ダリア日記

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ダリア(天竺牡丹)の来日!②

日本ではじめにダリア(天竺牡丹)を取り入れ栽培した内山長太郎は、江戸の巣鴨の植木屋(花屋)さん。長太郎は文化元年(1804年)に笊(ざる)屋の息子として生まれ、15才で植木屋を目指します。後に富山藩前田利保などの大名家と親交を持ち、江戸の有名な園芸家(栽花園を経営)として活躍します。

長太郎は、今日身近にある多くの草花などを発見し広めました。その中で「長太郎百合」の名前に彼の名を残しています。

なお、「長太郎百合」は葉に白い覆輪斑が入る鉄砲百合の変種。大輪矮生種の清楚な花は、現代でも人気の品種となっています。

(長太郎百合の写真は、HP「うにゃ子の花畑」よりお借りしました)

2006.08.19:acocotori:count(4,179):[メモ/ダリアの歴史]
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長太郎のサクセスストーリー
大出世の園芸家

長太郎は父親からざる屋を継ぐように進められるも、植木屋(花屋)に憧れてその道に進みます。当時の植木屋(花屋)は人気の商売(仕事)だったようです。

まずはじめに、鑑賞用として人気のあった唐辛子苗の行商を始めますが、上野や吉原などで大人気となり飛ぶように売れてゆきます。そんな行商の最中、大名との交流が生まれます。大名邸での園芸相談などの活躍で徐々に長太郎の名前が広まってゆきま。そんな中思いがけない転機が長太郎に訪れます、「天保の大飢饉」です。

長太郎は、それまで儲けたお金を持って地方(親戚や知人を頼って)に出向き、野菜をたくさん買い集めました。そして野菜をすべてを巣鴨に持ち帰ると、江戸市中に高値で売りさばき、短期間のうちに大金持ちとなるのです。
その金で巣鴨に土地を求め、夢だった花屋を開業します。
2006.08.19:tenjiku-b:修正削除
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