ見てました! 」また添乗員さんも「私も半年間好きだったことある〜」とさすが人気者ミッチーである。気を良くした私はこの手帳に書いてある、ミッチーの顔付き部分を切り取り欲しい人へ先着順にて配った。みんなの嬉しそうな顔を見てミッチーへの愛を感じた。
もう一つのエコバックも持参して役に立った。何せ北欧はエコの国でもあるので、スーパーでお買い物をしてもレジ袋を渡してくれない。持って行くのが当たり前なのである。私は「持って来て良かった!ありがとう、ミッチー(ラブ)」と喜んでいたがこのバック、使う国を間違えるととんでもないことに!
仲間2人で買い物を済ませ、少し早めに集合場所へ行くと先に何人か集まっていた。「何買ったんですか〜?」と話していると政府観光局の方が私のこのバックを見るや血相を変えて言ったのだ。「こ、このバックどうしたのですか?ちょっとマズいですよ…」と。
どういうことかというと、北欧では7色の柄は同性愛の象徴とされており、このレインボーマンエコバックはその名の通りRAINBOW=虹を表して、7色の旗もこのバックに付いている。このまま歩いていると同性愛者に間違えられてしまうので、私は道中この旗を隠しながら観光する羽目となってしまった。その様子を見ていた男性陣から「ミッチーはノーマルですか」との質問を受ける。私はノーマルだと言うことと、ミッチーは今まで男性5人から告白されているが丁重にお断りしている旨を説明した。
それからもミッチーの話題はバスの車内でも続く。その内私のところにマイクが届き、ミッチーのリクエスト曲も出た。その曲がよりにもよってあの「桃色クラブ」である。ヒット曲の少ない(泣)ミッチーのナンバーの中でも、割りと知名度が高い曲なのだが、この曲はミッチーがいろいろいけない妄想・願望を抱く曲で桃色クラブとは=ミッチーのベッドルームなのだ。私個人的にはノリもいいし、大好きなナンバーなのでもちろん空で歌えるが、今ここで歌えと言われればさすがに躊躇する。車窓からはオスロへ向かうフィヨルドの大自然を背景に、JTBの方達や政府観光局の方、さらには男性までいるのである。さすがにそこまで自分を捨てきれない。一応嫁入り前の身である(まだあきらめていない)。申し訳ないが添乗員さんに「あの曲はシラフでは歌えません」とお断りした。
そんなこんなしながら8日間の研修は無事に終わった。最後の添乗員の挨拶を私は疲れきった頭でぼっーと聞き流していた。「……、このメンバーで集まって打ち上げをしたいと思います。団体名は小森さんが愛するミッチーにあやかって『桃色同盟』とします。その時には是非小森さんに桃色クラブを歌って頂きます!!」みんなの視線が私に集まりはっと我に返る。どうやらいずれは歌わなければいけない様だ。いつお声がかかってもいいように、秘かに振り付けを加えながら練習する日々であった…。


P.S.私事で大変恐縮でございますが、本年10月12日祖母が89歳で亡くなりました。 亡くなる数ヵ月前まで米沢市立病院でお世話になりました。病棟で看護師として働いている、同級生香織さんにこの場をお借りしてお礼を述べたいと思います。 冷静で知的な香織ちゃんなら痴呆も入った祖母を安心して預けられました。本当にお世話になりました。ありがとう!!
今度独身同士一緒に飲もうね(笑)。
「Let's自己解放」

「La vie en rose 〜めくるめくMの世界〜」
こんにちは、かりんベイベーです。知らない方の為にご説明します!ベイベーとは女子のミッチーファンに使う愛称、ちなみに男子はそのまま男子といいます。

この度九里の同窓会よりご依頼を頂きまして、今話題のミッチーについて大変ご興味がおありの方が非常に多いとのことで(実に素晴らしいことであります)九里学園高校のHP上でミッチーについて不定期ではございますが連載することとなりました。私としましては嬉しい反面、あくまでも高校の同窓会HPということを忘れないように、ある程度の枠を越えない様、心がけたいと思ってはおりますが、何しろミッチーが相手だけに暴走しそうでして、初めからこの場をお借りして謝っておきます。私は特にベイベー仲間を持っているわけでも、常に情報を交換しているわけでもなく、独断と偏見で、見たまま感じたまま好きなようにこのコーナーを作って行きたいと思っておりますのでご興味のおありの方最後までお付き合い下さい。そして誤解をされている方にも少しでもミッチーの良さが伝われば幸いでございます。

私がミッチーファンクラブに入ってから早7〜8年が経ちました。「何がきっかけなの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ミッチーファンになるきっかけの80%以上は、私はまずあの人間離れをしたルックスだと思っております。私がミッチーを知ったのは今では伝説となりましたあの有名CM「マツキヨ」がきっかけでした。ミッチーを観た瞬間たまげましたね。世の中にこれ程のきれいな人がいるのかと。同じ人間なのかと。そして何てバラが似合うのかと。

バラで思い出すのは高校時代、私は美術部に所属をしており、そこで美術部の中間展示ということで、私は当時人気がありました、萩原聖人さんがタキシードで胸にバラの花束を抱えている姿を水彩画で描いたのですね。思いの外好評を頂きまして、萩原ファンの子から「かりんちゃん、5000円で売ってくれないかな〜」との言葉をかけてもらいましたが、私のポリシーは人に渡すのなら初めから渡すものとして描くので途中で人にあげたり、まして売ったりはしません。画家ならともかくね。
話がそれてしまいましたが、その時私の中で納得しながらも、何かが違う気がずっとしていまして、それがミッチーを観た瞬間「これだ!」と思ったのでした。他の誰よりもバラが似合い、思春期の少女が誰でも一度は夢見る、まるで少女マンガから抜け出たかのような完全美!歌舞伎の女形をさせたら一躍トップスター間違いなし!(失礼、今もトップスターですが)さぞかし、あの美貌があれば世の中どんなことも思いのまま楽しめると思われる方も多いでしょう。

しかし、世間はそう甘くもなく昔から人と違えば叩かれ、人と違う物を持っていれば疎まれ、憎まれながらミッチーは小学校時代からクラス全員の男子に無視されていたとのことです(ちなみに女子には壮大な人気)。美しく生まれたことがそんなに罪なのか、自分のせいではないのに、と常にその葛藤を抱えながら、自分と世間と闘いながらそして今の自分のスタイルが出来上がったというのであります。ここまで来るのにどれ程大変だったことでしょう。しかしミッチーは叩き上げながらも苦労を苦労と微塵も感じさせないところがスターであり素晴らしいところです。同じ様に自分の美意識を貫いて生きて来た美輪明宏さんもミッチーをエンターテイナとして認め、ミッチーも崇拝しているそうです。余談ですが、この前、美輪さんがテレビで話していたのですが、昔は今のように同性が同性を好きになれない時代で友人が何人も苦しんで死んでいったそうです。「今の時代は自由に表現しあい、何でも口に出して生きられる世の中。本当にいい世の中になったもんだわ」とおっしゃっていました。また、「人間が人間を好きになって何が悪いの」との言葉が印象的でした。

世の中の風潮に流されないように、人にも物にも囚われず常に自分が自分である為には自分の信念を貫き、全うして生きていく。それが人にはどの様に映って見えても。ミッチーはその様に生きてきた。そしてこれからも自分の信念を貫きながら美意識を高めて生きていくだろう。その様なミッチーを一ファンとして今後も温かく見守り続けたい。今ミッチーが進化を遂げようとしているが、私自身もミッチーファンとして恥ずかしくないように常に成長していけるようなそんな自分でありたい。そんな風に思っております。

かりんベイベー(平成5年卒)
{PDF} ダウンロード 0バイト_Adobe PDF

お待たせしました。「からだの作り方」を紹介します。


じょうずにできましたら、写真にとってぜひ下記まで画像を送付してください。

送付先 dousou@tw.kunori−h.ed.jp

           特派員 あらいぐま(昭59年卒)
{PDF} ダウンロード 0バイト_Adobe PDF

「天地人」でにぎわっています米沢のマスコット「かねたん」の折り紙です。

私は「栞」仕立てにしてみましたがいかがでしょうか。

「かねたん」折り紙のつくりかたは「ダウンロード」をクリックしてください。PDFファイルで説明していますが、よくわからない場合は、このホームページの「お問合せ」にてご連絡ください。

特派員 あらいぐま(昭和59年卒)
平成5年に卒業しました土屋尚子さんのホームページとブログです。
平成19年6月に米沢の古志田「うふCafe」をオープン致しました。フランスブルターニュ地方の 郷土料理であるそば粉を使ったクレープをメインとしてご提供するお店として、営業しております。

うふCafeのホームページです
うふCafe

「古志田のお手紙カフェ」店主のブログです。
お手紙カフェ店主の手紙
旧姓 須貝 尚子と申します。
私が米沢女子高校を 卒業したのは平成5年3月です。
クラスは、最終的に7組で卒業したと記憶しています。
担任の先生は、佐藤ゆきえ先生です。

卒業後は、いわき短期大学に進学し
その後米沢に戻り、住宅業に8年就きましたが
会社の倒産を機に長年夢見た 自分のお店を持つことを考えました。

その後は、三年は 修行の為何店かの飲食店勤務を経て
平成19年6月に「うふCafe」をオープン致しました。

結婚した相手が フランスに住んでいた事もあり
結婚してから、フランスに興味を持つようになり
フランスブルターニュ地方の 郷土料理である
そば粉を使ったクレープをメインとしてご提供する
お店として、営業しております。

この古志田でお店を開いてからは
高校時代の友人達が 噂を聞きつけて来店してくれたり
先生達も 沢山ご来店下さります。

こうやって、沢山の先生方に応援していただけるのは
移動がない私立高校ならではだなぁ・・・と
改めて 九里高校を卒業してよかったなぁ・・・と思っています。
地元の同級生や九里の先生方に温かくみ守っていただきながら
おかげさまで春で三年目を迎えます。

これからも、米沢(古志田)の良さを 沢山の皆さんに
実感していただける、
温かく 懐かしい風が吹くような
カフェで いられるよう 頑張ってまいります。

ホームページもあります。ブログも始めて
いろんな方に うふCafeや 古志田の事を
知っていただけましたら、幸いです。

☆ホームページです
うふCafe

☆ブログです
お手紙カフェ店主の手紙